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第十六話「竜の息吹」

 ドラコは恐らく、竜種の中ではまだ子供なのだろう。


 それでもあの体躯だというのだから、全く竜種という生き物は恐ろしいのだが、少なくとも現状においては、それが明確な差となっているようだった。


 ガキン、ガキンと、幾度となく互いの爪を打ち合わせる二頭の竜種。

 死後十年以上が経過しているとは言え、朽ちぬ竜の体だ。ドラコよりも成熟した竜の死体を元にした屍竜の方が、力としては上のようだった。


 ぐらり、とドラコの体が揺らぐ。そこを見逃さず、首筋に噛みつかんと屍竜の牙が迫る――。


「――ハッハァ! そうはさせるかよ!」


 しかし、それは唐突に突っ込んできた騎竜兵の槍に阻まれた。ドラコの背中を蹴って、屍竜の首元に目掛けて槍を叩き込んだラティーンは、その体表を蹴るようにして翻り、再び竜の背中に舞い戻る。


 慮外の一撃に不意を突かれたのか、ほんの僅かな時間、屍竜の澱んだ瞳が視力を失う。それを逃さず、赤色の風が飛来する。


「そこよ、『鉄の翼』ッ!」


 風を薙ぐ音と共に、振り抜かれる鈍色の翼。ここにきて始めてのクリーンヒットだ。

 しかし、屍竜は事も無げに頭を起こす。まるで、これっぽちも効いていないかのように。


「……あれを平然と受けられちゃ、たまったもんじゃないわね」


 ぼやくリタの脇に、ラティーンとドラコが並ぶ。



「仕方あるめえよ。相手は腐っても竜種、決定打を与えられるのは、同じ竜種のドラコだけだってこったろ」


「悔しいけど、そうみたいね。もう少し削れると思ったけど……」



 削るも何も、屍竜は健在。リタの猛攻が効かなかったわけではないのだろうが、少なくとも力を削ぐようなダメージを与えられていないのは事実だ。


 ラティーンたちの参戦で戦況は好転した。しかし、決着には程遠い。

 歯噛みするリタに、ラティーンは静かに言い放つ。



「なら、もういいなリタ。こっからは、俺の作戦に従ってもらうぜ」


「……仕方ないわね。今はそれが、最適解みたい」



 僕は一人首を傾げた。作戦? もしかして、昨日僕がいなかったときに、何か取り決めをしていたのだろうか?


 確かに、時間稼ぎを請け負ったのが、決め手を持たないリタなのは違和感があったが、それ以上踏み込もうとはしなかった。


 二人の間に何か取り決めがあっても、おかしくはないが――。



「よし、そうしたら早速だが……おい、坊主」


「……僕か?」意外な指名に、思わず目を見開く。


「そう、お前だ。さっきの魂を掴む術――あれ、どのくらい稼げる?」



 手のひらに目を落とす。

 皮膚は爛れ、血が滲む。竜の中身に触れた代償は、決して小さくはなかった。ただ握るだけで、激痛が走る。


 それに、さっきは必死だったからたまたま上手く行ったのだ。出来損ないの僕にとって、『生者の葬列』は決して成功度の高い技ではない。



「……できて、五秒。それだって、確実じゃないけど」


「よし、そんだけありゃ十分だな。やれ」



 ラティーンは納得したように頷き、僕にそう告げた。事も無げに、或いは、当たり前のように。



「やれって……向こうだって、当然それは警戒してくるだろ、そんなに上手く――」


「なら、そこは私がカバーするわ」



 リタが横合いから声を張る。彼女の表情は読めなかったが、決して穏やかな顔をしていないであろうことだけは、声色から読み取れた。



「私が、あんたを守り抜く。だからあんたはとにかく、術を使うのに集中しなさい」


「……いや、そんなこと言われても、僕に」



 僕に。

 僕に、できるのだろうか?


 僕は半端者だ。スペクター家の修行も、半ばで逃げ出している。さっきは確かに上手くいったが、それは紛れのようなものだ。


 もし、ここで失敗してしまったら、僕らは――。



「よう、坊主。お前の使う死霊術、スペクター家の術式は、魂に直接触れることができるものだったな」


「ああ、そうだ。でも、僕は……」


「魂に触れる術なんざ、そこのリタでも使えねえよ。曲がりなりにも、死霊術師の代替として働けるように身に着けたそいつが、だ。この場でそれが可能なのは、お前しかいねえ」



 最強の万能屋にも。

 原初の竜騎士にもできない。

 出来損ないの死霊術にしか、できないことがある。



「……仮に、僕がそれをできたとして、勝算はあるのか?」


「おう、後は俺とドラコに任せとけ。きっちりとカタをつけてやる」



 話し込む僕らに、屍竜の爪が飛来する。ドラコがそれを横合いに逸らしつつも、辺りは舞い上がった粉塵に隠される。


 不明瞭な視界の中、いやに低く落ち着いた声が、僕の耳に届いていた。


「……失敗してもいい、なんて言わねえ。一発で決めろ。それができると、俺ぁ信じてるぜ」


 信じる?

 僕を? 

 兄貴や妹と比べても落ちこぼれで、名家の面汚しである僕を、信じるって?


「……簡単に言ってくれるな、おっさん」


 意外だったのは、それが存外嬉しかったことだろうか。


 僕は懐に手を差し入れる、残った霊符の数を数え――これならば、確かにあと一回は『生者の葬列』を使えるだろうと、把握する。


 迷いは、数瞬。ずっと言われたかった言葉をかけてくれたことに対する喜びが後押ししたのだろうが、それを認めることは、最後までしたくなくて。



「――わかった、わかったよ! やればいいんだろ、やればッ! その代わり、死んでも弔ってやらないからな!」


「いらないわよ、あんたの弔いなんて。だって死ぬつもりは毛頭ないもの」


「違いねえ。死ぬために戦う馬鹿なんて、どこにもいねえからな!」



 足元に札を叩きつける。同時に展開されたそれらは、再び複雑な紋様を構成し、そこに霊視の力が満ちる。


 こうなりゃ、ヤケだ。やるだけやって、駄目なら駄目。僕は詠唱のために、大きく息を吸い込んだ。


 しかし、それが致命的であることは屍竜にも伝わったのだろう。喉が膨らんだかと思えば、紫色の吐息が吐き出される。


「――させないっ!」


 それを、リタの鋼の翼が受け止めた。竜の毒はドロドロとその表面を溶かしていくが、次から次に生え変わる羽根が、それを押し留める。


 互いの威力は互角。かもしれないが、空中での踏ん張りが利かない分、リタが不利になるくらいだろうか。

 それでも、拮抗は長く続かない、彼女が身を捻りながら飛び退くのと、毒の吐息が途切れるのは同時だった。


 けれど、すぐに二の矢――振り抜かれた尻尾が迫る。身動きの取れない僕は、このままでは為す術なく吹き飛ばされるだろう。


「術式詠唱略――結界術式(ガード)、『三重(トリプル)』ッ!」


 リタの声が響き、そんな破壊の嵐は、僕のすぐ横合いで停止する。見えない壁、それがどうやら、竜の尾を押し留めたようだ。


 僅かに生まれた隙。そこに赤い閃光が飛来する。鋼の翼は、さらに大きく。もう数え切れないほどの『今度こそ』を超えるため、加速する。


「――『鉄の翼』、『巨翼』!」


 限界の速度に至る巨大な翼を、竜の爪が迎え撃つ。微かに、屍竜の爪にヒビが入るのが見えた。

 ここまでの幾度もの衝突が、ついに石を穿つ時が来たのか――僕の胸に、僅かな安堵が広がる。


 ――が、それでも相手は最強種。


「……なっ!」


 屍竜が咆哮を上げる。それは至極生物的な、外敵に対する防御反応だったのだろう。

 死力を振り絞るようにして、その巨体全てを震わせて、剛腕を振り抜く。


 翼を弾かれ、空中で大きく体勢を崩すリタ。視界の先で、赤い流星が堕ちていく。


 術式の発動まで、僕が唱えるべき呪文はあと二小節。

 ぎょろり、濁った瞳が僕を捉える。


(――ここまでやっても、駄目なのかよ……!)


 リタの技は、どれもが洗練された最高峰のものだったはずだ。魔術師としても、結界術師としても、そして万能屋としても文句のつけようがない、絶技の数々。


 けれど、結局最後は、種としての強さに阻まれる――。


「――なんて、させるわけないじゃない」


 空中でリタがニヤリと笑う。それは諦めではない、勝利を確信した、不敵な笑み。 


 それを合図にしたかのように、周囲の地面が淡く輝く。先ほどの『巨人の掌』で砕き散らされた破片。

 まだ、それらにはリタの紋様が刻まれている。


「術式詠唱略、操岩魔術――『岩装弾(ロックバレット)』!」


 放たれた岩の弾丸が屍竜の眼を抉るのと、リタが地面に落下するのはほぼ同時だった。

 叫び声と共に仰け反る巨体。それが生み出した寸暇が、僕に詠唱を終えるだけの時間を与えてくれた。


「……っ、いくぞ! 『生者の葬列』!」


 両手に集中。先程の成功もあってか、幾分、霊覚の指先が扱いやすくなっている。

 不可視の世界を、霊覚の手が泳ぐ。爪も、牙も、全てを腐食させる吐息も、この手には意味を成さない。


 ただ、無感動に、ひたすらに、僕は手を伸ばし、屍竜の魂に触れる――!


「――よし、獲った、ぞ……!」


 屍竜の魂を掴むと同時、激痛が蘇ってくる。先ほどまで忘れていたそれは、油断すれば全ての握力を手放してしまいそうなほどだ。


 しかし、ここで負けるわけにはいかない。曲がりなりにも信じるなんて言われてしまったのだから。

 ここで退いたら、僕はもう二度と、自分の本当になりたいものになれないような――そんな気がしたのだ。


「……おい、ラティーン! これでいいのか、長くは保たないぞ!」


 僕は振り返る余裕もなく、そう叫ぶ。あと数秒。もしかすると、そう思考した次の瞬間に手を離してしまっているかもしれない。


 根性だけでは縮まらない差だってある。そして、今僕が超えたいのは、そういったものでもあったはずだ――。


「――おう、上出来だぜ、坊主!」


 その声は、背後から。

 気が付けば、背中に熱を感じていた。それは太陽を思わせる、じりじりと体を炙るような、温かでもあり、また、苛烈な光。


 舞い散る火の粉は、それ一つ一つが山火事だって起こせるほどの高熱だった。気を抜けば、僕も焼き尽くされてしまいそうなほどで。


 硝子の割れるような音がして、僕の両手が弾かれる。

 勢いのまま、後ろに倒れ込んだ僕が見たのは、その口内いっぱいに紅蓮の炎を蓄えた、竜の威風堂々たる姿。


 そして、その傍らに立ち、槍の先で目標を示す、老練の竜騎士の姿だ――。


「いくぜドラコ――決着の刻だ」


 ラティーンの言葉に、ドラコが吼える。それがどこか泣いているように聞こえたのは、気のせいだろうか。


 しかし、どうあれここに、その涙を拭えるものはいない。恐らくはそれすらも――彼らは十二年前に置いてきてしまったのだから。


「操竜術式――『竜の息吹(ドラゴン・ブレス)』!」


 それが、炸裂の合図だった。


 最初に感じたのは、眩しさだった。太陽を直視した時に近い。

 埒外の熱量と輝きを帯びた熱線。その通った後に、恐らく一切の存在が許されることはない。


 命あるものも亡きものも、全て等しく灼き尽くす。それはある種の葬送の形なのかもしれない。

 火葬して、魂までも灰にする。そうしなければ救われないものだってあるのだから。 


 迫る爆熱に、屍竜が咆哮する。しかし、崩れてしまった体勢では毒の息を吐き出すことも、腕や尾で身を守ることも叶わない。


 何よりも堅固だった鎧のような鱗は熱に泡立ち、爛れ、やがて真っ黒に朽ちていく。


 あちこちに空いた穴から、黒い影が漏れ出してくる。恐らくそれは、街を蝕む呪い。溜まった淀みが、炎によって浄化されていく――。


「――終わった、のか?」


 僕は誰にも聞こえない程度の声量で呟く。今や、暴虐の限りを尽くしていた竜の残骸は、因果すらも灼き尽くすような炎熱に覆われ、後は炭化を待つばかりだ。


 勿論――油断はできない。ここからもうひと暴れ、なんてことがあればお手上げだ。僕は自然と、先程墜落したリタの姿を探していた。


 上から差し込む光だけしか光源がなかったら先程とは違い、炎が照らし出す周囲の景色はクリアだ。だから、僕は彼女の安否を確かめようとして――。


 ――視線は、それに吸い込まれた。


 少し離れたところで、僕と同じようにして、燃える竜の遺骸を見つめるリタ。落下のダメージは軽微だったのか、体を起こし、見上げている。


 ――そんな彼女の瞳が、回顧とも憎悪ともつかない色に染まっていた。


 何かを憎む気持ちと、過去を》』!」


 それが、炸裂の合図だった。


 最初に感じたのは、眩しさだった。太陽を直視した時に近い。

 埒外の熱量と輝きを帯びた熱線。その通った後に、恐らく一切の存在が許されることはない。


 命あるものも亡きものも、全て等しく灼き尽くす。それはある種の葬送の形なのかもしれない。

 火葬して、魂までも灰にする。そうしなければ救われないものだってあるのだから。 


 迫る爆熱に、屍竜が咆哮する。しかし、崩れてしまった体勢では毒の息を吐き出すことも、腕や尾で身を守ることも叶わない。


 何よりも堅固だった鎧のような鱗は熱に泡立ち、爛れ、やがて真っ黒に朽ちていく。


 あちこちに空いた穴から、黒い影が漏れ出してくる。恐らくそれは、街を蝕む呪い。溜まった淀みが、炎によって浄化されていく――。


「――終わった、のか?」


 僕は誰にも聞こえない程度の声量で呟く。今や、暴虐の限りを尽くしていた竜の残骸は、因果すらも灼き尽くすような炎熱に覆われ、後は炭化を待つばかりだ。


 勿論――油断はできない。ここからもうひと暴れ、なんてことがあればお手上げだ。僕は自然と、先程墜落したリタの姿を探していた。


 上から差し込む光だけしか光源がなかったら先程とは違い、炎が照らし出す周囲の景色はクリアだ。だから、僕は彼女の安否を確かめようとして――。


 ――視線は、それに吸い込まれた。


 少し離れたところで、僕と同じようにして、燃える竜の遺骸を見つめるリタ。落下のダメージは軽微だったのか、体を起こし、見上げている。


 ――そんな彼女の瞳が、回顧とも憎悪ともつかない色に染まっていた。


 何かを憎む気持ちと、過去を思う気持ち、それらが混ざり合い、それでも溶け切らぬマーブルを描くような。


 戸惑う僕を他所に、絶命したのか、屍竜の体が真二つに折れる。音を立てて倒れた死体を見下ろすラティーンが、ボソリと呟く。


「……やっと、楽にしてやれたな。さらばだ、相棒――」


 感慨はあるのだろう。それでも、涙はない。ただ見送るだけ、次の生に向かう隣人を祝福するだけ。それが、葬送の作法なのだから。


 決着。

 激動の決戦とは裏腹に静かなそれの枕には、いくつもの思いが渦巻いていて。


 僕はそれを理解できないまま、ただ、竜の焼ける炎だけが、僕らの表面を照らしていた――。


 ドラコの放った炎が消えるまでには、たっぷり数十分ほどの時間を要した。


 あれだけの質量が燃焼したから当然と言えば当然なのだが、辺りには蛋白質の焼ける不快な匂いが漂っていた。それをリタの羽で吹き飛ばしてもらってから、僕たちはようやく、ひと心地吐くことができた。


「もう、大丈夫なのよね?」


 リタが僕に聞いてくる。主語が欠けた問いかけだったが、僕にはその意図が過不足なく伝わっていた。


「ああ、大丈夫だ。もう澱んだ魂の気配は感じない。たぶん、完全に燃え尽きたと思う」


 僕は、握り締めていたロザリオから手を離しつつ立ち上がる。


 ドラコの炎は、その場に留まっていた澱みの全てを消し飛ばしたようだった。視で辺りを確認しても、あの不気味な魂の気配はどこにも感じない。


 竜種の炎にこれだけの力があるとは。十二年前にドラコの親が命を落とし、屍竜と成り果てなければ、今回の戦いがここまで激化することもなかっただろう。


 残った、僅かな消し炭の如き残骸。ラティーンはそれを見つめながら、何かを言いたげに視線を彷徨わせた。けれど、それを口にすることもないまま。


「……ガハハハ! ともあれ、だ。これで依頼は完了、ってことになるな!」


 肩に担いだ槍を揺らしながら、豪快に笑う。彼もまた、歴戦の強者だ。僕なんかが心配する方がおこがましいだろう。



「完了、ってことは、これで【壁の街】の呪いは解けた……ってことになるのか?」


「うんにゃ、そうはいかねえよ。結局、街から澱みが垂れ流される限り、再びいつかは呪いの主が目覚めることになる。また、十二年の安寧が保たれる、そんだけだ」


「なるほどな……街に押し寄せてた魔物たちはどうなる?」


「そっちは、急速に力を失うだろうよ。それに、これ以上大きく数が増えることもねえ。街の設備で十分に迎撃しきれるんじゃねえか」



 彼の答えを聞いて、僕は一つ息を吐く。

 それなら、心配は無さそうだ。帰路も魔物たちと戦わなければいけない、なんてことになれば、今度こそ無事ではすまないだろう。


 いや、厳密には今も無事ではない。リタは全身を傷めつけられていて、僕も両腕が潰れている。ラティーンとドラコは比較的軽傷だが、それでも、無傷というわけではない。


 そこで僕は、なんとなく、ずっと抱えていた疑問を投げかけてみることにした。 


「……というか、だ。そもそもトドメを刺せるのがドラコの炎だったのなら、道中の時間稼ぎは、お前たちじゃなくて僕らがやるべきだったんじゃないか?」


 リタの戦力は疑うべくもない。


 しかし、今回の戦いで重要なのは竜種の肉体を葬れるだけの火力だった。彼女が用いた『鉄の翼』や『操岩術式』は確かに強力だったが、竜鱗を穿てるほどではなかった。


 それは、彼女自身も十分に把握していたようだったが――。

 そんな風に思案する僕を他所に、ラティーンは再び笑い声を上げた。一方で、リタは気まずそうに視線を逸らす。



「ガハハハ! だってよ、リタ。依頼人様に言われちまってるぜ!」


「……うるさいわね、わかってるわよ」



 僕は首を捻った。どうやら、リタに原因があるようだったが、それ以上はわからない。

 よっぽど、訝る様子が顔に出ていたのだろうか。ラティーンがどこか、茶化すような口振りで続ける。



「いや、な。昨日の晩に頼まれたのさ。『あれを倒すのは【赤翼】の仕事、だから、ひとまず自分に戦らせてくれ』ってな」


「……ええ、そうよ。何か悪い? だってそもそも、あれを倒すっていうのが、依頼の内容だったじゃない」


「まあ、正確にはその手伝いをしてくれ、ってのが今回の依頼だったんだがなァ。別に、お前さんが一人で戦る必要は……」


「もう、いいじゃない。倒せたんだから、結果オーライ! それじゃ駄目なの?」



 胸を張り、鼻を鳴らしながら開き直る彼女に、僕とラティーンは揃って溜息を吐いた。

 確かに、結果だけ見れば今回の作戦は成功だろう。もしドラコたちを先に行かせていれば、僕らが到着する前に消耗してしまい、今回ほど手際良く戦えなかったかもしれない。


 そういう意味では、上手いこと勝てるパターンを拾えた……と、言えないこともないのだろうが。



「と、まあ、こんな調子でな。まだまだ未熟な奴なんだ。お前さんにも、苦労をかけるな」


「……別に、苦労なんて。それに、あと二週間の付き合いだぜ、僕らは」


「おいおい、そりゃねえだろ」



 肩を竦めつつ、ラティーンが僕に視線を向けてくる。それはどこか、肉親を慈しむような温かみを帯びたものだった。


「二週間の付き合い、そう割り切れてるんなら、お前さんはどうして――そんなにボロボロになるまで戦ったんだ?」


 ドキリとした。斜に構えようとしていた自分を、両手の痛みが引き戻す。

 理由は、いくらでもでっち上げられる。リタが死ぬと、自分の身の安全に差し支えるから。こんなところで死ぬわけにはいかなかったから。


 けれど、それら全てを超えるくらいの、強い理由があったのだ。あの時は確かに輪郭を感じたはずのそれは、今となっては強がりの飽和水溶液となって、ただ水音を響かせている。


「……うるさいな、理由なんてないさ」


 ただ必要だったから。

 今の僕に絞り出せた"言い訳"は、それが精一杯だった。それ以上を込めてしまえば、きっと僕と彼女の関係は変わってしまう。


 再び僕は、茨の道を進むことになってしまう。

 だから、これもまた、逃げるための答えだった。"それでいい"と言い聞かせるためだけの。


「そうかよ。なら、これはお節介になっちまうかもしれねえな」


 彼はそこで、声を潜めた。注意深く、僕にしか聞こえない程度まで絞った声量で、彼は続ける。



「……リタのルーツは、【燃える街(インフェルノ)】にある」


「【燃える街】? なんだって、そんな……」


「さあな、俺の古い知り合いが、初めてあいつを見つけたのがそこなんだって話だ。詳しくは知らねえが、覚えておいて損は無いだろう。お前さんが、リタのことを知りてえと望むのならな」



 【燃える街】。

 僕も多くは知らない。呪われた街の中でも、とびっきりの異常。【壁の街】の魔物たちが可愛く思えてしまうような、消えない炎に苛まれる街と聞いたことがある。


 そんな場所に、彼女のルーツがある――?

 そこまで進んだ思考は、ヒステリックな声に遮られる。


「あんたたち、男二人でいつまでコソコソやってるのよ!」


 リタが苛立たしげに、足をパタつかせながら叫ぶ。また、いつもの癇癪が始まったようだ。


 ただでさえ満身創痍なのだ。これ以上傷を負わされたらたまったもんじゃない。呆れ混じりに頭を掻いて、ゆっくりと歩き出す。


「おお、悪い悪い! なんでもないって――」


 僕はそう、適当に誤魔化しながら、彼女に歩み寄ろうとして――。



「――危ねえっ!」



 ――不意の衝撃に、体勢を崩した。


 背中を押され、揺らぐバランスと視界の中で、自分が突き飛ばされたことに気がつく。


 誰に? 言うまでもなく、すぐ側にいたラティーンにだ。派手に地面に倒れ込んだ僕は、悪態の一つでも吐こうと振り返り――。


「痛っ……おい、ラティーン。何するんだよ――」



 ――胸元を貫かれた竜騎士の姿を、目にすることになる。



「……なっ!?」


 思わず、言葉を失う。先の戦いでも潔癖を保っていた、歴戦の全身鎧。その隙間から侵入した武骨な刃が、彼の分厚い胸を貫通し、鎧のプレートを突き破るようにして、頭を出している。


「ラティーンっ!」


 悲鳴のように叫び、リタが駆け出すのが見えた。同時、刃が引き抜かれ、彼の巨体が投げ出される。

 僕は反射的に、それを受け止めにいった。ズシリと重い体は、脱力していることの証左だ。驚愕に見開かれた瞳は、数瞬の後に、痛みに歪んでいく。


 一体、何が。

 戸惑いを口にするよりも早く、リタが加速する。展開した翼は傷を感じさせぬ速度とキレを以て駆動する。


「――二人から離れなさい、『羽弾』っ!」


 僕らを避けるように、雨霰の羽弾が降り注ぐ。それをラティーンの背後にいた人影は、後ろに飛び退きつつ軽々と避けていく。


 頭を下げ、巻き込まれないようにと避けつつ、胸の傷を確かめる。鎧の隙間からしか状況はわからないが、止めどなく流れてくる血液が、決して軽い傷ではないことを伝えてくるだろう。


 リタが、僕らと人影の間に降り立つ。その辺りまで来てようやく、周囲を確認するだけの余裕が生まれた。


 ラティーンを刺した誰かと、もう一人。二人の男が、こちらを見つめていた。

 羽弾が命中した様子はない。悠然とした態度を崩さずに、彼らはぺこりと、巫山戯たような一礼を挟む。


 一体、誰が――憤りとともに睨みつけた僕は、それ

に気が付く。

 否、気が付いて、しまう。


「……お、お前、は……っ!」


 暗がりの向こう。侮るようにして立つ、細いシルエット。全身を黒いスータンに包んだその姿には、嫌と言うほど見覚えがある。


「やあ、随分と久しぶりだ。元気にしていたかな、お坊ちゃん」


 僕がその姿を忘れるわけがない。

 この目に焼き付いているのだから。


 この魂に、嫌と言うほど憎しみを刻み込んだのだから――。


「――リトラ、神父っ……!」


 食い縛るように、それだけを漏らすことができた僕の正面で。


 家族の敵――リトラ・カンバールが、嘲るように笑っていた。


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