緊張の初対面
――まずい、非常にまずいです。
ニコラは心の中で嘆いていた。
場所はすでに王宮の一室。
もうすぐ婚約者である将軍閣下へ謁見しなければならい。
それなのに、頭痛と吐き気が一向に治まってくれそうにないのだ。
*****
今日から結婚式の準備のため、王宮で過ごすことになっている。
びくびくしながら王宮からの出迎えの馬車に乗ったまでは、まだ良かった。
外出すると大抵体調が悪くなるニコラだが、今日は極限にまで達した緊張も手伝っていつも以上に最悪だった。
王宮に到着する頃には顔面蒼白になっており、出迎えてくれた方々にきちんとお礼を述べられていたのか非常に怪しい。
通された客間で、とにかく落ち着こうと深呼吸してみたり、水を飲んですっきりしてみようとしたけれど全く改善する気配がない。
その間にも、屋敷からただ一人付き添ってくれたアイラが、てきぱきと最後の身支度を整えてくれている。血色の悪い顔に再度おしろいを施し、行きの馬車で少し乱れた髪を整えてくれた。
「おきれいですわ、ニコラ様」
そう言われて恐る恐る鏡に目をやると、いつもより幾分見れる顔がそこにはあってほっとする。
「ありがとうございます。アイラのお化粧のおかげだわ」
しかし、よく見ると目の下の隈や化粧の下の悪すぎる顔色が浮き出てきそうで、すぐに鏡からは目をそらしてしまった。
これ以上見ていたらもっと自信を失ってしまう。
ニコラは知らず知らず、ドレスを強く握り締めていた。
その時、客間の扉が静かに叩かれた。
「ニコラ=アルバート様、お待たせ致しました。ご案内致します」
入ってきたのはニコラと同年代のまだあどけない少年。
王宮で働くには顔も良くなくてはいけないのだろうか、という疑問が沸いてくるほど綺麗な美少年だ。
ニコラはドレスを握り締めたまま、アイラとともにその少年の後に続いた。
緊張は最高潮に達しており、頭痛と吐き気は強まる一方だ。
そして案内されたのは細部にまで細工が施された重厚な扉の前。
少年が「お連れしました」とノックをしてなかに問えば、「どうぞ」と優しい声が返ってくる。
――これが将軍閣下の声?
少年はゆっくりと扉を開き無言で入室を促す。
ニコラはドレスの皺を慌てて伸ばして、ゆっくりと部屋の中へと足を進めた。
怖くてまだ正面を見ることができないが、部屋の奥に人の気配を感じて深々と礼をとる。
「お初にお目にかかります。ニコラ=アルバートでございます」
「やあニコラ殿。ジャン宰相からよく話は聞いてるよ、可愛らしい方だね」
「え?!」
思いがけない言葉に、ニコラは思わず顔を上げてしまった。
目の前……と言っても、緊張のあまり部屋に入ってすぐのところで挨拶をしてしまったため、その人物との距離はまだだいぶある。
遠くからでも分かるその優しい面差しは、ニコラにも覚えがあった。
「弟はまだ仕事中でね。もうすぐ来るはずだからお茶でもして待ってようか」
目の前の人物はウィスタリア国の国王陛下だ。
国民への露出も多く、ニコラも王族関係の本でその顔は知っていた。
もちろん実際に会うのは初めてだ。しかもこんな至近距離で。
一気に緊張が高まって今度は胃のあたりが痛い。
ニコラはそれにもなんとか耐えて、入り口付近で踏ん張っていた。
その時、
「遅れた。申し訳ない」
その声は突然ニコラの真後ろから聞こえてきた。
重低音の低い声はそれだけで耳をしびれさせる。
陛下はため息混じりに、視線をニコラから後ろへ移す。
「おいおい、婚約者殿との初対面がその格好ではあんまりではないか?」
「?」
その視線につられてニコラもゆっくり後ろを振り向く。
そこには……
血だらけの軍服を身にまとった漆黒の瞳の男が一人。
その瞳と目が合うと、ニコラは静かにその場に倒れ、意識を手放した。