第四話「【凪の村】」
万能屋という職業は、難儀なものだ。
依頼人の言葉一つで、ありとあらゆる役を演じなければならない。それは料理人であったり、傭兵であったり、かと思えば、家事手伝いや単なる店番であったりすることもある。
つまるところ、何でも屋なのだ。あらゆる職業の、或いはあらゆる役割の代替を務めることを求められる。
あらゆる仕事に貴賤なく。
家事手伝いから殺しまで。
「なら、差し詰め今の私たちは――探偵ってとこかしら?」
村の外れ。衛兵の詰め所から村の中心に戻る道中、リタはおどけるようにそう言った。
大陸間横断鉄道の屋根の上の方がまだ快適だと思えてしまうような空の旅を終え、今回の現場である【凪の村】に到着したのは、あれからほんの十分くらいのことだった。
とりあえず現状を把握しようと、依頼を寄越した村長の住まいを訪ねた僕らだが、生憎、村長は留守にしているようだった。
仕方なく、次に事件に関する情報が集まってそうな衛兵の詰め所に向かったのだが――。
「……ほとんど収穫がなかったってのに、ずいぶんと元気だな。僕はまだ、吐き気が治まってないぜ」
僕は皮肉を込めてそう言った。彼女の荒っぽい飛び方は、少なからず僕の三半規管にダメージを与えていたようで、いまだに足がついていないような気さえする。
結果から言うと、僕らが詰め所で得られたものは、ほとんどなかった。
捜査資料はあるにはあったのだが、載っていたのはほとんどすべてリタが既に知っている情報だった。
「なによ。いいじゃない。こういうのはそう簡単に解決できたりしないものなのよ。今からちょっとしたことで一喜一憂してたんじゃ、身が持たないわ」
「そりゃ、ごもっともで……」
ぼやいてから、僕は辺りを見渡した。
村の中にはほとんど人影が見当たらない。建物の中には人がいるみたいだが、外を出歩いているものは皆無だ。
話によれば、事の始まりは五日前。とある少年が野草を摘みに行ったきり、帰ってこなかったそうだ。
村人が総出で捜索したが見つからず、最終的には狼にでも襲われたのだろうということになった。村長は子供たちに森への立ち入りを禁じ、夕方には家に帰るようにと命じたそうだ。
……しかし、翌日。またしても子供は消えた。
今度は、村の広場で遊んでいた少年が、ほんの少し目を離した隙に姿を消したのだという。一緒にいた子供たちがすぐに近くの衛兵を呼びに行ったが、いまだに発見には至っていない。
――そして、さらに。もう一人。
一昨日のことだという。村人は誰もが子供を家から出そうとせず、屈強な農夫たちだけが働きに出ることにしたという、その晩。夕食を囲み、湯を浴み、子供を寝かしつけた夫人が胸騒ぎを覚え寝室に戻ると――子供が、いなくなっていた。
そして、リタに依頼が来たのが昨日の夜。
急を要すると判断した彼女は、朝になるのを待ってから、この村を訪れたというわけだが――。
「なーんか、釈然としない話だよな。人さらいにしたって、家の中にいる子供まで狙う必要はないし、何より誰も犯人の姿を見てないってのが奇妙だ」
「だからこの村の人たちには、神隠しだと思ってる人もいるらしいわよ。っていうか、そうじゃなきゃ、私のところに依頼が来たりしないでしょ」
返すも返すも、【赤翼】は世界最高の万能屋だ。
とはいえ、全ての案件を等しく捌ききることなど、物理的にできようはずもない。リタの身に着けた技能で最も優れているものは、もしかするとその取捨選択をする能力なのかもしれない。
そんな彼女が急ぐ必要があると判断した一件だ。一筋縄で行くはずがない。
「……それに、気になることもあるしね」
気になること? と、僕はくり返す。
「今回の事件、こんな小さな村で起こったことなのに、目撃者が誰もいないっておかしくないかしら。怪しい人物――少なくとも、見慣れない顔の人間くらいは目撃されていてもおかしくなさそうだけど」
「……言われてみれば、そうだな」
【凪の村】は、彼女の言う通り決して大きな村ではない。
こんなところによそ者が現れ、悪事を働いていれば、すぐに見つかってしまうだろう。
「そうね、だから、考えられる可能性は主に三つよ」
そう言って、彼女は三本指を立てた。
「一つ目、犯人は変装して忍び込んでいる」
薬指を折る。
「二つ目、村人の中に犯人がいる」
中指を折る。
「そして三つ目。犯人は――私たちの目には見えなくなっている」
そして、最後に残った人差し指を、静かに僕に突き付けた。
「僕らの目に――見えない? 透明人間とか、そういう話か?」
「当たらずとも遠からずね。透明化や視覚疎外の魔術が挙げられるけど、あんたなら、他にも思い当たるものがあるんじゃないの?」
「……僕なら、だって?」
と、考えるまでもなく、そこに思い至る。
僕は死霊術師だ。大気に流れる魔力の代わりに、残留する人の霊魂と契約し、超常の力を行使する。
そしてなにより、霊魂は目に見えない。僕らは特殊な術式をもって死者と対話することはあるが、常に肉眼で視認することは不可能だ。
死霊術を使った悪事。それを働きかねない連中に――心当たりがある。
「……まさか、リトラ神父が、ここに?」
僕の命を狙う、死霊術師。
僕の家族の命を奪った男。
それがこの、一見何の変哲もない村のどこかに潜んでいるというのだろうか?
「……いや、どうなんだ? 確かに死霊術の研究には人間の死体が必要な場合があるけど、こんな回りくどい方法をとらなくても、必要なら連中は墓を暴いたりすると思うぜ。わざわざリスクを冒すこともないだろ」
あるいは。
こうしてこの村まで僕らを引き寄せることが、目的なのかもしれないが。
もしそうなら、僕らはもう既に術中にハマっていることになる。
「ええ、確かにそれはそうね。でも、健康な生きた子供の体なんて、いくらでも利用価値があるでしょ。この場合で重要なのは、不可視の手段が用いられた可能性がある、ってことじゃないかしら」
「なんだか、釈然としないな……。っていうかお前、もしかしてそれが理由でこの依頼を受けたんじゃないだろうな」
「わかってるじゃない。多少のリスクはあるけれど、できるだけ相手の動きには気を付けていたいのよ。それが万全を期す、ってことでしょ」
「何が『でしょ』だ。そのリスクを引き受けるのは僕なんだが?」
「些末な問題じゃないかしら。それに、私なら何が起きても対応できるわ。それだけの自信がなきゃ、あんたを連れ出したりしないわよ」
もう話は終わったとばかりに、リタは歩き出す。僕はその後ろい黙って続きながら、なんとなく、もやもやとした気分を持て余していた。
彼女に考えがあるのはわかった。同時に、もしかするとこの村に、僕を狙うものがいる可能性があるということも。
ただ、素直に頷いてやるのは、なんとなく癪だった。
だから、普段は口に出せずに呑み込めていたはずの皮肉が、思わず、口を突いてしまった。
「へいへい、わかりましたよ。そんなことを言ってて、子供に間違われて攫われたりしないでくれよ――」
と。
何気なく口にして。
「……あんた」
刹那、空気が凍り付いた。
前を歩いていたはずのリタが、立ち止まっていた。
僕はそれに気づかず、その背中にぶつかってしまう。「なんだよ、危ないな」なんて、悪態を吐こうとした、それよりも、早く。
「――今、なんて言ったのよあんたぁーーーー!!!!」
静かな村の空気を、怒号が引き裂いた。
そして、ものすごい勢いで振り返った彼女は、見たこともないくらいに恐ろしい形相で僕に詰め寄ると、そのまま乱暴に僕の襟首を掴み上げた。
激しい衝撃と不意を突かれた驚きで、喉からは「ぐえっ」と、蛙の潰れたような声が漏れる。
「だぁーれが子供っぽくてドチビで寸胴で幼児体型よ! この口が言ったの!? この口が!」
「ちょ、待てって……そこまでは言ってな……」
「いい度胸してるじゃない! 歯ぁ食いしばりなさい! 消し炭にしてやる――!」
ぐらんぐらんと激しく僕を揺さぶりながら、彼女はまるで威嚇する野生動物のように羽を広げた。
やめろ。吐き気がひどいんだから、これ以上揺さぶるな。というかお前、少なからず自覚があるんじゃねえか。
僕は心中でぼやくも、口にしたが最後、一緒に吐瀉物まで出ていきそうだった。
下手を打った。どうやら、地雷を踏み抜いたようだ。
ぶん、と、僕を地面に投げ出した彼女は、犬歯をむき出しにして、僕を睨みつけている。どうやら、話し合いの余地はないらしかった。
「そこに直りなさい! 術式詠唱略、『鉄の――』」
魔力が動く気配。おいおい、嘘だろ、そこまで本気で怒ってるのかよ。と、僕の背筋に思わず冷たいものが流れる。
咄嗟に土下座するべきか、いや、そんなことしてたら死ぬんじゃないか、ほんの少しだけ逡巡した体は、硬直を選んだ。いや、選ばなかった結果、固まったのだが。
パキパキっと、音を発てて彼女の翼を鉄の被膜が覆っていく。消し炭にするんじゃないのか。というか、その翼で何をするつもりだ。
言葉がいくつも浮かんで、ああ、辞世の言葉は何にしようかと、そこまで考えたところで。
「――お前ら、こんなところで何してんだ!」
唐突に割り込んできた声に、リタはその手(翼?)を止めた。
助かった、と、胸を撫で下ろした僕だったが、声の聞こえてきた方向――具体的には、僕の背後――に視線をやって、二度目の硬直。
そこに立っていたのは、体格のいい壮年の男たちだった。
数は五人。そしてその全員が鍬や鋤――あるいは、鉈やスコップなんかを僕らの方に向けている。
全然助かってなかった。
どころか、ピンチが加速していた。
「見ない顔だよなぁ、余所者か? ここで何してんだぁ?」
先頭に立っていた、栗毛を短く刈り上げた男が、手にした鍬を突き付けながら、僕らに言った。
彼らの服装を見る限り、恐らく、この村の農夫たちだろうか? どうやら、完全に勘違いされてしまっているようだった。
「ちょっと待って、私たちは怪しいものではないわ」
唯一の僥倖は、この窮地に立たされたことで、リタの怒りが収まったことだろうか。彼女はゆっくりと進み出て、事情を話そうとした。
「私たち、衛兵からの救援要請を受けてきたの」
「あ、救援? そしたらお前らが万能屋【赤翼】だってのか?」
「そうよ。ねえ、あんたたち、村長はどこに――」
言葉の続きは、ビュン、と鼻先を掠める鍬にかき消された。
リタはそれを上体を反らして最小限の動きで躱す。
「……何のつもりかしら?」
聞き返す彼女の声には、僅かに緊張感があった。臨戦態勢、とまではいかないが、突然の狼藉に、少なからず腹を立てたようだ。
「吐くならもっとマシな嘘を吐けよ、嬢ちゃん。【赤翼】って言えば大陸最強、生きる伝説だぜ――」
先頭の男が、嘲笑交じりに言う。その先を、口にしてはいけないとは知らずに。
「――お前みたいなガキが、【赤翼】なわけあるかよ!」
ぷつん。
男が口にするのと同時、どこかで何かが切れる音がした。
マズい。それは先ほど僕が踏んだ地雷と同じものだ。
「……リタ? はは、おい、落ち着けよ……?」
僕は恐る恐る、彼女の顔を覗き込む。
リタは怒りの形相だったりはしなかった。ただ、能面のような、感情の欠落したような顔で先頭の男を睨んでいる。
「……あはは。落ち着け、落ち着けですって。ええ、私は落ち着いてるわよ。至極冷静だわ」
みしり。足元を踏みしめると同時、固く痩せた地面に、深く足跡が刻まれた。
矛先がこちらに向いてないとわかっているのに、僕の背中にも冷たいものが流れる。
頼む。頼むから逃げてくれ。僕は心中で祈るが、届かない。
「なんだぁ? 本当のことを言ったまでじゃねえか。背丈なんて、村のチビどもと変わんねえんじゃねえのか? まだそっちの兄ちゃんの方が、細っちいが背も貫禄もあるってもんだぜ」
「ねえ、あんた」
リタは、僕の方を向きながら静かに微笑む。しかし、その目は明らかに笑っていなかった。
「あ、ああ、なんだ?」僕は震える声で、どうにか返事をする。
「ちょっと下がってなさい。彼らが私のことを疑ってるみたいだから、教えてあげることにするわ」
「ちょ、ちょっと待て。落ち着けって、な?」
「私は落ち着いてるわよ。ただ、こいつら、わかってないみたいだから……」
「ああん? 何こそこそ話してんだ。痛い目見たくなかったら、大人しく――」
彼が口にできたのは、そこまでだった。
稲妻のように、赤いローブを纏った矮躯が跳ねる。男との間にあったはずの間合いは一瞬で詰められ、そのまま、勢いよく振りかぶって――。
「体に教えてやる、って言ってんのよ!」
ああ、もう、どうにでもなれ。
諦めた僕の耳に響いてきたのは、リタの拳が正面にいた男の顎を打ち抜く音だった。
そのまま演じられる大立ち回りを眺めながら、僕は多難な前途を思って、一つ息を吐いた。
***
「ほっほっほ。うちの男衆がとんだご無礼を……お怪我はなかったですかな」
そう言って深々と頭を下げたのは、真っ白な髭をたくわえた、枯れ木のような老人だった。
顔のあちこちに刻まれた皺は、単なる年期だけでなく、どこか積み重ねてきた歴史と知恵を感じさせる。
あの後、村人たちをひとしきり殴り倒した(本当に嵐か何かのようだった)リタは、その中の一人――先頭に立っていた栗毛の男だ――の首根っこを掴むと、事情を話して案内役を命じたのだ。
村長はたまたま村の集会所にいたようで、僕らはすぐに応接室に通された。そして、今に至る。
「大丈夫よ。あんな連中じゃ傷一つ負わないわ。あなたが村長さん、でいいのよね?」
お怪我はない、どころか、お怪我をさせていた張本人であるリタは、横柄な態度でそう言い放った。
「おお、これはこれは。申し遅れました。私はこの村の村長であります、ロドリグと申します」
「ご丁寧にどうも。【赤翼】リタ・ランプシェードよ。こっちは付き人のジェイ」
僕は軽く会釈をした。スペクターの姓は、できるだけ外では名乗らないことになっている。
世間にスペクター家のことや、それが滅びたことがどれだけ広まっているかはわからないが、余計なトラブルは避けようという判断だ。
「これはこれは……思っていたよりもお二人とも、お若くて驚きましたな」
「見た目なんてのは些末な問題よ、ご老人。それよりも、仕事の話に移りましょう」
さっきまでその見た目のことで怒り狂ってた奴がよく言うものだ。と、僕はよほど言ってやりたかったが、流石にここで暴れられては敵わない。大人しく続きを聞いていることにした。
「我が村に今起こっていることは、先にご連絡した通りでございます。もう資料に目は通していただけましたかな」
「把握しているわ。三人の子供の失踪。だけではなく、家の中で寝ていた子供までもが気付かれないうちに消えている。こんな話は、聞いたことがないわ」
「ええ、うちに寄越されてる衛兵たちもお手上げでしてな。家の中でも安心できないとあっては、大人たちも安心して働きに出ることができません」
「の、割には威勢のいい連中がいるみたいだけど?」
リタはそう言うと、ドアの方に視線を向けた。
部屋の外には、僕らをここまで送ってきた農夫の一人が立っているはずだ。
彼らはそれなりの、働き盛りの歳頃に見えた。
どうして憲兵でもない彼らが、わざわざ僕らに襲い掛かってくるようなことをしたのだろうか。
「……彼らは、子を奪われた親と、その親しい友人たちなのです」
村長はリタの挑発を意にも介さぬように、落ち着いた様子で言った。
「憲兵たちに任せっきりにはしていられないということなのでしょう。日夜、ああいう風に村を見回り、怪しい人間に声をかけているようなのです」
「自警団、ってこと?」
「その、まがい物ですな。がむしゃらにやっているようですが、あれではかえって周りを怖がらせるだけでしょう。何度も止めるようにとは言っているのですが、この老体では、若い連中を抑えることなどできませんで……」
なるほどね、と、リタは納得したように何度か頷いた。
状況はやはりというか、芳しくないようだった。彼女の表情から、それは伝わってくる。
理由はどうあれ、リタがこの依頼を優先していなければ、手遅れになっていたかもしれない。
「とにかく、調べてみないことには始まらないわね。あまり時間もないみたいだし、とりあえず現場を回ってくることにするわ」
リタはゆっくりと立ち上がった。そして、速足で部屋の出口に向かったので、僕もその後ろに続くことにした。
「何卒……」と、村長の深々とした礼に見送られながら、僕らは集会所を辞す。
途中、扉を出たところにいた農夫の一人が、腫れの退かない目で恨みがましく見つめてきたりしたが、とりあえず無視することにした。
外に出ると、丁度太陽が南中しようかという頃合いだった。
普段であればそろそろ昼食を摂ってもいい時間だが、先ほど感じた吐き気のせいか食欲は湧いてこなかったし、どうやら、リタにもそのつもりはないみたいだった。
「さて……と、どうしたものかしらね」
伸びをしながら言った彼女は、口調とは裏腹に、迷いのない足取りで歩き出す。
僕はどうにか歩調を速めて、それに置いていかれないようにするばかりだ。
「どうしたもこうしたも、一か所ずつ回るしかないんじゃないか? さっき自分でも言ってただろ」
「それはそうよ。まずは自分の目で現場を見てみないことには話にならないわ。私が言っているのは、その先の話よ」
「……その先?」僕は繰り返しながら、首を傾げた。
「黙って着いてきなさい。行ってみれば――わかるわ」
釈然としなかったが、僕は黙って着いていく。
そもそも、僕に彼女の仕事を手伝う義務はない。
彼女が行くというのなら、僕にそれを止める理由は存在しないのだ。
この依頼が解決できてもできなくても、僕には何の影響もない。意見をして癇癪を起こされるだけ無駄なのだから。