夏の遊び
※武頼庵(藤川K介)様主催『夏の遊び企画』参加作品です。
僕は『夏』が嫌いだ。暑いし湿気は多いし、何より一日中聞こえてくるセミの鳴き声がうるさくて、本当にイライラする。
昔の人は、よくノイローゼにならなかったよな。
でも、今年の夏はちょっと違う。最近やってきた転校生のトーマの話が面白いので、学校へ行くのが楽しみでしょうがないのだ。
今日も休み時間になるたびに、クラスメイトたちがトーマの席の周りに集まってくる。
「トーマ、またあっちの話を聞かせてくれよ!」
「いいよ、何の話がいい?」
「えーと──」
真っ先に声をかけたアランが質問を思いつく前に、僕は前から聞きたいと思っていた質問をしてみた。
「なあ、トーマ。あっちでは、夏にはどんなことをして遊ぶんだ?」
「夏の遊びかぁ。やっぱり暑いから、まずは『水遊び』かな」
『水遊びだって!』『すげぇ!』
みんなが興奮気味に目を輝かせる。『水遊び』という言葉は聞いたことあるけど、僕たちにとって『水』で遊ぶなんてことは、絶対に許されない遊びだからだ。
「川とか湖に行って、泳いだり、適当に水をかけあったりして遊ぶんだよ」
「え、使う水の量を計ったりしなくてもいいのか?」
「しないよ、水なんていくらでもあるんだから」
「すげー!」
ちょっと信じられない話だ。僕たちにとって『水』はとんでもない貴重品だ。僕たちはものごころついた頃から、『水の一滴は自分の血の一滴に等しい』と厳しく教え込まれて育つ。
はっきりした理由もなしに水を使うとか──まして遊びのために水を使うなんて、僕らにはありえないのだ。
──というか、『泳ぐ』って何だよ。身体全体が浸かるほどの水があるなんて、ちょっと想像もつかないんだけど。
「ねえ、トーマ君。他にはどんな遊びがあるの?」
「そうだな、夏と言えば『花火』かなぁ」
女子からの質問に、またトーマの口から聞きなれない言葉が出てきた。
急いで情報端末で調べてみたら、信じられない情報が出てきた。
「な、なあ、トーマ。まさか『花火』って、火薬に火をつけるのか?」
「そうだよ」
『え、それって武器じゃねーの?』『えー、何だか怖いわ』
みんなが不安そうにざわつく。でも僕は、端末で情報を見ているので、それがそんなに物騒なものじゃないとわかっている。もっとも、あまりに僕たちの常識とかけ離れているので、にわかには信じがたいんだけど。
「ちょっと待って、みんな。『花火』ってそんなにヤバいものじゃないみたいだ。
火薬に色々な物質を混ぜることで、多様な色の炎を作って、それを見て楽しむためのものらしい」
「え? 炎を作っておいて、ただ見て楽しむだけなの?」
「嘘だろ! そんなことをしたら酸素の無駄遣いじゃないか!」
僕たち宇宙コロニーに住む者にとって、『水』も『酸素』も有限の貴重な資源だ。
もちろん、あらゆる資源は完全にリサイクルされて、コロニー内の総量は減らないようにはなっている。でも、事故や故障によって宇宙空間に漏れてしまうリスクは常にある。
僕たちは生まれた時から、いつ酸素不足や水不足になっても大丈夫なように、心の準備をし続けながら暮らしているのだ。
そんな貴重な水や酸素を、個人の楽しみのためだけに浪費するなんて、絶対に許されない贅沢だ。
そんなことが当たり前のように行われているなんて──『地球』に住むというのは、何てすごいことなんだろう。
──人類の大半が、生活の場を宇宙空間に人工的に作った天体『宇宙コロニー』に移して、もう半世紀ほどになる。
地球温暖化による気温上昇や異常気象の頻発、海面上昇や砂漠化の進行によって、地球上に人類が住める土地は、もういくらも残っていない。かろうじて残っていた人たちも、最近はついに地球に住み続けることをあきらめ、トーマの一家のようにコロニーに移住し始めていた。
人類は、一度地球を無人の状態に戻して、生存に適した環境に回復することを待つことに決めたのだ。科学者たちは色々な方法を模索しているようだけど、結果が出るまで何十年かかるか何百年もかかるのか──まだ誰にもわからない。
宇宙コロニーにも、意図的に作った『四季』はある。夏はちゃんと暑いし、冬には雪も降る。
いつか地球に戻る日のために、地球と同じような環境を維持しておきたいという意図らしい。──わざわざ『セミの鳴き声』まで合成して再現する必要はなかったと思うんだけど。
僕たちや僕たちの親は『コロニー生まれコロニー育ち』世代だ。地球での生活の様子は授業などで習うけど、やっぱり最近まで直に体験していた人の話のリアリティにはかなわない。
トーマの話を聞いてから、僕の中にある思いが芽生え始めていた。
たぶん他のクラスメイトたちにも、同じように思ったやつは少なくないだろう。
──地球環境を出来るだけ早く元に戻すため、将来は研究者か技術者の道に進もう。そしていつかは自分たちも、元の姿に戻った地球で『水遊び』や『花火』を存分に楽しむのだ、と。