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第五話「霧の中の敵」

 リタが最初に足を向けたのは、村の中央付近に位置する広場だった。二人目の子供は、この物陰で姿を消している。


 最初の事件が起こったのは森の中だが、詳しくはわかっていない。

 ならば、アテもなく森を調べるよりも、手掛かりが残っている公算が高いと踏んだのだろう。


 広場へは集会所からおよそ二十分ほどで到着した。


 広場といっても、別に噴水や派手な花壇があるわけじゃない。どちらかと言えば、村のど真ん中に空いた大穴、という印象だった。


 四十メートル四方の舗装された地面の上に、ぽつぽつと柵やベンチが設置されている。

 端の方に野ざらしの机が積んであるのを見るあたり、市なんかも開くことがあるのかもしれない。


 中央には、二本の細い柱にブリキの板を打ち付けた掲示板のようなものが立っていて、村の行事や連絡事項と思しき張り紙がベタベタと貼ってあったが、少なくとも僕が興味を惹かれるようなものは無さそうだった。



「……本当に何もないな、この村。【夕暮れの街】の近くだから、もうちょい栄えてると思ってたよ」


「仕方ないわ。最近でこそ地価の上昇からこの辺りに住む人も増えたけど、それ以前は人口の流出が止まらなかったの。過疎化が進んで、僅かな農夫しか暮らしていなかった時期もあるのよ」



 へえ、と、適当に相槌を打って誤魔化す。

 村の外には見渡す限りの畑と森、その向こうにうっすらと【夕暮れの街】の街並みと、そこから伸びる大陸間横断鉄道の線路が見えるばかりだ。確かに、辺鄙(へんぴ)なところだった。



「じゃあ、人が増え始めた矢先のこの事件、ってわけだ。下手な評判が立てば、また住人は減っていっちまうかもしれない。そりゃ、村人たちも焦るわけだよな」


「……それよりも、単純に自分たちの暮らしが脅かされてることの方が大きいとは思うけど。まあ、確かに、原因はその辺りにあるのかもしれないわね――」



 原因? と、僕が聞き返す前に、リタはすたすたと先に行ってしまった。僕は慌てて後を追う。


 彼女が歩いて行ったのは、広場の中央に立つ掲示板の裏だった。年季が入ってるのか、あちこちが錆び、こびりついた糊と剥がしきれなかった紙の跡があちこちに残っている。


 そういえば、子供が消えたのはここで遊んでいて、ほんの少し目を離した隙に、という話だった。

 となれば、必然的に犯人はこの近くに潜んでいたことになるが、この広場で身を隠せそうなのは、この掲示板の後ろだけだ。


 しかし。


「……ここに隠れてたってのか? 流石にそれは無理があると思うぞ。正面から普通に足が見えるし、いくら何でもバレるだろ、こんなの」


 僕の言葉に、リタは何の反応もしなかった。しゃがみ込んだりしながら、掲示板の表面や足元を検分している。


 無言のまま、しばらくそうして何事かを調べていた彼女は、「わかったわ」と、不意に立ち上がった。



「……何が分かったんだ?」


「微かにだけど、魔力の残滓があったの。犯人はここで、何らかの魔術――恐らく、視覚を阻害するようなものを使ったんでしょ」


「魔力の残滓? そんなの、感じ取れるのか?」


「ええ、こんなのは初歩的な技能よ。魔術に多少通じている人間なら誰でもできるわ。もっとも、これに気づけなかった時点で、この村の衛兵たちには魔術を使える人はいなかったってことになりそうね」


「……というか、魔力、ってことは、死霊術師が犯人である線は消えたってことか」



 魔術と死霊術には、大きな違いがある。

 僕ら死霊術師は、魔力を練って力を発揮する魔術とは違い、宙を漂う死者の霊魂と簡易的な契約を結ぶことで、その力を借りて行使するのだ。


 しかし、リタは首を振った。



「いえ、わからないわ。死霊術も使用に際して魔力に近いエネルギーの痕跡を残すから、これで判断することはできない。ただ、犯人がこの場所に潜んでいたのは間違いなさそうね」


「なるほどな……。でも、こんなところに子供を連れ込んだら、すぐにバレるんじゃないか?」


「ええ、その通りよ。薬や魔術で眠らせたりした可能性はあるけど、それにしたって相当手際よくやらなければいけないわ。ほんの少しでも暴れたりしたら、手こずるはずだしね」


「だったら、どうして――」



 そこまで言って、不意に背後に気配を感じた。


 誰だ、と、僕は瞬時に、懐の霊符に手を伸ばす。

 そのまま振り向きざまに、一枚を投擲しようとして。


「おい! 待てって、俺だよ、俺!」


 その声に、どうにかギリギリのところで踏みとどまった。

 そこに立っていたのは、先ほど僕らを襲い、そのまま集会所への案内人にされた、あの栗毛の男だった。


 両手を上げて降伏のポーズをとったその姿は、哀れになるくらい間抜けに見える。


「……なんだ、お前かよ。僕らに何の用だ?」


 僕は警戒しながら言った。

 また難癖をつけに来たのだろうか。


 あれだけリタに殴られたというのに、腫れも退かないうちに懲りない奴だ。と、僕は思ったが、しかし、どうやらそうではないようだった。



「何の用だも何も、あんたらの案内を村長に頼まれたんだよ。迷惑かけたんだから、その分協力して来いってな。そうじゃなきゃ、誰がお前らなんか……」


「協力? 何のこと?」


「あんたらだけじゃ、事件が起こった家がどこなのかもわからねえだろ。それに、俺の仲間たちが、またあんたにちょっかいを出すかもしれねえしな」



 なるほど、本音はそっちか。

 僕らへの協力なんてのは建前で、つまるところは僕らの監視とこれ以上リタが暴れるのを防ぎたいということだろう。

 

 どちらにせよ、僕らにとっては都合がいい。これ以上村人たちに不信感を抱かれることはなくなるし、彼は生きた情報――事件当時の空気感や言葉では表しづらいような詳細まで知っているに違いない。


「……まあ、そういうことなら、いいんじゃないか? なあ、リタ――」


 と、言いながら振り返って。


「…………」

 リタの表情は、何故か曇っていた。


 眉間に皺を寄せながら、ジッと栗毛の男を睨みつけている。何か気になることでもあるのだろうか。

 どうかしたのかと、問おうとすると同時。


「……いいでしょう。あんた、名前は?」


 溜息と共に、リタはふっと口元を緩めた。

 一瞬だけ確かに、険しい表情をしていたように見えたが……僕の気のせいだったのだろうか。



「ああ、俺はイアンってんだ。一応爺さんの代から、この村で暮らしてる」


「そう、じゃあ、イアン。村の案内は任せてもいいのよね?」


「構わねえよ。で、どこに連れてきゃいいんだ、【赤翼】サマ?」



 彼は言いながら、ゆるゆると首を振った。その言葉には、やはりというか含むところがあるように思えた。


 リタは「そうね……」と、顎に手を当ててしばらく考えこんでから、「とりあえず、三人目の事件が起こった家に連れていってもらおうかしら」


 イアンは静かに頷くと、「ついてこい」とだけ言って、歩き出した。


 リタもそれに続こうとしていたので、僕も一緒に、と、歩き出そうとして――。



 ――ふと、視界の端に小さな人影が映った気がした。



 僕は二人から離れて、その辺りに近づいていく。

 ゆっくり、ゆっくりと、一歩、二歩。


 が、そこには誰もいなかった。やはり気のせいだったのだろうかと、首を傾げて。


「……兄ちゃん、こっちだよ」


 不意に、かけられた声。

 どこだ、と、見渡すが、やはり誰もいない。


 頭に疑問符を浮かべながら、もしかして、と、僕は反射的に首元のロザリオに手を伸ばしていた。


 そして、視線を下ろす。すると、声の主はそこにいた。


 僕の腰ほどの背しかない、小さな子供だった。その褐色の肌には張りがあり、つやのある黒髪も短く切り揃えられている。


「……あー、怪しいもんじゃないよ。ちょっと、お仕事で来てるんだ。君は、村の子か?」


 僕は少年と視線を合わせるために屈みながら、そう言った。

 警戒を解こうとしての行動だったのだが、少年はむしろ驚いたように目を見開く。



「……兄ちゃん、わかるんだ」


「まあな。そのくらいなら朝飯前だ。君は――」


「オイラはこの村の……外れにある畑の裏の家の子だよ。兄ちゃんは、町の人だよね」



 ああ、と、頷く。僕のような人間と会話をするのに慣れていないのか、少年はまだこちらの様子を伺っているようだった。



「怯えなくていいぞ……って言っても、無理か。この村も物騒みたいだしな」


「……うん。大人たちがみんな、すごくピリピリしてるんだ。村の子たちもみんな、外には出ちゃダメだ、遊びに行っちゃダメだ、って」


「……そうなのか、そりゃあ、寂しいだろ」



 少年は小さく頷いた。

 目を伏せて、見れば、組んだ指先は静かに震えている。



「安心してくれ、僕らは怪しいもんじゃないさ。この村で起きた事件を、解決しに来たんだ」


「解決……兄ちゃんが?」少年は首を傾げながら言う。


「いや、僕じゃなくて、僕の連れ……まあ、知り合いが、なんだけどな。とにかく、君は――」



 僕の手が、彼に触れるか触れないか、という、その刹那だった。


「あんた、こんなところで何してんのよ」


 背後から声が聞こえた、と、思った時にはもう遅かった。

 襟首のあたりに力を感じた――途端、強く後ろに引っ張られる。



「ぐっ、あ、リタ? ちょ、ちょっと待てって……」


「何言ってんのよ。一刻も早く子供たちを見つけなきゃいけないんだから、道草食ってる暇なんかないでしょうが」



 そのまま、リタは僕の体をズルズルと引きずるようにして歩き出した。


 大の男を片手で引きずるって、こいつどんな腕力してるんだ。

 少年はなす術もなく連れていかれる僕をなんだか複雑そうな表情で見つめていた。


「――と、とにかく、安心していいからな、少年。僕らに任せとけ!」


 手を振りながら叫ぶ僕に、リタは「誰と話してんのよ」と、呆れ切った調子で言った。


 後から来た彼女には少年の姿が見えなかったのだろう。にしたって、自分で歩けるから早く離してほしいのだが。


 お前の付き人、変わってんな。イアンの呟きに返す言葉も見つからないまま、僕らは広場を後にする。

 出口のあたりまで来た頃には、もう少年の姿は見えなくなってしまっていた。



 ***



 イアンという男は、武骨な見た目に似合わず口数の多い男だった。


 それはこの村は不便だがどうのこうのという自慢だか自虐だか区別のつかないような話から始まり、田舎だが税は安いだの、村長は人使いが荒いだのと喋り続け、道中の話題が尽きることはなかった。


 その末尾には必ず「お前らみたいな都会もんにはわからない」だの、「余所者に言っても仕方ないか」だのと、刺々しい言葉が続いており、耐えることのないトークに、僕もリタもそろそろうんざりし始めた頃になってようやく、彼は足を止めた。


「着いたぜ、ここだ」彼はその丸太のような腕を持ち上げて、目の前の家を指した。


 何の変哲もない一軒家。周りの家と違うところといえば、外に獣の毛皮が干してあることくらいだろうか。


 そう言えば事件当時、いなくなった子供の父親は銃の手入れをしていたと言っていた。ということはつまり、ここは猟師の家なのだろう。


 イアンはのそのそと玄関に近寄ると、乱暴に扉を叩き始めた。


「おーい、お前さん、いるんだろ。俺だ、イアンだよ」


 荒っぽいノックは四度ほど続き、それが止むと同時に中から足音が聞こえた。

 ギイィと、軋む音を引きつれて中から出てきたのは、長い髪を後ろでひとまとめにした、三十代くらいの女性だった。


 顔立ちからすればもっと若いような気もするが、少なくとも今はそれくらいに見える。

 目の下の大きなクマか、或いは、荒れた肌がそうさせるのかはわからないが。


「ああ、イアン。そんなに乱暴に扉を叩かないで頂戴」


 女性はほんの少しだけヒステリックな様子で言った。



「ああ、すまねえな。ちょっと人が来ててよ。あいつは奥にいるかい」


「リビングにいるけど……あなた、どうしたのよその顔。それに、後ろの方は?」


「ちょっとな」と、誤魔化すように腫れた目を覆いながら彼は僕らの方に向き直った。紹介でもしようとしたのかもしれないが、それよりも早く、リタは前に進み出ていた。


「私は【赤翼】という者よ。一応、万能屋をやってるわ。こっちはお供のジェイ」



 彼女は半身になって、僕の方を指しながらそう言った。

 だんだん僕の扱いが雑になっているような気がしたが、気のせいだろうか。



「【赤翼】……って、あの? どうしてわざわざ、こんな辺鄙な村に……?」


「依頼を受けたのよ。子供の不可解な連続失踪事件――それを、解決してくれってね」



 リタが言うと、女性は目を見開いた。

 それがどういう感情によるものなのかは、いまいち判然としなかった。困惑しているようにも、安堵しているようにも見えた。


「……入って。主人なら、リビングにいるわ」


 そう言って、彼女は家の中に消えていった。僕らもイアンを先頭にして、その後を追う。

 玄関は明かりもついておらず、窓の少ない室内はほんの少しだけ薄暗かった。廊下には物が散乱していて、うっかりすると踏みつけてしまいそうだ。


 そのまま、僕らが通されたのは奥の方にある部屋だった。僕が泊まっている【イットウ】の客室よりも一回りは広く見える。


 その中央付近に置かれた一対のソファの上に、何やら人影が見えた。うなだれるようにして腰かけたそれは、細身の男性のように見えた。


 しかし、寄って見てみると、その容貌にはただならぬものがあった。頬はこけ、目は血走り、乾いた唇はあちこちが割れていた。もとはブロンドだったのだろうが、油のせいだろうか、髪色はひどくくすみ、あちこちが跳ねていた。


 その様に、僕は思わずギョッとしてしまう。


「おい、お前さん、大丈夫か」


 イアンが男の肩を揺する。すると、焦点の合わなかった男の瞳に意識の光が戻ってきた。

 男は、少しだけ首を動かしてイアンの方を向くと、唇をほとんど動かさないまま言った。


「あ、あああ。イアンか。今日はどうしたんだ。あの子は、あの子は見つかったのか」


 それは干からびたような、酷く嗄れた声だった。

 しかし、その口ぶりから察するに、どうやら被害にあった子供の父親のようだ。我が子の身を案じているようだが、ひどく憔悴しているように見える。


 まともに寝てもいなければ食べてもいないのではないだろうか。



「いや、すまねえな、まだだ。だけどよ、すげえ助っ人が来てくれたぜ。あの万能屋【赤翼】だ。これでもう、大丈夫だからよ」


「【赤翼】……? もしかして、村長が呼んだのか?」


「ええ、そうよ。あなた、被害者の父親よね。ちょっとお話を聞かせてもらってもいいかしら」



 そう言うと、リタは男の向かいにドカッと腰を下ろした。またこいつは横暴な、と思ったが、言わぬが花。そのまま黙って、彼女の脇に立つことにした。


 男はしばらくの間、疑うように僕らのことを見ていたが、しばらくして諦めるように息を吐くと、



「……一体、何をお話すればいいんです?」

 と、その乾ききった声で言った。


「もちろん、事件のことよ。お子さんが(さら)われたとき、あなたはすぐ傍にいたのよね?」



 リタの言葉に、男は目を向いた。

 そしてすぐに目を伏せると、そのまま苦々しく顔を歪ませた。拳には力が籠り、微かに震えている。


「お、おい、リタ……それは……」

 僕は思わず、間に入ろうとしてしまった。


「いえ、いいんです」男は目を伏せたままで言った。

「私はあの日、息子のすぐ傍に――具体的には、このリビングにいました」


「……寝室の入り口は、あそこかしら」


 リタが指したのは、部屋の奥にある扉だった。

 他には僕らがこの部屋に入ってくる際に通った扉しかないので、消去法的にも、あそこが寝室で間違いないだろう。



「ええ、そうです。少なくとも一昨日の夜――九時くらいまではあの子はあそこにいたはずなんです」


「異変に気付いたのは、何時頃のこと?」


「私たちが寝ようとするほんの少し前のことですから、日付が変わるか変わらないかくらいの時間です。仕事で使う銃の手入れも終わり、もうそろそろ休もうかというときに、家内が、何だか嫌な予感がすると言って、寝室を見に行き……」



 そこまで話した途端、急にどさりと何か重いものが落ちるような音がした。見れば、入り口で僕らを迎えてくれた女性――彼の妻が、顔を覆って泣き崩れていた。


 あまりに近すぎて、僕は父の今わの際まで気づけなかったが――家族を失ってしまった痛みは、僕も知っている。


 理屈ではないのだ。『もう会えない』は、無条件で僕らの心を締め上げる。

 僕らの心の一番柔らかい部分を、これでもかと痛めつけるのだ。


「……ごめんなさい。嫌なことを思い出させてしまって」


 流石にリタも良心が咎めたのだろう、小さく頭を下げた。


 あるいは、それも更なる情報を聞き出す、歴戦の万能屋の手管だったのかもしれないが、今のこの空気の中でそれを見分けられるほど、僕の洞察は冴えていないようだ。


「……あなたが謝ることじゃないですよ」男は明らかに無理をしていると傍目(はため)からでも分かる笑みを浮かべた。

「悪いのは全部犯人です。私は神隠しなんてこれっぽちも信じちゃいませんよ。きっといるはずなんです、あの子を連れていっちまった、犯人が」


 ソファのひじ掛けの上で、プルプルと、骨ばった拳が揺れているのが目に入った。

 リタは彼の言葉を一つ一つ咀嚼するようにゆっくりと頷いた。そして、まっすぐ顔を上げて、その摩耗しきった目と視線を合わせる。


「最後に、もう一つだけいいかしら。何でもいいの、一昨日、変わったことはなかった? 例えば手紙の配達員がいつもと違う人だったとか、庭に入り込んでる不審者がいたとか」


 その質問に、彼はしばらくの間俯き、何かを考えているようだった。記憶の断片を繋ぎ合わせ、できるだけ当日のことを克明に思い出そうとしているのかもしれない。


 考えること、数分。彼はやがてゆるゆると首を振った。


「いえ、何も思い当たりません。来客といえばこのイアンくらいのものでしたが、彼は私の古くからの友人でして……一度は村を出た私が、税の安さに惹かれて戻ってきたというのに、彼は温かく迎えてくれました。今の私が村に馴染めているのは、彼のおかげといっても過言ではありません」


 よせやい、と、照れる素振りを見せたイアンに視線を移して、リタは続ける。



「つまりあんた――イアンは頻繁にここを訪れていたのね」


「ん、ああ。まあな。今でこそ見回りを始めたからそんなに来られなくなったが、それまではよく遊びに来てたぜ」



 またしても、リタはイアンの顔を見つめたまま、ピタリと静止した。今度こそ見間違いではない。明らかに険しい表情で、彼のことを睨みつけている。


 いったい何がそこまで気になるのだろうか。小声で聞こうとした矢先、リタは不意に立ち上がった。



「なるほどね、貴重な情報提供、感謝するわ。最後に、寝室だけ調べさせてもらってもいいかしら?」


「ええ、どうぞご自由に。と言いましても、手がかりになりそうなものは残っていませんが……」



 最後まで聞き終える前に、リタはもう扉に向かって歩いていた。そして、ドアノブを掴むと、そのまま乱暴に押し開ける。


 僕も慌ててその後に続く。行動に迷いがないのはいいが、もう少し落ち着いた方がいいのではないだろうか。


 第三の事件の現場である寝室は、先ほどまでいたリビングに比べれば、半分ほどの広さしかない狭い部屋だった。

 それでも、三つのベッドと洋服箪笥、それにローチェストを置いてもまだ余りあるのだから、寝室としては広い方なのかもしれない。


 リタは部屋の中心辺りに立って、あちこちを見まわしていた。先ほどのように魔力の残滓を探しているのだろうか。少なくとも、僕の目にも見えるような物理的な証拠は残っていないように見えた。


 だから、僕がそれに気づいたのは、本当にたまたまだった。


 たまたま軽く凭れかかったローチェストの上。そこに置かれていた写真立てに、ふと目が行った。

 そこに映っていたのは、夕暮れを背景に幸せそうに微笑む三人の家族だった。


 クマもなければやつれてもいないので、ほんの少し印象は違って見えるが、隣の部屋で話した男と、その奥さん。そして、その二人を覆い隠さんばかりに前に出て写っている子供が被害者なのだろうか。


 父親譲りの、豊かなブロンドの少年。その顔立ちには、僅かに見覚えがあるような気がした。


 自慢げに持ち上げた口角からは、このくらいの子供特有の生意気さが感じ取れる。

 それは、僕がもう二度と手に入れることができない、家族の温かさの象徴のようであり、何だか無性に、眩しく感じた。


「……」気づけば、僕は写真立てを手に取っていた。


 家族の死は、受け入れたつもりだ。この痛みにも折り合いをつけて、僕は前に進んでいく――そうありたいし、そうでなければならないと思う。


 しかし、どうしても不意に物寂しくなることはあるものだ。喪失の虚が埋まるまでに、あとどれくらいの時間が必要なのだろうか――。


「……ん?」

 と、そこで僕はあることに気が付いた。



 よく見ると、写真の端に日付と、彼らのものであろう名前が書いてある。

 不可解だったのは――その名前が何故か、四人分書かれていることだ。


 それに、そこに書かれていたのは、十年近く前の日付だった。

 これは一体どういうことだろうか。この写真が正しいとするのなら、写っている少年はもうとっくに青年になっているはずだ。


 それに、何度見ても写真には三人しか写っていない。


 アップで写っている少年と、その後ろではにかむ父親。少年が大きく映りすぎているせいで胸から上しか写っていないが、同じく柔和な笑みを浮かべた奥さん。何度数えても、三人だ。


 これは、どういうことだ――?


「……だいたい、わかってきたわね」


 リタの声で、僕は思考の海から引き揚げられた。

 彼女は、僕が調べているローチェストの、丁度向かいにある窓を調べているようだった。



「ここの窓、鍵が外からも開けられる細工がしてあるわ。犯人の侵入経路はここでしょう」


「細工? なんだそれ、僕には見えないけどな」



 リタは僕を馬鹿にするように肩をすくめると、そのまま指を伸ばして、軽く窓に触れた。

 途端、ガラスが割れるような音。まさか彼女が窓を破壊したのかと思ったが、違う。窓ガラスには傷一つない。


 代わりに、そこには一本のワイヤーのようなものが現れていた。それは窓の上部に空けられた指一本分の穴から、外に垂らされている。


 あとはそれを引っ張るだけで、誰でも鍵を開けることが可能だろう。

 しかし、どうしてこれが、ついさっきまで見えなかったのだろうか?


認識阻害(アンチレコグナイズ)の魔術よ。これがある限りここは、たとえ鍵が開いていようと、窓が割れていようと何事もなかったかのように見えるでしょうね」


 彼女は言いながら、窓枠を撫でた。その、丁度カーテンの陰になったあたりに、魔術の紋様が刻んであるのが見えた。



「認識阻害ってことは、正しいものを見えなくするってことだよな。それが、姿を消す魔術の正体なのか?」


「いえ、違うわ。この魔術は言ってしまえば、壁に空いた穴を壁紙で隠しているようなものよ。人間一人の姿を隠して、ましてやそのまま活動させるなんてことはできないはず」


「……じゃあ、どうして犯人は村人たちに目撃されてないんだ?」


「その辺りの答えは、もう、ほとんど出ているようなものじゃない」



 リタはそれ以上を語ろうとはしなかった。僕を置いて、寝室を後にする。


 答えは出ているようなもの?

 まるでもう、犯人がわかっているような口ぶりじゃないか。


 モヤモヤとした気持ちを抱えながら、僕は再び、写真に目を落とした。


 もしかすると、聡明な彼女なら、この写真の不可解な点についても、すぐに思い至るのかもしれない。しかし、少なくとも僕にはその力がないということは明らかだった。


 なのに、どうしてだろうか。並んだ四つの名前がやけに鮮明に、頭の中に残り続けていた。






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