『人形と少女』②
(紀澄さん……か。見かけない顔だったけど——)
雰囲気的に上級生だろうか。だが、襟元のリボンはオレンジで美咲と同学年のはずだ。
(あんな子、いたっけな)
などととりとめのないことを考えながら、いつのまにか三階の自分の教室、二年C組にたどり着いていた。
扉を開けた瞬間、室内から、騒がしい空気が伝わってくる。
「おはようー」
挨拶しながら入った美咲は、いつもと違うクラスの雰囲気に周りを見回した。みんなが何かを期待するような表情をしていて、いつもより騒がしい。
「あ、おっはよー、委員長」
にこやかな雰囲気全開のメガネの少年はとびきりの笑顔で美咲を出迎えた。平均より小柄な体格と、どこか小動物を思わせる愛嬌が漂う美少年で、明るい笑顔がよく似合う。女子よりもシャープなデザインの紺色ブレザーと、白いワイシャツに紺色のネクタイ、グレーのスラックスという制服に身を包んだ大沢陽貴はジャーナリスト志望で、学校非公認の新聞研究会をひとり運営している。
「陽貴くん、おはよー。——なんか、あった?」
いつもよりざわついて落ち着きのないクラスメイトたちに美咲はなんとなく声を潜めた。全員が噂話をしているような空気感が引っかかる。漏れ聞こえる中の、どんな子だろう? というのはどういう意味なのか。
そんな美咲の言葉に陽貴は待ってましたとばかりに、真顔になるとメガネのブリッジ部分を指先でくいと持ち上げ、芝居がかった声色で答えた。
「よくぞ聞いてくれました、委員長。——スクープです」
「スクープ?」
おうむ返しになる美咲。
『スクープ』と陽貴が得意げに言うたびに、美咲はどうせまた大したことない話だろうと思いながらも、つい耳を傾けてしまう。前回もそうだった。ついつい、真剣に聞いてしまう自分がいる。
いつも、今回はどんなくだらない話なんだろうというマイナス方向の期待しかないのだが、クラスの様子を見る限り今日は少し違うのかも知れない。
「——転校生です。それも女の子がうちのクラスに」
芝居がかった口調の陽貴は、メガネをきらんと光らせた……ように見えた。
「えっ。——転校生!? 女の子!?」
おうむ返しのオクターブが上がり、すぐに美咲の脳裏に悠霞の顔が浮かぶ。さっき校門で会ったあの少女が転校生なのだろうか。
「どんな子? 名前とかわかる!?」
「——えっ、いや、そこまでは……」
美咲は焦るように訊ねたが、まさかの美咲の喰いつきに陽貴はたじたじとなり、少し困惑したように首をかしげた。
「何を朝からくだらない事を言ってるんだ、ハル」
唐突に二人に話しかけたのは、登校したばかりの、左頬に薄く古い傷跡が残る少年だった。絵に描いたようなマッチョではないが、シャープな筋肉質の身体つきで眼差しが鋭く、どこか狼のような剣呑さを漂わせている。陽貴とは幼稚園の頃からの幼馴染である火田臣吾だった。
「あ、おはよう、火田くん」
「ああ」
愛想もくそもない返答だったが、臣吾はいつもこんな感じなので、もう慣れた。
「臣吾、転校生が来るんだ、うちのクラスに。女の子だってさ」
「——オレには関係ないな」
すぐそばの自席にどかっと座って臣吾はぶっきらぼうにそう言った。
「えー」
残念そうに言う陽貴と臣吾のやり取りにくすくすと美咲は笑った。
予鈴とともに急に教室内がしんとなる。ホームルームの時間だ。陽貴は慌てて自席に戻り、担任の宮本がすぐに教室に入ってきた。宮本孝は三十代半ばの数学教師で、小柄で童顔、温和な性格のせいか、一部の口さがない生徒たちからは『タカシちゃん』などと渾名で呼ばれている。
「はい、おはようございます。みんないるね」
いつも通りにこにことした宮本は、教壇に立ち、少しだけ改まった口調になった。
「今日からこのクラスの仲間が増えます。皆仲良くしてあげてください。——いいよ、入ってきて」
宮本が廊下に向かって声を掛ける。扉をゆっくりと開けて入ってきた少女は、特に緊張した様子もなく、教壇の宮本の横に立った。
(——やっぱり!)
美咲は頬が紅潮するのがわかって、落ち着きなく椅子の上で背筋を伸ばした。校門前で出会った、あの少女——紀澄悠霞が、そこに居た。
悠霞は、クラスメイトの方を向いた途端、湧き起こった軽いどよめきやざわめき、集中する視線にも動ずるわけでなく、平然と立っていた。
(みんな……。なにがそんなに……気になるんだろう?)
自分への反応にそんなことを考えながら、視線の中に、校門前で会った少女、美咲の顔を見つけた。
(ふぅん……あの子、同じクラスだったんだ)
内心で独りごちて、小さく息を吐いた。
「じゃあ、黒板に自分で名前を書いて、自己紹介してください」
宮本に言われるまま、悠霞は黒板に名前を書いた。
一挙手一投足が注目される状況であっても、特に緊張はしない。
黒板に大きくはっきりと流麗な筆跡で自身の名前を書く。ためらいのないチョークの動きにため息を漏らす声が聞こえたが、気にせず再びクラスメイトに向き直った。
「紀澄——悠霞です。みなさん、どうぞよろしく」
落ち着いた口調だったが、明瞭なよく通る声で挨拶を済ませる。簡潔な挨拶に宮本は拍子抜けしたような顔になった。クラスメイトたちも、これで終わりとは思わなかったのか、ちょっと間を置いて、ばらばらと拍手が起こる。
「あー。はい、みんな色々分からないこととか、教えてあげて。席は」
奇遇にも空席は美咲の隣だった。先月、二年に上がってすぐに、家庭の事情で遠方へ引っ越した生徒の席が空いたままだったのだ。
「仁科の隣が空いてるから、そこに座って。仁科はクラス委員だから、何か困ったことがあったら聞いてください。仁科、紀澄のことよろしくね」
「あ、はい、先生」
美咲が答える間に、悠霞は机と机の間を縫って美咲の隣に向かった。
少年少女たちの無遠慮な視線の嵐にも、特に緊張した様子でもなく、学校指定のボックスリュックを片方だけ肩に掛けた悠霞は美咲の隣に、スカートを抑えてすっと腰掛けた。
「……さっき、会ったね」
美咲が小さく手を振って小声で話しかけると、一瞬美咲の方を見つめてから、
「ええ」
とだけ悠霞は呟いた。
一限目が終わり、休憩時間となった。悠霞はパラパラと教科書をめくり、こんなものか、という顔で教科書を閉じた。事故の怪我のリハビリの為という名目で在籍していた通信制高校とそう変わらない。違うのはきっちり対面で授業を受けなければいけないことだが、それもそのうち慣れるだろうと思った。
「紀澄さん、なにか分からないこととか、無い? 大丈夫?」
そっと声をかけられ、悠霞は隣席の美咲を見た。親しみに溢れた笑顔に軽く目を見開く。
「ええ、大丈夫。ありがとう、仁科さん」
「そう?—— あ、わたしのことは美咲でいいよ」
気さくな口調でそういう美咲に、悠霞は少しだけ戸惑った表情になった。
(いきなり呼び捨てで呼ぶの? そういうものなのかな)
「そう、では私のことも、悠霞と呼んでくれてかまわないわ」
とりあえず悠霞がそう言うと、何故か美咲ははにかんだように笑った。
「えっ、あー、でもいきなり呼び捨てはちょっと、あれかなぁ? じゃあ悠霞ちゃんていうね」
くるくると変わる表情でそう言う美咲に、
(自分のことは呼び捨てでいいのかな? 美咲ってよくわからないな…)
内心でそう突っ込みつつも、美咲と喋っているとなんだか不思議と柔らかい気持ちになるような気がした。
「——じゃあ、美咲、の好きなように呼んでくれていいよ」
戸惑ったままそう言うと、美咲は満足げに微笑んだ。
(よかった、なんとか仲良くなれそー。——それにしてもすぐそばで見たらめっちゃ顔ちっさ! いいなぁ。よく透明感のあるとかいうけど、悠霞ちゃんみたいな感じ? リアル透明感?)
なんでもない言葉を交わすだけなのに、悠霞の存在はどこか特別に見えた。変な意味はないのだが、つい見惚れてしまう美咲だった。
そこへ、例によってにこやかな笑顔を浮かべてやってきたのは陽貴だった。
「初めまして。——我が二年C組へようこそ、紀澄さん。大沢陽貴です。以後お見知りおきを」
芝居がかった口調で言いながら、いつの間にか取り出した名刺を悠霞と美咲に素早く手渡す。
「陽貴くん、名刺ならこないだもらったけど……」
困惑の表情の美咲に、陽貴は片目をつむって見せた。
「あ、それ一年の時に作った名刺だから。こっちが最新版」
二人とも名刺に視線を落とす。
和邇楼学院高校二年C組
新聞研究会主宰
和邇楼タイムズ 編集長
大沢 陽貴
(——こないだ貰った名刺にはない肩書きが増えてる……。)
美咲の表情がチベットスナギツネめいたものになり、悠霞は興味なさそうに一瞥した。
「大沢くん。新聞研究会って何をするの?」
悠霞の何気ない質問に、陽貴は表情を輝かせた。
「良くぞ聞いてくれました、紀澄さん! ボクはジャーナリスト志望なんで、今からジャーナリスティックな視線で物事を見るための訓練であり研究なのです。あ、入会希望はいつでも受け付けてますよぉ」
笑顔で言う陽貴にも悠霞は変わらず無表情のままだ。
「そうなんだ。和邇楼タイムズってなに?」
「そうだ、こないだのにはこんなこと書いてなかったけど、なに?」
悠霞に乗っかるように質問する美咲。
陽貴はまたしてもメガネのブリッジをクイっと指先で上げると、
「和邇楼タイムズこそ、このボクがジャーナリストとしてグローバルなインテリジェンスを発信し、マスメディアのパラダイムシフトを促進するためのプラットフォームなのです。情報のキュレーションとイノベーションを融合させた新時代のメディアですよ! こちらも編集者や執筆者、読者を募っています。どうですか? 紀澄さん」
美咲はしょっぱい表情になり、悠霞は一瞬ポカンとした表情になった。
「陽貴くん……。それって要するに学校新聞だよね?」
呆れた口調の美咲に陽貴は快活な笑顔を見せた。
「そういう考え方もありますね!」
「いや、最初からそう言おうよ……」
突っ込む美咲と、悠霞は無表情で一言。
「長い……」
気にする様子もない陽貴は再び笑顔になった。
「で、どうですか? 紀澄さん」
「あー、それはいいかな」
ややあってかえってきた悠霞の答えにも陽貴はめげる様子もない。
「なるほど! では、こちらが本題になるのですが、取材してもいいですか? 和邇楼タイムズ創刊号の目玉特集として、是非紀澄さんのことを取り上げたいんで!」
「うーん、却下。そういうの興味ないんで」
悠霞の返答はにべもない。
「……わっかりました! では、せめて写真など! できれば、教室内とグラウンド、登下校とか、あとは、オフショットってことで私服姿などあると、写真集発売で活動費に潤いがっ」
ジャーナリスティックな視点はどこへやら、本音がダダ漏れの陽貴に悠霞だけでなく美咲も無表情になった。
「陽貴くん、本音——ダダ漏れだよ?」
さすがの美咲も冷静に突っ込まざるを得ない。美咲の指摘にオーバーリアクションでうぐっ、と言う顔になった陽貴は、すぐに表情を切り替えた。
「じゃ、じゃあ……委員長とペアの写真集ってどうです?」
「は? いやいやいや、ないないない!」
美咲は瞬時に赤面し、目を剥き、両手を振って否定する。そして——悠霞がトドメを刺した。
「残念ながらそれもいいわ。活動頑張って」
陽貴は一瞬表情を曇らせたが、すぐに快活に笑うと、
「まぁ、今日は初日ですからね! 次の機会に期待ってことで!」
きっぱりそう言い切って自席に戻る陽貴を見送って、美咲は苦笑した。
「ご、ごめんね、悪い子じゃないんだけど」
(なんで美咲が謝るんだろう……?)
「——別に構わないけど」
「そっか、よかった」
ほっとした顔をした美咲は、そろそろ授業が始まることに気付いて椅子に座り直した。ふと思い直したように悠霞の方を見る。
「そうだ、お昼食べたら学校の中、案内しようか?」
美咲の申し出に、一瞬悠霞は美咲の表情を見た。
(なんでこんなに親切なんだろう。普通ってこういう感じなのかな?)
悠霞には分からない感覚だった。ただ、美咲の言葉には何の下心もなく、純粋な好意が込められているように思えた。
「……ありがとう。じゃ、お願い」
悠霞がそう言うと、美咲は満足げに笑みを浮かべて、
「うん、任せて!」
と胸を張った。
③へつづく




