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第七話「万能の翼、揺らぎの向こう」


「俺が、犯人だって……?」


 イアンは僕の言葉に目を見開いた。まるで、何を言われたかわからないとでも言うかのように。



「ああ、そうだよ、お前が犯人だ。僕が言うまでもなく、それはお前が一番わかってるんじゃないのか?」


「おいおい、待てって、俺はこの村に爺さんの代から住んでるんだ。正真正銘、この村の一員だぜ? 俺がどうして、子供を攫ったりするんだよ」



 イアンはもはや、呆れすら感じさせるような声色で言った

 その反応は、どこからどう見ても自然なものに見えた。傍から見れば、僕が突拍子もないことを言い出したかのようであるのだろう。


 彼はそれほどに普通だった。普通で普遍で、どこもおかしなところが見つからないくらいにこの村に溶け込んでいた。


 正しく――透明だった。

 だから危うく、僕も騙されてしまうところだった。


「確かに、イアンはそんなことしないだろうな」


 僕は、あの猟師の旦那の話を思い出していた。


 彼はイアンに全幅の信頼を置いているようだった。彼という男は、そういう信頼を集めるに足るだけの器を持った人間なのだろう。


 だから、本来であればイアンを疑うことなど絶対にありえない――。


「――でもな、この一件、すべてを成し遂げることができるのはお前しかいないんだよ」


 第一の犯行は、誰にでも可能だ。

 森の中、周りの目もない。子供が悲鳴を上げたところで誰にも届かないだろう。


 第二の犯行は、認識阻害の魔術を使えるものでなければならないという前提条件こそあるものの、逆に言ってしまえば、それさえ使えたのなら、誰でも可能である。


 ただ――第三の犯行に関しては、イアンにしかできないのだ。



「あの家の窓には魔術の紋様が刻んであった。それも内側の、カーテンの陰になるような所にな。普通はそんなところに細工をするのは外からでは不可能だろうが――頻繁に訪れているお前なら、目を盗むチャンスくらいあっただろ?」


「……あれは、ただ、あいつらのことを気遣って……」


「そういう体なら、あの人たちも疑わないもんな。お前がどんな気持ちで動いていたとしても、お前が一番怪しいって事実は動かないぜ」



 言ってしまった、とは思う。これでもし、イアンが潔白であるのなら、僕は何をされても仕方がないだろう。もうここまで来てしまえば引き下がれない。

 彼の瞳が、スッと細くなる。眉間に皺が寄り、こめかみに浮いた血管が、ピクピクと震えているのがわかった。


「おい、お前、そろそろ口の利き方に気をつけろよ。言っていいことと言っちゃいけねえことの区別くらい、つくよな?」


 そして、再び僕に向かって鋤を構えなおす。再燃した敵意は怒りという薪がくべられたことで、一層強く燃え盛っているようにも見えた。


 突き付けなければならない。

 彼にぐうの音も出させないほどに決定的な証拠。僕がそんなものを、持ち合わせていただろうか――。


「ああ、もちろんだ。お前がまだシラを切るってんなら、それも仕方ねえが、これだけは答えてもらうぜ――」


 ――ある。

 一つだけ、彼には絶対に答えられない、そして彼のもっとも不審な部分を一突きにする質問。しかし、一方で空振る可能性も十分に存在する。


 ここで間違えるわけにはいかない。神経を研ぎ澄まして言葉を選ぶ。今までに見聞きした情報をフル動員して考える。この場で、僕が彼にすべき最善の問いは――。


「――あの猟師夫婦の子供の名前、わかるよな?」


 口にしてみると、それは何でもないくらいに単純で、明快な問いだった。

 この村で生まれ育ったイアンにとって、あの夫婦の最も親しい友人である彼にとって、こんなのは聞くまでもないことだ。


 だから、彼はこともなげに即答するだろう。イアンなら。間違いなく。


「……なんだよ、そんなことか? 簡単だ、あのガキの名前は――」


 そして思った通り、彼は拍子抜けしたような様子で、あっさりと名前を口にした。そこまでは予想通りだ。この狭い村の中で、ましてや、自警団の一人である彼が被害者の名前を把握してないということはないだろう。


「……違うぜ、イアン。そっちじゃない」


 だから、僕はそこで制した。僕の本命は、この返しの刃にある。



「僕が聞きたいのは、もう一人の名前だよ。三人目の被害者のことじゃない。あの夫婦の間にいる、もう一人の子供の名前を聞いてるんだよ」



 あの家に飾ってあった写真。

 あそこには三人しか写っていないにも関わらず、四人分の名前が記されていた。さらに、日付も現状と一致しない。僕はその不和についてずっと考えていたが、よく考えれば、合理的な答えは一つしかない――。


 もちろん、彼ならこの質問だって簡単に答えられるはずだ。彼はあの夫婦と旧知の仲だった。もう一人の存在だって、知っているだろう。


「…………ッ!」


 なのに。

 なぜか彼は、答えようとしなかった。


 今まで僕に向けていた、疑いと怒りを半々で混ぜたような形相はひどく強張り、あまつさえ、細かく震えてさえいた。明らかにそれは、予想される反応とは違う。



「……そうか、やっぱりな。お前は答えないんじゃなくて、答えられないんだ。そうだろ?」


「ふ、ふざけんなよ。アイツんちにもう一人なんていないっつーの! だって、そんな話は一度も聞いたことがねえし、見たこともねえよ!」


「ああ、そうだろうな。だって、その子はもう――死んでるんだから」


「なっ……そ、そりゃあ……」



 ハッタリではない。あの写真もそうだが、不可思議なタイミングでの帰郷や、さっき話した際の反応から、僕はそこについてはほとんど確信に近いものを持っている。


 そして――それだけじゃない。


「ま……待てよ。デタラメ言ってんじゃねえぞ。アイツんちにもう一人、子供がいたっていう証拠はあんのか? お前が出任せを言ってるんじゃねえのかよ」


 僕は呆れてしまい、思わず首を振った。もうこの反応を見れば真実は明らかになったようなものだ。ボロが出た、といっても差し支えない。


 正直、これ以上は必要ないかとも考えたが、騒がれても面倒だ。ここは一つ、脅しを利かせておくことにした。


「出任せなんてとんでもない。僕は死霊術師だ。必要なら、ここに呼び出してやるよ」

 両手に霊符を構えながら、僕はそう言った。


「死霊……術師……?」イアンが呻く。流石に予想外だったのだろう。


 僕はその蒼白な面に見せつけてやるように、手の中の札のうち一枚に青白い火を灯して、くるりと操ってみせる。パチパチと火花のように弾けながら、霊魂は彼の頬を掠めるように飛んでいき、そのまま宙に溶けた。


「逃げられないぜ、イアン。お前は本当は何者なんだ? どうして、こんなことをしたんだ?」


 彼は、顔を覆うような形で頭を抱えた。

 さっきの決着とは、全くもって逆の図だ。今度は僕がチェックをかけた。何も反論ができなければ、これで終わり。


 ――この平穏な村を騒がせた誘拐事件は、これで終息する。


 それにしても、リタはどこへ行ったのか。そろそろ登場してもいい頃合いじゃないだろうか。この場に彼女がいないなんて、それはそれで締まらないな――なんて。


 そんな風に。

 僕は、能天気に。


「――あァ」

 考えていたから、一瞬だけ。



「――もう、面倒くせえや」

 一瞬だけ、反応が遅れた。



 途端。


 ――ズダン。


 それが何の音なのか、僕には判然としなかった。

 何か重いものが、ぶつかるような音。


 しかしそれを認識するよりも早く、僕の視界はめちゃくちゃにシェイクされた。

 三半規管に感じた揺らぎの正体を掴めないままで、僕はゆっくりと地面に落ちていく。頭を埋め尽くす疑問符が、赤く染まった視界までを侵して。


 そして、最後に痛みが訪れた。


「ぐッ……あ……?」


 そこまで来て僕はようやく知覚する。殴られたのだ。横薙ぎの一撃――恐らく、さっきの鍬によるものだろう。

 しかし、どうして。彼は両手で顔を覆っていて、武器を手にしてすらいなかったはずだ。


「――ヘッ。死霊術師って言ったって、所詮はこんなものじゃねえか」


 倒れ伏す僕に、ゆっくりと声が近づいてくる。


 起きなければ、とは思うが、体に上手く力が入らない。さっきの一撃のダメージが大きすぎる。

 指先は痺れ、足は震え、倒れ伏したままで、僕は振ってくる声を聴いた。


「忘れたわけじゃねえだろう? 認識阻害魔術だよ。お前には俺が負けを認めているように見えたのかもしれねえが、その実、俺はずっとお前の側頭部を狙ってたってわけさ」


 ゲラゲラゲラ、と哄笑が響く。

 嗤う彼の表情は、醜く歪んでいた。目はギョロリと剥かれ、口は三日月のように大きく裂けている。


「イアン……どうして……お前……」


 喉の奥からどうにか絞り出す。それはもう意味のない言葉だったが、朦朧とする頭では、取捨選択などできようはずもない。


「簡単な話だぜ、兄ちゃん。俺はイアンじゃねえんだよ。あんたが(にら)んでた通りだよ」


 (あざけ)るように言い、彼は自分の顔面を軽くひと撫でした。


 すると、それは少しずつズルズルと垂れ下がり、あろうことか、そのまま溶け落ちていった。目も、鼻も、耳も顎も。彼のトレードマークであった栗毛までもが、溶解し、零れ落ちていく。

 そして、残った無貌の上に、新しい目鼻が、いや、恐らくこの男本来のものであろう顔が浮かんできた。


 鋭い眼は澱んでおり、まるで屍肉に群がるハイエナを思わせる。痛んだ茶色の短髪はあちこちが跳ねていた。

 さっきよりも幾分高くなった鼻は、しかし潰れて下を向いている。そして何より、大きく裂けたその口元がひどく印象的だった。


「驚いたかよ、死霊術師。こうやって、俺はイアンになってたわけサ。日に数度、魔術をかけなおす必要があるが、滅多なことが無きゃ解けねえし、バレねえ」


 ま、あの真っ赤な女にはハナっからバレてたみてえだけどな、と続ける。



「……認識阻害魔術は、壁に空いた穴を壁紙で隠すようなもんで、かけたまんま活動したりできないんじゃないのかよ?」


「あ? そりゃあどこからの情報だ? 透明人間にでもなろうとしたなら無茶かもしれねえけどよ。こいつの顔を貼り付けて歩くだけなら、造作もないぜ」



 確かに、それだけでこの村においては無敵の迷彩だろう。

 村人の一人に成りすますだけでいい。イアンが村の中にいることを怪しむ人間はいない。第二の事件当時だって、広場の近くをうろついていたって誰も気にはしなかっただろう。


 そして、子供を物陰に連れ込んだ後は、認識阻害魔術を使い、事が落ち着くまで息を潜めていればいい。ただ、それだけのことだ。


「……いけねえ。少し、喋りすぎたか」


 イアン、改め偽イアンは、そう言いながら僕との距離をさらに一歩詰めた。


「お前には人質になってもらうぜ。俺じゃあ【赤翼】を相手取るのは分が悪い。お前を盾にして、俺は安全に街まで逃げ切らせてもらうぜ――」


 流石に、それはマズい。


 捕まってたまるかと、僕は全身の筋肉に力を入れた。関節はギシギシと軋みながらも、どうにか動く。口数の多い奴で助かった。どうやら、動ける程度までは回復できたようだ。


 僕は再び霊符を取り出して、奴に向き直る。が、頭はまだふらついているし、目は照準が定まらない。とてもじゃないが、戦えるような状態じゃなかった。


「何だ、立ち上がるのかよ死霊術師。そのまま寝てた方が楽だと思うぜ」


「ああ、僕もそう思う。正直、後悔してるぜ。こんな痛い思いするんなら、深入りなんてしなきゃよかった」


 

 言いながら、思考を回す。

 僕は出来損ないの死霊術師だ。正面戦闘ができるような、高等な死霊術は使えない。


 とはいえ、それを言い訳にできるような状況ではなかった。


「そうかよ。じゃあ、まあ、大人しく寝てろや、兄ちゃん――」


 偽イアンが、凶悪な笑みと共にまた、長物を薙ごうとする姿が見えた。

 僕は霊符を投擲する。二発の霊撃は彼の体と得物を捕らえたが、しかし、その勢いを殺すには不十分だった。まるで意にも介さぬように、お構いなしで突っ込んでくる。


 ここだ、と、僕は咄嗟に、足元に向けて霊符を叩きつけた。

 もう、駄目で元々だ、やってみるしかない――!


「くっ、術式詠唱略、『生者の(ライビング)――』」


 しかし、僕の声にも、霊符は微動だにしない。避けることもできないままに、振り抜かれた鋤の一撃が、大きく体制を揺らがせた。


 やはり、駄目か。


 諦めかけた脳裏には、怒りめいたものも浮かびはしたが、しかし、もうどうでもいいだろう。世界一の万能屋と言えど、結局はこんなものだ。自分勝手に僕を連れまわして、挙句。護衛の一つもできてない。


 ああ、全く。僕の人生には、ロクなことがない――。




「――なんて、勝手に思ってるんじゃないでしょうね?」




 ギイイイン! と。

 手放しかけた意識が、金属同士の激しい衝突音のようなものによって引き戻される。


 風。


 僕と偽イアンの間に割って入ってきたのは、まさしく暴風だった。それは一瞬の間に飛来して、その翼で大振りの一撃を受け止めたのだ。


 赤い豪風。

 鋼の翼。

 【赤翼】。


 その名を冠す者は、この世に一人しかいない。


「……あんた、こんな所で何やってるのよ」


 苛ついた様子で言いながら、そいつは翼を一閃した。偽イアンの巨躯が、まるで人形か何かのように軽々と弾き飛ばされる。


 鋼の翼を携えて。

 割り込んできた彼女の名は――リタ・ランプシェード。


 世界最高の万能屋にして、僕の護衛を務める少女だ。


「まったく……いつになっても集合場所に来ないから、どこで油を売ってるのかと思えば……」


 パキパキと、翼から鈍色の被膜が剥がれる音がする。


 あの大男の突進を受け止めたのにもかかわらず、彼女は平然とした様子でそこにいた。フードを外し、赤い髪を風にたなびかせる姿にはまだまだ幼さが残るが、纏う気迫は、やはり本物の風格を感じさせる。



「ああ……すまん。ちょっと、マズったんだ」


「何がマズったよ。あんた、【イットウ】に連絡はしたんでしょうね?」


「すまん、できてない……ちょっと気になることがあって、調べてたらこの様だ」


「はぁ? あんな簡単なお使いもできなかった挙句に、私が必死になって外堀を埋めてた犯人に喧嘩売って……何がしたいのよ、あんた」



 そこで彼女は深く息を吐いた。西方の国にあるという大渓谷よりも深いため息だ。


 失望か、呆れか。彼女の嘆息は聞き飽きたが、今回ばかりは僕も非を認めざるを得ない。いつものように口だけ謝って腹の中で舌を出す、なんてことはできない。


 だって、これは僕の独断専行が招いた結果だ。

 何を言われても、されても仕方がない。

 そう、覚悟していた。


「――でもまあ、あんたにしては上出来なんじゃない?」


 しかし、返ってきたのは意外な言葉だった。

 嫌味でも罵倒でもない。その予想外の一言に、僕の思考はフリーズした。


「元々、日没までにはケリをつけるつもりだったしね。まあ、いいわ。ここからは――私の仕事よ」


 リタは不敵に笑うと、バサリと翼をはためかせる。生まれる風。宙を舞う羽根。しなやかに跳ねる純白が、僕を戦場から切り離した。


「と、まあ、大体はうちの付き人が言ったんじゃないかと思うけど。もう弁解の余地はないわよね。偽物さん?」


 彼女は言いながら、懐から紙束のようなものを取り出した。僕の位置からはよく見えないが、質の悪い紙に、何やら汚い字で殴り書きされている。

 偽イアンは、それを見て唇を噛んでいた。僕を痛めつけていた時のあの余裕は、もう残っていない。



「……そいつをどこで見つけてきやがった」


「あんたの家よ。いくらなんでも、鍵もかかってない戸棚にしまっとくのは不用心なんじゃないの?」


「……へっ、漁りやがったってことかよ。手段を選ばないってのは結構だが、それじゃあ泥棒と変わんねえぜ、【赤翼】」


「泥棒でもなんでも、好きに呼ぶといいわ。私は『手段を選ばないことを選んでる』だけだし。それに――」



 後ろ手に、彼女は僕に紙束を渡してきた。

 読め、ということだろうか。僕はとりあえずなすがままにそれを受け取って、目を通す。


 そこに、書いてあったのは。


「――人身売買よりはよっぽど、マシだと思うけど?」


 注文書。

 紙の一番上には、そう書いてあった。そして、その下に続いているのは年齢、性別、髪の色。そして、日付。


 鈍感な僕にでもわかる。つまりこれは――人さらいの計画書だ。


 期日までに、この紙に書いてある通りの見た目や性別、年齢の子供を捕まえろということだろう。現に、リストの上から三つまでは赤いバツ印がつけられている。


 リタはこれを探しに行っていたのだ。今回の事件、下手に偽イアンが言い逃れしたり、話がこじれて変な反感を買ったりしないように、彼女は確たる証拠を探していたのだ。


 ()しくも、この村に来る前のリタとの会話が頭を過る。健康な子供の体など、いくらでも使い道があるのだろう。労働力としてか、好き者に売り払うのかはわからないが、どうあれ、下卑た商売だ。


 腐っている。こんなことのために――この村は。あの一家は。

 静かに憤る僕をよそに、リタはあくまでも冷静だった。淡々と、偽イアンを追い詰めていく。


「あとは、あんたの身柄とこれを衛兵たちに受け渡すだけね。私としては大人しく投降してもらえると楽なんだけど、どうする?」


 それは答えが一つしかない問いだった。偽イアンには選択の余地などない。

 だから、もし、彼がこの場を切り抜けようとするのなら。


「どうするもこうするも、一つしかねえだろう――」


 可能性がわずかでも残っているのは、これだけだ。



「――お前をぶちのめして、逃げるだけだよ!」



 グッ、と、姿勢を落として、偽イアンが突進してくる。駆けながら振りかぶられた鋤が、黄昏時(たそがれどき)のぬるい空気を引き裂いて飛来する。


 鋭い踏み込みの大振りを、リタはほとんど動かずに躱した。

 僅かなバックスウェー。その深紅の瞳は、相手との間合いを完全に把握しきっているようだった。


「そんな大振りが当たるわけないじゃない。ナメてんの、あんた――」


 呆れたように呟いたリタだったが、すぐにその瞳が驚愕に見開かれる。

 と、同時。その矮躯(わいく)が唐突に吹っ飛んだ。


「リタっ!」僕は反射的に叫ぶ。


 それはまるで虚空からの一撃を受けたようであり、偽イアンの攻撃が時間差で直撃したようにも見えたが、ともかく、彼女は横合いに投げ出され、そのまま数度転がった。


 リタが間合いを――読み違えた?


「はっはっは。認識阻害魔術だぜ――何度も見せただろ?」


 鋤を振り切った姿勢のまま静止していた偽イアンの体が、朧に揺らぐ。それはやがて実体のない煙のようにふわりと風に流されていく。


「こうやって、攻撃の位置とタイミングをズラしてやんのさ。昼間に戦った時には魔術を使うわけにはいかねえからできなかったけどよ。これが俺の本気って奴だ」


 ガラガラと鋤を引きずりながら、倒れたリタに近づいていく。

 リタは何とか起き上がろうとしているが、間に合わない。偽イアンが二撃目を叩き込む方が早いだろう。僕も咄嗟に霊符を投げようとしたが、これで奴が止まらないことはさっき実証済みだ。


 そして、偽イアンは鋤を頭の上まで持ち上げて、構えた。力いっぱい振り下ろすつもりか。彼の剛腕でそんなことをされれば、ひとたまりもないだろう。


 僕の喉から、何かが込み上げてきた。それは叫び。やめろとか、そういう言葉だったかもしれないし、意味を成さない獣の如き咆哮だったかもしれない。


 しかし、彼がそれに構うはずもなく。凶撃は放たれて――。


「……うっさいのよ、あんた」


 ガキン。聞こえたのはけだるげな声と、金属音だった。

 僕の目に飛び込んできたのは信じがたい光景だった。


 僕の倍以上はあろうかという丸太のように太い腕の大男が放った一撃を、まるで木の枝のように華奢な少女の細腕が、受け止めていた。


 それも片手。どころか、指先で刃先をつまんでいるだけだ。なのに、鋤は微動だにしない。震えるほど込められているはずの力は、完全に受け止められてしまっていた。


「ちょっとびっくりしたけど、所詮は子供だましじゃない。攻撃の軌道も威力も、まるで素人。魔術はそれなりに使えるし、体も鍛え込んであるみたいだけど、実戦経験はそれほど積んでないみたいね」


 平然とそう言い切るリタの体は、よく見るとまったくの無傷だった。矮躯ゆえに吹っ飛ばされ、地面を転がった際に多少の砂埃にまみれたようだったが、それだけだ。


「んじゃ、面白い魔術を見せてもらったわけだし、私もお礼をさせてもらうわ」


 彼女が言うのと同時に、乾いた音が響く。

 それは彼女の右翼を、金属の被膜が包む音だ。根元から先までが鈍色に染まり、もう折れることも曲がることもない。


 (アイゼン・)の翼(フリューゲル)

 翼を硬化させ、あらゆるものを打ち砕く、リタの十八番(おはこ)


 ある意味で、最もわかりやすく彼女を表現した力なのかもしれない。愚直なまでに単純に、ただ自分の信念を貫き通すための力。


 そしてそれは、彼女の道を阻む者に、愚かにも【赤翼】の前に立ちふさがった者に、容赦なく振るわれる。


 もちろん、今この時も、例外なく。


「本物のプロの攻撃って奴を見せてあげる。防ぐとか、避けるとか、そんな小賢しいことじゃどうにもならない、必殺の一撃をね――!」


 偽イアンは逃げようとしたが、リタにがっちりと掴まれているのか、彼が手にした鍬が微動だにしない。


 武器を捨てて逃げるという選択ができればまだどうにかなったのかもしれないが、如何せん、彼はその決断が遅かった。そうでなければ、リタの指二本に力負けすることはないだろうと思ったのか。


 ともあれ、彼には回避行動をとることができなかった。もうこうなってしまえば魔術を使って避けることもできない。ただ、恐怖に顔を引きつらせながら、鋼鉄の翼が到達するのを待つばかりだ。


「う、ま、待て、待ってくれ――」


 自分の置かれた状況をようやく理解したのか、彼の口を突いたのは惨めな命乞いだった。

 けれど、もう既に撃鉄は起こされ、引き金は引かれた。放たれた鉄槌を止めることなど、もう、誰にもできはしない。



「――歯ぁ食い縛りなさい。あんたみたいなのには、消し炭すらも似合わないわ」



 轟音。

 激しく回転するようにして叩きつけられた鋼の翼は、偽イアンの右腕を無残にひしゃげさせた後、それでも止まらず、彼の胴に深く食い込み、そのまま弾き飛ばした。


 巨躯がまるで嘘のように宙を舞い、そのまま近くにあった納屋のような小屋に突っ込んで、ようやく止まった。高く舞い上がった土煙の中からは呻き声すら聞こえない。


 パラパラと、瓦礫が崩れる音のみが静かな村に響いている。

 けれども、いくら待ったところでそこから立ち上がってくる人影は――なかった。


 僕はその一部始終を、ただ呆けて眺めるばかりだ。


 これが、【赤翼】。

 これが、リタ・ランプシェード。


 二撃目もない。すべてが一撃必殺。その尾を踏んだ時点で、もう誰にも止められない。


 最強。

 思えば僕はこれまで、その言葉の意味を軽く捉えていたのかもしれない。



「ふん、あたしの癪に障ることするからよ。殺されないだけ、いいと思いなさい」



 そう言いながらその燃えるように赤い髪をなびかせる彼女の姿は、さながら、生きる豪炎のようであった。



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