第十章:魔王軍の四天王
北の王国へ向かう「長距離・普通乗り合い馬車」の中は、干し草と汗、そして隣に座るドワーフのおっさんが放つ強烈な安酒の臭いが充満していた。
この馬車は客だけでなく貨物も運んでいる。食料やドワーフの工具箱だけでなく、なんとドクロマークの下に『引火性物質・火気厳禁』と書かれた、どう見てもヤバそうな木箱まで積まれていた。
ドワーフたちがパイプを吸わないわけだ。俺も『プレミアム版ライター』のスキルを暴発させないように気をつけないとな。
ガタガタの泥道で馬車がバウンドするたびに、俺の太ももの上のリュックから、弱々しいえずき声が聞こえてくる。
(オエェ……佐藤さん、この馬車、サスペンションが最悪です……私の刃が割れちゃいそうですぅ……)
リリアの声が脳内に響く。重度の乗り物酔い患者のような悲惨な声だ。
「我慢しろ。ジャイアント・スライムを倒して銀貨10枚しか稼げなかったんだ。この馬車に乗るのが限界だったんだよ」
俺は心の中で乗り物酔いする鉄剣をなだめながら、ドワーフのおっさんに押し潰されて痛む肩を揉んだ。
(でもこの車内、すっごく臭いです!天界のスターダスト・コーヒーが恋しい……うぇぇん、なんで私こんな苦労を……これ実地研修じゃなくて、ただの左遷じゃないですかぁ!)
「いいから愚痴るな。気分転換に刺激的なことでもしようぜ」
俺は目を閉じ、念動力でシステムウィンドウを呼び出した。
「今のうちに、第3のガチャを開けよう。まともな攻撃魔法さえ出れば、北の王国に着いてからも高ランクの依頼が受けられるはずだ」
(……お願いですから、もう『高速で震えるヤツ』だけはやめてくださいね。今度こそマジで吐きますよ)
リリアがトラウマを思い出したように言った。
俺は深呼吸をし、「爆裂魔法」への強いあこがれを胸に抱きながら、残る3つの金色の「?」マークの1つを力強くタップした。
『ピロリンッ!』
おなじみの派手な光が網膜に焼き付く。しかし今回、カードから放たれたのは、破滅の匂いがする「暗赤色」の光だった。
【システム通知:特殊攻撃魔法を獲得しました!】
「おおっ?暗赤色!これは絶対に大技の色だ!」
俺は目を輝かせ、急いでカードの詳細説明を読んだ。
【スキル名:百発百中のクシャミ(プレミアム版)】
【スキルレベル:強化不可】
【スキル説明:クシャミをした際、半径50メートル以内の単一ターゲットをロックオンし、飛沫をマッハでターゲットの顔面に全弾命中させる。絶対回避不能。】
【発動条件:ガチでクシャミが出そうな時のみ発動。演技や無理やり息を出す等のフェイクではトリガーされない。】
【備考:ルシアン実習主任からの特別メッセージ――「これはレジス主任が『最も牽制と戦略的意義に満ちた神スキル』と絶賛したものです。ぜひ、ここぞという決める場面でお使いください。お礼は結構です」】
「……」
俺は、このスキルの説明文を見つめたまま、きっちり10秒間フリーズした。
(佐藤さん?どうしました?世界を滅ぼすような大魔法が出たんですか?)
リリアが興味津々に聞いてくる。
俺は無言でシステムウィンドウを閉じ、窓の外を飛ぶように流れる景色に顔を向けた。
「リリア」
(はい!)
「もし俺が今、馬車から飛び降りて、車輪に頭を轢かせたら、もう一回やり直しできるかな?」
(えっ!?何を引いたんですか!希望を捨てないでくださいよ佐藤さん!)
「風邪をひきさえすれば、半径50メートル以内で無敵の『生物兵器』になれる神スキルを引いた」
俺は無表情のまま答えた。
(……あのハゲ主任、天界に帰ったら絶対に高山茶に下剤を盛ってやります)
リリアもすべてを察して、完全に抵抗を諦めた。
俺たち二人が、脳内で天界の上層部に向かってありったけの悪態と呪いを吐き出していた、まさにその時――。
「ヒヒィーンッ!」
馬が突如としてパニックを起こして嘶き、馬車が急ブレーキをかけた。
車内の乗客は一瞬でドミノ倒しになり、ドワーフのおっさんが持っていた安酒が、俺の半身にバシャッとぶちまけられた。
「なんだ?山賊か!?」
乗客たちがパニックになりながら窓から顔を出す。
「ば、バケモノだぁぁっ!!」
御者が豚を潰したような悲鳴を上げ、馬車から飛び降りるやいなや、転がるようにして道端の森へと逃げ込んでしまった。
俺は眉をひそめ、リリアの入ったリュックをつかんで、馬車のカーテンをめくって外に出た。
すると、馬車の真正面の道のど真ん中に、恐ろしい「黒いオーラ」を放つ人影が立っていた。
漆黒の鎧を着た魔族だ。
身長は2メートルを超え、頭には悪魔のような角が生えている。手には黒い炎が燃え盛る大鎌を握り、背中の黒いマントが風でバサバサと音を立てていた。
(佐藤さん!あれ、魔王軍の幹部ですよ!)
リリアが脳内でパニック状態に陥って叫ぶ。
(あのプレッシャー……絶対に『四天王』クラスのバケモノです!私たち死にました!)
俺も冷や汗が全身から噴き出し、クルッと背を向けて逃げ出そうとした。だが、ふと気づいた。
……この魔族の幹部、なんか様子がおかしくないか?
確かにデカい。だが、漆黒の鎧はクモの巣のようにヒビ割れ、いくつものパーツが「粗末な縄」でぐるぐる巻きに縛られて補強されている。
頭の悪魔の角は片方がポッキリ折れており、左目は肉まんのようにパンパンに腫れ上がっている。
さらに、あんなにカッコよく見えた黒いマントは、実は燃えカスになっていて、お尻のうしろに布切れがちょっとぶら下がっているだけだ。まるで「黒いミニスカート」を穿いているみたいだった。
「クソッ……ゴホッ、ゴホッ……」
その魔族の幹部は、大鎌を杖代わりにして地面に突き立て、肩で大きく息をしながら、黒い血を吐き出した。
腫れていない右目を上げ、ひどく悲痛で、恨めしそうな目で俺たちの馬車を睨みつけながら、ギリギリと歯ぎしりをして何かをブツブツとつぶやいている。
リリアが『順風耳の魔法』を発動し、俺にもその聴覚を共有してくれた。
「忌々しい勇者ライアンめ……!あの金髪のクソ野郎!俺は登場したばかりで、まだ自己紹介のセリフすら言い終わってなかったのに!
いきなり俺の顔面に『極大聖光殲滅砲』を12連射しやがった!こんなの理不尽だろ!ルール違反だろうがぁぁ!!」
魔族の幹部はそう叫びながら、なんと目尻から屈辱の涙をポロリと流した。
「俺は腐っても魔王軍四天王の一角、『影の死神』だぞ!HP残り1ドットになるまでボコボコにされて、魔王城に飛んで帰る魔力すら残ってねえ……。
道行く馬車をカツアゲして、回復ポーション代を稼ぐしかないなんて……クソッ!クソォォッ!」
(……)
女神の順風耳魔法を通じてその声を聞いたリリアは、リュックの中での振動をピタッと止めた。
「……」
情報を共有した俺も、逃げようとしていた足をそっと元の位置に戻した。
なんだそれ!
こいつ、あの『完璧な勇者ライアン』に一方的にリスキルされて、ボロボロになって逃げ出してきた「残機ゼロ」の敗残兵じゃねえか!
「おい、そこの人間!」
シャドウ・デスは大鎌を俺に突きつけ、フラフラしながらも必死に凶悪なフリを作った。
「持っている金貨と回復ポーションを全部出せ!さもなくば、灰燼に帰すぞ!」
言うや否や、彼は全身に残った最後の魔力を振り絞り、大鎌の先端に「ドッジボールくらいの大きさ」の黒い火球を作り出した。弱々しくは見えるが、中に込められたエネルギーはバカにできない。
「死ねぇっ!」
彼が気合いの咆哮を上げると、黒い火球がフラフラと揺れながら俺に向かって飛んできた。
(佐藤さん!避けて!瀕死とはいえ、当たったら死にますよ!)
リリアが叫んだ。
避けるべきなのは百も承知だ!でも俺の後ろには、乗客が乗った馬車(しかも引火性の危険物入り)があるんだぞ!俺が避ければ、馬車は間違いなく大爆発だ!
「クソッ!やるしかねえ!」
俺はリュックからリリアをひったくった。
(えっ!?私でその火球を斬るつもりですか!?溶けちゃいますよ!私、ただの鉄の剣なんですよ!?)
「うるせえ!『超高周波・聖剣バイブレーション』!最大出力!」
「ヴヴヴヴヴッ――!!」
リリアから耳をつんざくような高周波の振動音が爆発する。俺は両手で剣の柄を握りしめ、迫り来る黒い火球に向かって渾身の力で剣を振り抜いた!
「ギュイイィィン――ドカーンッ!」
高周波振動の刃は、確かに火球を一瞬で真っ二つに裂き、左右に散らした。
だが、その直後に発生した魔力の爆発により、強力な衝撃波が巻き起こった。
俺は爆風で後ろに吹き飛ばされ、馬車の木の板に背中を強く打ち付けた。
「ゲホッ、ゴホッ……」
爆発の煙を吸い込み、涙目になりながらむせる。
(佐藤さん!無事ですか!)
「平気だ……ただ、鼻の中が火薬の匂いで……ハァッ……」
俺は鼻をこすった。鼻腔の奥で、耐え難いムズムズ感が急速に広がっていくのを感じた。
先ほどの爆発で舞い上がったホコリ。強烈な火薬の匂い。
そして、ドワーフのおっさんが俺にぶちまけた「安酒」のアルコール臭。
これらが混ざり合い、この瞬間、俺の鼻の中で致命的な化学反応を引き起こしたのだ。
「ハァ……ハァ……」
俺は天を仰ぎ、口を半開きにして、胸を大きく上下させた。
残血のシャドウ・デスは、俺が死んでいないどころか、両手を広げて(実はクシャミの予備動作だが)恐ろしい魔法の詠唱でもしているかのように見えたらしく、残った片目を限界まで見開いて恐怖した。
「な、何をする気だ!俺は四天王……」
彼が言葉を言い終える前に。
「ハックショォォォォンッ!!!!」
俺は、天地を揺るがすほどの巨大なクシャミを放った。
この瞬間、俺は自分の体内から、信じられないような未知のパワーが引き出されるのを感じた。
口と鼻から噴き出した飛沫は、体から離れた瞬間に流体力学の法則を完全に無視し、奇妙な光を放つ一つの『水弾』へと集束したのだ!
その『水弾』は、空中に白いソニックブームを描きながら超音速で駆け抜け、50メートルの距離をコンマ1秒で突破し――。
「ベチャァッ!」
シャドウ・デスの腫れていないほうの右目に、100%の精度で、ねっとりと、完璧に命中した!
「ぎゃあああああああああっ!!!」
シャドウ・デスは、この世の終わりかのような凄惨な悲鳴を上げた。
超音速の飛沫による物理的な衝撃。そして何よりも、顔面に直撃した他人の飛沫の「気持ち悪すぎる湿り気」。
それは、彼の残された最後のメンタルと物理の防壁を、完全にブチ破った。
彼は大鎌を投げ捨て、両手で顔を押さえて地面を二回転半転がり回り。
そして両足をピクッと伸ばして、完全に白目を剥いて気絶した。
そよ風が吹き抜けた。
馬車の前の土の道は、再び死んだような静寂に包まれた。
俺はまだ少しムズムズする鼻をこすりながら、遠くで俺の「クシャミ一発」で沈んだ魔王軍四天王を見つめ、そして自分の手元でまだヴヴヴと鳴っている鉄剣を見た。
(……佐藤さん)
「なんだよ」
(あなたさっき……クシャミで四天王を倒しましたね?)
「……ああ」
(……キモいです)
リリアの声は、心の底からの嫌悪感に満ちていた。
(しばらく話しかけないでください。私をきれいに拭いてからリュックに戻してください)
「俺だってこんな戦い方したかったわけじゃねええぇぇぇっ!!!」
俺は異世界の空に向かって、再び絶望の咆哮を轟かせた。
これが異世界冒険のやり方かよ!
読まなくても全く問題ない裏設定
ギャグのような見た目だが、実はこの超音速クシャミは「超」が付くほどの強力なスキルである。
純粋な破壊力だけで言えば、すでに上位魔法に匹敵するレベル。しかも、消費MPはほぼゼロという異常な燃費の良さを誇る。
たとえシャドウ・デスがHP満タンの全盛期だったとしても、絶対に真正面から受けたくないほどのエゲツない威力なのだ。
(ただし、佐藤が風邪をひいた場合、クシャミの連発で半径50メートルが更地になるという、歩く大量破壊兵器と化すリスクがある)
ポンコツな鉄の剣になってしまったリリアだが、実はその魔力総量やスキルレベルは、神様のバケモノ級のまま据え置きである。
ただ、器がボロい鉄の剣になってしまったせいで、発動できるスキルの種類が極端に制限されているだけなのだ。
そのため、単なるマッサージ用の超高周波バイブレーションも、彼女の神級魔力でブーストされると規格外のチートスキルへと変貌する。
最大出力のバイブ剣が火球を切り裂いたのは、実は剣身の振動によって巨大な真空波が発生していたからである。
馬車の中でシャドウ・デスの愚痴を盗み聞きした順風耳の魔法。
これも実は神級の魔法であり、リリアがその気になれば、この惑星にいる全人類の会話を同時に盗み聞きすることすら可能である。
もちろん、ただのオッサンの佐藤は、自分の剣がそんな異常なスペックだとは知る由もない。




