七話
(別れが、いよいよ秒読みになってきた、なぁ。)
私は仕事が終わって車に向かいながらケータイを開いた。
勿論恋人からの着信はおろか、メールの一通さえ来ていない。
抜けるような青空を眺めて、空に向かってため息をついた。
―…理学療法士の彼は、自意識過剰の被害妄想が原因で、私たちを引き合わせて下さった患者さんの事をすっかり敵視していた。
そしてその人を庇う私への気持ちも薄れていた。
元々彼はフットサルにばかり集中していた人だから、唯一出かけたのなんて海辺での散歩デートくらい。
私も正直あまり思い出のない人だったから、既にどうでもよくなっていた。
…嘘。
そんなわけない。
そんな中途半端な気持ちなら、付き合ってない。
どんなに呆れていても、どんなに不信感が募っても、好きだから告白を受けたのだもの…。
私は深呼吸をしてから車を発進させた。
その夜のことだった。
メールの受信音が鳴った。
私は慌ててケータイを開く。
名前を見て、嬉しい反面がっかりした。
送信者は、ルイ君だった。
『今から会える?』
それは、彼から気持ちを打ち明けられたあと、1週間ほど経ってから届いたメッセージだった。
『なんで?』
私はいつも通りを心がけながら、意識してないようなメールを返した。
『ブレスレット直してほしいんだけど、お前直せるよな?』
なんだ、そんなことか…。
『ゴムブレスレットなら材料あるから、すぐ直せるよ。直したいブレスレットだけ用意しといて。』
『助かる。先輩からの貰いもんでさ、困ってたんだ。今からそっち行くから。』
やりとりが一通り終わると、私は急いで紙袋に必要なものをまとめた。
車内みたいな不安定な場所でも簡単に直せるように準備して、暫くして彼から到着の連絡を受けると、すぐ車に向かった。
「ブレスレット見せて」
助手席に座って直ぐ、私はルイ君に向かって右手の掌を上に向けて差し出しながら話しかけた。
「え?」
「"え?"とは何ですか。はい!」
驚いて固まるルイ君をよそに、もう一度壊れたブレスレットを催促した。
彼は暫く黙ったまま私を見つめると、車を発進させた。
「ちょ…、ブレスレットは?」
尚もしつこく私は聞く。
…勿論、慌ててシートベルトをしめながら。
「ここじゃなくてホテルに着いてから直してよ」
さらり…と、彼の口から3文字が飛び出した。
暫くの沈黙。
…の、後。
「は!?なんでホテルなのよ!車内でも直せるんだよ?一通り要るもの揃えてきたんだから!その辺のコンビニにでも停めてくれれば5分もしないで直せるって!」
そんな私の台詞が言い終わらないうちに二軒のコンビニを普通にスルーした彼は、
「コンビニはやだ。車停めたらなんか買わなきゃならない気がするから。安心できないし。」
いやいや、ブレスレット直すだけだから。安心感必要ないから。
と、思いつつもその言葉を飲み込んだ私は、
「…ルイ君、自意識過剰で申し訳ないんだけど、一つ聞いて良い?」
「どうぞ。」
「まさか…何かしようなんて、思ってないよね?」
「さぁ。俺もわからん。」
「………。」
「ただ、ホテルの方が他人の目を気にしなくて済むってだけ。」
「…ま、ルイ君はなんだかんだ言って優しいから、ぜっっっったい何もしないよね!私、信じてるから!」
「さぁ?わからないよ。」
こんな風に彼が言うときは、何もしない時なんじゃないかって、大体思ってる自分がいる。
ルイ君は再会してから今まで私に指一本触れていないし。
…だから、大丈夫。
「うん。ホテル行こう。本当に、本当にルイ君が優しいの知っているから…私。」
もう一度、私は真面目に言った。
自分に言い聞かせるように。
「え?いいの?」
今度は、言い出した彼の方が狼狽えだした。
「ルイ君がそう言うときは、寧ろ何もしないから。ほら、再会してから今までだって私に触ってないじゃない。」
「あれは、エミが真面目に相談してきてたから…。
そんな子を襲おうなんて信頼を裏切るようなことはしないよ。」
「なら、大丈夫よ。ホテルでブレスレット直した方がいいんでしょ?
でも、料金はキミが負担してね!
私は別にどこでだって直せるんだから。」
「そりゃ俺がもつけど…。エミ、あのさ…、俺こないだ話したでしょ?」
「へ?」
「お前のこと、どう思ってるか…話したよね。
それを聞いてからの今の俺の発言は、普通は信じないんじゃない?」
「普通じゃないもん、私。」
私はあっかんべぇをしながら即答した。
「エミ!」
と、なだめるように、彼。
分かってるよ。
だから意識しないようにしてるんじゃん。
ルイ君は私が好き。
私も…打ち明けてはいないけど、今でもルイ君が好き。
…でも、"一緒"には居られない。
彼は、私との未来を見ていないから。
そんな彼だと分かっていて側に居られる程、私ももう若くなかった…。
ただ、このままずっと今みたく"戦友"で居続けることは、お互いにできる。
そこに愛があるだけで、他は今まで通りだから。
バランスを崩さない自信も、私にはあった。
今までだって、私の気持ちを彼にひた隠しにしてきたんだもの。
……だいじょうぶよ。
「私の知ってるルイ君は、卑怯者じゃないもの。」
「………………。」
彼が黙りだした。
私はだんだん眠たくなってきたので、
「背もたれ倒していい?」
と聞いて、了解を得てから倒した。
「毎日仕事で疲れてるのに、いつも夜中に呼び出してごめんな。」
彼が珍しく優しい声をかけてくれたのが嬉しくて、
「んーん。それはお互い様でしょ。声かけてくれて嬉しいよ。ありがとう。でも、運転上手だから眠くなっちゃった。」
「ホテル着くまで寝てていいよ。」
「じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらうね。おやすみー。」
その後、どんな道を通ったのか、私は知らない。
気づいたら、車はあるブティックホテルの駐車場に納まっていた。