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雷神の忌み子 ~五感を代償に、少年は永遠の冬を終わらせる~  作者: 蒼月よる


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風を繰る

 地面の下で、何かが動いた。


 光の方角へ向かう道中だった。荒野の窪地に差しかかったとき、ズラータが足を止めた。地面に手を触れ、目を閉じる。眉間に深い皺が刻まれた。


「地面の下に何かいる」


 低い声だった。大地の力で感知している。ラスラフも足裏に振動を感じた。かすかだが、規則的に──雪の下を這うように、複数の何かが移動している。


 雪面が盛り上がった。割れた。白い破片が四方に散り、氷でできた獣が姿を現した。狼に似た四足の形態。透き通った身体の内側に青白い光が脈動している。続けてもう一体。さらに三体。雪を割り、氷を軋ませて、下級眷属の群れが窪地に湧き出した。


 五体。六体目が、少し離れた場所に現れた。


 群れが散開し始める。囲い込もうとしている。知性は低いが、狩りの本能は持っている。逃げることもできた。まだ距離がある。窪地の縁に向かって走れば、包囲が閉じる前に抜けられるかもしれない。


 ラスラフの脳裏に、凍りついた旅人の顔が浮かんだ。あの人たちも、逃げようとしていたのかもしれない。光の方角にはまだ誰かがいる。この道を通る者がいるかもしれない。


「やる」


 言葉が出た。ラスラフの口から。


 ズラータが振り返った。一瞬、深い緑の瞳が揺れた。それから頷いた。短く、迷いなく。


 初めてラスラフが、自分から戦闘を選んだ。


 眷属が動いた。六体が弧を描いて窪地の壁面を駆け上がり、二人を囲もうとする。氷の関節が軋む音が四方から響き、口腔から吐き出される冷気が白い靄となって雪面を這った。


 ズラータが紡錘を掲げた。


 地面が唸った。窪地の壁が隆起し、左右に土と石の障壁が伸びる。眷属の移動経路を制限する壁だった。全方向からの囲い込みを断ち切り、正面に集約させる。冷静な判断。巫女の戦闘経験が、即座に地形を読んでいた。


 正面に三体が集まった。残りは壁に阻まれて迂回を始めている。


 ラスラフは右手を前に突き出した。掌に意識を集中する。引き出すのではなく、流す。あの二秒間の感覚を呼び戻す。身体を導管にする。


 力が通った。蒼白い光が掌から走り、一条の雷撃が正面の眷属を貫いた。暴発ではなかった。方向性のある一閃。氷の身体が内側から砕け散り、破片が雪の上に飛散した。


 だが制御は不完全だった。雷撃の余波が散り、二体目をかすめたが砕くには至らない。力の集中が甘い。


 ズラータが壁を動かした。隆起した土壁の一部が前方にせり出し、残りの眷属を狭い通路に追い込む。左右から土が迫り、眷属の逃げ道を奪っていく。


「今」


 ズラータの声は短かった。


 ラスラフが二度目の雷撃を放った。通路を塞ぐように、蒼白い光が狭い空間を薙ぎ払う。逃げ場のない眷属が次々に砕ける。氷片が飛散し、青白い光が消えていく。オゾンの焦げた匂いが鼻を突き、砕けた眷属の残骸から立ち昇る冷気が顔を叩いた。


 最後の一体が飛びかかった。


 壁を越えて跳躍した眷属が、ラスラフの頭上に影を落とす。氷の爪が振り下ろされる寸前、ズラータが防壁を盾のように押し出した。土と石の塊が横から眷属を弾き、軌道が逸れる。


 至近距離だった。ラスラフは右手を突き上げた。掌から放電が走り、氷の獣を内側から砕いた。破片がラスラフの顔と肩に降り注ぎ、冷たい水滴が頬を伝った。


 静寂が戻った。


 窪地に眷属の残骸が散らばっていた。溶けかけた氷片が水に還り、青白い光を失っていく。蒼白い雷撃の痕が空気に焦げた匂いを残し、隆起した土壁の表面に放電の跡が黒く走っていた。


 二人とも息が荒かった。


 ラスラフは自分の右手を見下ろした。掌がまだ蒼白い光の余韻を帯びている。痣の脈動がゆっくり収まっていく。


 指を曲げた。動く。だが──第二関節から先の感覚が、完全に消えていた。戦闘前は「鈍い」程度だった部位。それが今は「ない」に変わっている。何も伝えない。指先は静かに死んでいた。


 力を使えば失う。勝利と代償が同時に来る。


 ラスラフはズラータに向き直った。


「ありがとう」


 短い一言だった。旅の開始以来、初めて素直な礼を口にした。言い慣れない言葉が、不器用に空気の中に置かれた。


 ズラータが一瞬、目を丸くした。深い緑の瞳が僅かに見開かれる。それからすぐにいつもの表情に戻り、前を向いた。


「礼はいい。次はもう少し正確に狙え」


 声はいつもの口調だった。だが口元に──ほんの微かに、笑みがあった。ラスラフが初めて見る表情の崩れだった。巫女の鉄面皮に走った、細いひびのような笑み。見間違いかもしれない程度の。


 二人は並んで歩き出した。信頼と呼ぶには早い。だが「この相手と戦える」という確信が、足取りを軽くしていた。


 風が何かを運んできた。


 煙の匂いだった。焚き火の、人のいる匂い。木を燃やす煤の匂いが、冷たい空気の中に微かに混じっている。


 光の正体が、近い。


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