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猿に追放される


「弥助よ、図体だけの無能めが。お前は今日限りで追放じゃ!」


「ホヮイ!? シット……ど、どうしてですか!?」


 黄金の衣装に身を包んだ一匹の猿が壇上で吠えておった。

 否、彼は猿ではない。この者の名は秀吉、いまやこの国のほとんどを牛耳る首魁である。


 ここは倭の国。大阪城の天守。

 豪華絢爛な様式に彩られた城郭の最上階で笑う彼は、さながら猿山の大将といったところでござろうか。


 拙者の名は弥助。今は亡き信長公の代より織田家に仕えし侍が一人である。

 だが偉大なる主君、信長公が、明智めの卑劣なる裏切りに倒れて以来。その覇道を引き継ぐものとして頭角を現したのが、この秀吉なる男であった。

 

 かような俗物といえど、一応は我が主君ということになっておる。(まったく納得できないものだがな)

 だがいかにもって、このような小物がこの国の盟主たりえるだろうか……


 この男にはかつての信長公が持っていた高尚な野望はいっさい感じられぬ。

 あるのは目を覆いたくなるような色欲と、派手で下品な金遣いの荒さだけである。


 この国はいまだ戦火に乱れ、民は重税に苦しむ日が続いておった。

 誰かがこの戦いを終わらせねば民はますます苦しむだけぞ。信長公ならばその人たりえると確信しておったのだが、ううむ、まったくどうしたものか。


「サル……いや、秀吉殿。拙者、なにかしてしまったでしょうか? 説明をお聞きしても?」


「だまらっしゃい! 頭が高いぞ、弥助よ。此度のその方の毛利攻め、これはいったいどうなっておる!?」


「ウッ……! そ、それは……」


 俺は思わず動揺を顔に出してしまう。

 豊臣の天下に異議を挟む西の大大名、毛利家。彼奴らの討伐の先鋒となった拙者は、秀吉より預けられた手勢を率い、中国地方へと攻め込んだのだ。


 ……だが、十万を超す大軍を有する毛利の討伐に与えられたのは、総勢で二千にも満たぬ寡兵だったのだ。

 拙者は四方から敵方の大群が押し寄せる中、陣頭に立って矛を振るい、相手の名だたる将を何人も打ち取ったが多勢に無勢。なかなか旗色はよくならなかった。


 さらにこちらの作戦がなぜか相手方にすべて筒抜けであったり、味方の放った流れ矢が我が背に何度も突き立ったりと災難続きであった。


 さらに秀吉公から預かった兵が、我が軍の兵糧を盗み早々と逃げ去ってしまったのだ。

 あまりの惨状に拙者は、兵が秀吉よりなにかよからぬことでも吹き込まれているのでは……と疑ってしまったこともあった。

 だが……いくら秀吉といえど、強敵たる毛利を相手して、そこまでのことをするほど堕ちてはいまい。


 とにかく補給を失った我が方は毛利方の包囲を破り、なんとか無事に帰還するのでやっとだったのだ。


「弥助よ、我が精鋭を用いておきながら城の一つも落とせぬとは。あきれた無能よ。なにか申し開きがあるか?」


「ノー。申し訳ございません、秀吉様」


 拙者は怒鳴り散らす猿に似た小男の前で畳に手をつき、屈辱的な土下座を強要されたのだ……


 日ノ本に住む武士であれば屈辱のあまり自らの腹を切りかねないだろう。

 だが拙者には亡き信長公に誓った約束があるのだ。たとえ地を這い泥をすすってでもここは堪えねばならぬ……


「……秀吉様、今回の失態弁明の余地もありません。しかし毛利家をはじめ、いまだ力を持っている大名もおります。いきなり拙者を追放など……どうかお考え直しを!」


「ふん! 大きく出たものだな弥助よ。だがこれは我が一存ではないぞ。すでに皆も納得の上じゃ。おい、入ってこい!」


 その時、不意にふすまが開く音がした。

 そして二人の男が部屋に入ってきたのだ。


「ぐははっ! 聞いたぞ。無様だな弥助よ!」


「久しぶりですな。でくの坊の弥助殿には大層お似合いでござる」


「あ、あなたがたは……。勝家殿、それに三成殿ではないか」


 謁見の間に現れたのは拙者の見知った顔であった。

 柴田勝家、そして石田三成。二人ともかつて信長公の下で拙者と共に槍を振るった忠臣たちである。


 だが、どうだろうか。彼らの顔からはもはやかつての英雄然とした覇気はとうに消え去っており、代わりに浮かべておったのは欲にまみれた笑みだった。

 あろうことか二人は秀吉のもとに歩み寄ると、主人に尾を振る犬のように、そのこうべを深々と垂れたのだ。


「太閤様のおっしゃる通り、この弥助はもはや不要でござる」


「左様。このような無能を放置しては家の安寧に関わりますからな」


「ガッデム……勝家殿、三成殿までそのようなことを!?」


 拙者はかつての戦友の心変わりに動揺を隠せなかった。

 あの偉大な信長公にならいざしらず、このような恥知らずな男に自ら傅くなど……正気では到底考えられぬことでござる。

 いったい二人になにがあったのか……?


「ぐははっ。弥助よ、信じられぬといった顔じゃな。しかし二人とも簡単になびいてくれたぞ? ほれ、こういうことじゃ!」


 パンパン!


 秀吉が手を二度打つと、開いたふすまの向こうから入ってくる者たちがおった。

 それはうら若きおなごたちで、彼女らは皆、妖艶な衣をまとっていたのだ。


「ああん勝家様。ここにいらしたの? 探しましたわ」


「ねぇん三成様も。お仕事なんて言わないで、もっと楽しいことをしましょうよ。素晴らしい香木もございますよ」


「おっとこれは僥倖でござるな」


「まったく役得だ。秀吉公こそまさしくこの日ノ本の主よ!」


「オゥ、マイガー……」


 二人の堕落ぶりに、拙者は思わず天を仰いだ。

 かつての我が戦友たちは美女たちを両の手で抱え、顔を赤くして上機嫌であった。

 部屋の中に甘ったるい匂いが満ちておる。二人は長キセルで香木をふかし、ぷはぁと煙を吐いておる。


 彼らの吹かしている香木は大陸の国、唐より舶来の希少品であり、指先ほどの欠片で庶民の何年分もの収入に匹敵するのだ。

 

 十中八九、あの秀吉めから下賜された物であろう。

 秀吉たちは民たちから搾り取った重税で暴利をむさぼり、自分たちはこのような退廃的な悦楽に浸るほどに堕していたのか……


「二人ともやめないか! 香木の吸い過ぎは体に悪うござる!」


「黙れよ弥助ぇ。これがやらずにいられるか」


「はぁ極楽極楽。我ら天下人はやはりこうあらねば。戦いなど下々の者に任せておけばよいのだ」


「ふ、二人とも……そんな……!」


 何たることだ。香木の中毒者となった彼らには、もはやどの言葉も届くまい。

 堕落した二人の姿に拙者は絶望し、がっくりと畳に膝をついた。

 壇上の秀吉は満足げに口角を歪め、拙者に言い放った。


「弥助よ、此度の毛利攻めの失態。そして太閤たる儂への不敬……まったく許し難し。よって沙汰を言い渡す。ほれ!」


「こ、これは……」


 彼が投げてよこしたのは、白刃の短刀だった。

 それが意味することとはこの国では一つだけでござる。


「弥助、貴様には切腹を命ず。お前の無能ぶりは、もはや生きているのが気の毒じゃ。せめて最後は武人らしく、いさぎよく果てて見せよ」


「そ、そんな……御館様……」


 これが長年尽くした部下への態度なのだろうか。

 秀吉の冷酷な言葉に、拙者は思わず言葉を失ってしまう。


 拙者を冷めた目で見降ろすかつての戦友たちも下卑た笑みを浮かべておった。

 その様子は、まるで面白い見世物か何かでも楽しむようであった。


「ぐははっ! これは傑作でござる。おう弥助よ、御館様の命令じゃ。はよう腹を切れ!」


「おや、どうされた弥助殿? 敵も碌に切れない田舎侍の貴殿でも、自分の腹くらいは切れるじゃろう?」


「クッ……ぐぬぬ……!」


 もはや万事休すか。拙者は信長公の無念を晴らすこともできず逝くのか。

 ――拙者がすべてを諦めかけた、その時であった。


「あなた、これはいったい何の騒ぎですか?」


「おおっ、ねねではないか。来ておったのか!」


 秀吉の背後、薄い御簾の向こうより涼やかな美しい声が聞こえてきたのだ。



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