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エトワール・エスポワール  作者: TAKEさん
第三話『悪意と愉快』

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15/25

『悪意と愉快』④

 ——あいつの。

 ——あの澄ました顔……!

 お前のやる事なんか、何とも感じていない、くだらないって見下した顔。

 あの澄ました、人形みたいな顔を、歪ませてやる——絶対に。

 あいつだけは、絶対に。絶対、許さない——。


 そして——。


 朝日のきらめきが、和邇楼学院の校舎を晴れやかに包み込んでいた。よく晴れた空には雲一つない。

 今日は全校生徒による月一回の地域清掃活動の日だった。一、二限目がその時間に充てられており、生徒たちは体育着に着替えるよう指示されていた。

「地域清掃活動って、何をするの?」

 すでに体操着にジャージを着た悠霞は、同じように上下ジャージ姿に身を包んだ美咲を見た。

「昨日の終わりのホームルームでも、ちょっと言ってたけど、学校の周りとか、駅の方へ行く通りに公園があったでしょ? それと隣の老人ホームの周りとかを、みんなで掃除するんだよ」

 美咲は朗らかにそう言った。

「老人ホームの周りを掃除してると、ホームのおじいちゃんやおばあちゃんとかが喜ぶんだよね」

「ああ、わたしが前掃除してたら車椅子のおばあちゃんが拝みだしてさぁ」

 葵が閉口の表情で言った。

「でも、ありがとう! って何度も言われたら嬉しいから、いいんだけどさ」

「あぁ……」

 悠霞は少しだけ、祖父、浩一郎のことを思い出していた。

(ありがとう、……か)

 靴を運動靴に履き替えた悠霞は、ロッカーの扉をそっと閉めた。


 校庭では、折り畳みテーブルを用いた臨時受付が設置されており、生徒会と各学年の学年主任教師や各担任教師が受付にいた。

 まだ入学したばかりの一年生は体育館前に集合していたが、慣れている二、三年生はクラスごとにグラウンドに集まり、それぞれの担任からクラス委員が班ごとの腕章と、割当表をもらってくる仕組みだった。

「みんな集まってー」

 美咲が声を張り上げる。ぞろぞろとクラスメイトたちが集まった。

「うちのクラスの割当ては、今月もお隣の老人ホーム『やすらぎハウス和邇楼』の周りの掃き掃除と、そこから学校周りを正門まで。あと、裏門周り。いい?」

 香田グループは真っ先に手を挙げると、

「委員長、あたしら裏門行くよ。いいでしょ」

 なぜかどこか不貞腐れたような物言いに、美咲はムッとしたが、言い合いしても仕方がないなと代表者の雪姫に腕章を手渡した。

「最後、わたしのとこに持って来て……あっ!」

 普通に手渡しかけた腕章をひったくるように掴んだ、雪姫の刺々しい行動に、美咲は口をへの字にした。

(なんなの、もう!)

「仁科。残りの割り振りはどうする?」

 臣吾の声に、美咲はさっきまでの出来事を振り払った。

「あ、今から決める、ちょっと待って」

 悠霞は一瞬、香田雪姫が立ち去った方を見て、すぐに美咲と臣吾たちの方に向かった。


 結局、美咲たちは老人ホームの周辺と外周の一部が担当になった。

「いつもありがとうね、お姉さんたちがお掃除してるの、本当に見てて気持ちがいいわ」

 ホームのフェンス越しに、庭に現れた老婦人と、介護ヘルパーが笑顔を浮かべた。

「いや、そんな……」

 少し照れた美咲は思わず葵を見た。

「今日は車椅子のおばあちゃんは?」

 葵の言葉に介護ヘルパーは笑顔になった。

「少し風邪気味みたいなの。でもほら」

 そう言うと二階の窓を指す。

「ああ」

 窓越しに手を振る姿が見えて、葵も手を振りかえす。

 悠霞は、なぜかほっとした気分があることに気付いて息をついた。

(——おじいさまが今もいたら……あんな風だったのかな)

 記憶の残滓を振り切るように、美咲を見た。

「美咲、もうこの袋縛っていい?」

「あー、もういっぱいだね、お願い」

 そこへ、学年主任と同行して一人の少年が近づいてきた。

 中性的な顔立ちで、どこか儚げな印象だった。ジャージ姿の彼は、悠霞たちを見ると笑顔を浮かべた。

「お疲れ様です。もうそれは一杯?」

「はい」

 立ち上がった悠霞に少年は手を伸ばした。まとめたゴミ袋を手渡す。

「貰うよ、ありがとう」

 そう言うと少年は他のゴミ袋とまとめて両手に持ち、その場を後にした。

 お疲れ様です、と少年に声を掛けた美咲は軽く嘆息した。

「今のは?」

「ああ、生徒会長の獅楼しろうさんだよ。三年の」

 悠霞はもう一度獅楼少年の方を見た。

「ふぅん……生徒会長ね」

 再び、ほうきを手に取った。


 ——二限目の途中あたりで、清掃は終わり、あとは片付けるだけになった。

「仁科。道具は片付けていいのか?」

 臣吾は掃除道具をまとめながら美咲を見た。

「ありがとう、火田くん。掃除道具は受付に持って行って。あと、集めたゴミは生徒会の人にどうするか聞いて。それでみんな着替えてくれたらいいから。——わたしは一応確認で回ってくる。あ、腕章ちょうだい」

 悠霞はほうきを陽貴に渡すと、腕章も預かって美咲に手渡した。

「委員長、さっき香田さんが腕章持ってきたから、それも入れたよ」

 陽貴の言葉に美咲は目を剥いた。

「え! いつのまに? もうっ……」

 口を尖らせた美咲に陽貴は自分のことでもないのに、首をすくめた。

「——美咲。私も行くわ」

「ありがとう、助かる」

 ふたりはもう一度老人ホームの方へ向かった。

 

 ——更衣室に悠霞たちが戻った頃にはもう誰もそこにはいなかった。

「おわったー。案外ゴミ多かったね、でも会長が結構運んでくれたから、良かったね」

「そうね」

 ほっとした顔で着替え始めた美咲に返事しながら、ロッカーを開けた悠霞は、違和感を感じて一瞬無言になった。

「……ん?」

 その違和感の正体はすぐに分かった。

 湿り気のある匂いと、ブレザーの袖口から滴る水。

 シャツの襟が変色して、まだ水滴がぽたぽたと落ちていた。

 ロッカーの底には小さな水たまり。


「……濡れてる?」

 

 いつもと変わらぬ悠霞の静かな声。

 その一言で、美咲がハッとして悠霞のロッカーを覗き込む。

「え、えーっ? なにこれ……!」

 咄嗟に悠霞の顔を見た。

「……困ったな。これじゃ着替えられない」

 と、少しもそんな風に見えない悠霞の表情に、美咲は一人絶句した。


 教室に戻った悠霞と美咲を見て、クラスがざわついた。

 まだジャージ姿の悠霞と、手にしたハンガーに掛かったままの制服。更衣室を出てすぐ、絞りはしたが、水滴が落ちなくなったくらいで、当然乾くわけもない。

 ギョッとした顔の陽貴が恐る恐る美咲を見た。

「えっ……。紀澄さん、それ……制服、どうしたの?」

 美咲は、窓際に座る雪姫を一瞬睨みつけた。

 更衣室では、雪姫と話をする、と怒っていたのだが、悠霞に首を横に振られていたのだ。

「——水かけられてた。酷すぎる」

 美咲の言葉にざわつきが静まり、視線がそっと香田たちの方に向けられた。

 雪姫は何も言わず、ほくそ笑む表情で昂然とクラスメイトの視線を跳ね返したように見えた。

 詩音と明日香、真歩は思わず三人で顔を見合わせた。

(ちょ……マジ? 雪姫? 嘘でしょ?)

(やり過ぎじゃん……マズいよそれ)

(やっば。途中どっか行ったと思ってたけど……ガチじゃん。知らないよ……あたし)


 そんな周囲の思惑など知らぬとばかりに、雪姫の視線は悠霞だけを見つめていた。

 嘲りと、執着を通り越して粘着を感じさせる視線——。

 

 さぁ、どんな顔するの——?

 

 声が聞こえたわけではない。だが、雪姫の目にはそう思わせる光があった。


「大沢くん」

「えっ、はいっ、な、なに?」

 唐突に悠霞に呼ばれた陽貴は素っ頓狂な声をあげた。

「悪いけど……少し持っててもらっていい?」

 手にしていた制服のハンガーを差し出され、慌てて陽貴は受け取った。


(……は?)

 雪姫の表情から笑みが消えた。


 自席から椅子を教室の一番後ろにある空調機の下まで運んだ悠霞は、靴を脱いで椅子の上に立つと、陽貴の方を見た。

「大沢くん。貸して」

 再び制服を受け取り、空調の吹き出し口を利用して掛ける。

「これでよし、と。……終わるまでに乾くかな?」

 その表情にも口調にも何の翳りもない。いつも通りの、平然とした悠霞——。

 不意にガタッと椅子がずれる音がした。

 驚愕の表情を浮かべた雪姫が呆然と立ち上がっていた。

(……! なんなの! なんなのコイツ!)

 唇を噛み、睨みつける雪姫をよそに、軽くため息をついた美咲が空調機の下に歩み寄った。

「でもこれ、乾かないんじゃない? 完全には」

「着て帰れなければ、持って帰れるくらい乾けばいいよ」

 小首を傾げる悠霞に美咲は苦笑した。

「悠霞ちゃん……動じなさすぎ」

 臣吾もやってきて、見上げるようにした。

「窓の外とか、屋上に干すのは?」

「屋上じゃ目が届かないし、窓の外はねぇ……」

 美咲がそこまで言ったとき、教室のドアが開けられた。宮本だった。

「はーい、みんなお疲れさ……え!?」

 教壇に立った宮本は絶句して、立ち尽くした。

 教室の一番後ろ、空調の吹き出し口に掛けられた女子生徒の制服と、それを眺める悠霞ら三人。そして悠霞はジャージ姿。

「紀澄。……なにがあった?」

 頭痛を堪える表情で宮本は悠霞に声を掛けた。

「ああ、宮本先生。なぜかロッカーの中の私の制服がびしょ濡れでしたので。ちょっと干させてもらってます。いいですか?」

「びしょ濡れって……。なんで?」

 かすかに声が震える。

「私にもわかりません。着替えようとしたら濡れていたので」

 ちらり、と立ち尽くしたままの雪姫を見て、宮本は無言で息を吸い込んだ。

 それに気づいた雪姫は、やや気まずそうに視線を逸らして、椅子に座り直した。

 教室が一瞬静まりかえって、一瞬強く吹いた外の風の音がやけに大きく聞こえる。


 そんな静けさを打ち破ったのは葵だった。

「紀澄、やっぱだめだよ、それじゃ生乾きになる。……宮本先生、乾燥室の乾燥機で乾かすの、どうですか?」

 葵はおもむろに立ち上がって宮本を見た。葵が言うのは、体育会系クラブで、共用で使ってる乾燥機のことだ。

「部活の……ああ」

 宮本は考え込む表情になった。

「あたしから仲川先生に頼んでもいいですか? ウチの顧問だし」

 仲川は女子体育会系部活の責任者でもある。

「——! そうだな。鷹野、仲川先生ならまだグラウンドに居るはずだ、紀澄と二人で行って、時間外だけど、使わせてもらえないか頼んでみてくれるか? ぼくの名前使っていいから」

 すぐさま葵は悠霞を見た。どこか戸惑いのある悠霞に、ニッと笑ってみせた。

「いいの?」

「いいよ。行こ?」

 悠霞は一瞬無言になったあと、すぐに空調の方に歩み寄った。すぐそばに居るクラスメイトに椅子を貸してもらい、掛かっていた制服を手に取る。

 廊下に出てすぐ、悠霞は葵を見た。

「ごめんなさい。面倒かけて」

 悠霞がそう言うと、葵は快活に笑った。

「もしかしてさぁ、紀澄」

 葵は少し照れくさそうに言った。

「バスケ部断ったこと——。気にしてるでしょ?」

 悠霞が小さく瞬きをしたのを見て、葵は笑って肩をすくめた。

「言っとくけど——そういうんじゃないからね、気にしないでよ。別に、あたしも仲川先生も、これで紀澄にバスケ部入れとか言わないし」

 へへっと笑って葵は鼻を掻いた。それを見た悠霞の表情が柔らかいものになった。

「——ありがとう。本当に」

「いいってば」

 葵ははにかむように笑った。

(——何だろう)

 悠霞はふと思った。

(美咲とは違う、あたたかさを感じる)

 階段を降りる足取りが、何故か軽く感じて、悠霞は吐息を漏らした。


 時間外の乾燥機使用の快諾と、心配をしてくれた仲川に悠霞を預けて、葵はひとり教室に戻ろうとしていた。

 二階に上がった踊り場で、窓の逆光に照らされる人影がひとり。

「えらく——転校生に優しいじゃない、葵」

 腕組みをして見下ろしていたのは、雪姫。葵は軽く目を細めて、何も言わずに階段を上がり続けた。

「——あんたも人が良いよね。あいつに優しくしても意味ないのに」

 葵は足を止めた。

「……何が言いたいの?」

 雪姫は口元を歪めて、可笑しそうに笑った。

「あいつ、本音はアンタのこと馬鹿にしてんだよ? バスケ馬鹿だって。部活、勧誘されたけど、そういうの窮屈だし、実力下の人に誘われても困るから、断ったって言ってたって。ひどいよね? 葵は真剣に考えてるのにさ……」

「——相変わらず、上手いね、そういうの」

 被せるように言って、葵はかすかに笑うと、雪姫の方を見据えて、真剣な表情になった。

「雪姫。——あんた、まだそんなことやってんの?」

 逆光のシルエットの表情がひきつったように見えた。

「は?」

 かすかな声の震え。顔色はよく見えない。だが——。

「……なにが」

 そこまで言って、雪姫は息を呑んだ。

 葵は大きく息をつくと、そっと目を伏せた。

「あのとき——。六年のときもそうだったよね。そうやって噂流して、チーム引っかき回して、揉めて……」

「違う! それは!」

 それは絶叫に近い叫び。腕組みを解いた指先が震えた。声が出ない——。

 周囲から音が消え——そして。

 

 記憶が、砕けた——。

 

 青ざめた雪姫の顔を見て、葵はしばらく無言だった。ややあって口を開く。

「もう……いいよ、そういうの。紀澄の制服、濡らしたのもあんたなんでしょ?」

「……!」

 葵の声。そこには、何の感情もない。


 怒りも悲しみも——なにも。

 

 葵は小さく息を吸い込むと、再び階段を上がり始めた。雪姫の横を抜ける時も、視線は向けない。

 葵の足音が消えて、再び静かになった踊り場で、雪姫はひとり、立ち尽くしていた。


⑤につづく

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