『人形と少女』④
「——あのレンガの建物が旧校舎だったのね」
目立つ建物だけに、悠霞も印象が強く残っていた。
「学校の設立当時からあるので、百年ものの歴史的建造物ですね。今は耐震化工事の関係で部屋数が減ってしまったので、僕たち文化系クラブの部室だけになっています」
非公認の癖に代表面をする陽貴に、美咲はふふっと笑った。
「よかったら、ウチの部室来ます? 面白い過去のスクープ映像とか一杯……えっ、あ、ちょっと待ってぇ」
有頂天で説明するうちに二人は陽貴を置いて体育館の方に進んでいた。
「これが体育館ね。全校集会とかもやるから、そういう時はここに集合するの」
悠霞はその体育館より少し奥に、一回り小振りなクラシカルなデザインの建物が気に掛かった。
「あの向こうにあるのは、なに?」
悠霞がそう言うと、美咲と陽貴は一瞬顔を見合わせた。
「あー。——あれが旧体育館。ただ、耐震化補強が出来ないらしくて、それで閉鎖されたそうなの」
さすがに旧校舎と違い設立当時からの建物ではないだろうが、古びた建物特有の空気が漂っている。
「ふぅん。——何かあるの?」
「えっ。いや、わたしも行ったことないから、よくは知らないけど……オバケが出るとか、なんか変な叫び声とか……。だよね、陽貴くん」
「えっ。あ、あー。——うん、そうそう、和邇楼七不思議のひとつ……ってやつ!」
泡を食ったような二人に、悠霞は軽く目を細めた。
「ふぅん……オバケねぇ」
例の伝承が関係あるのだろうか。とはいえ、千年近く前の話が現代に何か影響を及ぼすとも思えない。
「……」
悠霞は無言で旧体育館を見つめていた。
(後で図書室に行かなきゃ……。カールセン先生の言う本を読めば、何かわかるかも知れない)
午後の授業が終わり、放課後となった。
帰り支度や、部活動に急ぐ生徒たちをよそに、悠霞と美咲は図書室に向かっていた。
「——別にひとりで大丈夫だよ?」
軽く呆れた口調で言う悠霞に、美咲はえっへんと胸を叩いた。
「昼休みの時にカールセン先生の言ってた本を調べに行くんでしょ? 図書室は多少わかるから、一緒に行くよ」
「司書のひとに聞くから、いいよ」
「司書とかいないよ?」
「え?」
美咲の返答に悠霞は虚をつかれた。
「貸出しとか、本の管理は図書委員が持ち回りでやるけど、別に専門家ってわけじゃないし。責任者として先生が一人いるけど、これも当番で専門家じゃないから。だから、わたしがいたほうがいいでしょ?」
少し自慢げに鼻を高くする美咲に、悠霞は表情を和らげた。
(この子といるとなんかペースが狂うな……。でも、別に美咲だって専門家じゃないよね?)
心の中で軽く突っ込んでみるが、彼女の無邪気な姿にそれ以上言う気は起こらなかった。
図書室は図書委員が二人いるだけで、利用者の生徒はひとりもいないようだった。
漂うおごそかさと、時間の堆積した空気に悠霞は祖父の書斎を思い出していた。
「——わたしは思うんだけど、歴史コーナーとかにあるんじゃない?」
思いつくままに力説する美咲をよそに、悠霞は不意に足を止めた。
「あ、これかな」
「——それか、こういうのはえっ!? こんなとこに? ……みたいな意外なところにあったり……えっ!?」
カールセンの言った伝承に関する本は、入ってすぐ、受付のそばの目立つ位置に手描きで『歴史散策〜地域を知ろう〜』と書かれた特設コーナーに並べられており、司書どころか美咲すら必要ない状態だった。
和瀬市が公式に出したガイド本と、和邇台出身の建築家、岡田洋次郎の伝記など数冊。その中でセンターにどんと置かれていたのが、『和邇台村の伝承と記録』だった。飾り気のないシンプルな装丁で、著者は逢坂寛治、とある。さらに言うと、図書委員の誰かが描いたのだろうか、マンガチックに描かれたカールセンの似顔絵と共に『カールセン先生オススメ!』と書かれた小さな貼り紙がしてある。
「あはは……。分かりやすいとこに、あって、良かった……ねっ」
顔を少しひきつらせて乾いた笑いを浮かべる美咲に悠霞は表情を和らげた。
本を手に取り、閲覧席に座った悠霞は、まず奥付から確認した。美咲はその対面にすっと座る。
「——昭和五十年六月。五十年くらい前の本か……」
おもむろに携帯を取り出した悠霞は滑らかなタップで何かを入力し始めた。
「……? 何か調べてるの?」
「自費出版かなぁ」
美咲の問いとほぼ同時に悠霞は呟いた。
「え?」
「どういう著者なのかとか、検索で引っかかるかなって思って。あまり聞き慣れない出版社だったし、もしかしたらと思って。大当たり」
悠霞の言葉をすぐに理解しきれなかった美咲は、目を白黒させた。
著者名をネットで検索すると、二十年以上前の地方新聞の小さな記事が引っかかった。地方でマイナーな研究や業務に携わる人々を取り上げるコーナーだった。郷土研究家である逢坂寛治を紹介する内容で、本人へのインタビューもあったが、悠霞が知りたい内容ではなかった。
和邇台の伝承についてまとめたこの本を自費で出版後は、違うテーマで和邇台について纏める予定だったが、家庭の事情で叶わず、また一念発起して取り組みたい、そんな内容だった。記事によるとその当時で八十代半ばであったため、おそらくもう存命ではないだろう。
悠霞は目次に戻り、内容を確認する。和邇台の成り立ちや昔の地名から始まる項目の中に『伝承』についての章を見つけ、そこまでページを飛ばした。
あのエントランスの絵巻物にあった伝承に触れた後、隕石の落下について書かれたページに、農作物の収穫の記録係の日記の文面を写したモノクロ写真と、その内容が触れられていた。
『天、烈しくひらけ、夜空に光を引く星、あまたの丈を越えし火尾を曳きて、我らが上空を走り去りぬ。大地を震わし、轟音たちまちにして大地に落ち、山林を焼く如く、烟立ち上ること久し。此は神か佛の告げるしるしならむ。かくのごとき火星、そぞろなることぞあらんや。人々皆、畏れ慄きて戸口を閉ざす』
紙の端が黄ばんでいる古びた写真は、時代の隔たりを感じさせるが、それゆえに独特の引力めいた迫力を感じさせた。
(ただの御伽噺じゃなかったんだ——)
次に神社の神職が隕石の落下を神事として祀りあげたことにも触れられていた。隕石の落下を『天変』として恐れ、神仏の啓示や吉凶の兆しとして、いかにその出来事が人々に畏怖を与えたかが、記載された神社にあった記録や写真からひしひしと伝わってきた。
悠霞は静かに息をついて、ページをめくる。続くページには、当時の隕石の落下地点が記された古地図と、五十年前の和邇楼学院周辺の地図を重ねて描かれた地図が記載されており、確かに隕石の落下地点と旧体育館の場所がほぼ一致していた。
(——!?)
悠霞は胸の鼓動がほんの少し速くなるのを感じた。瞬間、まるで古い記憶が現代にそのまま繋がったような感覚。
(カールセンの言ったことは——ほんとうだった)
ただの高揚感とも違う、説明のつかない感覚に悠霞は軽く戸惑いを覚えた。最初にエントランスの絵巻物を見た時もそうだった。
「なにか分かった?」
覗き込んだ美咲の声に我にかえる。
「——うん、カールセン先生の言ってたこと、ほんとうだったよ」
「へぇー、じゃあ本当に隕石落ちたんだね。でも、これを調べてどうするの?」
美咲の問いに悠霞は軽く息を吐いた。
確かにそうだ。祖父、浩一郎は何かこの伝承について知っていたのだろうか。
「——おじいさまが、ここに転校するように決めてから亡くなったから。だからなにかこの学校に意味があるのかと思ったんだけど」
「意味って?」
美咲の問いに、それは……と言いかけて悠霞は一瞬口をつぐんだ。
伝承の内容と自身を関連付けて考えるのは、恐らく自分だけだ。——そう、かつて公仔と呼ばれていた自分だけが——。
だが、それを美咲に言う事はできない。
「——どうして、わざわざ家から離れた場所の学校にしたのかって。気になるでしょ? ここに決めた理由は、教えてもらえなかったから」
一瞬、間を置いた悠霞の言葉に、美咲は顎に指先を当てた。
「そっか! ——分かった!」
「え、何が」
唐突な美咲の言葉に悠霞は美咲を見つめた。
「もしかして……」
美咲の視線が悠霞をまじまじと見つめる。
「悠霞ちゃんは伝承の姫の生まれ変わり……な訳ないか」
一瞬ぱっと明るくなった美咲の表情がみるみるしぼむ。そんな美咲の百面相に、悠霞は軽く息を吐いた。
不思議だと思った。この子といると、気付いたら自分の表情が柔らかくなる気がする。
それにしても、千年近く前の御伽噺のような民間伝承を知ることで何が起こるのだろうか。
(結局私は——。人形が、人間になる、って言葉に心惹かれてるだけじゃないのか?)
だが、それだけでこの伝承にそこまで心惹かれるものだろうか。そもそも、祖父、浩一郎の意図するところだったとしたら、この伝承をどこで知ったのだろう。
(わたしの知る限り……。確かに意外と子供っぽいところはあったけど、おじいさまがそんな事に興味や関心を示したことはなかった筈だ——。だが、ほんとにそうなのだろうか……)
思考の波間に溺れているかのような悠霞がふと顔を上げると、眼前に美咲の顔があった。彼女は柔らかく、ちょっと心配そうに微笑むと、
「ねぇ、アイス買いに行かない?」
「アイス?」
唐突な美咲の言葉は、悠霞の思考の隙間に、強引に割り込んできたようだった。考え込んでいた悠霞は急に現実に戻らされたような気がした。
「こういう時は甘いもの食べると、頭がシャキッとするよ? 購買もうすぐしまっちゃうから、行こ?」
にっこり笑う美咲に、悠霞は一瞬目をしばたたかせた。が、すぐに軽く吐息を漏らすと、
「——そうか。そうだね……」
パタンと本を閉じると、ささやいて悠霞は席を立った。
先を行く美咲の足取りは、軽やかに見えた。
その⑤につづく




