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第九話「新しい依頼」

 【凪の村】の一件から、はや数日。

 彼女と僕の奇妙な同棲生活が始まってから、そろそろ二週間が経とうとしていた。


 結果から言えば、僕の身に危険が迫ることは、あれから一度もなかった。【凪の村】で僕に単独行動を許してしまったのを反省したのか、彼女の監視はさらに厳しくなった。


 彼女の仕事の際に連行されるのは前と変わらないが、少なくとも彼女が、僕から目を離すことは無くなった。それこそ、僕が(かわや)に立つとき以外は、常にリタは僕のそばにいた。


 僕だって年頃だ。それなりに現状に息苦しさは感じているものの、今の平穏があるのも、こうしてリタが目を光らせてくれているからであると思えば、まあ仕方ないことだろうと飲み込むことはできた。


 陸の月は、もう半分が過ぎた。

 あともう二週間の辛抱だ。それで、この生活からも解放される。


 そう、解放されるのだ――。



「だーーーーーかぁーーーーーーらぁーーーーーー! あたしのが少しだけ小さいって言ってるでしょ!? 取り替えなさいよ!」



 英雄と名高い【赤翼】サマは、大層ご立腹のようだった。指通りの良い、その絹糸のような赤髪を残らず逆立たせ、整ったアーモンド形の瞳を三角にして、まるで猫のように唸っている。


 別に、大したことではない。朝食のパンが、彼女のものより僕の方が少しだけ大きかっただけのことだ。争うのも馬鹿らしく、僕は何とかため息が出そうになるのを堪えながら交換に応じた。


 横暴も横暴。僕を涙目で睨みつけるその姿は、どうしても逸話に語られるような大英雄の姿とは重ならない。年相応――いや、もっと幼く見えるかもしれない。


 僕はもう毎朝の恒例になった彼女のヒステリーを聞き流しながら、瓶詰のマーマレード・ジャムをパンに載せ、そのまま大きく頬張った。鼻に抜ける柑橘系の爽やかな香りと甘み、そして張りのある酸味が、舌をピリリと痺れさせる。


 【夕暮れの街】の空は、今日も熱を帯びたようにオレンジに染まっていた。久しく、それこそ先日の一件以来町から出ていないからか、流石に体内時計に変調を来たしている。


 人は慣れる生き物だ。

 このおかしな生活にも、驚くほどに僕は順応していた。【赤翼】に連れ回される毎日も、自分が命を狙われているという危機感も、どこか、僕の腹の底に深く落ち着いたような感覚があった。


 ――なら、いつかこの痛みにも慣れるのだろうか?


 胸に刺さったままの悲嘆の欠片から目を背け、僕はもう一口、パンに齧りついた。先ほどはあれだけ鮮やかに感じられた味が、どこかくすんでしまったかのように、舌にベトリと貼りついた。


 いつも通りの食卓。愛想のない彼女との、筆を執るまでもないひと時。

 その膠着(こうちゃく)を破ったのは、横合いから飛んできた快活な声だった。


「どう、そのジャム、美味しいだろ? 【蔦の街(ヴルトゥーム)】から直送してもらった、お高いやつだかんね。あたしの分も残しといてくれよ」


 そう言いながら現れたのは、恐らく外の掃除を終えたのだろう、腕まくりをしたオレリアだった。彼女は額に伝う汗を拭うと、右手に持っていた手紙のようなものを、リタに投げ渡した。



「それ、今日の分。最近結構目立ってきたせいか、来る依頼の数も増えてきてるね。とはいっても、半数くらいは一山いくらのヘボ依頼ばっかだけど、どうする?」


「どうするもこうするも」リタは食事の手を止め、手紙を封切りながら答える。「私のとこに来た依頼だもの。いつも通り、緊急性のありそうなものから順にこなしていくわ」



 彼女の口調は、どこか呆れてすらいるようだった。万能の【赤翼】たる彼女にとって、そもそも仕事を受けないという発想はないのだろう。


 現に、僕は彼女が依頼を断るところをほとんど見たことがない。あって数件、どれもが悪意の感じられる悪戯めいたものや、現在の受注状況から物理的に受けることのできないものであり、後者に関しては、名のある同業者を紹介したりもしていた。


 それが最強の万能屋であるという気負いから来るものなのか、困っている人をほっとけないという人の良さから来るものなのかは、まだ、僕には判然としていないのだが。



「とはいえ、やっぱりそこまで急ぎの依頼はないみたいね。あの腐れ神父に関係のありそうな依頼も無し。死霊術師が潜伏してるってことだから、幽霊騒動や屍者の目撃情報くらいはあるかと思ったんだけど、アテが外れたわね」


「……巧妙に隠れてる、ってことか?」



 死霊術は、色んな意味で悪目立ちする術式である。


 葬儀や鎮魂といった儀礼的なことは、一般的には教会に属する司祭たちの仕事だ。一般的に死霊術師はどこかおぞましい、それこそ人の霊魂を操り、従え、冒涜するような印象を持たれており、悲しいかな、大多数の死霊術師がその印象通りの存在であるというのが現状である。


 勿論、そうでない術師もいる。僕の父親などはそうであり、人の魂への理解を深めることで、死後の世界の存在を解き明かしたり、死んでしまった人々の魂に安寧を与えることを目的としていた。


 だが、ほとんどの術師にとっては魂も死体も、術式のための素材に過ぎない。


 屍者や死霊による不死の軍勢を率いようとする者。

 永遠の命を求める者。


 人によって目的こそ違えど、いずれも倫理的に認められる理由ではないだろう。そして、『素材』のために町や村を襲撃したり、あるいは、墓を暴いたりと、トラブルや事件の中心になることもしばしばある。


 そして、僕の知る限り、リトラ神父もそういう術師のはずなのだ。


 僕の生家を焼いたように、手段を選ぶことなく目的を果さんとする。だから、彼が沈黙しているこの状況は酷く不気味であり、決して油断することはできない。


 いったいどこに潜み、何をしようとしているのか。

 僕らにできるのは、気を抜かずに備えることだけなのだ。



「とは言っても、ずっと隠れてはいないでしょ」リタは顔色一つ変えずに言う。

「この追いかけっこの鬼は向こうなんだから、いつかどこかで行動を起こす必要に駆られるわ。こんなのは、勝ちが決まった我慢比べなのよ」


「勝ちが決まったって……そう言い切れるのは、流石ってとこか」


「褒めても何にも出ないわよ。まあ、そんな感じだから当面は今まで通り――」



 ――と。

 そこで不意に、彼女の動きが停止した。手を止め、開いた口を閉じるのも忘れたままで、一枚の手紙に目を落としている。


 異変に気付いたのか、オレリアがその手紙を覗き込んだ。そして、微かに眉を寄せる。



「……ああ、そうだね。懐かしい名前だ。あんたと出会ってすぐのことだから、もう八年ほど前になるかね」


「……この人、あのことは知ってるの?」



 リタが、今までに聞いたことがないような不安げな声で尋ねる。

 オレリアはそれを一言で断じた。


「知らないだろうね。あいつとは連絡も取ってなかったみたいだし、たぶん、何も知らないと思う」


 そう。とだけリタは言った。そして、何かを考えこむようにして、手紙に何度も視線を這わせている。

 その瞳が震えているように見えたのは、気のせいなのだろうか。


 二人が何を話しているのか、僕にはわからない。『あの人』だとか『あいつ』だとか、一体何のことなのだろうか。


「どうする、リタ」オレリアが、気遣うように言う。「無理そうなら断ってもいいと思うよ。だって、これはあんたの仕事じゃないんだ。きっとあいつだって、それを許して――」


 そこから先を、リタは片手で制した。


「――やるわ。だってこれは、『赤翼』の仕事だもの」


 そうして、ゆっくりと席を立った。いつもは大きく見える背中が、どこか頼りなく見える。

 先ほどまで自信に満ちていたその目元が、ほんの少しだけ揺らいでいた。


 そして、その瞳にどこか迷うような色が浮かんだのは、気のせいだったのだろうか。


「ごちそうさま、オレリア。私は仕事の準備に入るわ」


 彼女はそれ以上、多くを語らぬまま席を立った。小さな背中が、より一層、普段の彼女からは考えられないほどに歳相応に小さく見える。


 立ち去る寸前、彼女は僕の方を振り返り、いつもよりも張りのない声で、小さく言うのだった。


「――あんたも、準備しなさい。十分後に出るわよ」


 どうやら彼女は今回も例に漏れず、僕を連れていくようだった。

 有無を言わさぬその様子に、普段なら悪態の一つも吐いてやりたくなるものだが――、


 ――なぜだろうか。今日は、そんな気になれなかった。



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