魔術師長と補佐
聞き覚えのある響きに、ルナは目を見開いて相手をまじまじと見つめた。
「あなたが、私を見つけた人?」
信じられない心境のまま尋ねると、それを肯定するようにエメラルドの瞳を細めて微笑まれた。
途端にヒヤリ、と微かな悪寒を感じた。
なんだろう。この意味深な笑みは。
「おや、ルナ様はわたくしを既にご存知だったようで」
「まぁ…ほんの少し、ですが」
「それは光栄なこと。わたくしも嬉しく思いますよ」
それほど喜んでいない平淡な口調で彼が言葉を紡いでいるのを聞いて、ますますルナは困惑する。
なんというか…予想と違う。
彼を知っていたのは名前ではなく、役職名だ。ルナ自身が王宮に連れて来られた件について一番の原因だったと言っても過言ではない相手だ。忘れるわけがない。
アリシアからの説明では、王に『夢の渡り人を探せ』と密かに命を下され、大層頭を抱えて、やっと見つけ出したから急いで本人を連れて来させた―――その人こそ【魔術師長】だ。
だからルナの中では、【魔術師長】は気が弱くておっちょこちょいなイメージがあったのだが、目の前の彼は泰然としていてそんなふうには到底見えない。
彼が悩んで焦っている様子なんて想像がつかない。
年はわからないが、この落ち着き払った話し方からするに、結構な場数を踏んでいる印象を抱かせる。
―――本当に、彼が?
「失礼。ロビン殿。夢の渡り人ルナ様は今から王妃との時間が優先される。用もないのに引き止めるのはやめていただこう」
傍らからルーカスがロビンとルナの間に身体を入れて会話を終わらせようとする。
「おや、【緋翼の騎士の副団長】ルーカス殿。先日はうちの補佐が世話になったね」
「形だけの礼は結構。あの時、貴殿が何を考えていたのか私も深く考えるべきだった。今後はないと思え」
「相変わらず君は堅いな」
「黙れ」
二人の会話を聞くともなしに聞いていたルナはいきなり繰り広げられた言葉のやりとりに驚いた。
犬猿の中なのか、この二人。
それにしても、ここでまたしても思わぬ情報を得た。目の前のルーカスが騎士の副団長だと言うではないか。位が高そうだな、と思っていたが実際に聞くと衝撃が強い。
団長の次の強さを誇るからこその副団長だろう。そのような人に道案内をしてもらっている状況が妙に申し訳なくなった瞬間だ。
「つれないことを言うね。だが、君の協力のお陰で夢の渡り人と彼女に会えた。王の命を遂行することにもなったし…実に良い働きをしてくれた。何よりだ」
「ほざけ」
ロビンが口を開くごとに確実にルーカスの声音が低くなっているのを聞いてルナも気が気ではない。
今にも腰に佩いている剣を抜かないか、思わず視線を落としてしまう。
先程、さらりとルナにとって衝撃的なことを聞いたような気がするが、現状はそれどころではない。
何より、ルーカスが完全にロビンと対向している形なのでロビンと視線が合わず、ルナは立ち尽くすしかない。
ヒルダとヨルダは自然とルナに寄り添うように傍に付いてくれているのもあり、完全に手詰まりである。
どうしよう。どうしようもない。
途方に暮れている時に、現状を打開する声が廊下に響いた。
「いた!長だ!なんでそんなところに…!おーいっ!こっちだ!見つけたぞ!」
「おやおや、見つかってしまった」
「…なんだ?」
「―――って、どこ行こうとしてるんですか!」
少年のような甲高い声がすぐ間近に聞こえ、ルナは思わず後退した。
おかしい。最初の声はもっと遠くから聞こえていたのに。まるで瞬間移動したようではないか。
人に囲まれて状況が見えないことに不安を覚え、少しヨルダの方に身を寄せて前方を見る。
すると、ロビンの腕を力強く掴んでいる榛色の髪を持つ男の人がそこにいた。
ルナの頭より少し上の身長で、顔立ちは少年と青年の間だろうか。どこか可愛らしい印象だが、その菫色の瞳は疲労と怒りで爛々としている。
「また仕事すっぽかして!あんた、どこに行ってるんです!?」
「それが上司に対して言うことかね、サハラ・ギルバート補佐」
「上司なら上司らしく仕事してください!だいたいなんでここで緋翼の副と話し込んでる…?」
そこでふと、ルナと視線が合い、サハラは驚愕をあらわにした。
「夢の渡り人様!?」
相手のあまりの驚きようにルナも肩を跳ねた。
たったの二日程度しか【夢の渡り人】と言われていないはずだが、もう既にルナの中で自身の名前のように思ってしまっていることを自覚した瞬間だ。
彼は一度ロビンを見て、再度ルナを見て、傍にいるルーカスを見、最後にロビンを見た。状況分析だろうか。とても忙しない動作でそれぞれの顔を見回す姿から、彼の混乱具合がわかる。
「あんた何引きとめてるんですか!」
「彼女には以前から興味があったのでね。今後のためにも顔を覚えてもらおうと思って―――」
「あんたが一番、顔向けできないことわかってます!?」
物凄い形相でまくし立てるサハラにルナたちは完全に置いてけぼりだった。
あわあわと真っ青な顔で怒るサハラに、ロビンはにこにこと未だ不敵に笑って言葉を返している。
「だって、面白そうじゃないか」
「これ以上事態をややこしくしないでください!まだ今回の始末書も出してないのに、本人に会ってるなんて知れたら…」
「その始末書は君がやるべきものだ。僕は【夢の渡り人】を見つけただけで、そこからは君が行動したのだから」
「あんな深刻な顔で『捕らえなければ消えるな…』とか言った後に意味ありげにこっち見たら誰でも即座に動かないといけないと思うでしょうが!あんたも同罪だ!」
「あぁ、そういえば、この場には夢の渡り人がいる。彼女に謝罪しておいた方がいいのではないかい?」
「あんたホント何してたんだ!?オレの話聞いてました!?」
「………」
真実が見えてきた、とはこのことだろうか。
なるほど、自分はそのような経緯を経てここに連れて来られたのか、と曖昧だった部分がはっきりした。
自分の【魔術師長】に対する印象は少なからず当たっていたようだ。実際はサハラという彼の仕業だったようだが。
そこからどうやって【罪人】に繋がったのかは理解しにくいが、この二人で既に意思の疎通が混線していたのだからそれも仕方ないことなのかもしれない。
むしろ、もう王宮に足を踏み入れている時点で今更だ。
ルナは小さく溜め息をついた。少し、疲れた気がする。
「あの、緋翼の副、夢の渡り人と対面を許可してくれないか?」
「…いかが致しましょう、ルナ様」
「え?」
すっかり蚊帳の外であったのに、いきなり会話に引きずり込まれたルナは返答に詰まってしまう。
「このどうしようもない長に代わり、【魔術師長補佐】サハラ・ギルバートが謝罪をしたく存じます、どうか」
「え、えぇ…」
なんだ、その公開処刑ならぬ公開謝罪。こんなところですることではない。
「あの、それは必要ありません」
「それほどまでにお怒りで!?」
「いえ、怒ってませんけど…」
悪気がどこにもないことがわかっているのに憤慨する気力など持ち合わせていない。
始末書という名の反省文もあるようだし、とルナは溜飲を下げた。
しかし、相手は納得しきれないようで「ではどうすれば…」と生真面目に考え始めたのだから参った。
何か気を逸らすものはないか、と視線をさ迷わせて、ゆっくりと口を開いた。
「…あの、先程から気になっていたのですけど。あなた方のような役職の方は皆その格好なのですか?」
彼らが身につけていたのは紫紺色のローブ、金糸の刺繍がされているシャツに紺色のズボン。
どこかで見たことがある―――…そう、アリシアの正装そのものだ。
よくよく見たら細部は異なるようだが、パッと見は同じだ。
だからこそ、気になってつい訊いてしまったのだ。
「これのことですか? これは【魔術師】の長と補佐だけが身に付けることを赦されているものです。と言っても、これは正装なので普段は違う服なのですが…これが、どうかしましたか?」
「…いえ、見たことがあったので。気になって」
「あぁ…あなたが言っているのはアリシア・ラグシスのことでしょう」
「え…?」
間髪入れずに思い描いていた人をロビンに言い当てられ、少なからずルナは動揺した。
エメラルドの瞳がにっこりと細められたのを見て、言い知れぬ不安を覚えた。
何か聞いてはいけないことを聞くかもしれない。
ふとそんな予感が頭を過った時、彼はおもむろに口を開いた。
「彼女は私の前任…かつて【緋の守護】とさえ唄われた前魔術師長ですよ」
「前…魔術師長…?」
「おやおや。やはり、あなたは知らされていなかったか。昔から人より全てのものを分かっていながら誰にも言わない性分だったが…今も変わっていないようだ」
仕方のない人だ…、と言いながらも、その響きはどこか興味を惹き付けられると言わんばかりだ。
そのことからも、ここで勤めていた時のアリシアをよく知っているのだろうことが分かった。
ふと、昨日の会話を思い出す。
『アリー母さん、ここに勤めてた?』
『―――ええ』
あれは、どんな気持ちで答えてくれていたのだろう。
【魔術師長】という職はきっと、ルナが思っているよりもたくさんの柵があっただろう。
自分のことはあまり話したがらなかったのは、どうしてか。
それは、アリシアに複雑な想いがあったからではないだろうか。
(あぁ、しまったな…)
せめて、アリー母さんの口から聞きたかった。
彼女の知らぬところで、知るべきことではなかった。
やはり、耳を塞いでいればよかった。
今更思っても知ってしまったものは仕方がない。
「…ショックですか?今まで身近な者が隠し事をしていたというのは」
一瞬、言われた意味がよくわからなかった。
しかし、その言葉の響きにどこか愉悦のようなものを感じ、ルナは眉を顰める。
「長!」とサハラは咎めるように小声で言っているのが聞こえる。
現魔術師長の性格が、なんとなくわかった。この人は、とてもイイ性格をしている。
「ルーカス様、ロビン様とお話をさせてください」
一度、気遣わしげにこちらに視線をやってから、渋々と言ったように傍らに控えてくれた。
それでようやく、魔術師長と対面することができ、真っ直ぐとそのエメラルドの瞳を見据えた。
「先程の答えは、ノーです。アリー母さんにはアリー母さんの想いがあるでしょうし、私も彼女の世話になりながら隠していることはたくさんあります。おあいこ、なんですよ」
ルナの言葉が意外だったのか、目の前の二人は僅かに目を見開いた。
そこから、(主にロビンが)何を期待していたのかわかってしまい、ルナは思わず見せつけるようににっこりと微笑んだ。
「ロビン様も、アリー母さんに会えてよかったですね」
それはルナの憶測でしかなかったが、言ったことは存外当たっているようで、息を飲む音が聞こえた気がした。
さすがは王宮で勤めあげていることはある。動揺を隠すのがとても上手い、と思った。
「そろそろ、これで失礼しますね。王妃様とのお約束がありますから。ルーカス様、お願いします」
最後はルーカスに視線をやり、ルナは踵を返す。
もう、後ろは振り向くものか、と思いながら歩みを進めたのだった。




