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叶えられた願い

 ―――よかった、無事だった。

 閉めた扉に寄りかかり、アリシアは安堵の息をつく。

 扉の向こうでは双子の侍女がルナに話し掛けている。

 もうじき、この扉を開けて移動するだろう。

 アリシアは扉から身を離し、背筋を伸ばして歩きだした。

 無駄に長い廊下。時折見かける絵画や壺に活けられている花はきらびやかさに一役買っている。

 ―――あの頃と変わらない風景。

 心が荒むような、空虚になるような寒々しい感覚を抱えながら、ただただ自分の部屋へと足を動かす。


『私、あの家に帰れる?』


 不安に揺れる瞳が何を訊きたかったのか、アリシアはわかっていた。だが、あえて答えは言わなかった。

 自分でもずるいと思う。

 何も知らない少女。初めて会った日から純粋な輝きを心に持つ娘。

 二年も共に過ごすうち、本当に自分に娘が出来たかのような錯覚を抱いていた。


「やはり、貴女でしたか。アリシア・ラグシス」


 背後から掛けられた声にアリシアは冷たい瞳で振り返る。


「何か用?ロビン・タナウェー」


 背後にいたのはアリシアと同じ服を纏う、深い茶色の髪を持つ若い男性だった。エメラルド色の瞳を細めて、眼鏡越しでこちらを見ている。

 何が面白いのか、その三日月の形をした口はゆっくりと動いた。


「いえ、ね。あの娘に《一定の距離を越えたら眠りにつく術》をかけた本人に会えるのはとても光栄なこと。それが、僕の憧れだった人ってことにも運命を感じてこうして出向いた次第。そんな冷たい態度をとらなくてもよろしいのでは?」


「あんたは変わないわね。あたしの後を継いだ、と聞いていたけれど明らかな人選ミスね。王に進言しなければ」


「僕としてはこれは努力の賜物。それに、一度この王宮から離れた貴女の身では王との謁見も難しいでしょうに」


「お生憎あいにくさま。あたしぐらいにもなればそんな堅苦しい手順を取らなくてもいいようになってるわ。…言いたいことがそれだけなら、あたしはもう行くわね」


 鬱陶しさを惜しみ隠さずに言い放つとアリシアは背を向けて歩き出す。


「【夢の渡り人】…彼女をここから連れ出すのはもう無理ですよ」


 独り言のようにこぼされた言葉に思わずアリシアは足を止める。ロビンはその様子にますます笑みを深めた。


「彼女が眠っている間に噂は風に乗り、やがてそれは嵐へと変わる。彼女自身が蒔いた種はもう芽吹き、花開き、新たな種となり今も身を潜めている。貴女も感じているのでしょう?」


「【魔術師長】ともあろうものがペラペラとよく喋る。ここは王宮。どこに誰が聞き耳を立てているか知れたものじゃない。その首が繋がっているうちは下手なことを口走らないことね」


 取りつく島も与えない辛辣な言葉でロビンとの会話を打ち切り、今度こそアリシアは歩みを進める。

 ロビンの意味ありげな微笑みが背後から感じられて苛立ちが募る。

 ―――言われなくてもわかっている。


『私に名前をください。だって、今日からあなたの娘になるんでしょう?』


 信頼と親しさを惜しみなくさらけ出すあどけない少女。

 陽の下で育ってきたであろう温かな娘。


「だからこそ、あたしはここに来たのよ」


 きらびやかさの裏にある淀んだ陰はゆっくりと動いている。

 その陰を睨み付けるように、アリシアは目を細めた。



******


 「すみません。勘弁してください。一人で脱げます。入れます」


 気の遠くなるほどの長い廊下を歩いて浴場とやらに着いた時、ぼんやりしていた意識が完全に覚醒した。

 タオルなどの諸々の準備をしているヒルダの横で、今まさにヨルダがルナの服を脱がそうと手をかけた瞬間だった。

 これは恥ずかしい。温泉地や、合宿など周りに人がいて同じように服を脱ぐのは大丈夫なのだが、いかんせん今はたった一人だ。

 脱ぐのが、自分一人。しかも、人の手によって脱がされようとしている。

 着付けの際にも下着姿であるのに、他人に裸体を見られるのはとても抵抗がある。

 切実にそのことを訴えると渋々ながらヨルダは引き下がってくれた。

 ただのネグリジェで、脱ぐのは簡単だった。すぐさまタオルで身を隠し、宣言通りに一人で浴場に行こうとすると、双子に止められた。

 曰く、そのままでは沈んでしまいます、とのこと。

 それは一体どういうことだ、と思いながらも確かに長い眠りについていたので歩みは遅いし、上手く力が入らないところはある。

 汗を流すだけならばシャワーだけでいいから沈むことはない、と言ってみるも、どうやらそれだけではダメらしく結局二人に説得され、着いてきてもらう形になった。身体を洗ってもらったり、マッサージされたりと恐ろしく贅沢な体験をさせて頂いた。

 最後にゆっくりと風呂に浸からせてもらっている。

 沈まないように気を遣ってくれているのか、傍らにはヒルダがいる。ヨルダは片付けをしている。なんとも息の合った二人である。役割分担を声かけ無しでもやってのけている。


「この香り…ミラナノラの葉、ですか?」


「そうでございます。実はこの白い花がミラナノラの花なのです。ルナ様は初めて見られますか?」


「似たような花なら見たことあります。これも、結構花びらが分厚いんですね」


 身体周りに浮かんでいる花びらをすくって手触りを確かめてみる。小指ほどの小さな花びらで、思ったより肉厚だ。みかんの花に、よく似ている。


「花びらにも香りがありますが、葉ほど強くはありません。先程、紅茶を召し上がった時にルナ様に合うと思いましたので、勝手ながら入れさせて頂きました。お気に召しましたでしょうか?」


「あ、はい。綺麗だし、良い香りだと思います。ありがとうございます」


「お礼なんてもったいない。でも、嬉しゅうございます」


 ふわり、とヒルダが柔らかく微笑んだのを見て、ルナは自分の心がだいぶ解れていることを自覚した。その証拠に、自分も頬が緩む感じがする。


 ―――あぁ、よかった。私、笑えてる。


 自分の心が凍っていないことに安堵する。

 この先どうするか―――どうすることができるかを考えていかなければならないが、これならまだ自分は大丈夫だと感じた。


「……」


「……」


 互いに沈黙が落ちる。ルナにとって、それはありがたい沈黙であった。

 自分の心と向き合えているような、穏やかな時間。

 まだまだ心は淋しさでいっぱいで、戸惑いだらけだ。

 新しいところは怖い。それに、傍にアリシアがいない。

 アリシアに拒まれたわけではない。でも、唐突に突き放されたようなそんな別れ方であったから、不安にもなる。

 他人をアテにしなければ、上手く立ち上がれない。それではいけないと思って、少しずつアリシアに生活の中で出来ることは教えてもらっていたが、このような展開は予想外だった。

 だから、わからない。


 ―――誰か、助けてほしい。


 それが自身の本音だと気付いて、咄嗟に胸に手を置く。


「(――大丈夫…)」


 不安だけれど、今は前を向かなければ。

 “独り”じゃないことは知っているのだから。




「…ルナ様、そろそろ上がりましょう。これ以上はのぼせてしまわれます」


 遠慮がちに声を掛けられ、ルナはヒルダに視線を移す。

 その表情は柔らかく微笑んでいて、温かな光をその瞳に宿していた。

 その瞳を認めて、ルナは今度こそ彼女を見て微笑む。


「待っててくれたんですね。ありがとうございます。上がります」


 片付けを一通りしたヨルダも傍に来て、双子に手を貸してもらいながら浴場を後にした。

 あれほどよれよれだった足取りは今はもうない。

 長い廊下を歩いてきた時でも戻らなかったのに、と力の入るようになった足腰に視線を落とす。

 マッサージをされて、血流でもよくなったのだろうか。

 産まれてこの方マッサージを受けたのは今回が初めてであったからよくわからない。

 だが、これならアリシアが言っていた“散歩”も出来る。

 双子の支えなしで歩けることに、ルナは少し安堵し、脱衣所で着替えに入る。


「…変わったご衣装でございますね」


「えっ」


 控えめに言われた言葉に軽い衝撃を受けるルナに、慌てたようにヨルダが言葉を続ける。


「あ、いえ、違うのです。お気を悪くさせてしまったのなら申し訳ございません。ただ、今まで見たことのないご衣装でございましたから」


「あぁ、そういえば村の人達にも言われたなぁ。自分で作ったので、ところどころいびつなのが残念ですよね」


 双子の顔には『そういう問題ではないのですが』と言いたげだったが、ルナは心の中で『これしか服がないんです』と嘆きながら呟く。

 ルナの服装はいわゆる甚平じんべいというものだった。こちらの世界に来てしまった時に着ていたものが甚平だったというのもある。

 動きやすく涼しいという利点があり、ズボンこそ長くしているものの、ルナは時間があれば仕事着として甚平を何着か作っていた。

 この世界では女性は足を見せてはならない、という決まりがある。

 足を見せるのは己の伴侶だけという暗黙の了解があり、みだりに素足を見せるのは“はしたない”とされる。

 だからこそ、この世界の女性はドレスのようにふっくらとしたスカートを着用している。

 あえて足の形を出さないものを好むのに対し、ルナの甚平はそれと真逆のものであったから、双子の驚きは相当なものであっただろう。

 それをわかっていながら、わざと見当違いな答えを返し、苦笑いを顔に張りつける。

 アリシアの家に訪問者はあまり訪れず、村にも頻繁に行くことはなかったのでルナは服装についてそれほど気に掛けたことはなかったが、今この瞬間軽くショックを受けている。

 というのも、双子の侍女が綺麗なドレスであるのに対し、繰り返し来たのが丸わかりの甚平を着ているルナは相当、浮いていると感じられるからだ。

 侍女たちのドレスも仕事着である、と後から知ることになるが、ルナは穴を掘って隠れてしまいたい気分でいっぱいになっていた。

 ハロウィンに夏祭りの格好で行った気分である。とても心もとない。


「とても綺麗な刺繍でございますね…。これも、ルナ様が?」


「そう。私の好きな花。【桜】というんです」


「サクラ…初めて聞きました。とても可憐な花でございますね」


「実物はもっと綺麗なんですよ」


 この世界にはないことは知っていた。

 既にアリシアにも何度か見せている甚平で、同じ質問をされ、同じ答えが返ってきたのを覚えていたため、ルナはそれほど落胆はせず、ただ微笑んだ。

 目を閉じれば思い出せる儚い花。記憶が薄れる前に、と紙に描いて、傍にあるように服に刺繍した。

 ありふれた風景がもうないことはこの二年でよくわかっていた。だから、今更、哀しむことではないのだ。


「ところで、ずっと気になっていたんですけど」


「はい、なんでございましょう?」


「その、敬語…じゃなくて構いません。普通に話をさせてもらってもいいですか?」


「それは―――…」


 困ったように互いの顔を見る双子にルナは続ける。


「私もつられて堅苦しい言葉遣いになってしまいますし、“夢の中”と同じように普通にお喋りしませんか?」


 それが決定打であったようで、双子はハッと息を飲んだのがルナにはわかった。


「そんな…まさか―――」


「覚えておいでで―――?」


 あぁ、やっぱりそうだ。二人の反応に自分の記憶が間違いでないことがわかり、胸を撫で下ろした。

 静かに頷くと双子は感極まったように瞳が徐々に潤んでいく。


「その節は、本当にありがとうございました」


「ご覧の通り、私たちは同じ道を進むことが叶いました。なんとお礼を申し上げればいいのか…」


「いいえ。それはあなた達の想いが強かったからこそです。―――おめでとうございます」


 初めて“夢の中”ではないところで会えた。最初はそれどころではなかったけれど、リラックス出来ている今、ようやく周りを見られたのだ。

 泣いてばかりの双子。家の都合で別れなければいけないと互いに思っていて、夢は悲しいものばかり。だから、覚えていた。

 こうして、お祝いの言葉を届けられる日がくるなんてあの時は諦めていたことだったから、ルナは今とても嬉しい気分であった。


「もう少し、落ち着いてから散歩に連れていってくれますか?」


 ハンカチで目元を押さえる双子に控えめに尋ねてみる。

 泣かせてしまったようで申し訳ない。


「ルナ様が敬語をやめてくださったら行きましょう」


「えっ」


「【王妃の客人】であるルナ様に敬語を外してしまうのは規則に反しますので、どうかこのままで」


「規則?!」


 双子は強かだった。

 そこから敬語を使う使わないで問答した後、結局ルナだけが敬語を使わないことに決まり、釈然としないながらも散歩をしに脱衣所を後にしたのだった。




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