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第三話「役に立つとは思ってないから」

「もう、今日は町の外まで行くから早く準備しといてって言っといたじゃない!」


 リタの怒声が、回想に沈んでいた僕の意識を引きずり上げた。


 部屋に飛び込んできた彼女は、出会った時と同じ真っ赤なローブに身を包んでいた。これは、彼女の仕事着だ。ということはもう彼女の方は身支度が済んでいるのだろう。


「ああ、すまん。すぐに準備するよ。あとは着替えるだけだから、先に行って待っててくれるか?」


 僕は軽く手を合わせながら、彼女に向かって頭を下げた。

 言い合っても、僕に勝ち目はない。ならば、さっさと謝っておくのがいいと思ったのだ。


 リタは何か言いたげだったが、しばらくしてから頭を振った。


「……わかったわ。今日は昼前までには目的地に着いてないとまずいから、早くするのよ」


 そう言って、部屋を後にした。彼女の真っ赤な長髪が扉の向こうに消えたのを確認してから、僕は一つ溜息をついた。


 四日。

 彼女との鮮烈な出会い、そして、この奇妙な共同生活が始まってから、もう四日が経とうとしていた。


 リタは宣言通り、寝るとき以外のほとんどすべての時間を僕と過ごしている。そのためなのか、僕があれから襲撃を受けるようなことは一度もなかった。


 どころか、リトラたちの一団の影すらも見えることはなく、日々は静かに流れていく。


 しかし、僕の心はまだ安寧(あんねい)を取り戻していなかった。

 結論から言うと、彼女との同棲生活は、決して穏やかなものではなかったのだ。


「ちょっと! いつまで寝てるの、日が暮れちゃうわよ!」


 僕の一日は、大体この一言から始まる。

 あの後、さすがに同棲はと食い下がった僕は、どうにか寝室だけは別にするということで手を打ってもらえた。


 しかし、それがいいことだったのかはわからない。代わりに彼女は怒号とともに、毎朝僕の部屋に飛び込んでくることになったのだから。


 というか、それだけではない。【イットウ】の階段を、支度もできてない僕の首根っこを掴んだまま引きずるようにして降りて行ったり、朝食のハムエッグのハムを奪われたりもした。


 ここをどこだと思ってんだ【夕暮れの街】だぞ、とか、静かに扉を開けられないのか、だとか、分けてほしかったら口で言え口で、とか言いたいことはいくつもある。


 ただ、それを口にしたが最後、リタは()ねたように頬を膨らませて、僕と口をきいてくれなくなる。


 僕は彼女に守ってもらっている立場なのだから、いざというときに、そんなくだらないことのせいで支障が出てしまったら元も子もない。


 だから僕はいつも、曖昧に誤魔化して、適当に謝って、どうにか過ごしてきた。

 決して過ごしやすい毎日ではなかった。しかし、人というのは怖いもので、時間が経てば非日常にすらだんだんと慣れていってしまう。


 彼女の横暴にも。

 彼女の頑固さにも。

 彼女が脛を蹴ってくる痛みは――慣れるのにもう少し時間が要りそうだが。


 しかし、まだ一つだけ、受け入れられてないものがある。


「さて、と」


 一張羅のスーツに身を包んだ僕は、懐を探りながら準備を進める。

 霊符、ライター、ハンカチ……順番に詰め込みながら、一つずつ確認していく。


 髪は……整えている時間はなさそうだった。あんまり遅くなって、また機嫌を損ねられたら敵わない。ピヨンと跳ねた前髪を撫でつけながら、部屋を出ようとして。


「っと、忘れ物忘れ物……」


 ベットの脇のサイドテーブル。そこに置かれていたのは、手のひらに収まる程度の大きさの、銀のロザリオだった。中心には血のように真っ赤な宝石がはめ込まれていて、上部から延びるチェーンが、窓から差し込む夕日をキラキラと反射していた。


 僕はそれを手に取って、首からかける。これは僕にとって、一番大切なもの。片時も手放すわけにはいかないのだ。


 そして、今度こそ部屋を出た僕は、リタの待つ一階に向かうことにした。


 【イットウ】は三階建てで、僕の部屋は二階にある。

 一階は食堂、三階は従業員の部屋になっているはずだが、まだ行ったことはない。


 リタも普段は三階で寝泊まりしているらしく、たまに上階から慌ただしい足音が聞こえるが、訪ねようと思ったこともないので、何をしているだとか、そういうのはわからない。


「……というか、嫌でも四六時中顔合わせてるしな」


 わざわざ聞こうと思ったこともない。

 軋む階段を降り切って、年季の入った食堂の扉を押し開く。


 僕が初めて訪れたあの日とは打って変わって、食堂の中は静まり返っていた。開店前の店内にはほとんど人気が無く、まるで、別の場所に迷い込んでしまったかのようだ。


「何ボーッとしてんのよ、あんた。早くこっちに来て座りなさい」


 静寂を割いて聞こえてきたのは、もうこの数日で嫌というほど聞いたヒステリックなソプラノだった。


 見れば、カウンター席に座る鮮やかな赤色と、カウンターを挟んだ向こう側に立つ長身の女性が目に入った。眠るように静まりかえった室内で、そこだけに人の気配が満ちている。


 僕は歩み寄ると、不機嫌そうにティーカップを傾けるリタと、ひと席だけ離れたところに腰を下ろした。同時に、僕の前に麦粥(むぎがゆ)の入った皿が差しだされる。



「おはよう、ジェイくん。今日もぐっすりだったかな」


「ああ、オレリア。おかげさまで。寝つきがいいのだけが自慢でな」



 僕はそれを受け取りながら、オレリアと言葉を交わす。この店の主人である彼女は毎朝、こうして朝食を作ってくれる。


 メニューは日によってまちまちだが、その味にハズレがないことは、この数日間で実証済みだ。



「寝つきがいいのは結構だけど」リタは匙を動かしながら言う。

「寝坊されるのも困るのよ。今日は町の外まで行くから、早く起きててって言ったじゃない」


「ああ、悪かったって……というか、それ、本当に僕も行かなきゃダメなのか?」



 僕はため息交じりに言った。

 諦めが半分、呆れが半分。けれど返ってくる答えはいつも同じだから、これも愚問なのだろう。


「何言ってるのよ。着いて来てもらわなきゃ、あんたのこと守れないじゃないの」


 彼女はさも当たり前のように、悪びれもしない様子で言う。


 世界最高の万能屋である彼女は、当然、多忙だ。

 僕の警護をしている今も、あちこちから大量の依頼が舞い込んできている。


 そして驚くことに彼女は――そのすべてを受注し、達成しているのだ。

 僕を守りながら、あちこちで仕事をこなす。両立するためにどうしているのかは、まあ、考えるまでもないだろう。



「僕が言ってるのはだな。仮にも命を狙われている依頼人を、あちこち連れ回すのはどうなんだって話で……」


「なによ、あたしのやり方に文句があるわけ?」


「いや、別にそういう話じゃ……」


「じゃあ、問題ないわね。ほら、さっさと食べる!」



 僕の抗議はこれ以上、どうやら聞いてもらえそうになかった。仕方がないので、僕は黙って粥を口に運ぶことにした。


 そんな僕らの様子を見て、オレリアは満足そうに笑っていた。一体何が面白いのかはわからないが、時折、二度三度頷きながら、僕らのやり取りを眺めている。



「……なんだよ、オレリア。僕の顔に何かついてるか?」

 それがほんの少しだけ(しゃく)に障ったので、僕はわざと刺々しくそう言った。


「いやあ、なんでもないよ。いい朝だなと思ったのさ」


「そりゃあ何よりだ。半分でいいから、僕に分けてくれないもんかね」


「はっはっは! そんな顔しないの。リタに依頼したのが運の尽きなんだから、諦めな。この子は言い出したら本当に聞かないんだから」


「どういう意味よ、それ。私だって別にわがままで言ってるわけじゃないのよ」



 むくれるリタをできるだけ視界に入れないようにしながら、僕は食事を進める。

 契約を結んでからの四日間、毎日がこうだ。休みなく毎日のように依頼をこなし、僕はそれについていくことになる。


 まあ、それで今のところ身の危険を感じたことはないので、警護に支障が出ているわけではないのだろう。付き合わされる僕はたまったものじゃあないのだが。


「ふう、ごちそうさま、オレリア。美味しかったわ」


 一足先に皿を空にしたリタは、椅子から勢いよく飛び降りると、そのまま店の出口に向かっていった。

 食休みとか、そういう概念はないのだろうかと、その様を眺めていると、彼女は突然振り返る。


「外で待ってるわ、時間がないんだから、急いでよね」


 待たせれば、また不機嫌になるのだろう。僕は皿をほとんど九十度まで達しそうな勢いで傾けながら、粥を喉の奥に流し込む。


 寝起きの胃に僅かに重さを感じながら、ぼんやりと僕は思考する。どうやら、今日もハードな一日になりそうだった。



 ***



 人生で、空を飛ぶことができる経験というのは何度あるだろうか。


 もちろん、運輸用の飛行船や、測量のための気球に乗るのが生業であれば毎日のようにあるのだろうが、大抵の人間は鳥が自由にはばたくのを見て、空に憧れるばかり。実際に飛んだことのある者など限られているだろう。 


 しかし、それを残念に思う必要はない。

 ――空を飛ぶってのは、そんなに気持ちのいいものではないからだ。



「今日はこのまま、西の外れまで飛ぶけど、大丈夫?」



 頭上から降ってくる声に、僕は「へーい」と気の抜けた返事をした。


 ふわり。涼やかな空の風が、僕の頬を静かに撫でる。肺いっぱいに吸い込む空気には混じりっ気がなく、どこまでも体の中に満ちていくようだ。


 しかしその清々しさは、脇から胸へかけての圧迫感と、宙ぶらりんの浮遊感のせいで、むしろマイナスに傾いていた。


 【夕暮れの街】、上空。

 初めて出会った時と同じ、白い翼を背中から生やしたリタに抱えられるような形で、僕は空を飛んでいた。



「なによ、適当な返事ね。折角の空の旅なんだから、もっと楽しめばいいのに」


「ああ、そうだな。ここが一等席なら僕だってそうしたさ」


「あんた、さっき大丈夫って言ったじゃない。まさか、なにか不満でもあるの?」


「『まさか』って付けるあたり、僕の命を握ってる自覚はあるみたいで良かったぜ。僕ぁ感激で泣いちまいそうだよ」


「何言ってるんだか。だいたい、私の胸に抱かれてるんだから、何よりの一等席じゃないの」



 その自信はどこから来るのか。

 一等席どころか、貨物室よりひどい有様だ。とは、さすがに言わなかった。僕だって命が惜しい。


 空の旅、そう言えば聞こえはいいが、恐らく傍から見れば、鷲に捕まったネズミか何かのように見えるのではないだろうか。


 加えて、十階建ての商館よりもはるか高く飛んでいる僕の体を支えているのは、少女の細腕が二本。低賃金の(とび)職だってもっとマシな命綱を着けているもんだ。


 彼女が僅かの手を滑らせれば、それで僕は真っ逆さま。景色を楽しむ余裕なんかない。

 恐怖を紛らすために、何か適当な話題を探して――ふと、大きく羽ばたく彼女の翼が目に入った。



「……なあ、そういえばなんだけどさ。やっぱこの翼って、『魔術』で生やしてるのか?」


「そうよ。ていうか、それ以外に何があるのよ」



 魔術。

 それは世界を支える理の一つ。


 この世界には、魔力(マナ)と呼ばれる力が満ちている。

 地面に、木々に、或いは海に。それは大いなる自然の持つ生命力であり、母なる大地の息吹でもある。


 それを吸い上げ、杖や札に刻んだ紋様(パターン)を通したり、呪文によって励起(れいき)させることで、超常の力として発現させることができる。この技術のことを、僕らは魔術と呼んでいる。


 と、こういう言い方をすれば物騒なものに聞こえるかもしれないが、実際はそのほとんどを、僕らはわりと日常的に利用している。


 料理をする際の火(おこ)しだとか。

 列車の動力だとか。


 その他にも様々なところで利用され、暮らしを支えている。というか、ほとんど暮らしの一部であり、生活にとって、なくてはならないものだ。


 もちろん、誰でも自在に使いこなせるというわけではないのだが、この純白の翼を見る限り、リタの腕は相当なものなのだろう。



「……どうでもいいでしょ、そんなこと」


「どうでもいいってことはないさ。翼を生やして自在に飛び回れる魔術なんて、初めて見たんだ。これって、かなり難しいヤツなんじゃないのか?」



 簡単な魔術であれば術式の詠唱によってマナを励起させるだけでいいが、高度な魔術を使用する際にはどうしても紋様が必要になる。


 たぶん彼女の場合は、この真っ赤なローブの内側辺りにでも紋様が刻んであるのではないだろうか。だから仕事の時にはいつもローブを着込んでいるのだなと、僕は勝手に納得した。



「そりゃあ、私は万能屋だもの。魔術師の代わりにならなきゃいけないこともあるんだから、魔術は一通り学んでるつもりよ」


「一通り、ってレベルじゃないぞ、これ。やっぱり【赤翼】って、この翼の魔術からつけられた名前なのか?」


「うるさいわね。私の羽なんて、あんたが気にしてどうするのよ。だいたい、あんたの『死霊術』のが特殊なんじゃないの?」


「まあ、そう言ってしまえばそうなんだけどさ。ちょっと気になったんだ」


「……いいけど、下らないことばっか言ってて、舌噛んでも知らないわよ」



 ぐいん、と、胸部に圧迫感。彼女が高度を上げたのだろう。肌に触れる空気の温度が、一段と低くなったような気さえする。


「なあ、これ、どこまで行くつもりなんだ? 西の外れって、あとどれくらいで着くんだよ」


 町の外に向かうというのは、もう昨日聞いている。

 だからそれはいい。しかし、このまま隣の町――大陸の端に位置する【夕暮れの街】から隣町までは列車でも数時間はかかる――まで飛ぶというのなら、話は別だ。


 もしまだ長続きするようであれば、三半規管の限界に胸の圧迫感も相まって、オレリア特製の麦粥を空に垂れ流すことになりかねない。


 端的に言うのなら、「吐きそう、あとどれくらい?」というところだ。

 彼女がそれを察してくれたのかはわからないが、返答は早かった。



「あと十分もしないわ。外壁から線路沿いに少し行ったところにある小さな村よ」


「そんなところに、天下の【赤翼】様が何の用なんだよ」



 僕は目いっぱいに皮肉を効かせてそう言った。しかし、彼女には通じたのか通じていないのか、さらりと流された様子で。



「何でも、子供が行方不明になって、見つかってないらしいの。それも何人も。最初にいなくなった子に関しては、もう数日になるって」


「……行方不明?」


「ええ。ある子は遊びに行ったまま帰ってこなくて、ある子は寝てる間に影も残さず消えてしまった。手がかりも町の自警団もお手上げってことで、私のところに話が回ってきたの」



 リタの声は真剣そのものだった。

 わがまま放題に見える彼女も、やはりこういうところはプロなのだなと思う。



「そりゃあ、大変だな。すぐにでも行ってやるべきだ」


「あれ、意外ね。あんたは嫌がるもんかと思ってたけど」


「どうして僕が嫌がるんだよ。困ってる人がいる、ましてやそれが子供だってんなら、急がなきゃダメだろう。僕が言ってるのは、そこに僕を連れていくのはどうかって話でな……」



 自慢ではないが、今日までに彼女が僕を連れて行った仕事現場で、僕が何か手伝えたことなど一つもない。


 コソ泥を捕まえてきてくれとか。

 お高い本の複写を手伝ってくれとか。


 書類をどこかに届けてくれだとか、そんな依頼ばかりだったからだというのもあるし、そもそもリタひとりで事足りた、というのもあるが――。


 そこで、彼女はうんざりしたように首を振った。


「まったく、何度言わせるのよ。あんたは私に黙って着いて来て、守られてればいいのよ。別に手伝ってほしくて連れてきてるわけじゃないし。というか――」


 と、いつの間にか視界からオレンジ色のフィルターが、ぺろりと剥がれ落ちていた。

 【夕暮れの街】を出たのだろう。まだたったの四日間しか経っていないのに、身を焼くように眩しい朝日が、とても懐かしく感じる。


 ぐっ、と。僕を抱える彼女の腕に、力が籠るのが分かった。憤りか、それとも、口うるさい僕に対しての彼女なりの抗議なのか。圧迫感に少しだけ苦しさを感じながら、僕はそれを聞いていた。



「――そもそも、役に立つとは思ってないから」



 僕らは飛ぶ。飛び続ける。

 はっきり言わなくてもいいじゃんか、と、ぼやいた言葉はどこにも届くことなく、風にほどけて消えていった。





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