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第八話「凪いだ水面」

「さーて、これで一件落着……とは、いかないわよね」


 気絶した偽イアンを、崩れた納屋から引っ張り出し、同じくその中に収納されていたロープでキツく縛りながら、リタは浮かない顔でそう言った。


 確かに、こうして犯人は捕まった。これ以上この村で事件が起こることはない。この村には名前通りの凪が戻ってくるだろう。


 しかし、だ。彼を捕まえたところで、まだ、攫われた子供たちは一人も戻ってきていない。

 もう売られてしまたのか、それとも、どこかに囚われているのか。すべての子供を連れ戻すまでは、この一件は終息しない。


「まあ、あんたが【イットウ】に連絡さえしてくれてれば、どっちなのかくらいはわかったんだけどね」


 不機嫌そうに、リタは頬を膨らませた。ロープを握る手には相当の力が込められているようだが、偽イアンの体がうっ血するほど締め上げられているようには見えない。その辺りの力加減も万能屋のスキルのうちの一つなのかもしれないが、僕には詳しいことはわからなかった。


「なんだよ、連絡してればって。あの暗号、どういう意味があるんだよ」


 確か、ハチドリがどうだとか。なんだかよくわからないことを言われた気がする。


「『キジバトの群れが通る』よ。あれは私とオレリアの間だけの符丁で、『人身売買ルートの封鎖、および調査の依頼』を指してるの。予め【凪の村】に向かうことは言ってあったから、その辺りをしっかりとマークしてくれるだろう……って、計画だったんだけど」


 つまり、僕が独断で動いたからそうもいかなくなったわけか。

 本当に、僕の行動は一から十まですべてが裏目だったようだ。きっと、リタの中ではもっとスマートにこの事件を収束させるための絵が描かれていたのだろう。


 予想外だったのは僕だけで。

 予定外だったのは僕だけだ。



「……そんなしょぼくれた顔しないでよ。さっきも言ったけど、別に大した影響じゃないの。どうあれ、まだ子供たちが引き渡されてないとしたら、見つけ出さなきゃいけないわけだしね」


「……当初は、そうなった場合にはどうするつもりだったんだ?」


「犯人を問い詰めて問い詰めて、必要なら尋問、拷問も厭わずに聞き出すつもりだったわ。でも――」



 僕らは揃って、掴んだ縄の先に目を落とす。


 偽イアンはすっかりノビてしまっている。何度か覚醒させようとしたが、意識を失ったままだ。

 右腕と、アバラも何本かが折れているであろう大怪我だから仕方がないとも言えるだろう。ただ、現実的な問題として、これでは話を聞くこともできない。


「――言っとくけど、私のせいじゃないわよ。一発で仕留めずに、また変な魔術使われて逃げられたりしたら厄介だったし」


 まあ、それにしても手加減のしようはあっただろうが、言い出せばまた喧嘩になるのは目に見えていた。



「……で、だ。実際どうするんだよ。何かアテはあるのか?」


「そんなものあるわけないでしょ。とりあえず、もう一度こいつの家を探してみて――それで駄目なら、(しらみ)潰しにするまでよ」



 僕は思わず呆れてしまった。そんなものはもう、ただの力技だ。


 それに、もうしばらくすれば陽が完全に沈んでしまう。夜になれば被害者を探すのは困難になるだろうし、森に行くのであれば、獣が出る心配もある。

 時間は、あまり残っていないのかもしれない。



「というか、誘拐を指示する文書があったってことは、こいつには仲間がいるってことなんじゃないのか? 急がなきゃ、子供たちが連れ出されちまうかもしれないぞ?」


「うっさいわね、他にどうしろってのよ。それともあんた、何か考えがあるっていうの?」



 あるわけがない。

 確かに、この事態を招いたのは僕だ。責任を取って、代替案を出せというのは、まあ、わからない話ではないのだが、無い袖を振ることはできない。


 眉を寄せる僕を見て、リタは深いため息を吐いた。それが疲れや単なる呼吸のためのものでないことくらいは、僕にも察することができた。



「ああ、もう、いいわ。あんたに期待してても時間の無駄。とりあえず犯人の家を探しに行くわよ」


「……すまん」


「謝るくらいなら、最初からちゃんと言うことを聞いときなさい――だいたい、なんで単独行動なんてしたのよ」


「なんで、って、それは……」


 僕は、彼女にそれを話すべきか迷った。というのも、話したところで彼女に伝わるとは思えないからだ。


 多分、今この村にいる人間でその存在を知っているのは――僕だけだから。

 僕は半ば無意識のうちに、首元のロザリオに手を伸ばしていた。冷たい金属の感覚が、荒事で火照った体温を冷ましていく。


 しかし、そうして俯いていても時間は過ぎるばかりだ。言うまでリタは納得しないだろうし、仕方がない。と、腹をくくって。


「……実は、僕は――」


 と、口にしようとして。

 口の中で音の形を定めていて。

 そこで、気づいた。


「――ちょっと待て、あるぞ」


 はあ? と、リタが苛立ち交じりの声を上げた。何を言っているのか、という顔で、僕をじろりと睨みつけてくる。



「あるって、何よ。子供たちを見つける手がかりがあるって言うの?」


「ああ。たぶん僕は一人、目撃者を知っている」


「目撃者って、そんなのがいるならこいつはとっくの昔に捕まってたでしょうが」



 確かに、そうだ。偽イアンはそれなりに用心して行動していただろうし、認識阻害魔術を用いていた以上、魔術師でもなんでもない村人に犯行を目撃されるというのは考えにくい。


 第一、そんなものがいるのならリタがこの村に呼ばれることはなかっただろう。この事件で一番厄介だったのが、そう言った手掛かりの見つけづらさでもあったのだろうから。


 ただ。

 それは人の目において、の話だ。



「……いるんだよ、それが。一人だけ、事件の一部始終を人知れず見届けてたかもしれないやつがさ」


「あんた、まさか」



 リタの目が驚愕に見開かれる。恐らく、言わずとも理解してくれたのだろう。彼女の表情が、ほんの少しだけ弛んだ。


「……いいわ、どうせ他にアテもなさそうだし、案内しなさい」


 僕は静かに頷いた。

 そして、思い返す。僕が『彼』と最後に会った場所は、ここからそう遠く離れてはいない。そう遠くないところにいるはずだ。


 僕は歩き出す。確かな居場所はわからないが、たぶん僕は、もう一度彼と会うことができる。二度あることはきっと三度あるはずだという、それは何も根拠のない予感でしかなかったが、僕の怠惰を蹴とばすにはそれで十分だった。


 かさり、かさりと、逢魔が時の村に僕らの乾いた足音が響く。

 あの街のものとは違う柔らかな西日は、しかし、僅かな陰影までもを色濃く映し出す。深まるコントラストは、イコールでタイムリミットを表している。


 リタは、先を行く僕に何かを言ったりはしなかった。口うるさい彼女にしては珍しく、黙して僕に着いて来ている。


 それもそうか。何でもできる彼女にしたって、これは明らかに専門外。条理の外にある、埒外の作業だ。


 僕にしかできない。

 僕がやらなければならない。


 事件の解決とか、そんなことは差し置いたとしても、僕は僕として、ここを譲るわけにはいかない。


 ロザリオを握る手に、思わず力が籠る。冷たい金属の角が掌に食い込んで微かに痛んだが、今の僕にそれを気にしているような余裕はなかった。ただ五月蠅いくらいの心音と、腹の底が縮むような緊張感を抑えながら、ひたすらに集中力を研ぎ澄ませていく。


 このロザリオは、僕に残された唯一の形見。燃える生家から逃げ延びる際、最後に父から譲り受けたものだ。


 よく磨かれた銀製のこれは、決してただの飾りではない。これもまた、リタのマントや僕の霊符と同じような、紋様の刻まれた触媒である。



 そして、その効果は――。



「――見つけた」


 予感は、夕景に投射されて、(うつつ)となった。

 視界の端で、揺らぐ影。けれどそれは確かに、僕の網膜の上で像を結んだ。


 それは、小さな後ろ姿。褐色の肌と艶のある黒髪が印象的な、頼りない背中。


 民家の陰に立ち、ぼんやりと中空を眺めるその姿は、はっきりとした輪郭を失っているようにすら見えた。それは、この傾きかけた日がそうさせているのかもしれなかったが。


 確かな事実として、彼の足元には――影がなかった。


「……その術式は」リタが背後で何かを呟いたが、僕にはよく聞き取れなかった。


 ただ、言わんとしていることはわかった。だから「ああ」とだけ返して、僕は行く。


 この村に来たのは彼女の仕事に巻き込まれたからで、この事件の事件の解決について、僕が負っている責任など一つもなく、やらなければならないことも、たぶん一つもなかった。


 しかし、それでもこれだけは――僕がやらなきゃいけないことなのだろう。


「……よう、少年」


 僕は意を決して、その小さな後ろ姿に、そっと声をかけた。ゆっくり彼が振り返る。そのほんの一瞬の時間が、まるで永遠のように思えた。


「……兄ちゃん。どうしたの、おっかない顔して」


 屈託なく笑う少年は、その曇り一つない瞳で僕を見る。こうして見ていると、本当に何の変哲もない、普通の子供のように見える。


 けれど、そうではない。そうであるはずがない。だって、この子は――。


「……霊視術」

 リタは小さく、けれど核心に満ちた声で言う。

「残留する死者の念と交信することができる、死霊術の一つね。死者の姿を見て、声を聴いて、時に使役し、時にその魂を天に返す……そこに、誰かいるのね」


 彼女は何かを想うように、スッと目を細めた。しかし、その目には何も映っていないのだろう。


 霊魂は、目には見えない。霊符を通して熱に変換するか、屍者アンデッドとして死体に押し込めるか。そうしなければ可視化されることはない。例外として幼い子供には霊視の力が宿ることもあるが、それもほとんどが成長するにつれ、次第に失われていく。


『万能屋』である彼女のことだ、もしかすると死霊術にも通じているのかもしれないが、それでも、何の術もなしに霊を見ることはできないだろう。


「……そっちの姉ちゃんは、見えない人なんだね」


 少年は少しだけ、悲しそうな顔で言った。いつも決まって、彼らは同じ顔をする。それが常世に置いていかれたが故の悲しみから来るものなのか、それとも、単純に手放してしまった体温を惜しんでいるだけなのか、僕には今もわからない。


 たぶん、大陸一の使い手であった親父にもわかりはしなかっただろう。

 だって、僕らは生きているから、死んでしまった彼らの悲しみを理解することはできない。


 それこそ、死ぬまで、だ。



「ああ、ごめんな。見えてるのは僕だけだ。一応、このロザリオを渡せばこいつにも姿くらいは見えるだろうが――」


「ううん、いいよ。だって、もうじき日が暮れちゃうからね。おいらに帰る家はないけど、兄ちゃんたちは帰らなきゃいけないだろ?」


 それに、何だか急いでるみたいだ――と、少年は裏表のない笑顔で続ける。


「ああ、そうだ。実はちょっと、時間がなくてな。君にちょっと、話があったんだ」


「おいらに、話?」



 少年は首を傾げる。彼には思い当たる節がないのか、それとも、忘れてしまっているのか。恐らく、後者だろう。彼は自分の記憶の大半を失ってしまっていると語っていた。


 長く彷徨(さまよ)い、摩耗した霊魂は、現世に留まる代償として様々な記憶を手放していく。そしてやがて、自分の名前までを忘れたときに――行くアテを、逝く宛を完全に失くしてしまう。自分の未練までを完全に忘れてしまうのだ。


 そうなってしまえば、自力での成仏ができなくなってしまう。自分がどうして現世にしがみついていたのは、それすらもわからなくなった魂は、次第に濁り、歪み、やがて、人に害を為す悪霊(スペクター)になる。


 そうなる前に、天に還さなきゃならない。

 それが僕のやるべきこと――僕にしかできないことだ。


「ああ、そうだ。君は知らなきゃダメだ。自分が誰なのか、自分がどうして、ここにいるのか」


 そして、これから――どうするべきなのか。

 僕は、この少年の名前を知っている。この村で捜査をしていくうちに、僕には知る機会があった。


 だから、告げる。これがこの物語をどう歪めるのか、その答えも、定かではないままで。


「君の名前は――ロニー。村外れの、猟師の家の子だ」


 一つ一つ、言葉に思いを込めて、そう口にする。

 その一部始終を、少年は呆けたように口をあけながら聞いていた。


 突飛な話を聞くように。

 欠落の虚を覗くように。

 記憶の蓋を、こじ開けるように。


 空いた時間は、ほんの一心拍。なのにそれが、悠久にも思えるほどに引き伸ばされて。



「ああ」



 と、少年――ロニーが、静かに微笑んだ。それはどこか儚く、けれど確かに納得するような気配を帯びていた。


 それを見て僕は、一つ安堵の息を吐いた。実のところ、頭のどこかにずっと『もしかして全て僕の勘違いなのではないか』という思いが燻っていたのだが、どうやら杞憂だったようだ。


 あの家に残されていた写真。刻まれた四つの名前。

 一つはあの父親のもので。

 もう一つは母親のもので。

 もう一つは失踪した子供のものだろう。


 なら、もう一つは?


「……簡単な話よね。あの家には、もう一人子供がいた」

 リタも、どうやら僕と同じ結論に至ったようだった。



「あの写真は私も見たわ。でも、どう考えても写真には三人しか写っていなかった。私はてっきり撮影者の名前だと思っていたのだけれど……」


「ああ、写真にはしっかり、四人写っていたんだよ」


「……足りない一人は、母親のお腹の中にいたのね」



 僕は静かに頷く。丁度陰になって見えなかった母親の腹部は、恐らく、懐妊によって膨らんでいたはずだ。


 もっとも、そんな推測をしなくとも――何もかもを知る人物が、目の前にいるのだが。


「……あれは、おいらたちがあの街に移ってすぐに撮った写真だったんだよ」


 ぽつり、ぽつりと。ロニーは話し始める。それは、彼の物語。かつてそこにあって、もう失われてしまった、終わった命の物語だ。



「街でいい仕事が見つかったって、父ちゃんは喜んでた。新しく生まれる弟のためにも、いっぱい稼ぐんだって。正直、都会は怖かったけどさ、父ちゃんも母ちゃんも一緒なら大丈夫だからって」


「仲、良かったんだな。親御さんとさ」


「うん、でも……」



 楽しそうに話す彼の表情が、唐突に曇った。その表情に、僕は見覚えがある。

 死者と対話するとき、ある瞬間に――彼らは決まってその顔をする。


「……流行り病だったんだ。息がしづらくなって、咳が止まんなくてさ。父ちゃんは高い医者を呼んでくれたけど、おいらは――」


 そのまま。

 彼はその先を宙に投げたが、聞かずともわかる。どうなったか、今の彼自身が、その結果ということだろう。


「……おいらはさ、それから何度も父ちゃんたちの所に行ったんだ。でも、当然誰もおいらのことなんか見えなくてさ。町の子供たちの中にはたまに見える子がいたけど、大きくなるにつれ、みんなおいらが見えなくなった。そしておいらも、自分が誰だか、わからなくなって……」


 そうして、彼は摩耗していったのだろう。

 髪は元の豊かな輝きを失い、黒くくすんだ。

 記憶は剥がれ落ち、自分すら見失った。


 そんな彼に、してやれることがあるとするなら。



「――よく聞いてくれ、ロニー。君はもうすぐ、君じゃなくなってしまう。長い間彷徨い続けた君の魂は何と言うか……もう、腐る寸前なんだ」


「……うん、わかってるよ。おいらはもう、たぶんあと何日もここにいられないって。でも、もうどうやって消えたらいいかも、おいらにはわからないんだ」



 未練すらも、彼は手放してしまった。


 確かに彼は自分自身が何者だったのかを思い出した。けれど、この世に留まりたいと思ったその瞬間の感情までは、取り戻せていないのだろう。


「ああ、そうだろうが、僕なら、君を天に還してやれる」


 言いながら、懐から霊符を取り出した。普段は『ウィル・オ・ウィスプ』の火の玉を生み出すのに使っているが、それとは別の術式を刻んだもの。滅多に使わないが、一枚だけ常備することにしている。



「……ほんと?」


「簡易契約――って言ってもわかんないか。僕に少しだけ力を貸してくれれば、君の魂を綺麗にしてあげられる」



 彼は、しばらくの間黙っていた。僕はその目の前に、霊符を差し出す。


 僕が選択を強要することはない。あくまでも選ぶのは彼。終わってしまった物語にどう終止符を打つのかは、彼自身で選ばなければならない。


 それが、死者が奪われずに済んだ、最後の尊厳だから。


「……兄ちゃん」


 ロニーはその細い指先を微かに震わせながら、霊符に手を伸ばす。

 そして、しっかりと、僕の両目を見据えながら、問いかけてきた。


「じゃあさ、最後においらのお願いを一つ、聞いてくれないかな」


 僕は、迷うことなく頷いた。それを見た彼は、最後に何を思ったのか。にこりと微笑んで、そして。


「ありがとう。じゃあさ――」


 触れる。外界との輪郭が曖昧になったその手が、僕の霊符をしっかりと掴んだ。


 途端。

 彼の体は、宙に溶けていく。


 砂糖菓子を溶かすかのように緩やかに。そして、夜明けの花の開花のように劇的に。彼の魂はいくつもの光の玉に変わって、そのまま、天に昇っていく。


 風に煽られるようにして、その花弁が一つ、僕の頬に触れた。途端、僕の瞼の裏に、いくつもの景色が映し出される。


 彼が見たもの。

 彼が聞いたもの。


 それが僕の脳内に、ありありと投影される。それは、自分が不在の景色を追体験するような、何とも不思議な感覚だった。


「……上手く、いったの?」


 後ろで見ていたリタが、僕の顔を覗き込むようにして聞いてきた。彼女からすれば何も見えていないのだから、心配になるのも当然だ。


「ああ。大丈夫だ――行こう」


 もう日は、ほとんど沈もうとしていた。逢魔が時は終わる。あの世とこの世が交わる時間は終わり、真っ暗な夜がやってくる。


 その前に、行かなければならない。

 彼との約束を果たすために。


「ついて来てくれ。こっちだ――」


 彼の昇っていった空は清々しく、けれど、どこか寂しさを残すような晴天で。

 真っ赤に熱された細い雲だけが、何かのメッセ―ジのように、一直線に伸びていた。



 ***



 そこから先は、拍子抜けしてしまいそうなほどにあっという間だった。


 ロニーは確かに、偽イアンの犯行現場を目撃していた。彼は子供たちを森の中に連れ去っており、歩いて行った方向から、だいたいの方角もアタリがついた。


 頼みの綱の魔術も、彼がノビてしまった時点で効果は切れているだろう。あとはリタと一緒に空から探せば、見つけるのはそう難しくもない。


 村から十分ほど飛んだところにあった古い小屋。あとで聞いた話だが、かつては木こりが住んでいたらしいが、そいつが【夕暮れの町】に行ってしまってからは、打ち捨てられていたものなのだという。


 とにかく、そこに被害者たちは監禁されていた。子供たちはまだ売り払われる前だったらしく、衰弱はしているようだったが、命に別状はないらしく、すぐに村の医者が運んでいった――けれど、予想は一つだけ外れてしまった。


 いや、正確には、最悪の方向で当たったというべきか。


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 僕は最初、子供たちと共に監禁されているものだと思っていた。つまり同じところに捕まっていて、一緒に助け出せるものだと、そう思っていた。


 しかし、彼はそこにはいなかった。

 それが合理的ではある。広い森の中、埋めてしまえば見つけることなど叶わないだろうし、何かの間違いで逃げられれば、奴らの計画は終わってしまうのだから。


 そう理解はしていても――割り切れない。


 或いは、僕ならば彼の痕跡を見つけることができたのかもしれないが、それを積極的にする理由はなかった。事実を伝えることばかりが、決して最良とは限らないのだから。


 それに、これは【赤翼】の仕事だ。

 これ以上、僕が手を出すべきではない。


 その後に続くのは、(つつが)ない後日談だ。後日、『商品』を回収しに来た人身売買グループをリタがひとりで壊滅させただとか、それがある役人の悪事を暴くきっかけになっただとか。語る気になれば尽きないが、これらはまた、別のお話。



「結局のところ、大した事件じゃなかったのよ。これであの村にも、魔術に理解がある衛兵が置かれることでしょう。もう滅多なことが無ければ、あんなことは起きないわ」



 すべてが終わって【イットウ】に帰ってきた夜、彼女は今回の一件をそう結論づけた。曲がりなりにも死者まで出ている上に、危うく子供たちが売られそうになったというのに、それを「大したことない」で片づけられるのは、彼女の器の大きさか、それとも。


「なあ、ひとつ、聞いてもいいか?」僕はオレリアが用意してくれたシチューを匙で掬い上げながら、向かいに座る彼女に問いかけた。


「なによ」とだけ不機嫌そうに返す彼女は、猫舌なのか、繰り返し匙に息を吹きかけている。まったく、こうして見れば到底【赤翼】だとは思えないのだが。けれど、今回の事件においても、彼女はその名に恥じない洞察力を発揮していた。


「……イアンが偽物だって、いつ気が付いたんだ?」


 僕が気になっていたのはそこだ。彼女はいつ、どのタイミングで今回の件の真相に至ったのか。少なくともあの猟師の家を調べた時点では、もうすべてを見抜いていたようだが。


「最初からよ、そんなの」彼女はこともなげに、そう口にした。

「あいつが顔を変えてたのは最初からわかってたから、怪しいとは思ってたの。決め手は、あの家に出入りしてたのがあいつしかいなかったってことだけど。森から帰ってきてからしばらく口を利かなかったのは、他の村人の会話からイアンの人間関係を知るためだろうし、自警団を結成したのも、怪しまれないためのブラフだったんでしょうね」


 まくしたてるように言う彼女に、僕は圧倒された。

 なんだ、だったら早く言ってくれればいいのに、とは思うが。そうすれば、僕は――。


「――言ってくれたのなら、単独行動なんかしなかったのに。なんて言うつもりじゃないでしょうね?」


 彼女は苛立った様子で、僕に匙を向けた。その気迫に、思わず僕は両手を上げてしまう。


「……依頼人を放置しちゃったのは私の責任だから、今回は不問にしてあげる。でも、あんまり身勝手なことをするなら、身の安全は保障できないわよ」


 わかってるって。僕はそう言いながら頭を振った。

 今回は、僕に言い訳の余地などない。僕は死霊術師として、やらなければならないことをやった。けれど、決してそれは僕の独断の免罪符にはならない。


 しかし、意外にも彼女はそれ以上愚痴を言うことは無かった。代わりに、穏やかな口調で問いかけてくる。


「……そういえば、あんた、あの霊魂から何を頼まれてたの?」


 僕はドキリとした。あー、とか、どうだったかな、とか。そんな風に濁そうとするも、彼女を誤魔化せるはずなどなく。


「あんたの使う死霊術は『簡易契約』……つまり、霊魂の方からも契約条件を提示できたはずよ。それに、あの場で何か言われてたじゃない」


 (きゅう)した。言うべきかどうか迷ったが、別に隠すことでもない。僕は水の満たされたグラスを手に取りながら、ぽつりと言った。



「……なんてことないさ、ただ、伝言を頼まれたんだ」


「伝言……?」リタが首を傾げる。


「両親に伝えてくれってさ。ただ一言、『ありがとう』って」



 村を出る前、僕はあの猟師の家を訪ねた。

 ロニーの最期の言葉――それを伝えるために。


 突然現れた死霊術師を名乗る男にそんなことを言われて、彼らがどう思ったのかはわからない。けれど、静かに涙を流すあの表情は決して――悪いものでは、無かったはずだ。


「……死してなお、遺る想い、か」


 リタはしみじみとそう呟いた。彼女にも思うところがあるのだろうか。その赤い瞳に宿る思いを読み取ることは、僕にはできない。


 遺してしまった者の思いも。

 それを告げられた者の思いも。


 僕らは思い浮かべて生きていくしかない、死んだ者の気持ちなど、僕ら死霊術師でもわかりはしないのだ。


 それこそ、死ぬまでは。


「……なあ、リタ」僕は敢えて、訪れた沈黙を破るように口を開いた。


 別に、大した意図があったわけではない。なんとなく湿っぽい空気が嫌だっただけで、ほんの少しだけ、おどけてみたいと思っただけだ。


「僕も少しは、役に立っただろ?」


 僕の言葉に、彼女はほんの少しだけ口角を上げた。


 夜の【イットウ】の喧騒が、僕らの間を通り抜けていく。どこかで、オレリアが注文を読み上げる声がして、ジョッキがぶつかる音がする。けれど窓の外は変わらぬ夕暮れのままで、窓の外を一羽の鴉が飛んでいった。


 【凪の村】はもう夜なのだろうか。救えなかった本物のイアンの魂は、空に昇ったのだろうか。僕があの場でどうしていようと、全てはもう終わったことで、時間は絶え間なく流れていく。


 言うまでもなく、彼女の返答は決まっていた。



「ばっかじゃないの」





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