第一章:天界転生管理事務所の日常崩壊
「ビーーーッ!ビーーーッ!ビーーーッ!」
耳をつんざくような高周波の警報音とともに、
オフィスの壁にある赤いランプが狂ったように点滅している。
もともと重苦しい「天界転生管理事務所(第三支部)」の空気が、さらにイライラしたものに変わった。
「あー……うるさい。せっかくの最高級高山茶がマズくなるじゃないか」
第三支部のトップであるレジス主任――頭髪のラインがかなり危険な状態にある、小太りの中年神様――は、まるでスライムのように大きなオフィスチェアに深く沈み込んでいた。
彼はお気に入りの紫砂の茶器を両手で包み込むように持ち、壁で点滅し続ける『緊急転生予備ベル』をみつめながら、悟りを開いたかのような長いため息をついた。
「アイツ、今日だけで『高確率死亡転生アラーム』を鳴らすの17回目だろ?このサイレンのせいで偏頭痛がしそうだよ。本当に神経にさわるね……」
会議用テーブルの周りには、5、6人の「神生に絶望した顔」をした転生管理者たちが座っている。
彼らの前には山のような書類が積まれ、目の下にはくっきりとクマができている。その姿は、下界の社畜よりもよっぽど悲惨にみえた。
「ですが、主任……」
ベテラン管理者のエルヴィンが、鼻からずり落ちた丸眼鏡を指で押し上げながら、手に持った光るタブレットをあきれたようにみつめた。
「運命の石板のリストに、この男――佐藤誠の転生予定なんて、そもそも載ってないんですよ。寿命はまだ残ってますし、死期なんてずっと先の話です」
「死んでないなら、なんでアラームが鳴りっぱなしなんだ?ただの嫌がらせじゃないか」
レジス主任はのんびりとした手つきで湯呑みに息を吹きかけ、お茶を一口すすってから眉をひそめた。
「システムのエラーじゃないんです」
タイトスカートのスーツを着こなす、アジア圏転生業務担当の女神セリアがため息をつき、タブレットの映像を会議室の中央にある空中のモニターに映し出した。
そこに映っていたのは、ボサボサ頭でテントに引きこもり、横断歩道を死んだ魚のような目でみつめている佐藤誠の姿だった。
「みてください。この男、毎日仕事が終わると、
道路の脇で『クラウチングスタート』の構えをするんです」
セリアは、今にも走り出しそうな佐藤誠の不気味なポーズを指さした。
「警報システムのAIが『今にも飛び出して車に轢かれる』と判定して、自動的に予備ベルを鳴らしてるんです。でもタチが悪いことに、アイツがいざ飛び出して子供を助けようとしても、助けるような子供なんて一人もいないって気づいて、またすごすごとテントに戻って冷めたおにぎりを食い始めるんですよ」
「それ、完全にシステムのバグを突いてるじゃないですか!」
システム保守担当のトーマスがたまらず声を上げた。
「この男の行動パターンのせいで、転生予測のアルゴリズムがめちゃくちゃです!アイツがスタートの構えをするたびに、システムは仕事が発生したとカン違いする。
でも結局引っ込むから、ウチのバックエンドのエラーログがパンク寸前なんですよ!」
「そこが一番やっかいなんだよ……」
レジス主任は湯呑みをコトリと置き、肉付きの良い首の後ろをつらそうに揉んだ。
「アラームが鳴るたびに、結果的に死ななかったとしても、ウチの部署から上の『最高神評議会』に『異常シグナル報告書』を出さなきゃならないんだ。
報告書を書くのがどれだけしんどいか、お前らわかってるのか?あの承認ハンコをもらう手続きを考えただけで、また肩がこってきたよ。最近はお前らが出してくる報告書をみるだけで目がチカチカするんだ」
会議室にいっせいに不満の声が響き渡る。
「主任、このままじゃ埒が明きませんよ」
エルヴィンが眼鏡を押し上げ、大胆な提案を口にした。
「いっそのこと、こんなに異世界に行きたがってるんだから、ウチで特別報告書を上げて『特例処理』ってことにして、適当な枠にねじ込んで転生手続きを済ませちゃいましょう!アイツをどこかに追い払えば解決です!」
「それって……こちらから能動的に干渉するってこと?」
セリアが眉をひそめる
。
「通常のフロー違反よ。もし上層部に『自分たちがラクをするために、寿命が残ってる人間を勝手に異世界に蹴り飛ばした』なんてバレたら……」
「バレたっていいだろ!ウチの第三支部が過労で全員ぶっ倒れるよりマシだ!」
エルヴィンの言葉に、トーマスがすぐさま同調する。
「俺も賛成です!アイツの異常な執念のせいで、ウチの管轄の因果律がゆがみ始めてますよ。これ以上、毎日道路の脇で『シュレディンガーの交通事故』を続けさせたら、いつかシステムが完全にダウンしますって!」
部下たちの激しい議論を聞き終えると、レジス主任は3秒間沈黙した。
彼は怒るわけでもなく、パニックになるわけでもなく、豆粒のような小さな目を逆にキラリと輝かせた。
まるで、すべてを一発で解決できる最高の「抜け道」を見つけたかのように。
「……名案だ。それでいこう」
レジス主任は上機嫌で再び湯呑みを手に取った。
「ルールなんてものは柔軟に解釈すればいい。毎日この耳障りなアラームを聞かされて、面倒な反省文を書かされるくらいなら、いっそ便宜を図ってやろうじゃないか。
今回の『因果律異常修正プロジェクト』の報告書は、私が直々に書いてやる。とにかく、とっととその厄介者をどこかの世界に放り込んでくれ。もう私のティータイムを邪魔させないでほしいね!」
その言葉が出た瞬間。
会議室の空気は、イラ立ちから一転して「完全な静寂」へと変わった。
全員が、同じタイミングで致命的な問題に気がついたのだ。
「で……」
レジス主任はぐるりと室内を見渡し、急に猫なで声を出した。
「誰が自ら志願して、この佐藤誠の『専属管理者』になってくれるのかな?彼を接待して、スキルを選ばせて、異世界へ案内する役目だよ?」
誰も口を開かない。
エルヴィンは急にタブレットを猛烈な勢いでタップし始め、まるで国家機密でも処理しているかのようにふるまった。
セリアは自分の爪の模様を真剣に観察し始め、トーマスに至ってはイスの下に潜り込み、配線を点検するフリを始めた。
ここ十数年、ライトノベルの流行のせいで転生や異世界転移を希望する人間が爆発的に増え、ただでさえ全員の業務はパンク状態なのだ。
レジス主任の笑顔がどんどん引きつっていく。
「……誰も、志願しないのかね?」
その時。
ベテラン職員たちは見事なまでのチームワークでいっせいに顔を上げ、長いテーブルの向こう側――会議室の一番端の席へと視線を集中させた。
そこには、水色の長い髪を揺らし、少しダボついた見習い用の制服を着て、必死に『転生管理者スタートアップガイド』に顔を埋めている一人の少女が座っていた。
「えっ?」
異様な静けさに気づいたのか、その少女――配属されてまだ1年のポンコツ見習い女神、リリア――が、ビクッと顔を上げた。
先輩たちと主任が、自分に向かって「君しかいないよ」という慈愛(という名の圧力)に満ちた視線を送っていることに気づいた瞬間、彼女はイスから飛び上がるように立ち上がった。
「わ、私ですか!?む、無理ですってば!私、まだ事務所に入って1年目ですよ!?
転生スキルの分類コードだってまだ全部覚えてないし、昨日なんて魔法の世界に行くはずの勇者さんを、間違えてマッチョだらけの格闘世界に転送しちゃったばかりで……っ」
リリアは自分を指さし、どもりながら言い訳を並べ立て、あっという間に涙目になった。
「大丈夫だよ、リリア!」
ベテランのエルヴィンが、彼女の自己否定を光の速さでさえぎり、
丸眼鏡の奥で完璧な営業スマイルを作った。
「君、『乙級転生専用女神ライセンス』は受かってるよね?それにシフト表をみたけど、君、今ちょうど担当してる案件がないじゃないか」
「そうそう!若い子にはどんどん経験を積んでもらわないと!こういうやりがいのある『特別プロジェクト』は、新人研修にピッタリよ!」
セリアも、まったく責任感のない無責任なエールで追撃する。
「でも、でも……!あの佐藤誠って人、どうみてもめんどくさそうなタイプじゃないですか!
転生するためだけに自分でテント張って待機してるような人ですよ!?もし変なシステム設定とか質問されて、私が答えられなかったらどうするんですかぁ!」
ガイドブックを胸に強く抱きしめ、リリアは今にも泣き出しそうだった。
「よし、君に決定だ、リリア」
レジス主任の鶴の一声が響き渡った。彼女の悲鳴などすっかりスルーし、手元のタブレットでササッと承認のサインを済ませてしまう。
「すぐに報告書を上に提出してくる。許可が下り次第、下界で適当な『小さなアクシデント』を起こすから……君はすぐに『転生案内ルーム』に向かって、彼をお迎えする準備をしたまえ」
「えっ、ええええええええっ!?」
新米女神リリアの絶望的な悲鳴が響き渡る中。
天界の公務員たちは、容赦なくこの特大の厄介事を、最も抵抗力のない新人へと押し付けたのだった。
そしてその頃、遠く離れた下界では――
佐藤誠が、彼の人生(あるいは現世)における、最後の夜を迎えようとしていた。
読まなくても全く問題ない裏設定
天界にある、転生者(異世界召喚、転生、強くてニューゲーム、やり直しなど全部ふくむ)を専門にあつかうお役所。
それが「天界転生管理事務所」である。
近年のラノベブームでさばききれないほど転生者が激増したため、事業拡大を重ね、ついに「第三支部」まで設立されてしまった。
本部
いわゆる(チート・無双)系の転生者を専門にあつかうエリート部署。
所属しているのは超優秀な神様ばかりで、転生後の冒険が「壮大な叙事詩」になるよう、ガチでプロデュースしている。
第二支部
一般的な転生案件をあつかう部署。
神様の中でも、そこそこ経験を積んだ中堅層(屋台骨)が配属される。
本部のエリートたちに負けまいと、担当する転生者の物語を少しでもおもしろくしようと、みんな日々奮闘している熱血部署である。
第三支部
上記にあてはまらない「残りもの(ハズレ枠)」の転生者をあつかう、いわゆる左せん部署。
レジス主任も、若い頃は本部の第一線でバリバリ働くエリートだった。
しかし、無数のチート転生者をプロデュースし続けるうちに、「なんかもう、同じパターンの勇者ばっかりで飽きたな……」と完全に燃え尽きてしまった。
その後、後進を育てるために第二支部へ異動したが、長年の中間管理職としてのストレスが彼の情熱をすっかりすり減らした。
その結果。
今から一万年前に「もう引退までダラダラしたい」とみずから志願して、この辺境の第三支部のトップにおさまったのである。
部下に対する基本的なマネジメント態度は、「大きなトラブルさえ起こさなければ、あとは好き勝手にやってよし」。
ただし、本当にヤバい問題が起きた時だけは、(ものすごく面倒くさそうにしながらも)三万年の経験と知恵をしぼって何とか解決策を練ってくれる。
案外、頼りになる(?)おじいちゃんなのである。




