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第十七話「襲撃、そして」

 リトラ・カンバール。

 思えば彼が父の門下に入ったのは、随分と最近のことだった。


 とはいえ、ゆうに十年以上前の話ではあるのだが、それでも幼少期から訓練を積むことが多い死霊術師にとって、それは十分に最近の出来事なのだ。


「ジェイ、紹介しよう。今日から新しく、うちに入門したカンバールさんだ」


 父にそう紹介されたときに、僕は少なからず驚いていた。最近、街外れの教会に赴任してきたという神父様。それが、門下生として目の前に立っていたからだ。


「よろしく、ジェイくん。確か……先週末の集会を手伝ってもらって以来だったね」


 握手を求めてくる若き日の彼は、柔和な笑みと、人好きのする声色――けれど、目元のクマが酷く、心に何か抱えていることを匂わせるような。


 そんな、どこにでもいる青年だったことを覚えている。


「よし、それでは、邸内を案内しよう。主に、修行場として使うのはこちらの部屋でね……」


 父の後をついて、その場を立ち去ろうとした彼が、振り返るその刹那。首元に揺れる真鍮製のロケットが、鈍く光っていたのを覚えている――。



「――リトラ、神父っ……!」


 心に湧き出してくる憎しみと恐怖、それらを押さえつけて、どうにか絞り出した僕の呼びかけを、彼は余裕の笑みで受け止めた。



「いかにも、私だが……少し違うね、神父の地位はもう辞してしまったから、ただのリトラ・カンバールが正しい」


「そうかよ、それにしちゃ気合の入った服装をしているみたいじゃないか」


 言葉を交わしながら、僕は少しずつ頭を冷やしていく。

 焦っても、恐れても、状況は一つとして好転しない。冷静に思考を回して、現状を把握する。


 僕は霊符を吐き出しきっている。リタの傷も、決して浅いものではない。そして言うまでもなく――ラティーンには、今すぐにでも手当てが必要だ。


 状況は考え得る限りで最悪。それでも、どうにかこの場を乗り切る方策を練らなければならない。



「フフフ、人を弔うのなら、この服装の方が適しているかと思ってね。葬送には礼を払ってしかるべき、君のお父様から教わったことだよ」


「はっ、なんだそりゃ。まだマトモな葬式なんてやってたのか? てっきり、屍者や悪霊作りにお熱なもんだと思ってたぜ」


「ああ、弔う必要があるだろう――およそ、三人ほどね」



 彼がそこまでを口にするのと同じタイミングで、傍らに控えていた人影が動き出す。


 最初に感じたのは、"細長い"だった。恐らく身の丈は、ラティーンと変わらない程になるだろうか。けれど、体つきは細く、最低限の筋骨しか無いようにすら見える。


 人影は、まるで一条の風のように、再び飛来する。尋常ではないその速度は、僕では目で追うことすら叶わない――。


 ――だが、彼女にとっては、止まっているも同然だろう。


「――無視、しないでくれる?」


 鋭い刃での一撃を、鉄の翼が受け止める。自然、鳴り響く金属音。


 衝突の衝撃は凄まじいものの、リタは微動だにしなかった。体格差などものともせず、細身の影を払い除ける。


 勢いよく後方に吹き飛ばされた人影は、地面を擦るようにして滑っていくと、緩慢な調子で立ち上がる。

 その様を目にしたリトラが、おどけるように手を打ち鳴らした。



「やるな、【赤翼】。かなり消耗したものだと思っていたが、まだそこまで動けるか」


「あんたたちみたいな三下なら、いつ来られても一緒よ。何度だって消し炭にしてやるわ」


「強がるのはやめろ。魔力の出力は下がり、全身に打撲と擦過傷。それでは、普段の半分も力は出せるまい」



 リタの顔が、僅かに歪む。

 図星だったのか、仮にそうでなくとも、彼女が万全の態勢でないことは間違いないだろう。その証左として、僅かに翼の位置が下がっている。


 それに、このまま戦えば、仮に勝てたとしてもラティーンが手遅れになる可能性が高い。むしろ重要なのはそちらの方だ。



「……ふうん、じゃあ、あなたたちは今、ここで私たちと戦うっていうのね」


「ああ、勿論だ。まさか屍竜と戦っているとは思わなかったが――この一ヶ月で、今が間違いなく一番弱ったタイミングだ。違うか?」


「そうね、確かに、ここひと月では一番の窮地だわ」



 僕はそこで、違和感を覚える。


 返すリタの口ぶりが、いやに静かだったのだ。動揺を見せたくないというのは、わかる。けれど、そうではない、この場を乗り切るための方策があるかのような、そんな余裕を思わせる。


 同じ違和感を、リトラも抱いたのだろう。気味の悪い態度は黙らせるに限る。彼が手を突き出すと同時、再び細身の人影が動き出す。


「さあ、どうしましょう。どうしたらいいんでしょう――」


 それをひらりと躱しながら、リタは背後に目配せをして――。



「――ねえ、ドラコ!」



 その声に呼応するようにして。


 辺り一帯を吹き飛ばすほどの壮絶な爪撃が放たれる。もちろん、その狙いは人影とリトラ。自らの主を傷付けた敵を許すまいと、最強種の猛撃が繰り出される。


 景気の悪いリトラの顔が、さらに引き()る。間一髪で攻撃を避けた彼は、懐から杖のようなものを取り出すと、それを目前に構えた。



「……竜種か! しかし、竜騎士は倒れたはず……!」


「馬鹿ね、私は万能屋。ラティーンほどじゃなくても、操竜術式の心得はあるわ」



 口にすると同時、足元の地面伝いに励起した紋様が、ドラコに向かって伸びているのが見えた。


 歴戦の使い手であるラティーンと同じく、人竜一体――とまではいかないが、その動きを操ることは造作もないのだろう。

 そして、その戦力は僕たちも身を以て知っている。



「……なるほどな、今、ここで戦うのはリスクが高いか」


「ええ、そうよ。わかったのならお帰りいただける? 私、とっても疲れてるの」



 うっかり、あなたたちを踏み潰してしまいそうなくらいに――。


 そう結んだリタの台詞に、リトラは不敵な笑みを返す。暫しの間睨み合った二人は、やがて鍔迫りが弾けるように、視線を外した。


「――ふむ、私はそれで構わんよ。宿願を果たしたとしても、野蛮な竜種に殺されたのでは敵わんからな」


 すんなりと、リトラは背を向ける。あまりにも呆気なく。その様に、僕も思わず眉を寄せる。逆転を許したこの状況を鑑みてだろうか、それとも何か、他に意図があるのかと訝った僕の思考が、順転するよりもさらに早く。


「――ああ、そうだ。君たちは少しばかり、急いだほうがいい」


 不吉な予感は的中し、彼はピタリと足を止め、上体だけで振り返った。



「急ぐってなんだよ、ケツまくって逃げるのはそっちだ、急いで逃げるのなら、お前こそ急いだほうがいいぜ」


「フフフ……そうではないさ、坊っちゃん。私は逃げるのではなく、機を待つだけのことだ」


「はっ、どうだかな。逆転を許して、内心焦ってるんじゃないのか? 弱ってる僕らを見つけて、チャンスだと思っただろうにな!」


「どうとでも、勝手に取るといい。しかし――そこの竜騎士に時間が無いのは事実だ」



 竜騎士。

 その言葉に、僕は腕の中のラティーンを確認する。酷い出血、苦悶の表情、否、それだけではない。


 彼の傷口、その辺りに何やら黄色みがかった褐色の液体――身近なもので例えるなら、膿に近い――が付着しているのが見えた。


 これは、と三文字を浮かべるまでもなく、僕はその正体に至る。



「まさか――毒か!?」


「御名答、即効性の致死毒だ。すぐに治療をすれば命は助かるだろうが、遅れれば……」



 一瞬で、全身を激情が支配した。


 僕の家族たちだけでなく、【壁の街】ではマキナを襲い、今回はラティーンまで。一体こいつらは、どれだけのものを傷付ければ気が済むのだろうか。


「リ、ト、ラぁぁぁぁぁあッ!!!」


 ラティーンを抱き留めていなければ、恐らく僕は駆け出していただろう。


「――ッ!」


 そして、それは僕だけではなかったようだ。リタが一歩を踏み出す。体の傷にも構わぬ、それは激情に任せた突撃。


 声にならぬ叫びとともに放たれた羽弾は正確にリトラの体を捉える。


 しかし。


「――また会おう、坊っちゃん。そう遠くないうちに、ね」


 細身の人影が、全ての羽弾を叩き落とす。たったの一発も、たったの一撃も、彼には届かない。


 歯噛みする僕らを尻目に、黒いスータンは闇に溶けていく。そうして、瞬く間に彼は姿を消してしまった。


 残されたのは、傷ついた僕たち。交戦の熱も冷めぬまま、ゆっくりと息を整え、彼が消えていった闇を睨み続ける。


「くそっ、リトラ、あいつ、どうして」


 呟くも、答えはない。相容れない敵に答えを求めることほど滑稽なこともないだろう。

 理由はない。あっても、理解できない、彼と自分はそういう存在だとわかっていても、それを抑えることはできない。


「……ひとまずこの場を凌いだことで、よしとしましょう」


 羽を畳んだリタが近付いてくる。らしくない弱気な発言は、消耗の具合を伺わせる。

 屈み込んだ彼女は、ラティーンの傷に手を添えた。鎧を貫通した刺し傷は、決して浅くはない。


「……う、り、リタ……悪い、な……」


 弱々しく漏らす彼の言葉には、普段見せていた豪快さは無い。年相応に――否、それよりもはるかに萎んだ彼の様子は、不安感をこれでもかと煽り立ててくる。


「大丈夫よ、私が手当てするわ。すぐに【壁の街】に戻りましょう――」


 穏やかに口にした彼女は、何事もなかったかのように撤退の準備を始めた。


 その手が、僅かに震えているように見えたのは――気のせいだったのだろうか。



 ***



 【壁の街】は、大陸の中でも有数の都市だ。


 『呪い』の魔物たちから民を守るために建設された壁は、イコールで街の安全性を担保することに繋がっている。そのため、多くの商人がこの街を訪れ、そのまま腰を据えることも多いのだ。


 必然、集まるのはモノだけではない。ヒトも技術も、多くのものがここには集まる。故に、医療技術も決して低くはないのだが――。


「――駄目ね、ここにある設備じゃ、完治させるのは難しいわ」


 ここは【壁の街】の病院。

 自分の分の手当てを終え、待合室で随分と長いこと待たされていた僕に、リタはそう言った。


 胸を貫かれたラティーンの治療。それは数時間にも及び、処置室から出てきたリタがそうぼやきながらソファに倒れ込む頃には、空が西日に染まり始めていた。



「完治させるのは難しい、ってどういうことだよ。傷は塞がったんだろ」


「ええ、無事に止血も、縫合も上手くいったわ。けど……」



 リタは言い淀む。あの後、最低限の応急処置のみを施した後、ドラコの背に乗って街まで帰ってくることができた。


 ラティーンの傷は、常人であれば致命傷となりうるものだったが、そこは原初の竜騎士。ほとんど気力だけで、ここまで耐えてきたようだった。


「リタ様、あとは私が説明する」


 言い淀むリタをよそに、小さな影が近付いてくる。治療の助手としてついて行ったマキナだ。

 彼女は無表情を崩さず、かと言って無感動なわけでもなく、淡々と事実のみを口にする。



「傷はどうにか塞がった。リタ様の医療魔術は、街の一流の医者たちと比較しても遜色ない」


「……っ、なら」

 僕は僅かに、腰を浮かせながら。


「問題は、毒の方。この街にある薬では解毒できない、特殊な毒」



 特殊? と僕は首を傾げる。



「恐らく、魔物由来の毒ね。普通の解毒薬や魔術では、回復は見込めないわ」


「そんな、それじゃ、ラティーンは……」



 リトラは『即効性の致死毒』と言っていた。

 それが回復できないというのなら、もう、彼は――。



「諦めるのは早いわよ」リタはソファから上体を起こす。「症状の進行は魔術で抑えたから、今すぐどうこうってことはないはず。それに、解毒する方法も無いわけではないわ」


「……心当たりでもあるのかよ」



 僕の問いかけに、リタは逡巡するように視線を彷徨わせた。

 恐らく、確信は無いのだろう。だから、それを口にしてもいいかどうかの迷いが、僅かに彼女の判断を鈍らせている。


 けれど、今はなりふり構っている場合ではない。それは、彼女にもわかっているから――。



「――あるわ。あらゆる毒や病に襲われ、それでもその研究を続けることで生き残り続けてきた街……」


「リタ様、もしかして、【病の街(クルーエル)】に行くつもり?」



 マキナの言葉に、リタは無言の首肯を返した。


「【病の街】……?」


 首を傾げる僕に、答えたのは再びマキナだった。



「ジェイ様、【病の街】のことは知らない?」


「……ああ、なにぶん、田舎者なもんでな。あんまり、他の街には詳しくないんだ」



 そもそも、生家が焼かれなければ故郷を出ることもなかっただろう。僕のような若造の見識など、そんなものだ。


「【病の街】は、大陸の中心地よ」


 そんな僕に補足するためか、リタが体を起こしつつ口を開く。


「定期的に、治療法の存在しない病が湧き出る呪いがかけられた街――それ故に、医療の発達は他の地域に比べて著しく、現代では不治とされる病ですら、治る可能性がある」


 納得した。つまり、【壁の街】と同じく、呪いによってある種の定向進化を成し遂げた街ということか。



「……そこなら、魔物の毒の治療も?」 


「ええ、恐らく可能だわ。それに、ここからなら大陸間横断鉄道で二時間もかからない」



 僕は空に目を向ける。日は沈みつつあるが、今すぐに動き出せば、列車の最終便には間に合うだろう。


 ならば、と僕は腰を上げる。包帯でぐるぐる巻きになった両腕は今もジンジンと痛み、擦過傷と挫傷の残る体は、僅かに動かすだけで不調を訴えた。


 それでも、考えるよりも早く体は動く。行かねばならぬと、立ち上がる。

 そんな僕に待ったをかけたのは、意外にもリタだった。彼女はソファに掛けたまま僕のことを見上げ、静かに言う。



「……先に言っておくわ、もし、【病の街】に行くのなら、今までの比にならないくらい危険な道行きになるわよ」


「危険な、道行きか」僕は言葉を反芻する。


「ええ、私たちが弱りきっていることは、もう向こうにバレてるわ。街に着いてから、あるいはその往路か――どちらかで、必ず仕掛けてくる」



 彼女の声には、かつてないほどの緊張感が漲っていた。

 あの場での戦闘こそ避けられたとはいえ、僕もリタも負傷が回復したわけではない。そして、道中の僅かな時間で回復するとも思えない。



「それだけじゃないわ。流石に他の街に行くのに、ドラコを連れて行くわけにもいかない。状況だけ見れば、あそこで戦うよりもさらに悪化してるわね」


「……だろうな、というかあの時も、ドラコがいなけりゃどうなってたかわからない」



 リトラは、一人ではなかった。

 前回も手下を引き連れてはいたが、今回はあんな有象無象とは違う。


 リタと撃ち合い、そしてラティーンを刺したあの細身の人影。あいつは一体、何者だったのだろうか?

 少なくとも、彼女と真っ向から戦り合えるだけの力がある――それだけで警戒に値することは間違いない。


「そう、敵の正体も、私たちは全く掴めていない。もしかすると、目的地に辿り着くこともできないほどに、熾烈な戦いになるかもしれないのよ」


 脅しをかけてくる彼女の言葉に、僕は笑みを返した。


 熾烈な戦い、それも結構だ。そもそも、リトラをあの場に呼び寄せてしまったのは、僕が原因なのだから、自分で責任を取らなければならない。


 そうしなければ、僕は、自分で自分が許せないだろう。


「……それに、リタ、お前もいるしな」


 聞こえるか聞こえないか程度の声で、僕は呟く。聞こえなくたっていい、むしろ、その方が好都合でさえある。



「は? あんた、今なんて……」


「信頼してるぜ、【赤翼】サマ。って言ったんだよ!」



 僕は歩き出しながら、肩にジャケットを引っ掛ける。全身のあちこちが痛み、滲んだ涙を指先で拭う。


 どうあれ、もう、逃げ回るわけにはいかない。関係のない人をこれ以上傷付けられないためにも、どこかで覚悟を決める必要はあるのだ。


 リタは、そんな僕を見て一つ息を吐く。呆れが半分、残り半分は、斜に構えるポーズだろう。きっと、彼女も同じ気持ちに違いはないのだから。


「……それじゃ、行きましょうか。目的地は【病の街】。目標はラティーンの解毒法を見つけること……いいわね?」


 静かに頷く。ここ一ヶ月、ずっと面倒事は避けたいと思っていたはずなのに、危険になど、飛び込んでいきたいと思っていなかったのに。


 僕は始めて、自らの意思で――苦難の道に、足を踏み入れたのだった。


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