王妃の夢
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“彼女”は何度もその夢を視ていた。
だから、隣で微笑んでくれるこの愛しい人がどうなるのか“彼女”は知っていた。
―――楽しいパーティーになるはずだった。
彼が、血を吐くまで。
うっ、と何か詰まったような声を出し、口許を抑える。そして、抑えた手の内から勢いよく血がこぼれ落ちていく。
あぁ、来てしまった。この瞬間が。
「誰か!誰か!」
“彼女”は必死に声を上げる。
早く、早く治してあげて。この人の目が醒めるように。
どうして誰も彼を助けようとしないのだろう。
動かない愛おしい人。わたくしの唯一の人。
「血が…、血を…!」
誰か止めて。お願い。
この人だけは失いたくない。
助けられないなんて嘘よ。動いてよ、ねぇ。その瞳に、わたくしを映して。
あぁ、悪夢だ。これは悪夢だ。そう、きっといつもの―――。
「これって…もしかして、この人の夢…?」
唐突に、場にそぐわない声が耳に届いた。
存外近くから聞こえたものだから“彼女”は驚いた。
声のした方を見るとそこには―――。
「えっ、こっち見た…?」
驚きに見開かれた漆黒の瞳と視線が合った。
「…あなたは、誰?」
そう問わずにはいられなかった。
貴族に名を連ねる者の顔は全て覚えている。パーティーという名目のもと、ここに集まっているのだから貴族以外の者がこんな場所に入られるわけがない。
記憶にあるどの顔にも重なるものはなく、初めて見る少女だった。
また、ドレスではなく踊り子のように足が見える白い服を身に纏っている。令嬢は決してそのような格好はしない。それに、漆黒の髪に漆黒の瞳だなんて、そんな人は聞いたことがない。
彼女は一体―――?
周りの景色が、霞んだような気がした。
まるで、少女と二人きりの世界のようだ。
「喋りかけられた…? 何これ不思議」
鏡の表裏にいるような…話していることはわかるのに、まるで相手にされていないような錯覚を覚える。
少女の、興味を持っているわけではないが冷静に観察しようとしている姿を目の当たりにし、“彼女”は戸惑いと怒りを覚えた。
「あなた、一体何なのですか!早く医者を呼んで、この方を治す手立てを探すのです!」
早く、早く。もう息が、鼓動が、止まってしまう。
たくさんの血をはいた。手足もきっと冷たくなる。
そうなったら、もうわたくしの手の届かないところにいってしまう。
イヤだ。それはイヤだ。
愛して、守っていくと誓ったのに。
それすらも叶わないなんて―――!
「…その人、あなたの大切な人?」
一瞬、息を飲んだ少女はゆっくりと息を吐き出した後、静かな瞳で“彼女”に問いかけた。
「そうよ、だから早く―――っ、」
焦燥感に胸を埋め尽くされ、息が詰まる。
叫ぶように、全ての力を声に出すように“彼女”は言葉を紡ごうとしたが、続きが上手く話せない。
そのもどかしさに、また焦燥感が胸を支配する。
知らぬ内に、涙がこぼれ落ちてくる。
イヤだ、イヤだ。泣きたくない。これではこの人の“死”を認めているようではないか。
まだ、諦めたくない。そのためなら、わたくしは―――。
「……。じゃあ、あなたも耳を澄まして。聴いてあげて。ずっと、あなたに語りかけているよ」
ハッ、と顔を上げて漆黒の少女を見つめる。
その表情はとても冷静であった。けれども、どうしてだろう。
一人ぼっちになってしまった“自分”と彼女が重なって見えたような気がした。
「それは、どういう―――」
「“声”が止んだ…。今日はこれでおしまい」
またね、と穏やかに微笑む少女を置いて“彼女”は夢から覚めた。
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あれは王妃の目から見たらどんな夢だったのか…。
やたらと自分は恥ずかしいことを言っていなかっただろうか。
悶々と思い返しながらルナは長い廊下を歩いていく。
つい先程、ルナの部屋に王妃の従者が来訪し、【お茶会】という名目で対面を求められた。
ある程度予想はしていたが、こんなに早いとは思わなかった。
謁見から部屋に戻って一呼吸置く余裕もないままの呼び出しにさしものルナも面食らったが、否を唱えるわけにもいかず、すぐに向かうことを伝えた。
そこからヒルダを慌てて呼び戻し、さぁ行くぞ、というところでヨルダからのストップがかかる。
『ルナ様、どうぞこちらへ』
有無を言わさず鏡の前に座らされ、髪を編み込まれたり、首もとにネックレスを付けられたりと恐ろしい早さで改めて飾り付けられた。
呆然と見守って暫く。侍女たちは満足したのか淑やかに鏡の前から退いた。
鏡には先程までなかった華やかさを持ったルナの姿が映し出されていた。
『……』
見慣れない姿に絶句しながら優秀すぎる侍女たちに視線を移すと微笑みながら頷かれたので、この件については潔く口をつぐんだ。
謁見の場で着飾らなかったことがそんなに不服でしたか…?など恐ろしすぎて言えない。
言ったら自分の何かがオワル。
そうして、部屋から出るとこれまた待ち構えていたようにルーカスがいたものだから悲鳴を上げそうになった。
『【華宵の庭】にご案内致します』
寸でのところで悲鳴を呑み込んだルナに、ルーカスは己の新しい役目を淡々と紡いだ。
もしかして、罪滅ぼしに自分の案内役にされてる…?
純粋に疑問に思ったが、彼も王妃の命に従っているのだから職務的には何の問題もないことに気がつく。
こちらも“改めまして”と再度頭を下げた。次に顔を上げたらとても神妙そうな表情をしていらっしゃったものだから、無意識に遠い目で彼を見つめてしまった。
なんだろう。偉い人と庶民の違いをまざまざと見せつけられる感覚だ。
王宮での振る舞いなど論外な私にそんなものを求めてもらっては困る。
かくして、謁見の場に行った時のメンバーで【華宵の庭】に向かうことになった。
その間、王妃のお礼ってどのあたりのことだろうか、と考えている内に、彼女の夢を同時に思い出していた。それしか話題のカギがなかったとも言える。
結局アリシアには会えずじまいで、謁見での疑問も解消されずモヤモヤする気持ちをもて余していた。
ふと、窓の外に目を向ける。清々しいほどに綺麗な晴天だ。
庭、と聞いて思い出すのは桜の木があるあの庭だ。あそこだろうか、となんとなく予想を付けたが、間もなくその扉の前を通りすぎていき、違うことを知る。
象牙色の扉を少し名残惜しく思いながら歩みを進める。
『明日もここにきて』
唐突に彼の熱い眼差しを思い起こして、ルナは無意識に昨夜繋いでいた手を包むように手を添えた。
今日、―――どんな顔をして会えばいい?
貴族だと思っていた。それなりに位の高い人なのだろうと、予想はしていた。
だが、実は雲の上の人だと思わぬところで知ってしまった。そういう面では、王妃との対面もなんら変わらないが、一番の問題は人目を忍ぶように互いが会うことだろう。王妃は包み隠さず公にしているが、彼の場合は違う。それが、妙に頭に引っ掛かる。
彼にも、いろいろと聞きたいことがある。
なぜ、【シエル】と名乗ったのか。最終的には謁見の場で会ってその正体もわかるというのに、わざわざ違う名前を名乗ったその理由は。
あの場の雰囲気を和らげようと機転を利かした皇子がアロルド皇子だというのなら、彼はアルフレッド皇子だと誰が見ても自然と答えは導き出せる。
狼狽える自分を見たくてわざと違う名前を名乗ったのだとしたら、彼は相当な意地悪だ。
あんな綺麗な顔でそんなことを考えていたのか、と思うと怒りに似た気持ちがふつふつと沸き上がってくる。
―――いけない。
ただの憶測なのに、勝手に怒るとはなんて心が狭い。
それによくよく考えてみれば、自分も同じではないか。
この世界の名前だとしても、【ルナ】は自分の本名ではない。
その事実に思い至り、すぅっ、と心の底が冷えていく気がした。
―――あぁ、きっと。
ルナ、と呼んでくれる人はこれから増えるだろう。いやもう既に知れ渡っているかもしれない。
その人たちは、いずれ自分の本名を知るのだろうか。その時に感じる気持ちはきっと、そう―――。
「これは、夢の渡り人ルナ様。今から王妃と【お茶会】ですか?」
穏やかな声が耳に届いた。
ハッ、と我に返り、声のした方に顔を向ける。
ヒルダとヨルダのその後ろに、身長が抜きん出て高い一人の青年が目に映る。
視線が合うや、彼はにこり、と微笑し優雅な礼を取った。
「お初お目にかかります。わたくし、【魔術師長】ロビン・タナウェーと申します。以後、お見知りおきを」
不敵に笑うその人に、ルナは思わず息を呑んだ。




