共闘の証
空の色が変わった。
灰色だった雲が黒に近い重さを帯び、風が急に強まった。それまで低く唸っていた風が、唐突に叫ぶように荒れ始める。雪が水平に走り、視界が白く煙った。
ズラータが足を止めた。
「来る」
一語だった。巫女は空を見上げ、それから荒野を見回した。遮蔽物はない。平坦な雪原がどこまでも広がり、逃げ込める場所がなかった。
吹雪が来た。
壁だった。白い壁が前方から押し寄せてきた。風が暴力的な圧力で身体を叩き、雪が顔を打つ。数歩先が見えなくなった。呼吸すら困難になるほどの風圧が胸を押し、立っているだけで足が滑った。
ズラータが紡錘を握った。
木製の紡錘を頭上に掲げ、反対の手を地面に押しつける。大地の力が応えた。地面が低く隆起し、二人の風上に半円形の防壁が築かれた。完全な壁ではない。吹雪の圧力を正面から受け止めるのではなく、風を左右に逸らして二人の周囲に無風の空間を作る。巧みな形状だった。
吹雪の轟音が防壁の外で暴れている。中は奇妙なほど静かだった。外の咆哮が遠い部屋の騒音のように鈍く響く。だが寒さは完全には防げない。防壁の隙間から冷気が染み込み、二人の白い息が狭い空間で混じり合った。
身を寄せ合うほかなかった。防壁の内側は二人が座るのがやっとの広さで、肩がほとんど触れ合う距離だった。
会話はなかった。吹雪の轟音が言葉を奪い、沈黙だけが二人の間に座っていた。ラスラフは膝を抱え、ズラータは地面に手を触れたまま防壁の維持に集中している。
時間がどれほど過ぎたのか、わからなかった。吹雪は弱まらない。風の唸りが延々と続き、永遠に終わらないかのように思えた。
ズラータがぽつりと言った。
「前にも、こうして誰かを守ったことがある」
声は小さかった。吹雪の音にかき消されかけた。ラスラフが目を向けると、ズラータは地面に手を押しつけたまま、どこか遠くを見ていた。防壁の土壁を。あるいは、防壁の向こうの何かを。
それ以上は語らなかった。ラスラフも問わなかった。だがその一言が、ズラータがモコシュの巫女になる前にも誰かの傍にいたことを──そしてその誰かが、今はここにいないことを示していた。
ズラータの防壁が揺れた。
微かだった。だがラスラフにはわかった。壁の表面にひびが走り、土の粒が剥がれ落ちた。ズラータの呼吸が乱れている。顔色が白い。力の維持が消耗を強いている。
長い沈黙の後だった。
「モコシュ様の声が、遠い気がする」
ズラータの声は小さかった。吹雪の轟音の中で、聞き取れるかどうかの声量だった。だからこそ、その言葉がラスラフの耳に深く届いた。
ラスラフが目を向けた。ズラータの表情はいつもの無愛想だった。だが声がわずかに震えていた。指先が地面に押しつけられ、爪の先が白くなっている。
「まだ聴こえなくなったわけではない。ただ──前より、鮮明ではない気がする」
モコシュの声。大地母神からの神託。巫女としてのズラータの存在を支える柱が、揺らいでいる。彼女がこんなことを口にすること自体が、ラスラフにとっては初めてだった。弱音という言葉すら似合わない女だと思っていた。
ラスラフはうまく言葉を返せなかった。
気の利いた慰めは持っていない。的確な助言も。ズラータの信仰について語れるほどの知識もない。何を言えばいいのかわからなかった。
だが黙っていることも、できなかった。
「……俺もわからないことだらけだ」
声が出た。不格好な言葉だった。慰めにも助言にもなっていない。
「だが、おまえ一人ではない」
それだけだった。ぎこちなく、不器用で、嘘だけがない言葉だった。
ズラータは何も答えなかった。
だが防壁の力が、わずかに安定した。ひびが止まった。土の粒が落ちなくなった。それが返答なのだと、ラスラフは思った。
狭い空間の中で、肩がほとんど触れ合っていた。ラスラフの右肩にズラータの温もりが伝わる。手首から先──感覚が生きている部分には、狭い空間に籠もる二人分の体温が届いた。だが指先はやはり何も感じなかった。ズラータがすぐ傍にいるのに、右手の指先だけが世界から切り離されている。
吹雪の轟音が少しずつ遠ざかり始めた。
風が弱まり、防壁にかかる圧力が軽くなった。ラスラフが壁の隙間から外を覗くと、暗闇の中に雪が静かに舞い落ちていた。風が途切れた一瞬、遠くの地平線に微かな光が見えた。
星ではなかった。地上の光だった。
小さなオレンジ色の点が、闇と白の境界で揺れている。篝火か、灯火か。距離はわからない。だがそれは確かに──人のいる色だった。
「光が見える」
ラスラフが言った。ズラータが身を起こし、同じ方向を見つめた。
永冬の荒野に、自分たち以外の誰かがいる。
吹雪が完全に止んだ翌朝、二人は互いを見て頷いた。言葉はいらなかった。
進路を変える。光の方角へ。




