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第三章:女神の憂鬱


あさ七時ぴったり。天界の職員寮C棟404号室。


真っ白なカーテン越しに朝日が差し込む部屋で、私――リリアは優雅にベッドから起き上がった。転生管理事務所・第三支部の新人(ほんとのところ女神歴50年だけど永遠のヒラ社員)である。


(よしっ、今日も希望に満ちた素晴らしい一日です!)


心の中で高らかに宣言し、真っ白な大理石の洗面台の前に立つ。鏡に映る自分を見つめる。水色の長い髪に、顔立ちはふつうだけど清潔感だけは取り柄の私。


(そうです、リリア!あなたはもう、資料室で50年間もホコリまみれの書類を整理し続け、廊下を歩けばお掃除ロボットにすらガン無視される『丙級のぼっち女神』じゃないんです!)


心の中で熱い自己啓発スピーチを繰り広げながら、私はていねいにくしで髪をとく。


(何日も徹夜して猛勉強し、厚さ三千ページにもおよぶ『転生法規および異世界風土民情大辞典』を丸暗記して、合格率わずか1%の『乙級転生専用女神ライセンス』をギリギリの点数でもぎ取ったエリートなんですよ!)


キッチンへ向かい、天界特産の「スターダスト・コーヒー」をいれる。その豊かな香りに、私の気分はさらに高揚した。


(第三支部に異動してきて1年!この1年間、部屋の隅でシュレッダー係とお茶くみしかしていませんでしたが、先輩たちの私を見る目は確実に変わってきています!きっと私のポテンシャルを見極めて、王道ファンタジー世界で無双するような優良な勇者案件を任せようとしているに違いありません! そうです、世界を救う勇者を何人か導いてノルマを達成すれば、絶対に甲級に昇進して、イケメン天使がいっぱいいるキラキラした本部へ栄転できるはず!リリア、あなたについに出世の時が来たんです!)


鏡に向かって(自分では)プロフェッショナルな笑顔をつくり、少しダボついた見習い用のローブを整える。これは「この方がハクがつくから」と先輩が親切で貸してくれたものだ。そして、私は意気揚々と寮のドアを開けた。


……しかし、運命という名のタチの悪いクソ野郎は、いつだって一番調子に乗っている時に、容赦なく背負い投げを決めてくるのだ。


午前十時。会議室にて。

(……ちょっと待って、なんで全員、ドナドナされる子羊を見るような目で私を見てるんですか?)


手元の『転生管理者スタートアップガイド』をぎゅっと抱きしめ、私は今にもイスの下に潜り込みそうになっていた。表向きは一言もしゃべれないでいたが、私の脳内では嵐が吹き荒れていた。


(おかしいでしょ!シナリオが違いますよ!あの佐藤誠って男、どう見ても選ばれし勇者なんかじゃなくて、道路脇にテントを張って横断歩道をガン見し、車に轢かれるのを妄想し続けてる重度のヤバい奴じゃないですか!なんで毎日17回もフェイクアラームを鳴らしてシステムをパンク寸前に追い込んでる特大地雷が、『特別プロジェクト』として赴任1年目の私に丸投げされるんですか!?)


古狸のように笑うレジス主任と、「応援してるぞ(意訳:責任はお前に押し付けた)」という目をしたエルヴィン先輩を見て、私の心は発狂寸前だった。


(このブラック官僚ども!私がコミュ障で断れないのをいいことに、誰も触りたくないババ抜きのババを押し付けただけでしょうが!何が「若い子には経験を」ですか!何が「新人研修にピッタリ」ですか!ただ自分たちが異常報告書を書く面倒から逃げたいだけじゃないですか!抗議します!労働基準監督署……じゃなかった、最高神評議会にパワハラで訴えてやるぅぅ!)


心の中では先輩たちの祖先代々(神様に先祖がいるかは別として)に呪詛じゅそを吐きまくっていたが、現実の私がどもりながら絞り出せた言葉はこれだけだった。「わ、私ですか!?む、無理ですってば……」

結局、主任の鶴の一声により、私はこの特大の厄介事を泣く泣く押し付けられたのだった。


正午十二時。社員食堂。


私はいつも通り、食堂の隅にある一人ぼっちの専用席に座り、

本来なら美味しいはずの『ホーリー・クリームシチュー』をうつろな目で見つめていた。

(喉を通らない……味が全然しません……)


フォークでシチューの中のニンジンをツンツンと突く。

(どうしよう?あの佐藤誠って人、絶対めんどくさいですよ。現世の監視カメラ映像を見ましたけど、あの狂気に満ちた目つき、転生するためなら手段を選ばないあの執念。あいつ、絶対にラノベを聖書バイブルだと思ってる重度のオタクですって!)


私は苦悩のあまり頭を抱えた。

(ああいうタイプが一番タチが悪いんです!絶対にシステムに対して非現実的な要求をしてきますよ!『ステータス無限にして』とか『初期装備でカンストの神剣ちょうだい』とか言われたらどうすればいいんですか!?私の底辺権限じゃそんなもの出せるわけないのに!もし断って転生空間で大暴れされたら?クレームを入れられたら?もしクレームなんか食らったら、私の昇進の道は完全に絶たれて、一生資料室でホコリを食べるハメになっちゃうぅぅ!)


午後三時四十五分。


「ビーーーッ!ビーーーッ!ビーーーッ!」

あの忌まわしい赤い警報が再びオフィスに鳴り響いた。だが今回、モニターに表示されたのは「フェイクアラーム」ではなく、「死亡確認。魂の転送準備中」の文字だった。

死因:アパートの風呂場で石鹸を踏んで転倒し、頭部を強打。


(……死に方、適当すぎませんか!?)

心の中で激しいツッコミを入れながらも、レジス主任の「早くお迎えに行ってこい」という催促に急かされ、私は嫌々ながら転送ボタンを押し、純白の『転生案内ルーム』へとログインした。

ガランとした空間には、ボロい事務デスクが一つあるだけ。私は急いでデスクの後ろに座り込み、ボロボロになるまで読み込んだ『スタートアップガイド』を開いて、顔の半分を本の後ろに隠した。


(落ち着け、リリア。あなたは乙級ライセンスを持ったエリート(合格まで50年かかったけど)なんです。マニュアル通りにセリフを読んで、事務手続きをこなして、適当な剣と魔法の世界に放り込めば終わりです。そうです、絶対に目を合わせちゃダメ。タイムアタックです、秒で終わらせます!)


一生懸命に深呼吸をしていると、一瞬の白い閃光と共に、佐藤誠という男が空間に現れた。

黄ばんだ部屋着姿で、後頭部にはくっきりと赤く腫れたたんこぶができている。彼は最初、呆然と周囲を見回していたが、やがて――

「キターーー!『アレ』だろ!絶対に『アレ』だぁぁっ!」

宝くじの1等に当たった狂人のように飛び跳ね、両手でガッツポーズを作って天に吠えだした。そのヤバすぎるテンションに、私は危うくイスから転げ落ちそうになった。


(やっぱりこの人、頭おかしいです!普通の人は自分が死んだら、まず戸惑うか泣くかするじゃないですか!なんで宝くじに当たったみたいに大喜びしてるんですか!それに、品物でも値踏みするようなそのイヤラシイ目は何なんですか!?)


顎を撫でながら、信じられないほど気持ち悪いねっとりとした視線で私の全身をジロジロと舐め回し、あろうことか「このお店の受付嬢はオドオドしたロリっ子路線なのか」などとブツブツ呟いている。


(お店って何ですか!ここをどこだと思ってるんですか、風俗店ですか!私は神聖なる転生女神ですよ!丙級からの叩き上げの見習いとはいえ、私にだってプライドってもんがあるんです!あと、誰がロリですか!私が女神をやってる時間は、あなたの一生と前世を足した時間よりも長いんですからね!)


私の内心は火山が噴火したかのように猛烈なツッコミの嵐で、手に持っているこの分厚いガイドブックをあのニヤついた顔面に全力で叩きつけてやりたい衝動に駆られた。


――しかし。私の極度の『コミュ障属性』が、ここで強烈なストッパーとして発動してしまった。

今にも私を丸呑みにしそうなほど狂気に満ちたオタクオーラを前にして、私の怒りは一瞬にして恐怖へと変換された。肩が勝手にガクガクと震えだし、喉に何かが詰まったように声が出ない。


(ムリです……言い返すなんて絶対ムリ……あの目、怖すぎます……絶対にクレーム入れられます……最悪、殺されますぅぅ……)


ゴクリと唾を飲み込み、私は壊れたポンコツロボットのように、自分でも引くほど適当な転生のテンプレ口上を、どもりながら読み上げることしかできなかった。


「コホンッ……さ、佐藤誠さん。あなたは現世において……そのぉ、特に友達もいなくて……」

彼が突然大股でこちらへ歩み寄り、両手で「バンッ!」とデスクを叩きつけ、狂気に満ちた目で「一番ヤバい転生特典リスト」を要求してきた瞬間、私は心の中で絶望の断末魔を上げた。


(たすけてぇぇぇー!誰かこの限界オタクをどこかに連れ去ってください!私、こういうタイプの人、一番ムリなんですぅぅぅ!)


これが、私――女神リリアの、災難と破滅に満ちたティータイムの全貌である。


読まなくても全く問題ない裏設定


乙級ライセンスの試験は、もともと「100年に1回」、合格率は「約0.1%」というなかなかの難関だった。

しかしここ30年、転生者が異常なペースで激増!

さばききれなくなった天界は、支部を拡大すると同時に、乙級試験の難易度をガッツリ下げたのだ。

現在では開催ペースが「10年に1回」になり、合格率も「1%」にまで引き上げられている。


実はリリア、第三支部に配属される前の50年間はずっと、「天界図書館」でアルバイトとして働いていた。


毎日の基本業務は、ホコリまみれの資料室でデータを整理するか、郵便室で荷物の仕分けをするだけ。

他人との会話がほぼゼロという、完全なる「裏方生活」を送っていたのだ。


さらに、仕事終わりには「天界コンビニ」で掛け持ちバイトまでしていた。

ただ、極度の「コミュ障」のせいで接客がうまくできず、よく店長に怒られていたらしい。


かわいそうな苦労人に見えるが、実は図書館バイトの時給はけっこう高く、コンビニの収入も合わせると、彼女の生活水準はかなり高かった。


第三支部に配属された今、わざわざ「職員寮」に住んでいるのも、お金がないわけではなく、単に「家賃を浮かせたいから」という堅実ドケチな理由からである。


(お金と時間には余裕があったため、分厚いルールブックを丸暗記して「筆記試験だけは満点」をとれたのだが……面接では毎回パニックになり、ずっと落ち続けていたのである)


ギリギリで受かった最後の試験も、実は「筆記は満点」、面接は「いつも通りの底辺スコア」。

この2つの点数を足して、奇跡的に合格ラインにピタッと乗っかっただけなのだ。

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