滞在決定
覚えている。
だって“彼女の夢”は、この世界に来て初めて視た夢なのだから。ようやく合点がいったルナは眩しいものを見るような眼差しで王妃を見つめていた。
彼女だ、とわかったのはわざわざ“あの時”と同じ姿で現れてくれたからだろう。
髪型や、豪奢な緋色のドレス、よく見れば装飾品までも“夢の中で会った時”と同じモノであることにルナは今更ながら気付いた。
(なんて、偶然…)
ルナが身にまとっているドレスが夢の中の服と似通っていることもあり、まるで“あの時”にお互いが出会ったような気持ちになる。
“あの時”のように切羽詰まった状況ではないのもあり、今のルナは、純粋に喜びを噛みしめた。
王妃の日だまりのような微笑みには隣にいた王も目を見張った。
王宮で―――しかも謁見という正式な場で、滅多に見られないその王妃の様子に、誰もが【夢の渡り人】の存在を強く意識した。
その中で、王妃はゆっくりと口を開いた。
「“あの時”、ルナ様の言葉がなければ今のわたくしはなかったことでしょう。あなた様の存在に感謝を。わたくし、エルヒ・シン・オルキスは心を持ってルナ様を歓迎致しましょう」
ざわ、と広間に集まった全員がどよめいた。ルナはその異様な空気に敏感に反応し、疑問を抱きながら周りの様子を伺う。
「王妃の“確約”だ」
「まさかそれほどまでに【夢の渡り人】は…」
囁かれている言葉は途切れ途切れにルナの耳に入る。周りの空気に感化され、ルナも戸惑いを隠せない。
聞こえてくる声は感嘆か、恐れか…。驚嘆にしては薄暗いものを感じる。
心がざわざわと、忙しない。
気持ちを落ち着かせようとルナが思わず胸に手を置いた時だ。
「静まれ。王と王妃の御前だ」
冷たい声音が壇上から落ち、その場の声全てを鎮めた。
自然と背筋が伸びる声だった。王や王妃の声ではなかった。では、二人の皇子のうち、どちらの声だろうか、とルナは視線を投じる。
すぐに目が合ったのはシエルだった。無表情ではあるが、その蒼い瞳には庭園で見たことのある静かな色が宿っていた。
それはルナの目もとに優しく触れた時の慈しむような―――…。
―――今の声は、彼が…?
その証拠に、王の隣の皇子は「しょうがないな」というように温かな眼差しでシエルを見ており、こちらを見ていた素振りはなかった。
ルナには、にわかに信じられなかった。庭園で会った時の彼の声と、先程発された声の温度がまるで違ったように思えたからだ。
茫然と見つめていたルナだったが、こちらに視線を戻したもう一人の皇子がゆっくりと口を開いた。
「夢の渡り人、ルナ様」
「あ…はい」
皇子が自分に敬称を使っていることに戸惑いながらも返事を返すと、柔らかな微笑みが返ってきた。お日様みたいな温かさを持った穏やかな微笑みは、王妃にどこか似ている。
「あなたの話は城下でもよく耳にする。だが王妃にあなたのことをいくら訊ねても話してはくれないのだ。よければまた、時間があれば聞かせてはくれないか?」
「まぁ、アロルド…」
王妃が思わずといったように王の隣の息子に窘めるような眼差しを向けた。だが、そこに険悪なムードはなく、どちらかというと王妃が拗ねているような印象を抱かせた。
場の空気に構わず、通常運転で行く親子の会話にルナはその豪胆な精神を垣間見た気がした。ほのぼのする。だが、どうしよう、ついていけない。
しかし、ここで言葉を詰まらせるわけにはいかないことをルナは直感した。そして、思ったままに言葉を紡いだ。
「アロルド皇子殿下、私は王妃様がこの日のために話さず、その心に温めてくださった想いに、まずは応えていきたく思います。ですから、どうかご容赦を…」
遠回しに時間がほしい、とはっきりと言葉にする。その言葉には王妃の夢については自分の口からは言えないことを暗にほのめかしたが、どうだろう。伝わっただろうか。会話の流れで自然と頭を下げてしまったため、彼らの様子はわからない。
王妃の夢はあくまで王妃の夢だ。自分の夢ではない。更に、アリシアから聞いた話であれば、“あの夢”にあったことは現実に投影された形ではっきりと現れたという。
どの程度のものかはルナは知らない。だが、人の命がかかっていたことは知っている。あれこれ話すことはイタズラに混乱を招きかねない。過ぎた話ならば、尚更だ。それ故に、言えない。
この世界にあるかどうかは知らないがルナが元いた世界―――日本には“プライバシー保護法”というものがある。
“プライバシーの侵害”の内容をニュースや番組で見ていたルナはその罪の重さを想像し、社会人として働くことが近付いていたこともあって、気を付けるように意識していた。
そんなものがこの世界になくとも、夢という無意識化のもとで成り立つ世界を赤の他人に勝手に喋られるというのは誰だっていい気分ではない。
だからこそ、ルナはアリシアにも非常に困ったことがない限り口外しないことにしている。それは今後ともルナの中で変わらぬ方針だ。
ルナがやんわりと拒否の意を示したからか、アロルド皇子は一瞬目を見開き、次いで堪えられないといったように笑声をこぼした。
「くくっ…、あぁ、すまない。あなたを困らせるつもりはなかった。詫びるのは私の方だ」
「そうとも。ルナ様、顔を上げるといい」
アロルド皇子に続き、王からも促されれば顔を上げないわけにはいかない。
「アロルドの気持ちもわからないではないが…。王妃は夢のことも、あなたに関することも詳しくは話そうとはしないのだ。それほどまでに、あなたとの縁は我が王妃にとって特別なものなのだろう」
「―――…」
王妃は既に扇を広げ、口元を隠しているが、また楽しそうに瞳を細めているのがわかった。
ルナはなんとも言えない気持ちになる。
ひとつひとつは短い夢だ。そこで確かな信頼を築けたと思ったことはない。
ましてや、つい最近まで“夢は夢”と全く違う世界で起こっているものと考えていたのだ。
ようやく、“現実”に繋がっていたことを知ったわけだが、それでもルナの心はその事実を受け入れきれていないところがある。
今まで強く思い込んでいたものを覆すことは容易ではない。だから、ルナは困惑している。
しかしその反面、率直に王妃はずっとルナに会いたがっていたと言われ、くすぐったいような気恥ずかしい思いが胸に込み上げてくる。
「…そう思って頂けて、恐縮でございます」
自分でも可愛いげのない返答だな、と思う。
でも、それしか言えなかった。
嬉しいのに、なんでだろう。素直に喜べない状況になっている気がする。
「長旅でお疲れだろう。また日を見て、あなたの歓迎の宴も開きたいと思っている。どうかそれまで、寛いで過ごされよ」
「…ありがとうございます」
あ、しまった。と冷静な頭で思った。
だが、口から出た言葉はもう取り返しがつかない。
王と王妃が満足そうに微笑んでいる手前、「すみません、今のはなしで」と言い直す勇気はない。
―――完全に外堀を埋められた。
先程の王の挨拶で感じていた違和感は見事に当たったようだ。
これは、数日ほど、この王宮に滞在することになりそうだ。
ルナとしては二、三日でアリシアの家に帰るつもりであったが、今更どのように切り出せばいいのかわからない。
というか、歓迎の宴ってなんだ。初耳だ。
既に決定事項だったとしか思えない王の発言にルナの頭の中はパニックだ。
―――だが、仕方ない。今はどんな言葉を尽くしても失礼にあたりそうだ。公衆の面前というのはこういう時に不便である。
かくして、潔くその場を辞するしかなくなったルナは、最後に礼をとり、踵を返したのだった。
長い廊下を渡り、自室に戻る。
ルナはようやくひとつ息を吐き出した。
長い謁見だった。これから、王妃と話す場も設けられることだろう。
それまで、頭の中を整理しきることが出来るだろうか。
「あの…ヒルダとヨルダにお願いがあるんだけど」
「はい。なんでございましょう」
「謁見が終わってすぐで申し訳ないんだけど、出来たらアリー母さんと話がしたいの。アリー母さんにも予定があると思うから無理だったらそれでいいけれど」
「わかりました。ルナ様。ヒルダが行って参ります」
「ごめんね。お願いします」
部屋を出ていくヒルダを見送り、ルナは窓の外を見やる。
「困ったなぁ…」
先手を打たれすぎてあれよあれよと言う間に、自分の身の振り方が決まってしまっている状況にため息がこぼれる。
話を合わせなければ、と無駄に気を遣ってしまった結果がコレとはなんとも情けない。王族の対話力、半端ない。怖い。
「…ルナ様は、この城に留まるのは好ましくございませんか?」
謁見の間での反省点はどこだ、と探しているところに、不安を滲ませた声音が耳に届いた。
しまった。ここにはヨルダが残っていたのだ。
迂闊に溜め息などをこぼすのではなかった、と後悔するも時既に遅し。
捨てられた子犬のような眼差しでこちらを見つめるヨルダと目が合った。
「え、ううん。そんなことないよ。ちょっと、頭の整理がついていけてなかっただけだから。―――本当に、大丈夫だから」
念を押すように伝えてみるが、彼女の瞳は心配に揺れていた。
それでも、残念ながら彼女の求めているような返答は今のところ返すことは出来ない。その辺りに嘘をつけない不器用なルナは困ったように苦く笑うしかなかったのだった。