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エトワール・エスポワール  作者: TAKEさん
第三話『悪意と愉快』

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14/25

『悪意と愉快』③

 次の日。

 昨日と違って、いつもの登校時間に校門をくぐった悠霞は、校舎に入るあたりで先を歩いていた美咲に追いついた。

「美咲、おはよう」

 背後から声を掛けると美咲は笑顔で振り向いた。

「おはよー。……昨日放課後、宮本先生のとこ、行ったんでしょ? どうなったの?」

 美咲は途中から声を潜めると悠霞に耳打ちするように言った。

「……とりあえず、気分は良くないだろうけど、もう少し様子見たいって。あんまり続くようなら、その時はまた教えて欲しい、って」

 特に深刻な様子もない悠霞の口調に、美咲はやや心配そうな表情になった。

「大丈夫?」

「? 大丈夫だけど? 別に命の危険があるわけでなし」

 きょとんとそう言う悠霞に美咲は苦笑いした。

「そりゃそうだけど」

 ふたりが教室に入ると、またしても中は騒然としていた。

「あ、来ちゃった」

 戸田やその他のクラスメイト、陽貴が悠霞たちを見た瞬間気まずそうな表情に変わる。

「どうしたの……あ!」

 美咲は思わず口元を手で覆った。

 昨日交換されたばかりの悠霞の机が、ゴミまみれになっていた。掃き掃除をした床の埃や、消しゴムのカス。誰かが食べたお弁当の空容器、お菓子の袋に、ジュースの紙パックなど。匂いなどはないが、美咲は思わず顔をしかめた。

「なにこれひどい! どういうこと?」

 怒りを滲ませた美咲の言葉に、陽貴がオドオドと説明する。

「教室に来たらこうなってたんだ、委員長。ぼくらも、その——びっくりしちゃって」

 眉根に皺を寄せた美咲は教室を見渡した。窓際の方、香田雪姫たちはまだ登校していない。

 そこへ現れたのは臣吾だった。いつも通りの登校時間。

「何騒いでんだ? ……なんだこれ」

 悠霞の机の惨状に眉を顰める。


(悠霞ちゃん……)


 美咲が悠霞に視線を向けると、当の本人は特に表情を変えることなく、ぼんやりと机を眺めていた。

 

(なぜ——こんなことを?)


 自身の机を眺める悠霞の横顔に感情はない。あるとすれば、理解不能なことに巻き込まれている困惑。

 昨日の落書きもおそらく香田雪姫なのだろう。今日のこれもきっと同じ。彼女はまだ登校していないが、こんなことはいくらでもアリバイ偽装できる話だ。

(……)

 悠霞は無言で机の上にあったレシートを摘み上げた。薄汚れ、しわくちゃのレシート。


(彼女だとしたら、私をどうしたいのだろう? こんなことをするメリットが分からない)

 昨日に引き続き、悪意というか害意は分かる。だが、それだけだ。

——結局私自身に直接的ダメージはない。ただ、面倒なだけだ。これをすることで『彼女は勝ったことになる』のか?


 悠霞はそこまで考えて、ある可能性に、思い当たった。

(これはもしかして『警告』なのだろうか? これを無視すれば……)

 一瞬悠霞は美咲に視線を向けた。不安そうな表情がそこにあった。

(だがおじいさまや一弥の話では、『普通の人』はそんな手段を選ばない。そう言っていたはずだけど……)


 そのとき、問題の四人、香田グループが上機嫌で教室に現れた。よく分からないリズムを身体で刻む雪姫たちは、思わず睨んでしまった美咲の視線を嘲るように見た。

「あらー?」

 雪姫は悠霞の机の惨状を見て、わざとらしく驚いてみせた。

「なにこれ、きったなーい。ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てなきゃ、転校生」

 露骨に嘲笑を浮かべた雪姫に、美咲はつい口を出してしまった。

「何言ってんの? 香田さんじゃないの?」

 怒りに頰を染めた美咲に雪姫は軽く目を細めた。

「は? 証拠あんの委員長? あたしら今来たとこなんだけど?」

 至極真っ当な反論に美咲は口をつぐんだ。

「いや……それは」

 それを見て満足げに歪んだ笑みを浮かべた雪姫は、

「まぁあれよね、案外皆んなから嫌われてんじゃない? 転校生。だからこんなことされるわけよ」

 言いながら底意地の悪い笑顔を浮かべた雪姫は、ブレザーのポケットから丸めたレシートを取り出すと、悠霞の机に載せた。

「まぁ、頑張って片付けて。これはあたしからのお裾分け」

 クラス内が一瞬ざわつき、美咲は目を剥いた。

(なっ……!)

「香田、お前……!」

 臣吾が険しい表情で雪姫に何か言いかけたときだった。

「……はい、始めるよ、みんな座って——ん?」

 異様な教室内の空気に、やってきたばかりの宮本は慌てて悠霞の席に駆け寄ってきた。

 悠霞の机の惨状に息を呑む。

「なんだ、これは!」

 さすがに昨日の今日とあって、軽い怒気が宮本の言葉に滲む。

「しりませーん。あたしらも今来たところなんで。なんかゴミだらけだったみたいですよ?」

 ヘラヘラと嘲笑にまみれた表情の雪姫に、宮本はムッとした表情になった。

「誰も知らないのか?」

 教室内を見渡す。答える者はいない。

 そのときだった。静まり返った教室に静かな口調が淡々と響く。

「——姑息なことしか出来ない人間を、相手にする必要はない」

 言葉を切った悠霞は視線を上げた。

「それをすれば——そいつと同じレベルに堕ちる」

 クラス中の視線が悠霞に集中した。どこか気高さを伴った静かな声のまま、すっと目を細めた。

「——そう、おじいさまが、よく言っていたわ」

 囁くように言ったあと、悠霞はそっと息をついた。

「……! はぁ? 何それ、お説教? ウザッ」

 一瞬息を呑んだ雪姫が気色ばんで悠霞を睨みつける。だが、悠霞は構うことなく宮本を見た。

「宮本先生。少し掃除させてもらって大丈夫ですか?」

 成り行きにやや呆然としていた宮本は、すぐ気を取り直して、目を瞬かせた。

「あ、ああ。そうだな」

「先生、わたしも手伝います」

 美咲だった。笑顔で、教室の隅にあった掃除用ロッカーを開けてほうきなどを取り出し始めた。

 小さく息をついた宮本は、

「他の皆も、手が空いてたら手伝ってやってくれるか」

「わっかりましたー」

 調子のいい陽貴の言葉に続いて、臣吾もリュックを自分の席に置いた。

「仁科。雑巾取ってくれ。洗ってくる」

「わ、わたしもやりまーす」

「わたしも」

 他にも数名が名乗りを挙げ、掃除が、始まった。

「——みんな、ありがとう」

 悠霞は優しい口調でそれだけを言うと、ロッカー横にあったゴミ箱を自分の席まで運んで、まず机の上に散らばったゴミを入れ始めた。

「……」

(なんなの! なんなのコイツら!)

 無言で唇を噛み締めた雪姫は、鷹野葵が自分をじっと見ていたことに、気付かなかった。

 

 午後。

 昼食後ひとつめの授業は、体育だった。

 体操着に着替えた悠霞たちは、早くもグラウンドの隅でたむろしていた。

「悠霞ちゃん……身体、柔らか……」

 特に指示があったわけではないが、柔軟体操を一人始めた悠霞を見て、美咲は絶句した。

 軽いストレッチのあと、開脚して座り込んだ悠霞は、そのままべったりと身体を折り曲げる。

「え? そうかな」

「そうだよ!」

 美咲も悠霞に倣うが、比較にならぬほど堅い自身の身体に苦笑いする。

 立ち上がった悠霞は、滑らかに脚を跳ね上げ、高らかに上がった脚は真っ直ぐ胸に張り付いた。

「……紀澄さんて昔バレエかなんかやってたの?」

 たまたまそばにいた戸田が呆れた顔でそう言うと、悠霞は不思議そうな表情になった。

「……やったことないよ? 別に……誰でもできるでしょ?」

「できないよ!」

 そこへ、葵が感心した表情でやってきた。

「紀澄あんた、やっぱ体幹すごいなー。バスケじゃないにせよ、なんかはやってたんでしょ?」

 悠霞は軽く息を吸い込むと、

「美咲には言ったけど、中学のときに事故で大怪我をしたから。リハビリ代わりにちょっとだけ、拳法をね」

「おおーっ、やっぱり」

 素直に感嘆する葵にやや表情を和らげた。

「ちょっとだけ……だよ?」

(ずっとやってたことだから、皆んなできるのかと思ってた。そうか……)

 おもむろに『身体堅さ自慢』を始めた美咲と戸田を見ながら、悠霞は小さく息をついた。

 そして、授業が始まり、大川がホイッスルを吹いた。

「……はい、今日は男子はサッカー。女子は、軽めのメニューって事で『鬼ごっこ』をしてもらいます」

 集められて体育座りをしている生徒たちは微妙な反応になった。

「何それセンセー」

 雪姫がまぜっ返す。かすかに笑いが起こった。

「サッカーは結構危険度が高いし、女子はボール蹴れない子もいるからな。たまにはこういうのもいいだろ。男子は俺が見るが、女子は仲川先生に見てもらいます」

 仲川はベテランの女性体育教師で、女子バスケ部の顧問も勤めている。ジャージ姿で一度、ホイッスルを吹いた。

「はい、女子はそのまま。男子は大川先生とサッカーグラウンドの方ね」

(鬼ごっこ……?)

 悠霞は隣の美咲を見た。

「あー、鬼になったらやだなー。小学校の時の痛い思い出が……」

 美咲は苦い表情になった。

「痛い……?」

 きょとんとした悠霞の呟きに美咲は苦笑いした。

「悠霞ちゃんと違って、脚遅いからさー。昼休み鬼ごっこすると、ずっと鬼なんだもん」

 こぼす美咲に悠霞は優しい表情になった。

「大丈夫だよ。一緒に、逃げよう」

「あーん、悠霞ちゃん優しー」

 悠霞は困惑の表情になった。

 そんな二人を睨め付ける視線があった。

(はん、バッカじゃないの……)

 雪姫は内心で吐き捨て、口元を歪めて笑った。

「……勝ち負けじゃないから、危ないことはしないように。相手の身体に触るのはタッチだけね。無理に引っ張ったり、髪を掴むのもダメだからね!」

 真剣な表情の仲川の言葉がグラウンドに響く。

「はい、じゃあ鬼はこちらで二名選びます。——香田さんと、鷹野さん」

 ピリッとした緊張感の中、仲川は指名した二人に手にしていたタスキをそれぞれ渡す。葵はともかく、雪姫は露骨に不満そうな顔になった。

「せんせー、鬼とかダルいんだけど」

「文句言わない。あんた脚速いんだから、さっさと捕まえて交代すればいいのよ」

 仲川は雪姫に笑いかけた。

「はい、あとは——鬼の人はこのタスキを掛けること。捕まえて交代するときは、必ずタスキを次の鬼のひとに渡して。じゃあ始め!」

 仲川は号令と共にホイッスルを吹いた。同時に女子たちが一斉にグラウンドに散る。

(……いた! 転校生)

 葵が狙ったのは美咲ではなく……悠霞。バスケ仕込みのフェイントを織り交ぜながら、美咲には目もくれず、悠霞に忍び寄った。

(あの時のあんたの動き……もう一回見てみたい)

 それは敵意ではなく、プレイヤーとしての純粋な好奇心——。

「!……」

 美咲と一緒にいた悠霞は、軽いステップを踏んで撹乱するように動いた。

(鷹野さんか!)

 肉薄する葵のタッチをすんでのところでかわして、悠霞も視線のフェイントを混ぜ、葵を翻弄し、逃げる。

 それはまるで、ボールのないバスケの試合だった。

「やっぱりあんたすごい……! 紀澄!」

 自然とこぼれる笑みを隠さず、葵は感嘆した。

(なるほど、委員長をかばうのか、なら!)

 悠霞の動きを見てそう読んだ葵は、あえてターゲットを美咲に切り替えた。

「いいいっ! わたし?!」

 葵は美咲にはフェイントをかけず、直線的に追い込みをかける。

 (やっばい、捕まるぅぅぅぅ!!)

 必死の形相で美咲は逃げた。

(さぁ、どう動く? いらっしゃい……!)

 ちらりと葵が悠霞を見た。

 葵の狙いはあくまで自分だ。だから、悠霞は美咲を追う葵に追い縋った。いや、加速して追い抜いた。軸足を速やかに入れ替え、葵に向き直った。

(速い……!)

 葵は、立ち塞がる形になった悠霞を見ずに、一瞬フェイントと見せかけて、視線のままに悠霞の左へ回り込んだ。

 

 悠霞の背中に手を伸ばす——。

 

 だが、サイドステップで距離を取った悠霞は、再び軸足を切り替えて身体の向きを変えた。

 かすかに滲みだした汗と、悠霞の動きに感嘆の笑みを漏らした葵の表情がきらめく。

(なんだろう……心が躍る?)

 悠霞は、そうとしか表現しようのない、心の中のざわめきを自覚して柔らかい表情になった。


(こういうのも……面白い)


 心中に沸き起こった自身の言葉に、悠霞は少しだけ驚いた。

「足止めてていいの? 行くよ! 紀澄」

 葵はそう叫ぶと笑みを浮かべて駆け出した。

「——捕まらないわ」

 かすかに囁いて、悠霞も葵から距離を取るように走り出す。

 置いてけぼりにされる形になった美咲は、走り疲れてとぼとぼと二人を追いかける。

「あー、もう——」

 苦笑しつつ、優しい表情で二人を見た。

(でも、なんだか……楽しそう)


 そして——それを見つめていたのは、美咲だけではなかった。

 少し離れたグラウンドの端。それを——見てしまったその少女は。

(楽しそうじゃん)

(何様?)

(なんなの……あいつ)

(なんで……普通にしてんの)

(なんで……)

(あたしを)

(バカにして)

 怨嗟。憎悪。何ともいえぬ感情の煮凝り。

 強く握りしめた拳が白く震えて……。

 睨め付ける視線は、やがて——。

 

その④へつづく

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