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第十八話「新たな街へ」上

「【病の街】は、恐らく大陸の中で一番、人の出入りが厳しい街なのよ」


 リタがそう話したのは、大陸間横断鉄道、下り線のボックス席の中のことだった。

 あれから、すぐに【壁の街】を発った僕たちは、今日の最終列車に乗り込んだ。


 乗車までの間に仕掛けてくる可能性もある――とリタは気を張っていたが、その心配は杞憂に終わり、僕たちはある意味拍子抜けするほどに呆気なく、この座席に収まることができたのだ。


 先程、車内販売のワゴンから購入したカスクート。口いっぱいに頬張ったそれを飲み下してから、僕は言葉を返す。



「一番厳しい? それって、どういうことなんだよ?」


「言った通りよ、大陸にある街の中で、最も厳しく人の出入りを制限しているの」



 何故、とは聞かなかった。

 【壁の街】がそうであったように、呪いに侵された街には、呪いに対抗するための風土が生まれる。


 あの堅固な城壁がそうであったように、恐らくは、次の街でも。


「まあ、おおかた、あんたの予想通り」


 リタはそこで、紅茶を一口含んだ。単に喉を湿らせるだけではなく、一拍を開ける意味合いもあったのだろう。


 そうして、彼女は淡々とした調子で続ける。



「理由は単純明快――『病の拡散を防ぐため』よ。【病の街】で生まれる疾病の治療は、他の街では不可能だもの。容易に立ち入って、外部に持ち出されたら大惨事だわ」


「……確かにそうだな。なら、街に入るにはどうすればいいんだ?」


「これもまたシンプルよ。街に入れるのは医者とその家族、あるいは【病の街】の医療を頼みに訪れた患者のどちらかだけ」



 そこで僕は首を傾げた。

 リタは万能屋、僕は死霊術師。どちらも医者などではないし、傷こそ負ってはいるものの、病を抱えているわけでもない。


 何か、街に入るアテがあるのだろうか?

 と、その思考もまた、読まれているのだろう。彼女はポケットに手を突っ込むと、小さな金属片を取り出した。


 よく見てみれば、バッジか何かに見えるそれは、杖と蛇の絵柄と、中央辺りに数字の"1"が入った変わった意匠のものだった。



「医者としての資格くらいなら、私だって持ってるわよ。あんたは助手、一応その設定で行くつもり」


「医者の資格って……そのバッジか?」


「ええ、一級医療術師の資格証。これが無ければ、医療行為を行うことは愚か、医者を名乗ることすら許されないわ」


「確か、等級によって扱える病や症状が変わる……とかだっけか。うちの家で抱えてた町医者は、二級の医療術師だったぜ」


「それでも立派なものよ」リタは、ビスケットを噛み砕きながら。「三級を取るだけでも、合格率は三割に満たないもの」



 まあ、私は一発合格だったけど、と、それを口に出さなければいいものを。

 ゴウン、と音を起てて車窓が揺れる。どうやら、トンネルに入ったようだった。暗く閉ざされた窓に顔を映しながら、僕は黙考する。


 【病の街】。

 毒に倒れたラティーン。

 そして、何よりも――ついに動き出した、リトラ一派。


 考えなければならないことが、いくつもあった。心も頭も、どこかささくれ立ったかのように波打ち、安らぐことはない。


 これから、僕らはどうなるのか。その不安が、胸の中にあるキャンバスを、端から黒い絵の具で塗り潰そうとしていっている。


「……むしろ、私が気になってるのは、リトラが引き連れていたあの男ね」


 ぽつり。リタが呟いたのは、そんな頃合いの頃だった。


「リトラが連れていた男……?」


 口にしながら、僕は記憶を呼び起こす。

 まるで、黒い風のように動く、細身の人影。確かにただ者ではない風格が漂っていたが、一体……?



「そう、あの男、たぶん『戦闘屋』よ」


「『戦闘屋』……? って、何だよそれ」



 聞き馴染みのない単語に、僕は首を傾げた。万能屋――とは違うのだろうか?


「全然違うわ。私たち万能屋は"あらゆるものの代替となること"を生業としているの。だから頼まれれば、医者にだって戦士にだって、依頼次第ではパン屋の店番やベビーシッターにだってなるわ」


 それは、僕も知っている事実だ。


 実際、リタが目の前で華麗に依頼をこなしていくのも目の当たりにしている、時には探偵、時には狩人。そして、時には――護衛。



「でも、戦闘屋の連中は違うわ。あいつらは戦うことしかできない、戦うことしかしない。多岐に渡る習得者(マルチタスク)じゃなくて、一つの洗練者(シングルタスク)のプロフェッショナル。私も、真っ向からぶつかれば危ないわ」


「……驚いた、お前、『世界最強の万能屋』じゃないのかよ」


「いちいち癇に障るわね、もちろん最強よ。ただ、たった一つに絞った連中の強さは、侮れないって話」



 常に自信に満ち溢れた彼女に、ここまで言わせるとは。


 それだけ、あの細身の男は危険だと言うことなのだろう。確かに、僕はともかくとしてリタもラティーンも、あの男が現れたことに気が付いてなかった。


 そうでなければ、あの初見の一撃は成功しなかっただろう。底知れない何かを、あいつは持っている。


「それでも、何もかもがわからないってわけじゃないわ。少なくとも、戦い方はわかるもの」


 僕は静かに頷いた。あの細身の影は、ナイフを用いて素早い攻撃を仕掛けて来ていた。


 そこに搦め手は存在しない――少なくとも、偽イアンの使った虚を突くような攻撃ではなく、純粋な身体能力によるものに見えた。


「――100%、身体能力だけってわけでもないけどね」


 リタは、何かに気が付いているようだった。実際に刃を交えた彼女の方が、端から見ていた僕よりも解像度は高いだろう。



「まあ、お前のことだ。負けることは無いだろうと思ってるけどさ……」


「勿論よ、というか狙われてるのはあんたなんだから、自分のことだけ考えてなさい」


「はいはい……というか、僕らは良いにしても、マキナとラティーンは大丈夫なのか?」



 僕らは、【壁の街】に二人を残してきていた。

 危篤のラティーンを連れながら、リトラ一派の襲撃をしのぐのは困難である、といった判断からだったが、やはりそこにはリスクも存在する。


 リトラは街の中にもその手を伸ばしていたのだ。

 となれば、二人を人質にしてこちらを強請ってくる――そんな汚い手も、あいつなら取りかねない。


 ドラコは街の中に入れず、今、あの二人を守る戦力は存在しない。これはかなり、危険な状況なのではないだろうか?


 しかし、リタの反応はあっさりとしたものだった。


「そっちは心配いらないわ、マキナは優秀な結界術師だもの。戦うことこそできなくても、あの子が本気になれば、私だって締め出されるかもしれないわ」


 ラティーンが担ぎ込まれた病院、その周囲を囲むように強固な結界を張っているとのことだった。


 彼女は消耗するが、数日は保つだろう――というのが、リタの弁。どうあれ、毒の回りを考えれば残り時間は少ないのだから、可及的速やかに動かなければいけないのは変わらないようだ。


 ならば、僕たちが気にかけるべきは、やはり自分たち自身ということか。



「……そうだな、あんまり人のことも言ってられないか。前回は、この列車に乗っているときに襲われた訳だしな」


「そうね、あれは有翼人だったけど……今襲われたら、流石に私もあんたも相当キツいわよ」


「わかってるさ、今の状況で油断できるほど、呑気じゃない」



 相手の出方がわからない以上、できることは備えることだけだ。しかし、互いに傷を負っているこの状況で、四六時中気を張り続けているというのもまた、不可能である。


 故に、どこかで必ず、隙を晒すことにはなってしまう――それが致命的なものでないことを願うばかりだ。


 僕が気合いを入れ直すために一つ伸びを打てば、再び窓枠が鳴き、塗り潰されていた車窓に夜の情景が戻ってきた。

 トンネルを抜けたのだろうか、そう考えていた僕の目に、仄かな明かりが飛び込んでくる。


「……停車駅ね、私たちの目的地は、まだまだ先だけど」


 そう口にするリタの、紙背に隠した言葉を読み取る。


「ああ、わかってる。もしかすると、乗ってくる可能性もあるわけだ……」


 二人で揃って、車内に入ってくる乗客たちに目を向ける。下り線であること、そして、時間帯も相まってか、そこまでの人数はいなかった。


 しかし、油断はできない。その中にリトラの手下が紛れている可能性も、否定することはできないのだから。


 最後の一人までが列車に収まるのを見届けて、僕とリタは息を吐いた。



「ふう、怪しそうな奴は見当たらなかったな。そっちは?」


「私も、特に気になる連中は乗ってこなかったわね……とはいえ、気は抜けないけど」



 変装や、擬態の可能性もある。突然、車内で本性を表す可能性だって、無くはないのだ。


「まあ、そうなったらそうなったで、その時ね。ここはひとまず――」


 ――と、リタがそう口にしようとした、その時だった。


「――なんだよ嬢ちゃん、俺たちに難癖つけようってのか?」


 粗暴な言葉が、僕らの間に割り込んでくる。


 見れば、ボックス席を出たところの廊下。数人の人影が立っているのが見えた。見るからに乱暴そうな風体――明るい色の短髪と、横を刈り上げた長髪の、体格のいい二人組みだ――男たちと、彼らに囲まれるようにして、一人の少女が立ち尽くしていた。


 少女は白いローブに身を包んだ小柄なシルエットで、フードを被っており見えないが、長い髪を後ろに流しているようだ。年の頃は……恐らく、僕らと同じくらいだろうか?



「ご、ごめんなさい……でも、ここは私の席で、予約してて……」


「だからよお、何度も言ってるよなァ?」



 男のうち一人が、少女に顔を寄せるようにして威圧する。見るからに陳腐な脅しではあったが、彼女を萎縮させるには十分なようで、その白い肌がさらに血の気を失った。



「俺たちゃ、足を伸ばして座りてえんだよ、だから、俺らの一般席とお嬢ちゃんのボックス席を交換してくれって話!」


「わ、私も薬の材料を持ち帰らなきゃいけなくて、荷物が多くて、その……」


「あ? 何か言ったかよ?」



 見ていられなかった。

 まったく、こんな絵に描いたようなチンピラが本当にいるというのか。


 ちらりとリタに視線を向ければ、彼女も静かに頷く。どうやら同意見のようだった。慎重に行かなければいけない道行きとは言え、困っている人間を捨て置くことはできない。


「おい、待てよお前ら。カッコ悪いことしてるんじゃねえよ」


 ボックス席を出てゆき、僕は男たちに溜め息混じりの声をかける。狙い通り進んだ視線が二つと、怯えるような視線が一つ、僕の方に吸い寄せられた。



「なんだ、兄ちゃん。俺らに何か用かよ?」


「何か用か、じゃねえ。使い古された(テンプレの)脅しなんてやめとけって言ってるんだよ。イマドキ流行らないだろ、そんなもん」



 僕の言葉に、男たちは一瞬だけ驚いたように目を丸くした後、揃って吹き出すように笑い出す。聞かずとも、それが嘲笑であることは自明だった。


 長髪の男が、僕との距離をさらに詰める。それこそ、拳どころか膝や肘も届くような距離。そこで、彼はおどけたような調子で口を開いた。



「くはははっ、よう、兄ちゃん。正義漢ぶるのはやめとけよ、痛い目見るのは嫌だろ?」


「……なあ、お前ら台本でも持ってるのか? なら、作家に伝えとけよ、セリフのチョイスが二十年ほど遅れてるぞ……って」


「おい、馬鹿にするのも大概にしとけよ、お前」



 短髪の男が、腰元から何かを取り出す。暗い車内でも、それが短い刃物であることは視認できた。

 少女が短く悲鳴を上げる。確かに、荒事に慣れていなければ、突然の凶器は脅威に感じるだろう。


 しかし、僕の心は不思議なほどに穏やかだった。

 突きつけられた刃は、僕を刻むに十分足るものだ。貫かれれば負傷するし、もしかすると死ぬかもしれない。それは自覚しているというのに。


 ――揺らぐ輪郭の襲撃者。

 ――咆哮を上げる屍竜。

 ――そして、細身の戦闘屋。


 それらと比べれば、目の前の脅威のいかに矮小なことか。やれやれ、と首を振ってから、僕は両手を上げる。



「ああ、なんだよ、おっかねえもん出すなよ。お前、その粗末なもんで何をしようって言うんだよ」


「あ? 決まってんだろ。あんまり生意気言うんなら、痛い目に……」



 僕はそこで、内心ほくそ笑んだ。

 そう、彼らは僕に危害を加えようというのだ。勇敢にも、その手にある刃物一振りで。


「そりゃあ困るな、勘弁してほしいぜ――」


 短髪が言い切るのに被せるようにして、僕は背後に目配せをする。思った通り、僕らのボックス席は既に空になっていた。


 僕の護衛は――仕事が早いのだ。


「――なあ、リタ?」


 刹那、手から刃が跳ね上がる。それは勢いよく天井に突き刺さると、短髪は苦痛に呻いた。下方向からの蹴り上げは、手の甲に鮮やかな打撲の痕を残している。


 そのまま弧を描いた爪先が、短髪の顎を蹴り抜いた。途端、糸が切れた人形のように崩れ落ちていく。


 驚いたのか、長髪が僅かに後方を確認しようとした。その瞬間、膝裏に鋭い一撃が叩き込まれる。加減はしただろうが、世界最強の一撃だ。しばらくは立ち上がれるまい。


「やっぱあんた、カッコつけすぎよ」


 そこまでを終えて、リタは跪いた長髪の背中の上に軽やかに降り立つと、芝居がかった調子で肩を竦めた。



「なんだよ、その割にはノリがよかったじゃないか。しっかり、前振りが終わるまで待っててくれたしさ」


「私だってこいつらにはムカついてたけど、今の私は仕事中だもの。何か理由がないと、それこそ、護衛対象が襲われでもしないと、戦うわけにはいかないわ」



 へいへい、と僕は頷いた。そして、足元に転がる無様な連中に視線を落とす。今だに長髪の方は僕らに怒りのこもった視線を向けようとしてくるが、自分の上に立っている人間との戦力差を推し量る程度の知能はあるようで、それ以上動こうとはしなかった。



「……で、こいつらどうする? 叩き出そうにも、次の停車駅はまだ先だろ」


「放っときましょ。どっちにしろ、これだけの騒ぎなら車掌が来るわ。後は、そっちに任せておけばいいわよ」



 そういうものか。確かに、リタは音もなく二人を仕留めてみせたが、彼らが他の乗客に絡んでいたのは間違いない。


 と、僕が自分たちの席に戻ろうとしていたところで、不意に。


「あ、あの、ありがとうございます!」


 少女が、ペコリと頭を下げた。

 揺れるフードに目をやりながら、僕は適当に片手を上げて返す。



「ああ、いいんだ、止めてくれよ。僕は何もしてないからさ」


「本当にね、やったのはほとんど私じゃない」



 ジロリと睨んでくるリタを適当にいなすと、少女は顔を上げる。シルクを思わせる肌に、柔らかな瞳。口元は不安のせいか、僅かに開かれていたものの、ほんのりと桜色の唇が、やけに鮮やかだった。


「わ、私、【病の街】で医療術師をしている、シーナと申します。お二人とも、なんとお礼を言ったらいいか……」


 名乗るシーナをよそに、僕の視線は一箇所に吸い寄せられる。確かに、彼女の胸元のあたりに光っているのは、リタが持っていたのと同じバッジのようだった。


 リタのものに刻まれた数字は"1"だったが、こっちには"3"が刻まれている。これはつまり、彼女が三級医療術師であることを示すものなのだろう。


「そうか、僕はジェイ。こっちは護衛のリタ。ちょうど僕らも【病の街】に向かうところだったんだ――」


 と、そこまで話したところで。


「……駄目です、今の【病の街】には、来てはいけません」


 シーナの顔が、悲しげに歪む。ただ事ではない様子に、思わず僕らは眉を寄せた。


「……シーナさん、って言ったかしら。その、どうして、街に行ったらいけないの?」


 リタが尋ねる。注意深く、シーナを怯えさせないように。頭の端に過った確信のようなものを、言葉に乗らないように注意を払いながら。


「はい……今の街は、物騒なことになっているんです。つい先日から――」 


 嫌な予感が、心拍を加速させた。

 そして、そういう予感ほど、当たってほしくもないのによく当たるものなのだ。


 どくん。

 どくん。

 どくん。


 たっぷり三拍を置いてから、シーナが口を開く。



「――死者が、歩くようになったんです」




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