(3巻)
13、 拓哉との再開
コミケから1週間、僕は相変わらず宿題と戦っていた。
残っている科目は社会科だけ。それを終わらせたら、残りは自由に過ごせる。
そう思って残りの宿題を終わらせようとした時だった。
机の上のスマホの着信音が鳴り響いていて、画面を見たら拓哉からだった。
どうしよう、出るか否か。迷った末、僕は電話に出ることにした。
「もしもし?」
「あ、すみません、電話間違えました」
「間違えてないよ」
「一つ確認したいのですが、この番号って入谷直美君のでいいんですよね?」
拓哉は僕が女になったことを知らなかったので、僕の声を聞くなり、少しよそよそしい言い方になっていた。
「あっていますよ」
「あの、この電話の持ち主の方はどちらにいますか?」
「拓哉、落ち着いて聞いてほしいんだけど、私が直美なんだよ」
「直美って入谷直美君?」
「うん……」
「あの、人をからかうのはやめてもらえますか?」
「だから、僕が入谷直美なんだよ」
「どういうこと?」
拓哉は混乱したまま、僕に聞き返した。
「もう一度言うけど、僕が入谷直美なんだよ」
「一つ聞きたいけど、何で声が女になったんだよ」
「七夕の日に、誰かが短冊の願い事で『僕を女の子にするように』と書いてしまったんだよ」
「ばかばかしい、そんなのただの作り話に過ぎないじゃねーかよ」
「それが現実になったんだよ」
「もう一つ聞きたいけど、そのことを女王様は知っているのか?」
「うん……。洋服や靴、手袋を少し分けてもらった。女性用の下着も買ってもらった」
「てことは、お前ブラしているのか?」
「うん……」
「マジかよ。今夏休みだから、俺実家に戻っているんだよ。それで明日少しだけ会ってくれないか?」
「いいよ」
「明日直美の家に行っていいか?」
「うん、いいよ。じゃあ、待っているね」
電話を切ったあと、再び宿題をやり始めた。社会はわからなければネットで調べれば答えがすぐ出てくるので、とても楽だった。
怖すぎるほど順調に問題を解いていったら、今度は千恵子から電話がかかってきた。
「もしもし?」
「なおちゃん、今電話大丈夫?」
「大丈夫だけど、どうしたの?」
「今日って時間取れそう?」
「ごめん、今宿題をやっているところなんだよ」
「じゃあ、私の写させてあげる」
「本当に!?」
「うん。だから少し会おうよ」
「じゃあ、悪いけど社会科を写させてよ」
「社会科だけでいいの?」
「他はもう終わっているから」
「じゃあ、社会科の宿題を持って行くね」
電話を切ったあと、千恵子は宿題を持って僕の家にやってきた。
「なおちゃん、来たよ」
「ちーちゃん、いらっしゃい。上がって」
千恵子を自分の部屋に入れたあと、僕はジュースとお菓子を用意して自分の部屋へと向かった。
「ちーちゃん、お待たせ」
「ありがとう」
僕は折りたたみテーブルを広げてお菓子とジュースを載せた。
「それで、ちーちゃん、社会科の宿題なんだけど……」
「あ、ちょっと待って」
千恵子は大き目の手提げバッグから社会科の宿題を取り出して僕に見せてくれた。
「ありがとう、さっそく写させてもらうね」
問題集を広げてみると、綺麗な字で書かれていたのでビックリ。
僕は早速問題を次々と解いていった。
これで宿題はすべて完了。借りた問題集を千恵子に返したあと、ジュースを飲みながら千恵子と話をすることにした。
「そういえば、さっき拓哉から電話が来たよ」
「拓哉って、もしかして青木くんのこと?」
「そうだよ」
「懐かしいね。確か奈良の高校へ行ったんだよね」
「そうだよ」
「今、こっちに来ているの?」
「夏休みだから、戻っているんだって」
「なおちゃんのこと何か言われた?」
「そうそう、それなんだけど、私が性別変わったことを、なかなか信じてくれなかったよ」
「普通はそうなるよね。七夕の願い事で性別が変わるなんて、誰も信じないから」
「確かに……。明日会う約束してあるから、その時に全部話すよ」
「それもありだよね」
千恵子は目の前のビスケットを食べながら同意していた。
「青木君、電話でどんな反応していた?」
「間違い電話と勘違いしていたよ」
「そうなんだね」
「そのあと、私が女の子に性別が変わったことを話しても、なかなか信じてもらえなくて苦労したよ」
「ご苦労様……」
「ねえ、明日って時間取れそう?」
「明日……、ちょっと待ってね」
千恵子はスマホを取り出してスケジュールの確認をした。
「明日は特に予定がないかな」
「じゃあ、会おうよ。拓哉もうちに来るし。どう?」
「そうだね。じゃあ、赤井さんと戸田さんも誘おうか」
「いいねえ。その足でどこかに行かない?」
「そうだね」
「明日うちに来る約束になっているから、そのあとどうするか決めようか」
「うん!」
「この5人が集まるのって卒業旅行以来だよね」
「確かに」
2人でテンション高めて会話をしていたら、いつの間にか夕方近くになっていた。
「私、そろそろ帰らないといけないから、この続きは明日にしよ」
翌日の正午前のことであった。母さんが昼ご飯を作っている時、ちょうどドアチャイムが鳴ったのでドアを開けてみたら、久しぶりに見た拓哉が目の前に立っていた。
「拓哉、久しぶり」
「一つ聞きたいけど、お前本当に直美なんだよな?」
「そうだよ。昨日も電話で話したけど、誰かが書いた七夕の願いごとが原因でこうなったんだよ」
「マジかよ」
拓哉は驚いた顔をして、女の子になった僕の姿をずっと眺めていた。
「この服って川島のお古なのか?」
「そうだよ。最初は馴染めなかったけど、今はこれが普通になった」
「そうなんだな。それにしても、お前すげー可愛くなったじゃねえかよ」
「ありがとう」
「なあ、俺の彼女になってくれねえか?」
「そんなのことを言っていいのか?」
「お前、赤井さんと付き合っているんだろ」
その時だった、後ろから殺気立てた赤井さんの姿が見えた。
「あーおーきー!」
拓哉はそっと後ろを振り向いた。
「赤井さん?」
「あんた、私がいながら浮気でも始めたの?」
「違うって」
「何が違うのか言ってごらんなさいよ。言っておくけど、さっきの会話はきちんと録音させてもらったからね」
「それを録音してどうするんだよ」
「それはあとで決めるわ。それより入谷君に告白ってどういうこと?」
「可愛いから、ちょっと……」
「ちょっと何? ちゃんと言いなさいよ」
赤井さんの怒りはすでにレッドゾーンに突入していた。
「ちょっと落ち着けよ。これは軽いジョークなんだから」
「あんまり笑えないジョークだよね。ま、いいわ。どうせ私なんてブスだし、一生結婚なんて出来ないから」
「なんでこうなるんだよ」
「私より女の子になった入谷くんのほうが可愛いから口説いたんでしょ?」
「口説いてねえよ!」
「どうかしらね」
「あれ、もしかして再会早々夫婦喧嘩?」
遅れてやってきた戸田さんが、からかうような感じで口を挟んできた。
「戸田さん、聞いてよ。青木ったら再会早々に女の子になった入谷くんを口説いていたんだよ」
「それ本当なの?」
「だから誤解だって」
「だったら、なにが誤解なのか説明してもらおうかしら」
近所の人たちが見ているにも関わらず、2人はけんかに夢中になっていた。
「ねえ、近所の人たちも見ていることだし、私の部屋に来てよ」
僕がみんなを自分の部屋に入れようとした瞬間、今度は千恵子がやってきた。
「玄関の前で大声が聞こえたけど、誰かけんかでもしていたの?」
千恵子は少し表情を険しくさせて、みんなに聞き出した。
「女王、こんにちは。実は赤井さんと青木君がけんかをしていたのです」
戸田さんは苦笑いしながら千恵子に説明をした。
「近所の目もあるから、けんかはこの辺にしてちょうだい」
しかし、2人は千恵子の言葉を無視してけんかを続けていた。
「青木、あんたもいっそのこと女の子になってみる?」
「はあ? お前バカだろ。この体格でどうやって女の服を着れって言うんだよ」
「琴平神社の立っている木って何の木だかわかる?」
「知らねえよ」
「じゃあ、教えてあげる。なんでも願い事が叶う木なんだよ」
「ばかばかしい」
「それなら試してみる?」
「そんな話に付き合えるか。行くならテメー1人で行ってこいよ」
「そんなことを言っていいのかしらね。本当に性別を変えるようにお祈りするわよ。なーんてね」
「なーんだ、嘘じゃねーかよ。そんなしょうもない嘘をついていたら、閻魔様に舌を抜かれるぞ」
「ごめーん」
いつの間にか2人は仲直りをしていた。
「ねえ、ここで立ち話もなんだし、どこかへ行かない?」
戸田さんがどこかへ行くことを提案してきた。
「出かけるにしても、今からじゃ時間が中途半端だし、明日にしない?」
赤井さんも気難しそうな顔をしながら返事をした。
「実は午前中に、たまプラーザ駅でお菓子を買ってきたんだけど……」
今度は千恵子がケーキの入った箱をみんなに見せた。
「さすが女王、ごちそうさまです」
赤井さんは調子のよさそうな声でお礼を言った。
「私の部屋クーラーが入っているから、よかったらおいでよ」
僕はみんなを自分の部屋に案内した。
「私、ちょっと紅茶を入れてくるから、待ってくれる?」
「じゃあ、私も手伝うよ」
千恵子は手袋を外して僕と一緒に台所へと向かった。
「この5人が集まるのって、卒業旅行以来だよね……」
「確かに……」
お湯を沸かしている間、短くボソっと呟くように返事をした。
「卒業旅行が終わって、これでみんなバラバラになるんだと思ったら、少し寂しくなった。でも実際は違っていた。離れていても心はつながっている。その証拠にこうやってみんなが集まれたんだから」
「私、正直なおちゃんが同じ高校に入ってくれてほっとしたんだよ。もし、違う高校だったら私1人浮いていたかもしれなかったから……」
「ちーちゃんには派閥のメンバーがいるじゃん」
「なおちゃん、なんでそんな意地悪を言うの?」
「別にそんなつもりで言ったわけじゃ……」
会話が一気に気まずくなってしまった。千恵子と付き合い始めてからこんな経験を味わったのは初めて。
「私ね、本当のこと言うと派閥のメンバーと一緒にいるより、なおちゃんと一緒にいたいと思っているの」
「私も……」
その時、お湯が沸いたので、ポットに紅茶とお湯を入れて人数分のティーカップと一緒に僕の部屋まで運んでいった。
「お待たせ」
「2人で何の話をしていたの? 随分と深刻そうな顔をして会話をしていたみたいだから……」
戸田さんは顔をニヤつかせて僕に聞いてきた。
「戸田さん、何でそれを知っているの?」
「あんたたち2人の戻りが遅いから、様子を見てきたのよ。そしたら深刻そうな顔で何か会話をしていたから気になったの」
「戸田さん、どんな会話をしていたか聞こえた?」
今度は横から赤井さんが口を挟むように聞いてきた。
「そこまではわからない。っていうか、会話の内容を聞きたかったら本人に聞けばいいじゃん」
「それもそうだね」
それっきりこの会話は止まったままだった。
紅茶を一口飲んだあと、みんなは千恵子の差し入れのケーキを食べることにした。
いちごのショートケーキのタブーと言えば他人のケーキのいちごを食べないこと。
相手から味見を勧められても絶対に食べてはならないルールがある。
しかし、何も知らない人は味見を勧められた瞬間、てっぺんのいちごを食べたばかりに相手から一生恨まれるケースもある。
これはエチケットなので、相手から味見を勧められてもショートケーキのいちごの部分は決して食べないでほしい。
「そういえば、奈良の高校ってどんな感じ?」
僕はケーキを食べながらさりげなく拓哉に聞いてみた。
「最初に驚いたのは監督が顧問の先生じゃなくて、ちゃんとした監督が指導してくれるから、かなり本格的だったことだよ」
「監督は鬼だった?」
「どちらかと言えば鬼かな。特にミスをしたら雷が飛んできたよ」
「結構厳しいんだね。ちなみに先輩たちはどんな感じ?」
「比較的優しい人ばかり。初めての寮生活の時も優しくしてくれたから、とても助かったよ。あと、向こうでも友達が出来たよ」
「ちなみに彼女できた?」
「彼女? 彼女は……」
僕の質問に拓哉がこたえようとした瞬間、赤井さんがギロっと睨みつけるような感じで拓哉を見ていた。
「何言っているんだよ、俺の彼女は赤井さんに決まっているじゃねえかよ。寮の連中に写真見せたら羨ましがっていたよ」
「そうなんだ。俺、てっきり奈良の高校で新しい彼女でも作ったのかと思ったよ」
再び赤井さんは拓哉にギロっと睨み付けていた。
「おい、俺に何か恨みでもあるのか?」
「別にそういうわけでもないけど……」
「赤井のヤツ、俺を睨んでいたよ」
「青木、ちょっと来てくれる?」
その時だった。赤井さんが立ち上がって、拓哉を外へ連れ出してしまった。
「今、入谷君が言った言葉って本当?」
「何が?」
「とぼけなくてもいいのよ」
「とぼけてなんかいないよ」
「奈良の高校で新しい彼女を作った話?」
「お前以外の彼女なんか作っていないし、入谷が冗談交じりで言っただけだよ」
「なら、電話帳や写真を見せて」
「はあ? 何言ってんだよ。ダメに決まってんじゃねーかよ」
「ということは、私以外の彼女を作ったってこと?」
「お前以外の彼女なんかいねえよ」
「じゃあ、電話帳や写真見せてよ」
「だから何でなんだよ。電話帳や写真はすべて個人情報になるに決まっているだろ」
「一応確かめたいの。そうでなければ、絶好させてもらうから」
「久々に戻ってきてみたら、この態度かよ。なら別れてもいいんだぜ」
窓を開けていたせいなのか、拓哉と赤井さんの会話がもろに聞こえてきた。
気になった僕は玄関に出て、すぐに止めに入った。
「ねえ、今の会話、全部筒抜けになっていたよ」
「マジ!?」
僕に言われ、拓哉は少しビックリしていた。
「あと、この辺に噂好きのおばさんもいるから、すぐに噂の種にされちゃうよ。ところでけんかの原因って私だったりする? もし、そうなら謝るよ」
「別に直美が謝ることなんかねえよ。悪いのは個人情報を無理に聞き出そうとした赤井なんだから」
「そうよ、みんな私が悪い。疑いすぎて悪かったわね」
赤井さんは完全に機嫌を損ねてしまい、そのまま僕の部屋へと戻って行った。
「話の内容は全文部聞こえていたから言わせてもらうけど、一応電話帳や写真を見せてあげたら? 電話番号やメアドさえ見せなければ問題ないと思うよ。それに電話帳に女の子の名前が入っていたら、従姉妹って言えば納得すると思うよ」
「そうだな。お前には感謝するよ」
「じゃあ、戻ろうか」
「せっかく付き合い始めたんだし、縁を切るなんて言わないほうがいいよ」
「ああ」
部屋に戻ったあと、しばらくの間は重たい空気が漂っていた。
僕はその場の空気をどうにかしようと必死に話題を変えようとしていた。
「ねえ、ちーちゃん、ケーキ美味しかったよ」
「ありがとう」
しかし、そのあとの会話が続かなかった。
「直美、無理して話題を変えなくてもいいんだぜ」
拓哉はボソっと呟くように言った。
「なあ、見たがっていた電話帳と写真、見せてやるから気が済むまで調べろよ」
「もう、いいわよ。私も疑いすぎたから……」
「いいから見ろよ」
「だからいいって言っているでしょ!」
「なんだよその言い方、さんざん『見せろ見せろ』って言っておきながら、今度は嫌がるのかよ。おかしいじゃねえか!」
「プライバシーに関わる内容なんだから、見ないって言っているでしょ。無理に見ようとしたことについては謝るわよ!」
「あ、そうかよ。悪かったな」
「私、そろそろ帰る。女王、ケーキごちそうさまでした」
赤井さんはそのまま家に帰ってしまった。
「青木、追いかけなくていいの?」
重たい空気の中、戸田さんがボソっと言い出した。
「いいよ、あんなやつ」
「今すぐ追いかけなさい」
戸田さんの口調がだんだん強くなっていた。
「いいって、あんなわがままお嬢さんに付き合っているほど余裕じゃねえよ」
その時だった。戸田さんの平手が青木君の顔に飛んできた。
「あんた、これでも赤井さんの彼氏? 彼氏なら彼氏らしく追いかけなさいよ。赤井さんは青木君に追いかけて欲しいのよ!」
「わかった。赤井さんのことろへ行ってくるよ」
拓哉は玄関を出た瞬間、駆け足で赤井さんの家の方角へ向かっていった。
「じゃあ、私もそろそろ帰るよ。あとは2人で適当に過ごしてください」
戸田さんもそう言って、家に帰ってしまった。
その数分後、今度は千恵子まで帰ると言い出した。
「ちーちゃん、帰る前に少しだけいい?」
「うん、いいよ」
僕は帰ろうとした千恵子を引き留めて少しだけ話すことにした。
「なおちゃん、お話って何?」
「久々に5人集まったのに、こんな結果になってしまったから……」
「そうだね……」
「こうなったのって、私が原因なのかなって思ったから……」
「なんでなおちゃんなの?」
「私が悪乗りして、拓哉にあんなジョークを言ったから……」
「なおちゃんが気にすることないって」
「そうだよね……」
「うん!」
そのあと2人で食器洗いを済ませたあと、千恵子は家に帰ってしまった。
その頃、青木君は赤井さんの家の前に立っていて、ドアチャイムを鳴らすか否かを迷っていた。
ここで帰ったら、気まずいまま奈良へ戻る形となってしまう。そう思って思い切ってドアチャイムを鳴らすことにした。
「はーい」
スピーカー越しからおばさんの声が聞こえた。
「あの、僕青木拓哉と申します。麻衣子さんはいらっしゃいますでしょうか」
「少々お待ちください」
待つこと数分、玄関のドアが開いて赤井さんが出てきた。
「何しに来たのよ」
「何しにって……、謝りに来たに決まっているだろ」
「何のことで?」
「だから、入谷の家での一件だよ」
「そのことなら、私が悪いって言っているじゃん」
「なあ、玄関だとなんだし、ちょっと歩かねえか」
「いやよ、もう部屋着なんだし」
「そうだよな。明日、時間取れねえか?」
「なんで?」
「なんでって、せっかく戻ってきたわけなんだし、2人でどこかへ行かねえか?」
「いやよ、何であんたと2人でお出かけしなくちゃならないのよ」
「じゃあ、入谷たちも誘って5人でどうだ?」
「それなら考えてもいいわよ。それでどこへ行くの?」
「海水浴ってどうだ?」
「私、去年の水着しか持っていないし……」
「それじゃ、ダメなのか?」
「サイズとか変わっているもしれないから……」
「明日みんなで水着買いに行こうか」
「いいけど、男はあんた1人だけだよ」
「男って入谷もいるじゃねえかよ」
「入谷君はすでに女の子」
それを聞いた青木君は「しまった」っていう反応をしてしまった。
青木君はしばらく考えてしまった。
「青木君、どうしたの?」
「やっぱ海水浴をやめて他へ行かないか?」
「いいけど……、どこへ行くの?」
「それなんだけど、花火大会は?」
「それならいいんじゃない? それでいつなの?」
「それがわからないんだよ」
「だったら、調べてから言ってよ」
再び赤井さんがご立腹状態になってしまった。
「赤井、行きたい場所ってある?」
「なら、明日一日私の行きたい場所に付き合ってちょうだい。そうしたら、今日のことはチャラにしてあげるから」
「わかった、それでいいなら……」
「待ち合わせ場所は私の家で、時間は11時ごろでいい?」
「わかった、明日よろしくな」
「明日忘れないでよね」
「わかったよ。じゃあ、俺帰るから」
拓哉はそう言い残して家に帰ってしまった。
次の日、拓哉は赤井さんの家の前でドアチャイムを鳴らした。
「はーい。って、青木君?」
「来たぞ。準備は出来ているか?」
「ちょっとだけ待ってくれる?」
「おいおい、準備ぐらい早めに済ませておけよ」
「仕方ないでしょ、来るのが早すぎたんだから」
「約束の時間じゃねーかよ」
「少しだけ、待ってくれる?」
赤井さんは拓哉を炎天下の外で待たせておきながら、準備を始めていた。
待つこと数分、玄関からおばさんがやってきて「よかったら中に入ってくれる?」と言って居間に通された。
「ごめんなさいね、あの子昔から準備が遅すぎるから」
「いえ、僕が早すぎただけなので……」
「待っている間、退屈でしょうから、よかったら食べくれる?」
おばさんはそう言って、冷凍庫から棒付きのチョコアイスを取り出して拓哉に差し出した。
「すみません、ごちそうになります」
拓哉がチョコアイスを食べながらスマホをいじっていた時、準備を終えた赤井さんがやってきて、「お母さん、私の分のアイスは?」と言ってきた。
「冷凍庫にあるから、あとで食べなさい」
「はーい」
赤井さんはつまらなそうな顔をして返事をしたあと、拓哉の所へやってきて「じゃあ、行こうか」と言って、連れ出そうとした時だった。
「『じゃあ行こうか』じゃないでしょ。人を待たせたんだから『お待たせしました』の一言くらい言いなさいよ」
横で聞いていたおばさんが一言注意をしてきた。
「わかりました。気をつけます。お待たせ、じゃあ、行こうか」
赤井さんは拓哉の手を引いて、「三井第四住宅」のバス停へと向かい、そこからバスで新百合ヶ丘駅まで向かった。
「あれ、さっきのバスに赤井さんと青木が乗っていった。新百合ヶ丘駅になんの用かしら?」
スーパーから出た戸田さんは赤井さんと拓哉がバスに乗った瞬間を見てしまった。
あとをついていくか否か。迷った末、戸田さんは「王禅寺中央小学校前」のバス停から新百合ヶ丘駅行きのバスに乗って行ってしまった。
しかし、そのあとを僕と千恵子があとをついていくように中村さんに頼んで車で追いかけることにした。
「戸田さん、1人で何の用かしら?」
「ちーちゃん、人のあとをついていくなんて行儀が悪いよ」
「じゃあ、なおちゃんは降りる?」
「なんでそうなるの?」
「だって……」
「ちーちゃん、ごめん。言い過ぎた」
僕はションボリした千恵子の顔を見て、あわてて謝った。
「大丈夫、気にしてないから。それより本当に戸田さんのこと気にならない?」
「まったく気にならないと言ったら、嘘になるけど……」
「じゃあ、行きましょうよ」
「そうだね」
車は駅前のロータリーで僕と千恵子を降ろして、中村さんは駅の裏側にある駐車場へと向かった。
「戸田さんはどこへ行ったのかしら……」
千恵子は独り言を呟くように言ったあと、僕を連れて駅から一番近いショッピングセンターの中へと入っていった。
エスカレーターで順にいろんなフロアを見て回ったが、戸田さんの姿はどこにもなかった。
下りエスカレータに乗る前、千恵子が突然、靴売り場で戸田さんを見かけたので声をかけることにした。
「戸田さんですよね?」
「女王と入谷君!」
「何してたの?」
「実はさっき、赤井さんと青木くんがバスに乗って駅へ向かっていったのを見たので、あとをつけたのはいいけど、見つからないから靴を見ようかなって思ったのです」
「3人であの2人を探しましょうか」
「女王、いいのですか?」
「私、一つだけ心当たりがあるのです」
千恵子はそう言って映画館のあるショッピングセンターへ向かった。
その頃、赤井さんと拓哉は映画館でチケットを買ったあと、上映時間を待っていた。
「とある未来都市の超電磁砲が映画化になるなんて知らなかったよ」
拓哉はチケットを見ながらうれしそうに言っていた。
「この作品って確かランクAの御坂美琴とランクBの白井黒子が未来都市にやってきたイギリスの魔術師と戦う話だよね」
「しかも、劇場版にしか出てこないキャラもいるんだよ」
「あんた随分と詳しいんだね」
「前もって調べておいたから」
「そうなんだ」
「じゃあ、そろそろ中へ入ろうか」
と言った瞬間のことだった。
「もしかしてデート?」
戸田さんがニヤニヤしながらやってきた。
「戸田さん!? なんでここにいるの?」
拓哉は少し驚いた表情で反応していた。
「私だけじゃないよ。女王も入谷君もいるよ」
「女王、どうしてここがわかったのですか?」
今度は赤井さんが驚いていた。
「そうしてって言われても……。やっぱ勘かな。これから何を見るの?」
「とある未来都市の超電磁砲」
「あら奇遇ね。私も同じ作品のチケットを持っているの。まあ、座席は離れてしまうけど、しかたがないか。中へ入りましょ」
中へ入ると、すでに映画の予告上映が始まっていた。その中でいくつか気になる作品が紹介されていた「東京最終戦争」とか「女子高生アイドル青春日記」、「古井戸で見つけた謎の3億円」など、どれもみんな秋に上映される作品なので、絶対に見ようと思った。
そのあとは有名なノーモア映画泥棒の映像が流れ、最後は上映中のマナーの映像が流れ、本編がスタートした。
ランクAの御坂美琴が歩道橋の上でコーラを飲んでいるところにランクBの白井黒子が瞬間移動でやってきて飛びつくシーンから始まった。この辺についてはレギュラー版とたいして変わらなかった。
そこから劇場版のオリジナルストーリーが始まろうとしていた。
学校ではクラスメイトで、同じランクAの食蜂操祈がちょっかい出してきたり、外では子供の修道女が食べ物を催促をするシーンも出てきた。
クライマックスでは十字架をさげた魔女が御坂美琴に攻撃してくるシーンは、とても迫力があって見逃すことが出来なかった。
映画館を出たあと、帰りはみんなで中村さんの車に乗って帰ることにした。
「そういえば、青木君ってこっちにはいつまでいられるの?」
「うーん、まだわかんない。なんで?」
「明日、みんなで遊園地のプールに行かない?」
赤井さんは少し恥ずかしそうに声をかけてきた。
「あ、それで映画館に行く前にピンクの水着を買ったのか。俺、てっきりビニールプールで遊ぶために買ったのかと思ったよ」
「バカ!」
「大声で『バカ』はないだろ」
「私がどれだけ恥ずかしい思いをして買ったかわかる?」
「わかった、今のは冗談だから興奮するなよ。明日みんなで行きたいけど、直美と川島さん、戸田さんはどう?」
拓哉が聞いたとたん、みんなは特に問題なしと返事が来た。
しかも当日は戸田さんのお姉さんがミニバンをレンタルしてくれるみたいなので、それに乗って出掛けることになった。
「ちょっと待って。私水着持ってないよ」
「なおちゃん、それ本当なの?」
「うん、性別が変わってから、女の子用の水着なんで買ってないよ」
「じゃあ、私のでよければ貸すけど……」
「いいの?」
「うん」
「ありがとう」
「当日、用意するね」
帰りの車の中は明後日のプールのことで盛り上がっていた。
「当日はお嬢様のことをよろしくお願いいたします」
中村さんも運転しながら戸田さんにお願いをしていた。
14、プールと夏祭り、そして再びお別れ
中村さんがみんなを降ろしたあと、僕は千恵子の家に呼ばれた。
部屋に入ること自体は慣れているが、何か妙な緊張感があった。
千恵子は隣の部屋にあるクローゼットから水着を何着か用意してきた。
「なおちゃん、ここから好きなのを選んでちょうだい」
ベッドに置かれた水着はフリルのついたワンピースやビキニばかりだったので、見た瞬間に驚いてしまった。
選ぶにしても正直抵抗がある。
「どうしたの? これなんかいいんじゃない?」
僕が迷っていたら、千恵子がビキニを勧めてきた。
「さすがにビキニはちょっと……」
「じゃあ、これは?」
今度はフリルのついた水色のワンピースを勧めてきた。
「これならいけるかも」
「じゃあ、ちょっと着替えてくれる?」
「ここで!?」
「別にいいじゃん。女の子同士なんだし、恥ずかしがることなんてないでしょ?」
「確かにそうだけど……」
「じゃあ今すぐ着替えて」
僕は千恵子に言われるまま水着に着替えた。
「どう?」
「ちょっと待って」
「ちーちゃん、どうしたの?」
「ちょっとこれをつけてくれる?」
千恵子は引き出しからシリコンパッドを取り出して、僕の胸に当てようとした。
「ちーちゃん、これなんなの?」
「知らないの? シリコンパッドだよ。これを着けると、胸を大きく見せることが出来るの。どう?」
「つけてみようかな」
「そうしなよ」
「一つ気になったけど、ちーちゃんが普段胸が大きいのはこのパッドを入れているからなの?」
「失礼なことを言わないでよ。これはもともとの胸の大きさなんだから」
「明日、ちーちゃんも着けるの?」
「なおちゃんがそれを求めているなら……」
「2人で着けてみようか」
翌日、僕は借りた水着を持って千恵子の家の前で待つことにした。
「ちーちゃん、おはよう」
「おはよう、なおちゃん」
千恵子は少し眠そうな顔をして僕に挨拶をした。
「ちーちゃん、もしかして寝不足?」
「ちょっとね。昨日眠れなかったから」
「それって遠足前と同じような状態?」
「まあ、そんな感じかな」
「ちーちゃん、覚えている? 小学校の遠足の時のこと。寝不足が原因でバス酔いしたんだよね」
「大丈夫よ。一応酔い止め薬を飲んでおいたから。あと帰りの分も中村から渡されているから」
「今日、助手席に座らせてもらう?」
「大丈夫よ、なおちゃんの横に座らせてもらうから」
「ヤバくなったらすぐに言ってね」
「うん、ありがとう」
その直後、玄関の前に白いミニバンが警笛を鳴らしながらやってきた。
運転席から戸田さんのお姉さんと思われる人がやってきて、僕と千恵子の所にやってきた。
「おはようございます。私、戸田百合子の姉で、美雪と申します」
美雪さんという人は少し緊張しているのか、固い感じの言葉で挨拶をしてきた。
「初めまして、入谷直美です」
「初めまして、川島千恵子です」
「川島って、もしかして川島財閥のお嬢様!?」
美雪さんは驚いた反応で答えていた。
「はい、そうですが……」
「お嬢様と知っていたら、もう少し上のランクの車にすればよかった」
「美雪さん、大げさですよ。それに私は乗せてもらう立場なので……」
「ねえ、これって千恵子様のお屋敷ですか?」
「そうだけど……、あと出来たら普通に呼んでもらえないかしら。『様』って呼ばれると、こっちまで固くなってしまうから」
「じゃあ、一つだけ条件がある。私のことも呼び捨てにしてくれる?」
「そんな、年上の人を呼び捨てなんて出来ません」
「じゃあ、私もあなたのことを『千恵子様』って呼ぶわよ」
「それはちょっと……」
「これであいこ。私だって気を使われるのは嫌なんだから。あとお互い敬語は禁止」
「はい!」
「ほら、言ったそばから敬語で返事をしている」
「あ、ごめん……」
「わかればよろしい。それにしても大きな屋敷だね」
美雪さんは千恵子の家を見て驚いていた。
「この屋敷以外にも東京の式根島にも別荘があるの」
「マジ!? もしかして、島丸ごと別荘とか?」
「さすがに、そこまでは無理だったので、少し小さめの屋敷にしておいたよ」
「そうなんだね」
「お姉ちゃん、いつまで話しているの? 早く行こうよ」
助手席の窓からから戸田さんが大きな声で美雪さんに出発を促した。
「あ、ごめん。いこいこ」
美雪さんはそう言って、運転席に座り込んでエンジンを回した。
僕が後ろのスライドドアを開けたら、僕と千恵子の指定席と言わんばかりに真ん中の座席が空いていた。
「おはよう、お2人さん。ちゃんと指定席を開けておいたよ」
拓哉が顔をニヤつかせて僕に言ってきた。
「拓哉、そこまで気を使わなくてもいいのに」
「じゃあ、俺が川島さんの隣に座っていいか?」
「それはちょっと……」
「だろ? だったら大人しく座れよ」
僕と千恵子が真ん中の座席に座ってドアが閉まったら、車はゆっくりと走りだしていった。
車を走らせてから20分。後ろで騒いでいた人たちはすでに爆睡状態。
みんなそろって寝不足か。僕はイヤホンを取り出して、1人スマホで音楽を聞くことにした。
イヤホンから流れる音楽とともに外の景色もゆっくり流れていた。
僕がイヤホンで歌を聞きながらボーっと景色を眺めていたら、千恵子が目を覚まし、僕の肩を数回叩いてきた。
「どうしたの? ちーちゃん」
「今、何を聞いていたの?」
「中西圭三」
「イヤホン片方貸して」
「うん……」
僕と千恵子がイヤホンで歌を聞いていたら、助手席からUSBケーブルが伸びてきて、「イヤホンで聞かないで、これにつなげてみんなで聞こうよ」と戸田さんが言ってきた。
「いいの? うるさくならない?」
「大丈夫だよ。イヤホンで聞くなんてマナー違反じゃん? だからこれをスマホにつなげてくれる?」
僕は戸田さんに言われるまま、スマホをケーブルにつなげて音楽を再生させた。
みんなが僕の好みの曲を聞くとなった瞬間、少しだけ緊張した。
「なおちゃん、どうしたの?」
「別に……、大丈夫……」
「大丈夫じゃなさそうじゃん。さっきからソワソワして」
「本当に大丈夫だよ」
「さては、今日のプールで水着を見せるのが恥ずかしくなった?」
「そうじゃないよ」
「じゃあ、なんなの?」
「本当になんでもないって」
「本当は水着が恥ずかしいんでしょ?」
「それもあるけど、自分が聞いている音楽を他の人が聞くってことがなかったから……」
「今さらそんなことでソワソワしていたの? 私の車でしょっちゅう聞いていた人がこんなリアクションするわけ?」
千恵子は少し呆れかえっていた。
「この歌なら私も持っているよ。スマホに入れてあるから聞いてみる?」
戸田さんはそう言って僕のスマホから自分のスマホへとケーブルを差し替えた。
音楽プレーヤーを起動した瞬間、僕がたった今聞いていた歌と同じ曲が流れ始めてきた。
「まさか、戸田さんが同じ曲を聞いていたとは知らなかったよ」
「驚いたでしょ?」
「戸田さんも懐メロ聞いているの?」
「たまにね。親に影響されて、少しずつ聞くようになったの」
「そういえば、合宿の時も懐メロ流していたよね。鈴木雅之好きなの?」
「好きっていうわけじゃないけど、たまに聞くと癒されるのかな」
「そうなんだ」
懐メロの話題で盛り上がっていたら、車はあきる野市に入っていた。
音楽もいつの間にか終わっていて、全員で再び爆睡状態。
目的地の遊園地に着いて、駐車場に入っても拓哉だけが気持ちよさそうに寝ていた。
「拓哉、着いたよ」
僕は拓哉の肩を数回叩いて起こしたが、起きる気配がなかった。
「お客さーん、終点ですよ。この電車、回送にして車庫に戻さないといけないんですよ」
赤井さんの声に反応して少し体を動かした。
「お客さーん、ここで寝ていると風邪ひきますよ」
赤井さんは再び拓哉の耳元でささやくように声をかけてみた。
するとあわてて起き上がって車から降りようとした瞬間、ゴツンと鈍い音がした。
「いたた……」
「どうしたの、青木君?」
「天井に頭をぶつけた……」
「大丈夫?」
「まあ……」
赤井さんに心配され、拓哉は苦笑いをしながら答えていた。
「ここにいてもしょうがないし、中へ入りましょ」
美雪さんは受付で人数分のリストバンド型の入場証を受け取ったあと、僕たちを連れて中へと入っていった。
「青木君は男の子だから青ね。あとはみんなピンク。あとこれはロッカーの鍵にもなっているから紛失しないでね」
美雪さんの注意を受けたあと、更衣室へ向かった。
「青木君、またあとでね」
「うん」
受付で預かった鍵の番号と同じロッカーの場所へ向かい、着替え始めた。
「なおちゃん、私の隣なんだね」
「うん」
「水着持ってきたんでしょ」
「あるけど、いざ着るとなるとやっぱ恥ずかしいよ」
「大丈夫だって。慣れれば普通にいられるから」
「あと、シリコンパッドって入れたほうがいいの?」
「うん、そっちのほうがかわいいよ」
僕は千恵子に言われるまま、シリコンパッドを着けて水着に着替えた。
「ちーちゃん、どう?」
「とてもかわいいよ」
「ありがとう」
僕と千恵子が更衣室の外へ出た時には、すでにみんなが着替え終わって待っていた。
「みんな、おまたせ」
みんなは千恵子のビキニ姿に釘付けになっていた。
「おまたせ……」
僕が少し恥ずかしそうな顔をして、みんなの前に顔を出したら「入谷君、かわいい~!」と言ってきた。
「そんなにジロジロ見ないで」
「もしかして、照れているの?」
戸田さんは完全に変態オヤジの顔をして僕に近寄ってきた。
「戸田さん、顔が怖いですよ。っていうか近寄らないでくれる?」
「別にいいじゃん、減るもんじゃないんだから」
「戸田さん、この辺にしてくださる?」
その時、千恵子が助け舟をだしてきた。
「すみません、女王。少々悪乗りし過ぎました」
千恵子に注意された戸田さんは急に大人しくなってしまった。
「この水着って可愛いけど、どこで買ったの?」
「実はこれ、ちーちゃんの水着なんだよ」
「マジで!? 女王ってこんなかわいい水着を持っていたの?」
今度は赤井さんのスイッチが入ってしまった。
「なおちゃん、自分の水着持っていなかったから、私が貸してあげたの」
「女王、今度私にも貸してくれる?」
「いいけど、自分のがあるじゃない」
「女王の水着を着てみたいの」
「じゃあ、また今度ね」
「ところで一つ気になっていたけど、女王と入谷君って胸に何か詰めてる?」
「詰めてないわよ」
千恵子はあわてて否定した。
「なーんか、怪しいわね」
赤井さんは疑惑に満ちた目で、千恵子と僕の胸を見ていた。
「気になる?」
「本当に何も詰めてないの?」
「ごめん、うそをつきました」
「やっぱりそうだったんだね」
「実は私も……」
「入谷君も!?」
今度は僕を見て反応していた。
「うん……。そっちの方がかわいいって言われたから……」
「女王にそう言われたんだね」
赤井さんは少し呆れた反応していた。
「実を言うと、私もなんだよ」
その直後、急に「自分も」と言わんばかりに赤井さんがカミングアウトしてきた。
「さっきの反応はなんだったの?」
僕としては正直納得いかなかった。
「うーん、なんでだろ。ちょっとびっくりしたから」
「びっくりして、その反応!?」
僕はこれ以上何も言えなくなってしまった。
「ここで盛り上がってもしょうがないから、はやくプールへ行かない?」
美雪さんは僕たちのところへやってきて、みんなにプールへ行くよう促した。
プールへ行ってみると凄い人の数だったので、少し驚いてしまった。
「泳ぐ前にみんな準備体操してね」
美雪さんは学校の先生のように、みんなに準備体操するよう指示してきた。
準備体操を終えて、ウオータースライダーを手始めに波乗りなど充分楽しんだあと、一休みをすることにした。
「ねえ、あそこのプールで少し泳いでみない?」
千恵子は奥にあるプールに指をさした。
「女王、実は私……」
「赤井さん、どうしたの?」
「女王、私泳げないのです」
「なーんだ、そう言うことだったのね。じゃあ私が教えてあげるよ」
「本当ですか? ありがとうございます。じゃあ、私ビート板を借りてきます」
「待って、俺も行くよ」
赤井さんが拓哉と一緒にビート板を借りに行っている間の出来事だった。
「おい、今連れの男いなくなったぜ。声をかけるなら今のうちだぞ」
「そうだな。よし、行くぞ」
数人のチンピラたちが千恵子や僕などにナンパをしようとしていた。
「なあ、お嬢ちゃんたち暇だろ。俺たちと遊ばねえか?」
「お断りします」
「そう言うなよ。昼飯まだなんだろ。俺たちがおごるからさ」
「食事ならもう済みました」
「帰りは俺たちが送ってあげるから。俺の車、ミニバンだし、お嬢ちゃんたちが乗っても余裕だから。それにこの辺ってバスの最終も早いし、歩いて駅まで向かうにしても相当距離があるからさ」
「偶然ね。私たちもミニバンで来たの」
「そうなんだ。でもお嬢ちゃんたち、まだ高校生なんだろ。車の運転はちょっと早いんじゃない?」
「連れが運転してきたので、ご心配なく。用はこれだけですか? 終わったならいなくなって頂戴。しっ、しっ」
「テメー、人が親切にしてやっているのに、この態度はなんなんだ。マジでムカついてきた。こうなったら強引に連れていくまでだ」
チンピラたちは戸田さんの腕をつかんで強引にどこかへ連れていこうとした。
「やめて、大声出すわよ」
「だせよ。『チカーン』とか『助けてー』って叫んでごらん。どうした、言えねえのか?」
その時だった。
「テメー、嫌がっているの、わかんねえのか? さっさといなくなれよ」
拓哉がチンピラの腕を強くつかんで止めに入った。
「彼氏の登場か。なら俺たちとやるか?」
「ボス、俺たちも助太刀に入りますよ」
「おお、頼む」
チンピラたちが拓哉に手を出そうとした瞬間、今度は美雪さんが加勢してきた。
「うちの妹に何の用?」
「おお、ナイスバディの女の登場だ」
「言っておくけど、私はそんなに安くはないわよ」
「なあ、俺たちと遊ばねえか? いろんなことを教えてあげるから」
「そうねえ、私からあんたたち言いたいことがある。ここにいると痛いめに会うわよ」
「ウワハハハハ……、これマジ受ける。どんな痛い目に遭うんだ?」
「調子に乗るんじゃないわよ!」
美雪さんはそう言ってチンピラをプールの中へ投げ飛ばしてしまった。
「おい、助けくれ。俺泳げないんだよ」
「こんな水深の浅いプールで溺れるほうがどうかしているわよ。ねえ、こんなところでつっ立っていないで、助けて上げたら?」
「この女、ふざけたマネをしやがって」
チンピラの残りが美雪さんに襲いかかろうとしていた。
「じゃあ、あんたたちも一緒に泳いできなさいよ」
美雪さんは残りのチンピラたちもプールの中へ投げ飛ばしてしまった。
「おい、ふざけるのもいいかげんにしろ。マジでムカついた」
チンピラのボスがプールから上がって美雪さんの腕をつかんできた。
「私の腕をつかんでどうするの?」
「いいことを教えてやるよ。俺はキレたら自分でも何をするかわからねえんだよ」
「私にそんなことを言ってもいいの?」
「はあ? お前バカじゃねえの? 少しは自分の立場を考えろよ」
「どう考えたらいいの?」
その時だった。残りのチンピラたちもやってきて、美雪さんを襲い掛かろうとしていた。
「俺たちも女相手にボコるようなまねはしたくねえ。その代わり、お前の体を触らせてくれたら今日のところは勘弁してやるよ」
「いいわよ。その代わり、あんたたちには素敵なホテルへ連れて行ってあげるわよ」
「マジで!?」
「ちょうど私、ホテルの招待券があるから、そこへ行かない?」
「行きたいけど、俺たちだけで行って、連れの人たちに悪いんじゃ……」
「平気よ。ねえ、それより私の体に興味あるんでしょ? 触ったら?」
チンピラたちはそう言って美雪さんの胸やお尻を触ってしまった。
「百合子ー、お姉ちゃんのバッグを持ってきてくれる?」
戸田さんは休憩スペースに置いてあるバッグを美雪さんに渡した。
「ありがとう」
「じゃあ、この続きはホテルでやろうぜ。何というホテルなんだ?」
チンピラはハアハアと犬のように息をしながら、美雪さんに聞き出した。
「あ、そうそう。私、あなたたちに自己紹介していなかったわよね」
「お姉さん、名前なんていうの?」
「私はこういう者よ」
美雪さんはそう言って警察手帳をチンピラの前に見せた。
「テメー俺たちを騙したな!」
「えーっと13時05分、あなたたちを強制わいせつ罪で現行犯逮捕。今、仲間が来るから逃げたらダメよ」
「こんなのありかよ」
20分後、制服姿の男性警察官がやってきてチンピラたちを連れて行ってしまった。
「美雪さんって警察官だったのですか?」
僕は思わず驚いてしまった。
「そうだよ。とい言っても今年採用されたばかりで、まだ交番勤務なんだけどね」
「そうなんですね。それにしても今のはかっこよかったです」
「ありがとう」
「こういうのも警察学校で訓練されるのですか?」
「まあね」
「なおちゃん、この辺にしてあげたら?」
僕が美雪さんに質問攻めをしていたら、千恵子が止めに入ってきた。
「あ、ごめんなさい」
「そういうのは慣れているから」
美雪さんは少し苦笑いをしながら返事をしていた。
「なあ、せっかくビート板を借りてきたことなんだし、赤井さんの練習に付き合わねえか?」
拓哉が赤井さんの練習に付き合うよう、促してきた。
「それもそうだね。私、スイミングスクールにかよっていたから、少しなら教えてあげられるわよ」
美雪さんがコーチの役を買って出てきた。
「よろしくお願いします」
赤井さんは美雪さんに頭を下げてお願いをした。
「そんなに緊張しなくてもいいよ」
美雪さんはにこやかにして赤井さんの緊張をほぐした。
僕たちが他で遊んでいるころ、赤井さんは美雪さんの指導のもとで、バタ足の練習をしていた。
「左右の足がバラバラだから、きちんとそろえることを意識したほうがいいよ」
「はい」
「そうそう、さっきより上手になったよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、今度はそれを水の中から蹴るように意識してごらん」
赤井さんは美雪さんに言われた通りに泳いでみた。すると、いつの間にか綺麗なバタ足になっていたので、美雪さんは驚いてしまった。
「赤井さん、あんた呑み込みが早いじゃん。すごく上手に泳げたわよ。じゃあ、今度はビート板なしで泳いでみようか」
「ビート板なしはちょっと自信がない……」
「大丈夫よ、すぐに上達出来るから」
美雪さんは赤井さんが使っているビート板をプールサイドに置いて、バタ足の練習をさせてみた。
「やればできるじゃない! 上手よ」
「ありがとうございます。でも本当はそんなに上手ではないんですよね」
「そんなことないって。とても上手だったよ」
「ありがとうございます」
褒められてうれしかったのか、赤井さんは少し照れた顔をしていた。
赤井さんの練習が終わって、帰りの車の中は疲れていたのか、みんなはすぐに眠ってしまった。
起きていたのは僕一人だけとなっていた。
ゆっくりと流れる景色を見ながら僕は今日のプールでの出来事のことを振り返ることにした。
初めて着た女性用の水着、プールにやってきたたちの悪いナンパのこと、美雪さんの正体が警察官だったことなど、ゆっくり考えていた。
僕には何もかもが初めてだらけで、不謹慎ながらも貴重な体験となっていた。
車が八王子市に入ってもみんなは未だに眠っていた。よほど疲れていたのか、みんなは起きる気配がなかった。
美雪さんに話しかけるにしても話題が思いつかなかったので、僕はスマホを取り出し、イヤホンで音楽を聞くことになった。
音楽プレーヤーを起動し、僕は小林明子の歌を聞くことにした。テンポがゆっくりで、疲れている時には調度いいと思った。
バラード特有のメロディが子守歌に聞こえてしまい、僕までが眠ってしまった。そして目が覚めたころには川崎市内を走っていて、みんなは起きていた。音楽プレーヤーも終わっていて、僕は眠い目をこすりながら、車の中を見渡した。
「なおちゃん、やっと起きたんだね」
「ちーちゃん? ここはどこ?」
「うちの近くだよ」
「うちの近く?」
「うん」
車は千恵子の家の前で停まったので、僕と千恵子は降りたあと、美雪さんに一言お礼を言って、走り去る車に手を振って見送った。
「なおちゃん、よかったらうちへ寄っていかない?」
「そうしたいけど、私もクタクタだから、家で休まてもらうよ」
「また明日電話するからよろしくね」
「うん、おつかれ」
部屋に戻るなり、僕は水着を洗面所で軽くゆすいで、洗濯機で脱水して、部屋で干すことにした。
夕食と風呂を済ませたあと、そのままベッドで寝てしまった。
次の日、僕は居間のテレビで高校野球の試合を見ていたら、千恵子から電話が来た。
「もしもし?」
「あ、ちーちゃん。昨日はお疲れ」
「なおちゃん、今大丈夫?」
「どうしたの?」
「明日なんだけど、時間取れる?」
「明日何かあるの?」
「明日、琴平神社で盆踊りがあるんだけど、一緒に行かない?」
「いいけど、僕浴衣持っていないから普段着で行くよ」
「じゃあ、私の浴衣を貸すよ」
「それじゃ悪いって」
「ううん、気にしないで。じゃあ、あとで私の家に来てよ」
「わかった。じゃあ、借りた水着とシリコンパッドを返すよ」
「それ、両方ともなおちゃんにあげる」
「悪いから、返すよ」
「返される方が迷惑よ」
「じゃあ、ありがたくもらうね」
「うん! じゃあ、あとで私の家に来てね。待っているから」
電話を切ったあと、僕はすぐに身支度をして千恵子の家に向かった。
部屋に入ってみると、千恵子が2人分の浴衣を広げて待っていた。
「ちーちゃん、来たよ」
「なおちゃん、いらっしゃい」
「きれいな浴衣だね」
「でしょ? なおちゃんは明日どっち着る?」
「僕なら水色かな」
「言うと思った。じゃあ、私は黄色にするね」
「ところで、なんで2着も持っているの?」
「それは、その……」
「答えにくいなら、遠慮するよ」
「実は……、新しいデザインが出るたびに欲しくなって……」
「なんとなくその気持ちわかる。可愛いと思ったら欲しくなっちゃうんだよね」
「なおちゃんもわかるの?」
「うん!」
「やっぱ欲しくなって、つい買っちゃうの」
「私も目の前に欲しいものがあると、つい手を伸ばしたくなっちゃう」
「なおちゃん、さっそくだけど試着しようか」
千恵子はそう言って僕の着替えを手伝い始めた。
「着替えを手伝ってもらったのって、幼稚園以来だよね」
「そうだよね。さすがに小学校に入ってからは自分で着替えるようになったけどね」
着替え終えて鏡の前に立ってみた。
「ちーちゃん、どう?」
「とてもかわいい」
女性用の浴衣に着慣れていないせいか、僕は妙にソワソワし始めた。
「なおちゃん、どうしたの?」
「なんていうか、その……」
「なおちゃん、はっきり言ってちょうだい」
千恵子は強い口調で僕に言った。
「実はこの髪型だとミスマッチになりそうだから……」
「じゃあ、別のヘアウィッグを貸すね」
千恵子はクローゼットから金髪のツインテールのヘアウィッグを僕に被らせた。
「どう?」
「とてもかわいいよ」
「ありがとう。じゃあ、明日ウィッグと浴衣をよろしくね」
「オーケー!」
僕は一度普段着に着替えたあと、出された紅茶を飲んで家に帰ることにした。
夕食と風呂を済ませてベッドで横になっていたら千恵子から電話がかかってきた。
「ちーちゃん、どうしたの?」
「なおちゃん、明日4時ごろうちに来られる?」
「4時って早くない?」
「浴衣着替えるのに時間がかかるから、それに今回はなおちゃんの着替えの手伝いもあるから……」
「今、思ったんだけど、こういうのって使用人頼むことってできないの?」
「あ、そうだった」
「なんか、ちーちゃんらしくない」
「そうだね」
千恵子は苦笑いをしながら答えていた。
「じゃあ、明日4時ごろちーちゃんの家に行くね」
「うん、待っているね」
翌日の午後4時のことだった。千恵子の部屋に入ってみるとメイドの格好した使用人が着替えの準備を待っていた。
僕は使用人にシリコンパッドを預けて着けてもらうことにした。
使用人たちは慣れた手つきで僕の着替えを進めていった。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
僕は鏡の前でしばらく自分の姿を見つめていた。
「今回、ヘアウィッグに髪飾りを着けさせていただきました」
「ありがとうございます」
僕は少し年配の使用人にお礼を言った。
そのあと僕と千恵子は中村さんの車に乗って琴平神社に向かった。
車は学校の校門の前で停めて、そこから3人で神社に向かったら、すでに拓哉に赤井さん、戸田さんが待っていた。
「お前ら、おせーぞ」
「あ、ごめん」
拓哉が少し不機嫌そうな顔をして僕に言ってきた。
「直美、お前髪型変えたんだな」
「ちょっとイメチェンしてみようと思って……」
「なかなか似合っているよ。あと浴衣もかわいい」
「ありがとう。拓哉も浴衣似合っているよ」
「どうもな。それより今日はボディーガードもいるのか?」
拓哉は中村さんを見て、僕に言ってきた。
「先日のプールで起きた一件もあるから」
「そうだよな。あれはひどかったよ」
「ここでつっ立っているのもなんだし、屋台巡りをしよ」
「そうだな」
屋台は境内の中や外にたくさん並んでいたので、まずは境内の中にある屋台巡りから始まった。
最初にお好み焼きから始まって、タコ焼き、そしてフランクフルトと食べていったら、戸田さんが「さっきからしょっぱい系が多いから、今度は甘いものが食べたい」と言い出してきた。
「そうだな、チョコバナナを食べようか」
僕はみんなにチョコバナナの屋台へ連れて行った。
そして最後にラムネを飲んで終わろうとしていた時、今度は赤井さんが「さっきから飲んで食べてばかりじゃん。射的や金魚すくいってないの?」と聞いてきた。
僕はあたりを見渡したが、遊び系の屋台が見当たらなかった。
再び境内の中を歩いてみると、奥に射的があったのでみんなで遊ぶことにした。
みんながハズレだったのに対し、拓哉だけがテディベアの獲得に成功した。
「青木君、すごいね」
「一応サッカーをやっているから、そのせいもあるかもしれないよ」
「それでも凄い」
「あとこれ、お前にやるよ」
「うわー、ありがとう一生大事にするね」
赤井さんは拓哉からもらったテディベアのぬいぐるみを大事そうに抱えていた。
「そろそろ帰ろうぜ」
拓哉はみんなに帰るよう促した。
「あれ、花火は?」
「住宅街で花火が出来るわけないだろ。漫画の世界じゃあるまいし」
「ちぇっ」
「それに花火大会は市役所の管轄、盆踊り大会は町内会の管轄。両方のスケジュールが一致しないと無理なんだよ。それに花火をするには消防署と警察署の許可も必要だから、なおさら難しい」
「青木君って物知りなんだね」
「親の受け売りなんだよ。母ちゃんが市役所で務めているから」
「そうなんだね」
「じゃあ、帰ろうぜ」
「ちょっと待って、どうせだったら車で帰らない?」
千恵子はみんなに車に乗るよう促した。
帰りの車の中は終始無言のままだった。
「なあ拓哉、奈良へ戻るのはいつなんだ?」
拓哉はスマホを取り出して予定を確認した。
「明後日だよ」
「そうか。サッカー大変かもしれないけど、間違っても途中で逃げるようなまねはするなよ」
「ああ」
「明日はどうするの?」
「明日は久々に家族と一緒にゆっくり過ごすよ」
「新幹線は何時?」
「新横浜11時23分かな」
「じゃあ、みんなで見送りに行くよ」
「別に無理しなくてもいいから」
帰りの車の中はなぜかしんみりとしていた。
みんなを家に送り届けあと、残されたのは僕と千恵子だけとなっていた。
「浴衣、ありがとう。あとでクリーニングに出してから返すね」
「そこまでしなくてもいいから。もしあれだったら、なおちゃんにあげてもいいかなって思っていたから……」
「この間、水着をもらったばかりだから、これ以上もらったら本当に悪いって」
「ううん、気にしないで。本当のことを言うとなおちゃんにあげようかなって思っていたから……」
「洋服といい、水着といい、本当に悪いよ」
「なおちゃん、実際のところ迷惑だった?」
「そんなことないよ。すごくうれしいよ」
「じゃあ、もらってちょうだい」
「うん、大切に着させてもらうね」
その日の夜は部屋に戻るなり、浴衣のまま眠ってしまった。
明後日、僕は千恵子の車に乗って新横浜駅まで向かった。
入場券を買ってホームに上がると、すでに拓哉と両親の姿が見えていた。
「もう、来ていたんだね」
僕は拓哉を見かけるなり、声をかけてしまった。
「ああ、少し余裕を持っておこうと思って」
「そうなんだね」
「おととい私が言ったこと覚えている?」
「ああ」
「絶対にめげないでね」
「お前、見た目じゃなくて、しゃべり方まで完全に女になっているな」
「もう女の子になったから」
「そうか。男に戻れないのか?」
「わからない……」
「一つ聞きたいけど、実際の所ずっと女の子でいたいのか? それとも男に戻りたいのか?」
「今はわからない……」
「それも答えの出し方だもんな」
「青木君、ちょっといい?」
僕と拓哉が話をしていたら、今度は赤井さんが割り込んできた。
「これ、新幹線の中で食べてちょうだい」
赤井さんはそう言って、クッキーの入った箱を拓哉に渡した。
「なんか、まずそうだな」
「嫌なら無理して食べなくてもいいわよ」
「冗談だよ。あとでちゃんと食わせてもらうから」
その時だった。ホームに博多行きの新幹線が入ってきたので、拓哉はそのまま乗ってしまった。
「次回、冬休みに会おうぜ」
「うん、絶対に待っているから」
車両のドアとホームドアが閉まって、拓哉を乗せた新幹線はそのまま去ってしまった。
僕たちが帰ろうとした時、中村さんは「よかったら一緒に車に乗りませんか?」と声をかけた。
「お気持ちはありがたいのですが、我々も車で来たので」
拓哉のお父さんはそう言って、ベンツのマークのついた車の鍵を見せた。
「そうですか。それでは、お気をつけて」
中村さんは一言言い残して僕たちを連れて駐車場へと向かった。
残りの夏休みは特に予定もなく、普通に過ごそうと思った。
15、メイドとコスプレ
夏休みが終わって2週間が経った時、ホームルームでは文化祭の話題が出ていた。
出し物は何にするのかでもめているのは、おそらくどこの学校でもあるシチュエーションかもしれない。
実行委員が教壇に立って、みんなの意見がまとまらないばかりに先生に助けを求める始末。
しかし、担任の永田先生は知らん顔。
「みんな一、度静かにしてくださーい」
実行委員が注意をしても静かになる気配がなかった。
みんなは「どれにする?」とか「やっぱメイド喫茶がいいんじゃない?」など好き勝手に騒いでばかり。
堪忍袋の緒が切れたのか、永田先生は丸椅子から立ち上がって黒板を強く叩いた。
「うるさーい! 少し静かにしろ!」
永田先生の不機嫌な態度にみんなはいっせいに静かになって黒板に注目をした。
「意見のある人は手をあげろ!」
しかし誰も手を挙げようとしなかった。
「さっきから楽しそうに会話をしていたけど、何の話をしていたんだ? コイバナか? それとも怪談か?」
それでも反応なしの状態だった。
その時、男子の1人が手を挙げた。
「僕、メイド喫茶をやりたいです」
彼が言った直後、男子たちから「あいつ勇気あんな」と呟いていた。その一方で女子たちは猛反対。
「私、メイド服なんて着たくありません!」
「そうよ。どうせエッチな男子たちを喜ばせるだけじゃん」
「おい、なんだと。メイドは日本の文化だ。喫茶店と言えばメイドに決まっているだろ!」
「メイドさんにご奉仕されたいなら秋葉原に行ってきたら?」
「そうよね」
「ねえ、私たちだけ着るのは不公平だから男子たちにも着てもらうのはどう?」
「それ、いいね。片寄君メイド服に興味あるんでしょ? だったら着てみたら?」
「はあ? 何言っているんだよ。俺は絶対に着ねえよ!」
「『メイドは日本の文化だ』と言ったのはなんだったの?」
「それは女子が着て価値が生まれるのであって、俺たちが着ても何の価値もないんだよ」
「それって、ただの屁理屈よね」
「お前たち相当バカだろ。男子がメイド服を着て喜ぶ奴がいるか? 女子が着るからみんなが喜ぶんだろ」
「じゃあ、私たちから言わせてもらうわよ。女子のメイド服姿を見て喜ぶのは一部の変態さんたけなんです。しかし、男子のメイド服姿を見て喜ぶのは多数いるんです」
「だったら聞くけどよ、その多数ってのは誰なんだよ!」
「多数は多数よ!」
「答えになっていねえよ」
「はい、そこもめない」
永田先生が再び立ち上がって止めに入った。
「先生、僕メイド喫茶に賛成です」
「男子もメイド服を着るなら、私たちもメイド喫茶に賛成します」
しかし、そのあと反対する人がいなかったので、メイド喫茶に決まってしまった。
男子たちはメイド喫茶に賛成したことに強く後悔していた。
放課後、女子たちはどんなデザインがいいか話し合っていた。
「そういえば、女王の家にもメイドさんがいるんでしょ? どんなデザイン?」
横にいた千恵子の派閥メンバーが聞いてきた。
「わりとシンプルな感じだよ」
「じゃあ、私たちはそれにして、男子達にはフリフリのついた可愛いのにしない?」
「それ、いいね」
「スカートも短くする?」
「当たり前でしょ? 特に片寄なんか『メイドは日本の文化だ!』と言ったんだから、それくらいのことはしてもらって当たり前よ」
「私、メイド長に頼んで一着借りてくるよ」
「女王、本当に助かります」
帰宅後、千恵子はメイド長を尋ねた。
「メイド長、失礼します」
「お嬢様、どうされましたか?」
「実は折入ってご相談があります」
「どうされたのですか、急にあらたまって。お小遣いのご相談ですか?」
「いえ、違います。実は明日一日メイド服を貸していただきたいのです」
「お嬢様がお召しになられるのですのですか?」
「実は来月の文化祭のクラスの出し物で、メイド喫茶を開くことになったので、サンプルとして一着貸して頂きたいと思っているのです」
「そう言うことでしたら、一着とは言わずに人数分をお貸ししますが」
「実際はそれを基にみんなで作ることになっていますので、一着だけ貸して頂けたらそれで結構ですので」
「かしこまりました」
メイド長はそう言って、隣の部屋から一着取り出して千恵子に手渡した。
「こちらでよろしかったら、お持ちになってください」
「ありがとうございます」
千恵子はメイド長にお礼を言って自分の部屋へ戻って行った。
次の日の放課後、千恵子は屋敷から預かってきたメイド服をみんなの前に見せた。
「これ、本物のメイド服? 私、本物を見るの初めて」
「一応サンプルとして預かってきたんだけど……」
「じゃあ、これを基に作りましょうか」
「そうだね」
「ねえ、その前にこのメイド服、誰かに試着してもらおうか」
「だったら、なおちゃんに着てもらおうよ。なおちゃん、ちょっとこれに着替えてくれる?」
「うん……」
僕は千恵子に言われるままに着替え始めた。
「こんな感じで大丈夫?」
千恵子と派閥のメンバーたちはしばらく僕を見ていた。
「イメージとしてはぴったりだよね」
「これで行こうか」
「うん」
「なおちゃん、ありがとう。もう着替えていいわよ」
「これしばらく着ていていい?」
「なおちゃん、もしかしてこのメイド服気に入った?」
千恵子は少し意地悪そうに僕に聞いてきた。
「そうじゃないけど、男子が見ているから……」
「じゃあ、制服を持って更衣室で着替えて来たら?」
「うん、そうする」
僕が更衣室で着替えをしているころ、女子たちは男子たちが着るメイド服について話し合っていた。
「問題は男子なんだけど……」
「男子のは秋葉原のメイド喫茶の制服を参考にすればいいんじゃない? 片寄のバカには調度いいと思うよ」
別の派閥のメンバーが顔をニヤつかせながら提案してきた。
「片寄君だけだと不公平だから、男子全員に着せるのはどう?」
「それもそうだね」
「スカートを短くして、衣装をフリフリにして可愛くさせるのはどう?」
「最高じゃん! 当日、片寄のバカに着せれば完璧じゃん!」
「あの、もしかして私もこれを着るの?」
今まで黙っていた春子が遠慮がちに聞いてきた。
「春子ちゃんは女の子なんだから、私たちと同じメイド服だよ」
「もしかして、春子ちゃんもこっち着てみたい?」
「私は遠慮しておくよ」
春子はあわてて手を振りながら強く断った。
「やっぱ、そうだよね。デザインは可愛いけど、男子の前で着るのは抵抗あるのよね」
派閥のメンバーたちは、春子に共感しながら答えていた。
「裁縫は私らがやるとして、飾りつけや力仕事は男子に任せればいいんじゃない?」
「そうね。あと布なんだけど、どうする?」
「ネットで買う?」
「それより新百合ヶ丘駅に布屋さんが出来たんだけど、一度行ってみる? その方が早くない?」
「あと予算的なこともあるから……。仮に女王が資金提供すると、他のクラスからクレームが飛んでくると思うので、ここは少しでも安く抑えたほうがいいと思います」
「確かに、それは言えているわね」
派閥のメンバーの意見に千恵子は納得しながら答えていた。
「明日の放課後、先生にお願いをして車を出してもらおうか」
「その前に生徒会に届け出をしないとマズイんじゃない?」
またしても派閥のメンバーからダメ出しがきた。
「私思ったけど、この仕事って実行委員の管轄じゃない?」
「言われてみれば確かに……」
「じゃあ、明日の放課後に先生と交渉しようか」
「うん」
翌日の放課後、僕と千恵子、春子と派閥のメンバー数人で職員室へ行くことになった。
「失礼します。先生にご相談があります」
千恵子は少し緊張した表情で永田先生と交渉することになった。
「どうした、みんなで」
「先生、今日このあと車を出してもらいたいのですが……」
「どうした?」
「文化祭で着る衣装の布を買いたいので、車を出してもらいたいのです」
「気持ちはわかるが、まだ予算がおりていないんだよ。それに今日は職員会議もある。ちなみどんなデザインにしたんだ?」
派閥メンバーの1人が永田先生にラフを見せた。
「地味なデザインが女子用で、かわいいデザインを男子用にしました」
「それって反対に出来ないのか? それにみんなの意見はどうなんだ? 男子の意見はどうなっている?」
「まだ聞いていません……」
「まずは明日のホームルームの時に、みんなの意見を聞いてからにしろ」
「わかりました」
さらに翌日のホームルームのことであった。実行委員はみんなに文化祭で着る衣装のラフをみんなに配った。
それをみんなは思い思いに感想を言い合っていた。
「これって選べるのか?」とか「俺、こんな派手なのを着たくない」、「私、地味なの嫌だ」などの感想が飛び交っていた。
「みんな静かに。話は終わっていないんだから」
永田先生が手を叩いてみんなを静かにさせたあと、実行委員の説明が入った。
「みなさん、お話をしたいので静かにしてもらっていいですか?」
男子の実行委員は少し遠慮がちな声の大きさで話を進めようとしていたが、静かになる気配がなかった。
「みんな、少しだけ静かにしてください」
「何か言いましたか? ちゃんと大きい声で言わないとわからないんですけど?」
その時だった。片寄君がヤジを飛ばしたら、それと同時に他の男子たちのヤジもあとに続くように飛んできた。
「どうした片寄、言いたいことがあるんでしょ? はっきり言ってくれる?」
今度は永田先生が助け舟に入ってきた。
「いえ、特には……」
「だったら、静かにしてくれる?」
永田先生に注意された片寄君は、すっかりおとなしくなってしまった。
「では改めて説明に入ります。先ほど配った資料ですが、文化祭のクラスの出し物で着て頂く衣装となります。男子はスカートが短い方、女子はスカートが長い方となります」
「実行委員、質問いいですか?」
1人の女子が手を挙げてきた。
「なんでしょう」
「衣装は選ぶことは出来ないのですか? 私、丈が長い方より短い方が好きです」
「申し訳ありませんが、一応決まったことなので……」
「では、いつ決めたのですか?」
「昨日の放課後に一部の女子だけで決めました」
「それって、私たちの意見を無視をしたってことですよね?」
再び、教室内でヤジが始まり、実行委員は困った表情になってしまった。
「実行委員、何か言ってくださいよー」
「そうだそうだ!」
「俺たちを無視するなー!」
「そうだそうだ!」
その時、女子の実行委員は床にしゃがみこみ、泣いてしまった。
「あの、意見があるなら手を挙げてください」
男子の実行委員の注意などお構いなしに、教室の中は騒然としていた。
再び、永田先生は黒板を強く叩いて静かにさせた。
「いつからここは国会になった。言いたいことがある人は手を挙げて意見を言え!」
その時、女子の1人が手を挙げてきた。
「寺田さん、どうぞ」
「私たちを無視して話を進めるのはやめてもらえませんか? そもそもクラスの出し物だったら、クラスで話し合うのが当然ですよね?」
「それは申し訳ないと思っています」
「衣装も好きな方を選ぶことが出来ないのですか? 私、こっちの短いスカートの方がいいです」
「寺田、不満じゃなくて、意見を言え。今のは自分勝手な言い分だろ。なら聞くが、短いスカートの衣装を希望するにあたっての理由を言ってほしい」
「それは可愛いから……」
「正直に言わせてもらう。今、君1人のわがままを通したら、全員のわがままを認めなければならない。だから却下だ」
「では、私たちの意見を無視して話し合ったことについてはどうなんですか?」
「じゃあ、こうしようか。挙手形式でどっちの衣装にするか決める。それなら文句はないだろ」
寺田さんは渋々と認めた。
「では、全員顔を伏せろ」
永田先生は全員に顔を伏せるよう指示を出したあと、実行委員に質問させた。
「では、改めて質問します。短いスカートの衣装を希望している人は手を挙げてください」
手を挙げたのは男女含めて15人。それを実行委員は座席表のコピーに印を付けていった。
「ありがとうございます。では手を降ろしてください」
「では、残りの人は長いスカートの衣装と決めさせて頂きます。皆さん、顔を上げてください」
「では、これで衣装が決まったわけだ。あとで苦情が来ても先生はいっさい受け付けないから、そのつもりでいろ。ホームルームは終わりだ」
永田先生はそのまま職員室へ戻ってしまった。
その日の放課後、僕が帰る準備をしていたら、千恵子が声をかけてきた。
「なおちゃん、一緒に帰ろ」
「うん……」
校門を出て迎えの車に乗ろうとした時、違う運転手が座っていたのを見て、違和感を感じてしまった。
「ちーちゃん、中村さんどうしたの?」
「中村なら午後からどうしても外せない用事があるからと言って、出かけてしまったの」
「そうなんだね」
「ところで、なおちゃんは衣装どっちにした?」
「私は長いスカートの方にした」
「そうなんだ。実は私もなんだよ」
「短いスカートの衣装って可愛いけど、着るのに抵抗を感じたから……」
「確かに可愛いけど、あれって使用人の服じゃなくて、ただのコスプレ衣装だよね」
「言えてる……。それにちーちゃんが用意したメイド服って手触りもよくて、とても着心地がよかった」
「あの服、オーダーメイドなんだよ」
「そうなの? いくらした?」
「一着二十万くらいしたかなあ」
「に、二十万!?」
僕は思わず大声を出して反応してしまった。
「そんなに驚く値段?」
「二十万って、かなり高価じゃん!」
「なおちゃん、大げさよ」
千恵子は僕の反応を見て、笑いながら答えていた。
さらに、その2週間後には本格的な準備が始まろうとしていた。
各教室では飾りつけや看板の準備、衣装製作も進められていた。
「ちーちゃん、私手先が不器用だから向こうで看板作りをやってきてもいい?」
「いいよ」
僕が教室の後ろの方で男子に混ざって看板作りに入ろうとした時だった。
「直美もこっちに入ったんだね」
「うん」
後ろから春子がやってきた。
「春子、すっかり可愛くなったね」
「そうしないと沙織がうるさいから」
「髪飾りまでして気合いが入っているね」
「休みの日なんか、沙織の着せ替え人形だよ」
「お気の毒に」
「しかも、断ったら『凄いことをするわよ』と言って脅してくるし……」
「かわいそうに」
「隣の教室を覗いたら水越さんいなかったけど、今日って休みなの?」
「あいつ、昨日の夕方から熱を出して寝込んでいて、今朝も行くって聞かなかったら『薬を飲んでゆっくり休んでいろ』って言っておいたんだよ」
「あとでお見舞いに行くの?」
「一応幼馴染だし、様子だけは見に行くよ」
「優しいんだね」
「話変わるけど、直美は衣装どっちにしたんだ?」
「私はスカートの長い方にした。春子は?」
「私も長い方にした。短い方って可愛いけど、何だか落ち着かないから」
「そうなるよね……」
その時、僕と春子のところに寺田さんがイラストを持ってやってきた。
「2人とも進んでる?」
「寺田さん、どうしたの?」
僕は少し驚いた表情で寺田さんの方に顔を向けた。
「実は2人に見てもらいたいものがあるの。ジャーン!」
寺田さんはそう言ってメイド服姿のキャラクターのイラストを見せた。
「すごい! 自分で描いたの?」
僕は感心した顔で寺田さんに聞いた。
「そうよ。これ、拡大コピーして看板にはりつけようと思っているの」
「マジ!? ちょっと楽しみ」
「ありがとう」
「どうせなら、教室の中にも何枚か貼ってみたら?」
「それもありだよね」
その時、永田先生が何かを思いだしたかのように、僕と千恵子、春子を呼んで話を始めた。
「どうしたのですか? 先生」
「実はコスプレ研究部でも出し物をやろうと思っているんだよ」
「どんなことをされるのですか?」
「まあ、簡単に言ってしまえば好きなコスプレ衣装を着て記念撮影をするって感じかな」
「一ついいですか?」
「どうした、入谷」
「部室に置いてある衣装ってすべて女性用サイズですが、参加者は女子のみになるのですか?」
「実は何着か男性用サイズもあるんだよ。君たちの先輩たちが女装して活動していた時もあったから……」
「あとで部室へ行って調べてもいいですか?」
「それは構わないけど……」
放課後、僕たちは部室へ行って改めて衣装のチェックに入った。
「先生、さっき言っていました男性用の衣装ってどこにありますか?」
僕は男性用サイズの衣装を探しながら永田先生に聞いた。
「ちょっと待って……」
永田先生は奥にある段ボールの中をガサゴソと探していたら、箱の中から男性用サイズの衣装が見つかり、大声で「あったー!」と叫んだ。
「先生、見つかったのですか?」
僕は永田先生の所へ行って確認したら、出てきた衣装はパーティグッズ売り場にありそうな衣装ばかりだった。
「男性用となったら、やはりこうなりますよね」
「あと、アニメも少々あるよ」
「一ついいですか? 先輩たちってこんな衣装を着て活動していたのですか?」
「さすがにいなかったかな。ちなみに当日は、大きめの女性用サイズの衣装が入れば男性でも撮影は可能だよ」
「そうなりますよね。それで、本題ですけど当日は部室だけとなるのですか?」
「部室だけと言うと?」
「例えばなんですが、部室の外での撮影を希望している人がいたら、それは許可出来るのですか?」
「一応校内の移動は可能なんだけど、貸出時間を設けないと次の利用者が迷惑をすると思うから」
「それって、具体的に貸出時間はどれくらいにするのですか? あまり長時間貸すと他の人が迷惑するから、やはり部室の中だけの方がいいと思います」
永田先生は僕の意見に対し、しばらく考え込んでしまった。
その時、ふと何かを思い出したかのように春子が「先生ちょっといいですか?」と言って手を挙げた。
「水越春子、どうした?」
「今日、水越さん病欠なので、この話は水越さんがいる時にゆっくり話したいと思っています。あと部長の祇園さんも見えていません」
「わかった。ちなみにな祇園も今日病欠なんだよ」
「では、この話はみんながいる時にゆっくり話しましょう」
さらに3日後の出来事であった。水越さんも部長もマスク姿であったが、登校してきた。
放課後、永田先生は部員を全員集めて、簡単な資料を配ったあと話をすることにした。
「では改めて説明に入る。資料に沿って話すから、途中でついていけなくなった人は、あとでこの資料を読んでもらいたい」
永田先生はそう言って、衣装貸し出しのことや、撮影中のマナー、メイクサービスのことを細かく説明していった。
「先生、中は飾りつけとかされるのですか?」
その時、部長が質問に入った。
「そうだな、これだと殺風景だから何か飾ろう。あとBGMとしてアニソンを流そうか」
「アニソンなら私音楽プレイヤーに何曲か入れているので、それを用意しますね」
「一つ聞いていいか、それってスマホか?」
「いえ、タブレットなので、電話がかかることはありません」
「それならいいんだけど……」
「では、当日タブレット端末を用意しますね」
「ああ、頼む」
こうして当日へ向けて着々と準備が進んでいった。
そして迎えた文化祭当日。
部活とクラスの出し物の掛け持ちだったので、正直ハードなスケジュールになってしまった。
衣装に着替えるなり、さっそく一般客を迎えることとなった。
「よし、みんな着替えたな。これから中にお客さんを入れる。気持ちよく迎えろよ」
「わかりました」
みんなはいっせいに大きな声で返事をして、接客にあたった。
お客さんが入ると「おかえりなさいませ、ご主人様」と出迎えて、お客さんに紅茶やケーキを差し出していった。
事前に作っておいたケーキが底をつき始め、調理室でケーキを作り始める始末。
中にはカメラを向けてきた成人の男性客がいたので、永田先生が「ご主人様、店内での無断撮影はご遠慮ください」と一言注意に入ってきた。
すると、男性客は「すみません……」と一言謝っていた。
さらに少し離れた場所では明らかによそのクラスの生徒と思われる人が撮影の強要をしていたので、再び注意に入ってきた。
「ご主人様は何年何組かな?」
永田先生は顔をにこやかにして尋ねた。
「僕、2年3組です」
「お名前言えるかな?」
「吉野和夫です」
「吉野くーん、担任のお名前は?」
「数学の久保先生です」
「はーい、ちゃんと言えたご主人様にはあとで、先生に報告しておきますねー」
「それだけは勘弁してくれー」
2年生の吉野くんっていう人は、そのままムンクの叫びになってしまった。
「なおちゃん、そろそろ部室へ行ったほうがいいんじゃない?」
千恵子が教室の時計を見ながら僕に言ってきた。
「そうだね。そろそろ行こう。先生、僕たちそろそろコスプレ研究部の方へ行ってきます」
「もうこんな時間か。じゃあ頼んだぞ」
「春子も時間だよ」
「着替えなくてもいいの?」
「いいよ。それに宣伝にもなるから」
「じゃあ、これをさげていけよ」
横にいた永田先生が宣伝用のプレートを僕の首にさげて部室へと行かせた。
部室へ入ると、大音量でアニメソングがガンガンと流れていて、その奥から制服姿の部長が出迎えてくれた。
「お疲れ。これって宣伝用にさげているの?」
部長は僕を見るなり、少し驚いた表情で眺めていた。
「実は先生にさげさせられたのです」
「君たちの教室の出し物ってメイド喫茶なんだ」
「はい、そうなんです」
「だから、メイド服を着ているんだね」
「はい」
「文化祭が終わったら、着させてもらってもいい?」
「いいよ」
「やったー!」
部長はテンション高めではしゃいでいた。
「玲奈さん、お客さんがいるんだから」
目の前に一般の親子連れがやってきて、「あの、子供用のサイズってありますか?」と尋ねてきた。
「少々お待ちください」
部長はそう言って、奥のハンガーにかかっている子ども用の衣装を何着か用意してきた。
「お子様用のサイズですと、こちらになりますが……」
用意されたのはシンデレラや白雪姫、プリキュアなどであった。
「どれにする?」
母親は子供にどれにするか聞いていたら、子供はしばらく考えていた。
「じゃあ、これにする」
子供はシンデレラの衣装に指をさした。
「では、奥の更衣室で着替えてください」
親子連れは部長に案内された場所に着替えはじめた。
着替え終えたあと、部長はカメラを持って子供を撮影スペースへと案内し、シャッターを押す準備に入った。
「では、何枚か撮るので可愛くポーズをとってくれる?」
部長はポーズの指示を出しながら、シャッターを押していった。
「いいよ、かわいい。もっと笑顔を見せて」
子供は部長に言われた通り、笑顔を見せていった。
「撮影は以上となります」
「あの、よろしかったら、私のスマホでも何枚か撮ってもらえますか?」
母親は自分のスマホを渡して、もう一度部長にシャッターを押してもらうよう、お願いをした。
「先ほどのお写真はデーターにしてお渡ししますので、よろしかったらこちらをお持ち帰り頂きたいのですか……」
「スマホはだめなんですか?」
「そういうわけではありませんが……」
部長は少し困った表情をしていた。
「無理なら結構です」
親子連れが更衣室へ戻ろうとした瞬間、「お客様、お待ちください。ご用意して頂いたスマホで何枚か撮らせて頂きたいのですが……」
「出来るなら、先に言ってちょうだい」
母親は少し不機嫌そうな顔をして僕にスマホを渡した。
「もう一度、お写真を撮るから、ここに立ってくれる?」
僕は母親から預かったスマホで子供の写真を何枚か撮り始めた。
「今度はお母さんのスマホで撮るから、もう一度可愛く決めてもらっていいかな」
僕は子供にポーズの指示を出して、可愛く決めてもらった。
「いいよ、かわいい。もっと笑顔を見せて」
そう言って僕は何枚かシャッターを押し続けた。
「何枚か撮らせていただきましたので、一度ご確認だけお願いいたします」
僕はそう言って母親に確認をしてもらった。
「無理を言って、本当にすみませんでした」
「それでは、先ほどデジカメで撮らせていただきました写真をCD-Rに焼き付けておきますので、その間にお着替えを済ませて頂きたいのです」
親子連れが着替えている間に、写真データをCD-Rに焼き付け、最後に日付とイラストを描いて、親子連れに渡すことにした。
着替えが済んだ子供は衣装が気に入ったのか、返そうとしなかった。
「お嬢ちゃん、ごめんね。このお洋服はあげられないの」
部長は腰を低くして、優しく断った。
「持ち帰れないの?」
「うん、次のお友達が着られなくなるから」
「わかった」
子供は肩を落として、がっかりしてしまった。
「ねえ、これ今日の思い出に持ち帰ってくれる?」
部長は子供に写真データの入ったCD-Rを渡した。
「このCDは?」
「お嬢ちゃんがさっきシンデレラの服を着て、写真撮ってもらったでしょ? それが入っているの。あとで印刷することも出来るよ」
「本当に!?」
「うん!」
子供は再び元気な顔を見せた。
「お母さん、これ写真にしてお部屋に飾ってもいい?」
「ええ、いいわよ」
「あと、このCDに描かれている絵もかわいい」
「本当だね」
「CDに描かれている絵なんだけど、あとでお父さんにも見せてもいい?」
「もちろん」
「なくしたらダメだよ」
「はいはい」
親子連れは満足そうな顔をしていなくなってしまった。
「川島さんと入谷さん、今落ち着いたことだし、2人で休憩してきなよ。あと、これ私の教室の食券。よかったら使って」
「玲奈さんの教室って何をやっているのですか?」
「アリスの軽食屋さん」
僕はそれを聞いてずっこけそうになってしまった。
「軽食屋って、カレーとかやっているのですか?」
「カレーとチャーハン、サンドイッチやっているよ」
「行かせていただきます。交換条件と言ったら変ですが、あとで私の教室にも来てくださいよ」
「絶対に行くから」
僕と千恵子は部長から渡された食券を持って、教室へと向かった。
中に入ると、アリスのお話に出てくるキャラたちがひっきりなしにチャーハンやカレーを運んでいたのを見て、違和感がありすぎだと思った。
僕と千恵子は奥の席へ案内されて、そこでカレーライスを注文して食べた。
「このカレーライス、美味しいね」
僕は思わず感想を出してしまった。
「本当。辛さも調度いいよね」
千恵子も満足そうな顔をして食べていた。
そのあと2人でいろんな場所を回っていたら、体育館で後夜祭の時間が始まろうとしていた。
お店を片付けて、みんなが制服に着替え終わっても、僕と千恵子だけがまだメイド服のままだった。
「気持ちはわかるけど、制服に着替えようよ」
寺田さんが苦笑いをしながら、僕と千恵子に言ってきた。
文化祭で使った衣装については基本的にコスプレ研究部や演劇部に寄付する形となっていたが、希望者だけに限って持ち帰りが可能となっていた。
制服に着替えた僕と千恵子は職員室から手提げ袋をもらって、そこにメイド服一式を持ち帰ることにした。
後夜祭が終わると、今度はお楽しみ抽選会が始まろうとしていた。
「さあ、お待たせしました。これからお楽しみ抽選会の時間です。今年も豪華な賞品を多数ご用意させていただきました。是非当てて持ち帰って頂きたいと思います」
「では、早速行きましょう」
「最初の賞品はこちらです」
「なんでしょうか」
裏方は賞品を載せた台車をステージに用意してきた。
「今、台車に載せられてやってきたのは電子レンジ。お肉や揚げ物についている余分なあぶらを落としてくれるから、ダイエット中の人にはもってこいですよね」
「それでは、番号を引きましょう」
激しいBGMに合わせて実行委員がゴムボールの入った4つの箱に手を入れて、一つずつ取り出して番号を読み上げていった。
「最初の番号は6572」
「6572の番号札をお持ちの方はステージに来てください」
実行委員はマイクで呼び出した瞬間、1人の女子が走ってステージに上がってきた。
「おめでとうごいざいます。この賞品は欲しかったですか?」
「はい、欲しかったです」
「これはご自分で使われるのですか?」
「家族に使って頂こうかと思っています」
「それでは、後ほど家に送らせてもらうので、個人情報だけ頂戴してもいいですか?」
「わかりました」
その後もカラオケの無料招待券、最新式のタブレット端末、ゲーム機、大型スピーカー、ディズニーランドの招待券などが当たっていき、最後に渡されたのは一枚の小さな封筒でした。
「えーっとこれだけですか?」
実行委員は裏方に確認をとったところ、首を縦に振ったので、封筒の中身を確認をした。
「なんと、栃木県鬼怒川温泉のペア招待券です。みんな欲しいか!」
みんなは大きい声で「おー!」と歓声をあげた。
「では、番号を読み上げていきます」
実行委員は数字のついたボールを取り出して、大きい声で番号を読み上げていった。
「千の位が4、百の位が7,十の位が1、一の位が6」
「4716の番号札を持っている人はステージに来てください」
その時、隣にいた水越さんが「私だ!」と大きな声をあげてステージへと向かっていった。
「お名前とクラス、よろしいですか?」
「1年3組、水越沙織です」
「旅行券を当てた気分はどうでしたか?」
「とてもうれしいです」
「どなたと行きますか?」
「これは先日、風邪を引いて寝込んでいた時、看病してくれた両親にプレゼントしたいと思っています」
「親孝行されるのですね。えらいです。では、早速家に帰ってご両親にプレゼントしてください」
文化祭が終わったあと、みんなはそれぞれ家に帰っていった。
「賞品、何も当たらなかった」
「来年があるでしょ」
僕ががっかりした顔で言ったら、千恵子が慰めるように答えてくれた。
撤去日、代休が終わり、その後は何もない日々が始まろうとしていた。
16、 ハロウィーンとコスプレ
文化祭が終わって一段落ついたとたん、今度は新百合ヶ丘駅前でハロウィーンのイベントが始まろうとしていた。
教室では衣装どうするのかなど盛り上がっていた。
優勝賞品はお菓子一年分がもらえると聞いていたので、みんなの気合いは半端ではなかった。
ただ、どんなお菓子がもらえるのかは当日にならないとわからない。
それもそのはずだ。毎年もらえるお菓子が違っていて、昨年はバウムクーヘン一年分、一昨年はビスケット1年分だったので、今年は何がもらえるのかは、まだわからない。
授業中も先生の話などそっちのけにして、ハロウィーンの衣装の打ち合わせで盛り上がっていたので、さすがの先生も我慢の限界が来てしまい、その日午前中最後の授業だった現代社会のオニババこと古川先生が怒りマックスで怒鳴りつけてくる始末。
「授業に集中出来ない生徒は教室から出ていってちょうだい!」
さすがにこの一言を聞かされた人たちは一気にシーンとなってしまった。
昼休み、僕は千恵子の派閥のメンバーと一緒に机を囲んで弁当を食べることにした。
「あのオニババ、マジでウザイよね」
派閥のメンバーの1人がサンドイッチを食べながら愚痴をこぼしていた。
「食べるか、愚痴るかどっちかにしなさいよ」
水越さんが呆れた顔で注意した。
「話変わるけど、当日着る衣装ってどうする?」
僕はすぐに話題を変えてしまった。
「そうねえ、そろそろ決めないと……」
千恵子もウインナーをくわえながら呟いていてた。
「女王もまだ考えていなかったの?」
水越さんが意外そうな顔をして聞いてきた。
「うん、先日文化祭だったじゃん、だから考える余裕がなかったんだよ」
「そうなんだね。私、女王のことだから、もう考えがまとまっているのかと思いました」
「そう簡単には決まらないわよ」
「でも、そろそろ決めないと間に合わなくなるわよ」
「そうだね。どうせなら何かテーマを決めてみんなで同じジャンルにしない?」
千恵子はみんなに提案をしてきた。
「それ、いいね」
「アニメやゲームじゃなくて、何かオリジナルにしない?」
「それもいいね」
「それで話を進めましょうか」
こうして話がまとまって、その日の放課後から教室で少しずつ衣装の準備が始まった。
「私と春子は裁縫が苦手だから、何か違うお手伝いをするよ」
「じゃあ、なおちゃんは春子ちゃんと一緒にジュースとお菓子を買ってきて」
僕は千恵子からお金を預かって、購買で人数分のお菓子とジュースを買って教室に戻った。
「買ってきたよ」
僕がおつりと買ってきたものを千恵子に渡したあと、みんなで話し合いが始まろうとしていた。
「今回、動物をモチーフにしてみない?」
千恵子がジュースを飲みながら提案してきた。
「どうせなら、ただ動物の仮装をやるんじゃなくて、ハロウィーンらしく魔法使いの衣装も取り入れたらどう?」
今度は水越さんが意見してきた。
「それもいいねえ」
「魔女の衣装に動物耳のカチューシャ、お尻にしっぽってどう?」
「じゃあ、それにしようよ。水越さん、センス良すぎ」
千恵子は子供のようにはしゃいでいた。
「女王、ほめ過ぎです」
「明日から放課後は衣装製作にするけど、どこにする?」
「被服室は? ミシンもたくさんあるし」
「でも、私らが使うと手芸部がいい顔をしないよ」
水越さんが被服室を提案したらすぐに却下されてしまった。
「じゃあ、手芸部と交渉する? 手芸部だって毎日使っているわけじゃないんだし……」
「確かに……」
「被服室が使えない時にはどうするの?」
「そこだよね……」
話が振り出しに戻ってしまった。
「私の家にミシンがあるけど……」
戸田さんが、ボソっと言ってきた。
「使って大丈夫なの?」
「うん、私のミシンだから」
「戸田さんってどんな趣味をしているの?」
「言っていなかったっけ? 私、趣味でコスプレ衣装を作っているんだよ」
「初耳」
千恵子は戸田さんの言葉に驚いた表情をしていた。
「どんな衣装を作ったことがあるの?」
「アニメのキャラがほとんどだよ」
「家に上がった時に見せてくれる?」
「いいよ。なんなら今日うちに来る?」
「いいの?」
「うん。今日両親の帰りが遅いし、私1人だから」
「だったら、今日お邪魔させてもらおうかな」
「そうしなよ」
「じゃあ、お邪魔させてもらうね。なおちゃんも来るでしょ?」
「うん……。でも、いきなり行って大丈夫?」
「大丈夫だって。じゃあ、私の家で衣装づくりをしましょ」
「ちょっとまって」
私と戸田さん、千恵子が衣装作りの会話に盛り上がっていたら、水越さんが「まった」をかけた。
「水越さん、どうしたの?」
「資料もなしに衣装づくりに入るの?」
「あ、確かに……」
「まずは資料っていうか、レイアウトを作成しない? それがないと型紙も作れないよ」
水越さんに言われ、戸田さんは「しまった!」というリアクションをしていた。
「今日はスケッチブックを持って、私の家に集合ね」
僕たちはスケッチブックを用意して戸田さんの家に向かった。
部屋に入ってみると、いろんなアニメのポスターが飾られていた。
「悪いけど、適当に座ってくれる?」
戸田さんはそう言って台所へ向かい、お菓子とジュースを用意し始めた。
適当って言われても……。部屋の足元はアニメの雑誌や、脱いだ洋服が散乱していた。
座るにしても、なんだか座りづらい……。
普段から掃除や片付けをしているのかと疑いたくなってきた。
僕はとりあえず足元の雑誌を適当にどかして座ることにしたが、千恵子は未だに立ったままでいた。
「ちーちゃん?」
「なおちゃん、この部屋ひどすぎる」
「確かに……」
「今からみんなで片付けをしない?」
「そうだね。悪いけど、みんなで片付けをしようよ」
僕はみんなに片付けをするよう、呼びかけた。
戸田さんがジュースとお菓子を運んで部屋に戻ってきた時、僕たちが部屋の片付けをしていたので、驚いた表情をしていた。
「みんなで片付けをしていたの?」
「戸田さん、お願いがある。部屋に人を呼ぶときは少し綺麗にしたほうがいいよ」
「ごめん、私も手伝う」
戸田んさんはジュースとお菓子を廊下に置いて、片付けに加わろうとしていた。
「もう少しで終わるから廊下で待ってくれる?」
僕は戸田さんに廊下で待ってもらうよう言ったら、戸田さんは少し不満そうな顔で部屋の入口で待っていた。
「足元ほこりがあるから、少し掃除機をかけない?」
水越さんがほこりまみれの足元を見て、掃除機をとりに行こうとしていた。
「戸田さん、悪いけど掃除機の場所を教えて」
「えー! そこまでしなくていいよ!」
「足元ほこりまみれだよ。あれじゃ、健康被害になっちゃうよ」
「健康被害?」
「そう。例えばハウスダストアレルギーとか」
「ハウスダストアレルギー?」
「そう、くしゃみや咳が止まらなくなる症状のこと。私らはともかくとしても、女王が結構気にしているから」
「あ、そうだね。掃除機はトイレの近くに置いてあるから」
「そのトイレの場所がわからないの」
「あ、ごめん。廊下をまっすぐ行った場所にあるから」
「ありがとう」
水越さんは掃除機を持ってきて、コンセントを引っ張るなりスイッチを入れて部屋の中を掃除し始めた。
部屋の中はみるみるうちに、ゴミ屋敷同然の汚い部屋が綺麗になってしまった。
「終わったよ」
水越さんは不機嫌そうな顔をして掃除機を元の場所へ戻したあと、部屋に戻った。
「戸田さん、一つ聞いてもいい?」
「なに?」
「最後に掃除をしたのはいつ?」
「えーっと、夏休みの最終日だったような気がする」
「それってだいぶ前だよね」
「忙しくて出来なかったから……」
「それは理由にならないよ。毎日とは言わない。せめて週に一度はお部屋の掃除をやってちょうだい。そうしないと、本当に体がおかしくなるから」
「うん、わかった」
水越さんのきつい言い方がこたえたのか、戸田さんは少しションボリしてしまった。
廊下に置いてあったお菓子とジュースを部屋に持ち込み、折りたたみのテーブルに載せて、しばらくくつろいでいた。
「私たち何しに来たんだっけ?」
水越さんがぼやくように呟いた。
「ハロウィーンで着る衣装のデザインを描きに来たんでしょ?」
春子が疲れ切った顔をして返事をした。
「とりあえず明日にしない? 疲れた状態だと思いつくものも思いつかなくなるから」
僕は明日にするよう提案をした。
「私は今日描いていくよ」
「女王?」
「そのために集まったんだから。みんなでデザインを決めようよ」
「そうだね」
水越さんは千恵子のやる気に驚いて、テーブルの上にスケッチブックを用意した。
「じゃあ、自分が着てみたい衣装デザインを書いてみようか」
千恵子に言われ、えんぴつ片手にスケッチブックに描こうとした時だった。
「どうせなら、同じ動物してみない?」
「どんな動物?」
僕の意見に千恵子が質問してきた。
「猫はどう?」
「猫?」
「チーム名、キャッツとか」
「ミュージカルみたいじゃん」
「じゃあ、制服を着て猫になるのはどう?」
「それって、普段と変わらないよ」
千恵子に却下され、話は振り出しに戻ってしまった。
「ちーちゃんは何かアイディアある?」
千恵子はしばらく考え込んでしまった。
「それともアニメの格好にする?」
少し考えたあと、千恵子はアニメの衣装を提案してきた。
「それだと、ただのコスプレになるよ」
「なおちゃんは、どんなのがいい?」
「猫がダメなら宇宙人は?」
「どんな宇宙人? 言っておくけど地球人は却下よ」
「わかっているって。私だって、そこまでバカじゃないんだから」
再び考え始めた。
「じゃあ、クロヒョウは?」
「ただのクロヒョウ?」
「ちーちゃんがお姫様で、わたしらが護衛兵っていうか、シークレットサービスっていうか……」
「そうなると、移動が大変なんじゃないの?」
水越さんが「待った」をかけてきた。
「護衛はともかくとしても、姫の役が大変じゃない?」
今度は春子までが便乗してきた。
「どうして?」
「スカートが長かったら、危ないと思うよ」
「なら、スカートを短くするのはどう?」
「それもありか」
僕の意見に春子が渋々と認めた。
「移動する時どうするの? バスに乗ったら、私たちかなり目立つよ」
水越さんが横から口を挟んできた。
「確かに……」
戸田さんが水越さんの意見に納得した瞬間、話が再び振り出しに戻ろうとしていた。
「一つ気になったけど、更衣室って設けられているの?」
「あることはあるけど、かなり狭かった印象があるよ」
僕の質問に戸田さんは淡々と答えていた。
「毎回ちーちゃんの車に世話になるのも悪いし、たまにはバスで行かない?」
「そうだね」
「私は別に気にしてないわよ」
「でもさ、当日って駐車場はもちろんのこと、駅前の通りも混むはずだよ。だから今回ばかりは女王もバスに付き合ってくれる?」
「うん……」
戸田さんの提案に千恵子は少々納得のいかない顔して返事をした。
「じゃあ、当日は荷物を持って裏門坂のバス停で待ち合わせでいい?」
戸田さんはみんなに確認をとるように聞いてみた。
「私と沙織は家が上麻生だから、山口台中央から乗るよ」
「春ちゃん、満員で乗れなかったらどうする?」
「そしたら歩くよ」
「じゃあ、最初から歩かない?」
「それも考えていたけど、カートを持って歩くのってしんどいじゃん」
「うちからだったら、そんなに距離がないと思うよ」
水越さんは春子の意見に反論した。
「沙織、もしかして歩いて駅まで行きたいのか?」
「そうじゃないけど、たいした距離じゃないのにバスで移動するなんてばかばかしいじゃん」
「そこまで言うなら歩いていこうか。その代わり『やっぱバスに乗る』っていうのは無しだからな」
「言わないわよ、小学生じゃないし」
「お前のことだから、弱音を吐きそうだけどな」
「春ちゃん、これ以上変なことを言ったら凄いことをするわよ」
「はいはい」
「『はい』は一回」
「はーい」
「とういうわけで、私と春ちゃんは歩いて駅まで行くから」
「うん、着いたら連絡よろしくね」
「あ、そろそろ私と春ちゃんはおいとまするよ。衣装づくりは明日からにしよ」
「そうだね」
「明日も放課後、被服室が空いていなかったら、うちでやろ」
水越さんと春子が帰ったあと、僕と千恵子も家に帰ることにした。
翌日の放課後、僕たちはダメ元で被服室へ行ってみた。
幸いなことに誰もいなかったので、そうっと扉を開けてみようとしたら、鍵がかかっていたので、みんなで職員室で鍵を借りて被服室のミシンを使うことにした。
衣装づくりが順調に進んで行く中、突然扉がガラっと開いて、誰かが入ってくる気配がした。
「誰?」
僕はとっさに後ろを振り向いて相手を確認した。
「あの、あなたは?」
「私は手芸部の部長。もしかして新百合ヶ丘駅でやるハロウィーンイベントの衣装を作っているの?」
「はい……」
「実は私たちもなの。お互いに頑張りましょうね」
手芸部の部長はそう言って、奥のミシンで部員たちと一緒に衣装を作り始めた。
さすが手芸部の部長だけあって手際がよかった。
私たちが衣装づくりに苦戦していたら、コスプレ研究部の部長である祇園さんがやってきた。
「玲奈さん、お疲れ様です」
僕は思わず椅子から立ち上がっておじぎをしてしまった。
「直美ちゃん、かしこまらなくてもいいよ。もしかしてハロウィーンの衣装づくりしているの?」
「はい。玲奈さんはここへ何しにきたのですか?」
「私? 永田先生にみんなの居場所を聞いたら、ここにいるって言っていたから立ち寄ったの」
「そうなんですね」
「よかったら、私も混ぜてもらってもいい?」
「もちろんです」
「それで、何かテーマを決めているの?」
「はい。クロヒョウのお姫様と護衛兵です」
「誰がお姫様って……、もしかして千恵子ちゃん?」
部長は千恵子に目を向けながら、言ってきた。
「そのまさかなんです」
千恵子は控えめな感じで部長に返事をした。
「そうなると、私が入るとなったら必然的に護衛兵の役ってことね。了解」
「よろしくお願いします」
僕は申し訳なさそうな顔して部長にお願いをした。
「今日このあと布を買いに行くけど、どの布を用意すればいいの?」
「こちらの布です」
戸田さんは衣装づくりに使う布を部長に見せて確認させた。
「なるほど」
それを部長はメモをとったり、スマホのカメラで撮影して記録していった。
「じゃあ、私これから布を買いに行くから、明日からよろしくね」
部長はそう言い残して被服室をあとにした。
私たちがミシンを動かしていたら、今度は手芸部の部長までが帰る準備を始めた。
「私も帰るから、戸締りよろしくね」
夕方近くになって、永田先生がやってきて「君たちまだやっていたのか。早く帰る準備をしろよ」と言ってきた。
「わかりました。今帰ります」
戸田さんはミシン操作をやめて、帰る準備を始めた。
校門でみんなと別れたあと、僕と千恵子は車に乗って家に帰ることにした。
翌日の放課後、部長が大きな手提げ袋を抱えて被服室に入ってきた。
「お疲れ。これでよろしくね」
部長は戸田さんに布を渡したあと、少し離れた場所で座っていた。
「玲奈さんもミシン操作が苦手なんですか?」
戸田さんは少し引きつった表情で部長の顔を見ていた。
「実はそうなんです……」
部長は申し訳なさそうな顔して答えていた。
「部室の衣装はどうされていたのですか?」
「ネットで買ったり、私のお古だったり、あとは手芸部に頼んで作ってもらっていた」
「そうだったのですね。これを機に少し覚えてみますか?」
「はい……」
部長は戸田さんからレクチャーを受けながら少しずつ覚えていった。
「ミシンって案外神経を使うから疲れる」
「これなんかほんの一部ですよ。今回は私が全部作りますけど、次回は玲奈さんが作ってくださいね」
「わかった」
戸田さんはぶつぶつ文句を言いつつも、ミシンを動かしていった。
やることを失った僕たちは戦力外となってしまい、そのまま家に帰ることになってしまった。
そして迎えたハロウィーン当日。
僕と千恵子と戸田さんは裏門坂からバスに乗って新百合ヶ丘駅まで向かい、春子と水越さんは歩いて新百合ヶ丘駅まで向かうことになった。
部長はと言うと、親に頼んで車で送ってもらうという贅沢なルートを選んでいた。
しかし、ハロウィーンということもあって、駅前は渋滞して動かない。
歩きルートを選んだ春子と水越さんは一番乗りで駅前に到着し、受付を済ませるなり更衣室に向かい、着替えを始めた。
そのあと、バスで移動した僕と千恵子と戸田さんが到着し、受付を済ませて着替えを開始した。
更衣室を見渡した時、初めて部長の姿が見えていないことに気がつき、僕はスマホを取り出して部長に電話を入れてみた。
「もしもし、玲奈さん?」
「直美ちゃん、どうしたの?」
「今、どこ?」
「それが駅前のロータリーの近くにいるんだけど、渋滞して動かないの。っていうか降りられないの」
「マジですか?」
「うん、マジ。だからもう少しだけ待ってくれる?」
「うん」
「悪いけど、先に着替えてくれる?」
「実はもう着替え終わりました」
「マジ!?」
「そのマジです。あと更衣室混んでいますので、気を付けてくださいね」
「わかった。じゃあ、もう降りられるから、そのまま更衣室に向かうね」
部長は車を降りるなり、急ぎ足で更衣室へと向かった。
僕が声をかけるよりも先に部長は更衣室の中へ入って着替えを開始したので、気になって中へ入ってみた。
「お疲れ様です」
「遅くなってごめんね。急いで着替えるから」
部長は急ぐような感じで手を動かしていたので、僕は「玲奈さん、あわてなくても大丈夫ですから」と言ったが、聞こえていなかったのか急いでばかりだった。
メイクにかかろうとした瞬間、僕は千恵子を呼ぼうとしたら部長が「自分で出来るから大丈夫」と言って、慣れた手つきで鏡を見ながらメイクを始めていった。
「終わった」
「お疲れ」
「じゃあ、会場へ行こうか」
メイン会場へ行ってみると、仮装した人だらけ。受付でコンテストにエントリーして26番の番号札を受け取ったあと、しばらくは会場の中をうろつくことにした。
「コンテストまで時間があるし、とりあえず適当にぶらつかない?」
春子は退屈そうな顔をしてみんなに声をかけてきた。
「どこへ行くの? 言っておくけど屋台なんてないわよ」
水越さんが突っ込んでくる始末。
「とりあえず、コンビニでお菓子とジュースを買ってくるよ」
「待って、私も行く」
「直美、一緒に行こうか」
春子は僕を連れて改札前のコンビニへ行って、棚からジュースやお菓子を取り出してレジへと向かった。
「ここまで歩いてきて正解だったよ」
「確かに。私なんかバスだから思ったより時間がかかったよ」
「直美や千恵子の家からだと、歩くには時間がかかるからバスのほうがいいよな」
「それにちーちゃんが嫌がると思うし……」
「確かに、普段は執事さんに車の送迎を頼んでいるから、家から駅前となるとしんどいよな」
「だから、今日バスにしてきたんだよ。かと言って車で移動となると運転手が嫌がるし……」
「だよね」
春子はため息まじりに返事をした。
店を出て数分後、改札の近くで千恵子と水越さん、戸田さんがタチの悪いオタク集団からしつこい撮影を求められた挙句、強引に写真を撮られていた。
「あの……、撮影はやめてもらえますか?」
「いいじゃない、一枚くらい」
「さっきから何枚も撮られていて、迷惑をしているんですけど」
千恵子が震えながら断っていた。
「春子、大至急警備を呼んできてくれないか。私はちーちゃんを助けるから」
「わかった」
春子が警備員詰所に行ってる間、僕はオタク集団に一言注意をした。
「ねえ、嫌がっているのわからない?」
「はあ? 誰あんた?」
オタクたちは急に僕の方に目を向けた。
「私はこの子の連れだけど」
「調子こいてんじゃねーぞ、ゴルァ」
オタクの1人が怒りに身を任せて僕を突き飛ばした。
「おい、衣装びりびりに破いてコンテストに参加出来ないようにしてやるのはどう?」
「そりゃいいな」
「どうせなら裸にしようぜ」
「どんなブラをしているか見てみようぜ」
その時だった。後ろから誰かがオタクの肩をポンと叩いてきた人がいた。
「ヤッホー! ハロウィーン楽しんでる?」
後ろを振り向いたら、魔女の姿をした美雪さんがいた。
「お、こっちにもかわいこちゃんがいるじゃねえかよ」
オタクたちは顔をニヤつかせて美雪さんに近づいてきた。
「ねえ、これから私とデートしてくれない?」
「マジで?」
「私、彼氏いないし、一緒に遊んでくれる人を探していたの」
「なら、俺たちが遊び相手になるよ」
オタクたちは嬉しそうな顔して美雪さんの手を握って、そのままどこかへ連れていこうとした。
「ねえ、君たちお腹がすいたでしょ? レストランを予約してあるから一緒に行かない?」
「行く行く」
美雪さんの罠だと知らずに、オタクたちは犬のように美雪さんのあとをついていった。
「ねえ、どうせなら車もあるからドライブでもしようか。私、こう見えても運転には自信があるんだよ」
「本当ですか?」
「ええ、みんなで楽しくドライブをして、美味しいご飯を食べようね」
オタクたちは完全に美雪さんの言いなりになっていた。
その時だった。美雪さんは小型の無線機で仲間とやりとりをしていた。
「あ、そうそう。私も友達がいるから紹介してもいい?」
「是非!」
オタクたちのテンションがマックスになった時、制服を着た男性警察官がやってきた。
「ハロウィーン、楽しんでいるか?」
男性警察官の1人がにこやかな顔して声をかけてきた。
「友達っておまわりさん?」
「おまわりさんだと何か不服?」
美雪さんはにこやかな顔してオタクたちに聞いた。
「もしかして、おねえさんも……」
「その『もしかして』よ」
美雪さんは警察手帳を黄門様の印籠のようにオタクたちに見せた。
「ということは……」
「あなたたちのことは、こちらのおまわりさんに話しておいたわよ」
「俺たちを騙したなー!」
「それはお互い様でしょ」
美雪さんは顔をニヤつかせて返事をした。
「じゃあ、これから食事つきのホテルでゆっくり話をしようか」
男性の警察官たちはそう言ってオタクたちをパトカーに乗せていなくなってしまった。
あれから1時間経ったことであった。
メイン広場ではコンテストの発表が行われていた。
「それでは、一位の発表をしたいと思います」
女性の主催者は紙を広げてマイクで番号を読み上げる準備に入った。
「エントリーナンバー26、クロヒョウのお姫様と護衛兵たち」
僕たちはそのまま特設のステージの上に立つなり、主催者にマイクを向けられた。
「おめでとうございます。今の感想はいかがですか?」
「とてもうれしいです」
戸田さんは少し恥ずかしそうな顔をして答えていた。
「衣装は全部ご自分で作られたのですか?」
「はい、そうです。自宅や学校にあるミシンを使って作りました」
「そうなんですね。それでは優勝されたチームの皆さんにはチョコレートとカスタードのウエハースを一年分プレゼントしたいと思います」
「ありがとうございます」
「ウエハースはお友達と食べるのですか?」
「はい。あと家族にも食べてもらいます」
「そうなんですね。お友達とご家族と一緒にガッツリと召し上がってください」
主催者はそう言って段ボールいっぱいのウエハースを戸田さんに渡した。
「お菓子はご自分でお持ち帰りになりますか? それとも送料無料でご自宅までお届けする方法もありますが……」
「では、宅配で……」
戸田さんが言い終わらないうちに、後ろの方から美雪さんが「待った」をかけてきた。
「あの、あなたは……」
「私はこの子の姉にあたる者です」
「お姉さんがなんで?」
「今日車で来たので、こちらの荷物を運ばせて頂きます」
「そうですか。わかりました」
美雪さんは主催者からウエハースの入った段ボールを受け取って駐車場へと向かった。
「お姉ちゃん、今日車で来たの?」
「車と言っても警察署の車だよ。この荷物と百合子を家に降ろしたら、お姉ちゃん、また警察署へ戻るから」
美雪さんはブツブツとぼやくように言ったあと、荷物をトランクに詰めて、戸田さんを乗せようとした。
「ちょっと待って。友達に挨拶をしていないよ」
「じゃあ、早く済ませてきちゃいな」
戸田さんは一度僕たちの所へ戻って挨拶を済ませて、荷物を持って美雪さんと一緒に帰ってしまった。
そのあと、千恵子も電話で中村さんを呼んで僕と春子、水越さん、部長を家まで送り届ける形となった。
17、 これからのこと
ハロウィーンが終わって一段落つくと、学校では期末試験、そして待ちに待った冬休みという流れとなっていた。
教科担当から嫌な答案用紙をもらい、一安心をしたら教室では冬休みの話題でいっぱいだった。
コミケに参加する人、家族と一緒にスキーを兼ねた温泉旅行、そしてクリスマス、正月、年越しライブなどイベントが目白押し。
終業式にはまだ早いそんなある日、部長が僕たちの教室へやってきて、部活の話を持ち掛けてきた。
「ねえ、君たち終業式のあと、予定どうなっている?」
「特にありませんが、何かやるのですか?」
僕は不安そうな顔して部長に聞き出した。
「そんな顔しないで話を聞いてよ」
「実は終業式を終えた後、簡単なコスプレパーティを部室でやってみたいと思っているの。参加できそうな人っている?」
「私は大丈夫です」
「ちーちゃん、大丈夫なの?」
「大丈夫よ」
「じゃあ、私も参加しようかな」
「春子ちゃんは?」
僕と千恵子が参加を決めたあと、部長が春子に聞き出した。
「じゃあ、私も参加するよ」
「オーケー。ちなみ隣のクラスの水越さんと戸田さんも参加するって言っていたわよ」
部長はノリノリで僕たちに言ってきた。
「玲奈さんに質問ですけど、当日は衣装を貸してくれるのですか?」
「もちろんよ。何か着たい衣装でもあるの?」
「そういうわけでもありませんが……」
「あと、当日に出すジュースやお菓子を買いたいから、買い物に付き合ってくれる人がいたら手を挙げてくれる?」
誰も手を挙げなかった瞬間、部長は春子に目を向けて、「じゃあ、前日の放課後、付き合ってね」と言って、問答無用で付き合わせようとしていた。
「それで玲奈さん、買ったものはどうされるのですか?」
「一度持ち帰って、終業式の日に持ってきてくれる?」
「わかりました」
終業式の前日の放課後、春子は部長に付き合わされて、学校から少し離れたスーパーで買い物をすることになった。
「飲み物はジュースと炭酸だけでいいですか?」
「ん? そうねえ、あとウーロン茶も買っておこうか」
部長はそう言って春子のカゴの中にウーロン茶のペットボトル一本入れた。
「春子ちゃん、まだ大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
そのあと部長は紙コップ、紙皿、そして袋菓子をいくつか入れ込んでレジへ向かった。
店を出たあと、部長はスマホを取り出して、親に車で迎えに来てもらうよう頼んだ。
「さっきの話、撤回する。両方とも私が明日用意するから」
「本当ですか?」
「明日、車で来るから」
「わかりました。では、私はここで失礼させてもらいます」
「待って、よかったら乗っていかない? 家まで送ってあげるから」
待つこと15分、赤いコンパクトカーがやってきて、部長は荷物をトランクに詰め込んで助手席に座り込んだ。
「ここにつっ立てないで乗ってよ」
部長は助手席の窓から春子に乗るよう促した。
「それではお言葉に甘えて」
春子は遠慮がちにドアを開けて、後ろの座席に座り込んだ。
「お世話になります」
「こちらこそ。中が狭くてごめんね」
「いえ、乗せて頂けて本当に助かります」
「あ、そうそう。名前を聞いてもいい?」
「私は臼井春子です」
「春子ちゃん、家はどこ?」
「上麻生っていうか、山口台の方角です」
「了解。じゃあ近くになったら、案内お願いね」
「わかりました」
部長のお母さんはそう言って、車を新百合ヶ丘駅の方角へと走らせて行った。
車は駅前の通りに出たので、春子は部長のお母さんに個人病院がある所を左に曲がるよう指示を出した。
「最初の角を左に曲がってください」
「はい」
「この白い車が止まっているあたりで降ろしてもらえますか?」
車が停まるなり、春子は部長のお母さんにお礼を言ったあと、走り去る車を見送った。
春子が家の中へ入ろうとした瞬間、玄関から水越さんがやってきた。
「春ちゃん、今日玲奈さんのお母さんに乗せてもらったの?」
「沙織、見ていたのかよ」
「春ちゃんだけズルい」
「仕方ないでしょ、今日玲奈さんに明日の買い出しに付き合わされてきたんだから」
しかし、水越さんは納得していなかった。
「春ちゃん、明日凄いことをするから覚悟してちょうだい」
「なら、ちゃんと説明するから」
春子は水越さんの家のドアを開けようとした瞬間、玄関に鍵をかけられてしまった。
「沙織、開けてくれる?」
「嫌だ!」
「少しくらい話を聞いてよ」
「嫌だ!」
「お前は小学生か? じゃあ、そうやってスネていろ!」
春子はそう言い残して、自分の部屋に戻ってしまった。
翌日、終業式が終わって教室で担任の先生から通知表を受け取るなり、近くの席の人と見せ合いが始まった。
「なーおちゃん!」
「ちーちゃん、どうしたの?」
「通知表見せて」
「うん、いいよ」
千恵子は僕の通知表を見るなり、「普通だね」と呟いた。
「私はちーちゃんほど頭がよくないよ」
「じゃあ、今年の冬休みは私と一緒に勉強する?」
「ちーちゃんの勉強のレベル高すぎるよ」
「大丈夫よ。なおちゃんのレベルに合わせてあげるから」
「ちなみ年末年始は忙しいから、正月明けからでいい?」
「いいけど、それで大丈夫?」
「うん。あとお金ってどれくらいかかるの?」
「私となおちゃんの2人だけだから、お金とらないわよ。」
「場所はどこ?」
「私の家でいいんじゃない? 他に質問は?」
「もうない」
「わかった」
ホームルームが終わって、みんなが帰り始めているころ、僕と千恵子と春子は部室へと向かった。
部室の中へ入ると、すでに部長たちが準備を進めていた。
「お疲れ様です」
「お、来たね」
「玲奈さん、まだ何か手伝うことはありますか?」
「あとは私1人でどうにかなるから、君たちは着替えておいで」
「すみません、お先に着替えさせていただきます」
僕たちは部長に言われ、衣装を一着選んで更衣室に入って着替え始めた。
「なおちゃん、この衣装にしたんだね」
「クリスマスと言ったらこれしかないじゃん」
僕はそう言って、サンタの衣装に着替えた。
「玲奈さん、着替えてきました」
「みんなでサンタ!?」
僕がそう言ったあと、部長はサンタの衣装姿を見るなり驚いていた。
「どうして驚いたのですか?」
「どうせならアニメとかゲームのキャラクターのほうがよかったんじゃない?」
「クリスマスだし、みんなでサンタにしてみようと思ったんですよ。それにアニメの衣装ならコミケとかでいいかなと思ったんですよ」
「確かにそうよね。君たち、冬のコミケに参加出来そう?」
「まだわかりませんが、参加出来るようにいたします」
「私はたぶん大丈夫です」
「春子ちゃんは?」
「私も大丈夫です」
「オーケー、みんなで参加しようね。じゃあ、せっかくだし、お菓子とジュースで盛り上がりましょう!」
部長が言い出したその瞬間、部室の入口で水越さんが不機嫌そうな顔して立っていた。
「沙織?」
水越さんは何も言わず走り去ってしまった。
「水越さん、待って。どうしたの?」
部長はそう言って、水越さんの腕をつかんだ。
「水越さん、ちょっと部室へ来てくれる?」
さらに部長は水越さんの腕をつかんで部室へ連行し、話を聞き出すことにした。
「玲奈さん、突然ですがコスプレ研究部を退部させて頂きます」
「理由は? きちんとした理由がないと退部を認めないわよ」
「昨日、見てしまったのです」
「何を?」
「春ちゃんが玲奈さんと一緒に車に乗っていた所を」
「水越さん、何か誤解をしているかもしれないけど、私と春子ちゃんの間には何もないんだからね」
「じゃあ、なんで昨日同じ車に乗っていたのですか?」
「あれは、今日の準備をするために手伝ってもらったのよ。荷物も大変だし。だから、親に頼んで車で迎えに来てもらったの」
「そうだったのですね。だったら、春ちゃんが自分で迎えを頼めばいい話じゃないですか」
「水越さん、春子ちゃんが私と同じ車に乗ったことがそんなに不満だったの? さっきも言ったわよね? 私と春子ちゃんの間には何もないって。それとも何? 私が自分の親に車で迎えを頼んだのがそんなにいけなかったわけ?」
「違う!」
「じゃあ、なんなのか教えてちょうだい!」
「私……、春ちゃんと玲奈さんが一緒にいたのが……うわーん!」
ついに水越さんは泣き出してしまった。
「じゃあ、こうしようか。今後の買い物は水越さんと春子ちゃんに任せようか。それなら家も近いし、文句もいらないでしょ?」
水越さんは黙って首を縦に振って返事をした。
「じゃ、気を取り直して乾杯しようか。水越さんはどうする?」
「私、今日なんだか疲れたので、帰らせていただきます」
「そっかあ、仕方ないよね。せめてこれだけでも持って帰ってよ」
部長はそう言って小さなビニール袋の中にお菓子をいくつか入れて水越さんに渡した。
「ありがとう」
「水越さん、コミケには参加出来る?」
「一応……」
「それを聞いて安心した。じゃあ、気を付けて帰ってね」
水越さんは何も言わず、帰ってしまった。
「玲奈さん、私も帰っていいですか?」
「そう言うと思った。早く追いかけてあげなさい」
制服に着替えた春子は急ぎ足で水越さんを追いかけていった。
「じゃあ、残った私たちで楽しもうか」
部長は無理に笑顔を作って乾杯の音頭をとった。
「こうして学校で飲んで食べて騒ぐなんて初めてじゃない?」
戸田さんがそれとなく言い出してきた。
「確かにそうよね。一年間、私のわがままに付き合ってくれた感謝でもあるんだから」
「でもまだコミケが残っていますよ」
「確かに」
「次回のコミケは何やる?」
僕は横から口を挟んできた。
「『とある未来都市』にする?」
「今回は違う作品にしない?」
今度は千恵子が口を挟んできた。
「ちーちゃん、やりたい作品あるの?」
「『綿流しの呪い』は?」
「夏の時期ならまだしも、この時期はちょっと……」
「じゃあ、『惑星戦士、セーラー仮面』は?」
「それなら、ギリオーケーかな」
「じゃあ、それにしよ」
「ねえ、決めるのはいいけど、水越さんと春子ちゃんに言ったほうがいいんじゃない?」
「そうだね。じゃあ私、あとで水越さんに言うね」
「頼んだよ」
「せっかく衣装に着替えたんだから、撮影でもやらない?」
戸田さんはスマホを用意して撮影しようとしていた。
「いいねえ、やろうよ」
部長も乗り気になっていた。
その一方、春子は水越さんの玄関の前で呼び鈴を鳴らしていた。
ドアを開けるなり、水越さんは不機嫌そうな顔をして春子の顔を見ていた。
「何しに来たのよ」
「何しにって……、昨日から機嫌が悪いから様子を見に来たんだよ」
「様子を見て、機嫌が悪かったらどうするっていうの?」
「どうするって言われても……」
「笑いたかったら笑えばいいでしょ!」
「別にそんなつもりじゃ……」
春子は返事につまってしまった。
「沙織、もしかして妬いている?」
「別に妬いてないわよ!」
「だから、その言動が妬いているって言うんだよ!」
「寒いから私の部屋に来てくれる?」
春子は言われるまま、沙織の部屋の中へ入っていった。
「今日おじさんとおばさんは?」
「仕事よ」
「そっかあ」
「ちょっとジュースとお菓子を用意してくるから待ってくれる?」
沙織は不機嫌の顔のまま、台所へ行ってしまった。
「久々に沙織の部屋に来たけど、昔のままだなあ」
そう呟いていたら、ジュースとビスケットを持ってきた水越さんが足でドアを開けて中に入ってきた。
「沙織、女の子なんだからもう少し上品に開けたほうがいいよ」
「あんたにだけは言われたくないわよ。春ちゃん、まだやりたいっていうの?」
「そうじゃないけど……」
「ところで、私の部屋の中、物色しなかった?」
「何も触ってないって。っていうか警戒するなら鍵のある部屋に隠しておけよ」
「言われなくてもそうするわよ」
その時だった。春子は机の上に置いてあった、映画のパンフレットに目を向けた。
「あ、これってこの間の映画のパンフレットじゃん」
「見ないでよ」
「別にいいじゃない、パンフレットくらい」
「そんなに見たかったら、家に帰って自分のを見たら?」
「怒ることないだろ。コミケで映画のオリキャラをやりたいのかよ」
「別にそういうわけじゃないけど……」
「もう少し素直になれよ」
「言われなくてもそうするわよ」
「実を言うとね、この歌姫の衣装が可愛いなって思ったから……」
「あ、なるほど。でも衣装はどうするの?」
「衣装……、ネットで買う」
「これって、かなり高そうだよ」
「じゃあ、手芸部に友達がいるから作ってもらう」
「今からだと厳しくないか?」
「春ちゃん、さっきから私の考えに水をさしてばっかじゃん!」
「そうじゃなくて、現実を見てほしいって言っているんだよ。そんなに言うならこれを見ろよ」
春子はそう言ってスマホの通販アプリを起動して春子に見せた。
「お前が欲しがっていた歌姫の衣装、こんなにするんだぞ。このお金どうするんだよ」
「貯金をおろして買う」
「お前、貯金いくらあるんだよ」
「春ちゃんには関係ないわよ」
「そう言う言い方はやめろよ」
「プライバシーだから言えません!」
「わけわかんない。言っておくけど、今から注文しても届くのは年明け。コミケには間に合わない。どうする?」
「そんなにやってほしくないなら、はっきり言えばいいじゃん!」
「だったら、到着予定日を見なよ。これでも、私に文句をぶつけるつもり?」
春子は沙織さんに自分のスマホの画面を見せた。
<通常配送……1月10日、急ぎ……1月6日>、それを見た水越さんはついに諦めてしまった。
「別に私だって、沙織に意地悪を言っていたわけじゃないんだからね」
「わかっていたけど……、つい……」
「私も言い過ぎた、ごめん……」
2人が仲直りをして数分が経ち、落ち着いたころに千恵子から電話がかかってきた。
「もしもし女王、先ほどは見苦しいところをお見せてしまって……」
「気にしないで、それよりコミケでやる衣装が決まったの」
「何になったのです?」
「惑星戦士、セーラー仮面になった」
「お言葉ですが、あれってかなりスカートが短いのでは?」
「大丈夫、下にショートパンツを穿けば大丈夫ですよ」
「わかりました。ちなみに誰が何をするかって決めたのですか?」
「一応、玲奈さんがセーラーアースで、私がムーンかな。なおちゃんがマーキュリーで、戸田さんがマーズって感じ。決まっていないのは水越さんと臼井さんだけですよ」
「わかりました。私がヴィーナスで、春子がジュピターにします」
「それで決定ね」
「では、当日よろしくお願いします」
電話を切ったあと、少し浮かない顔をしていた。
「今の電話、川島さんからだったの?」
「そうよ。コミケでやる衣装が決まったから、報告の電話を入れてきたの」
「そうだったんだね」
「春ちゃんは何かやりたい衣装ってあるの?」
「私は特にないかな。衣装ってまた部室の借りるの?」
「そうでしょ?」
春子は最後の一枚のビスケットを口に入れて、ジュースで流し込んだ」
「機嫌も直ったことだし、そろそろ帰らせてもらうね」
春子は使った食器を片付けて、台所の流しで綺麗に洗ったあと、そのまま玄関で靴を履いて帰ってしまった。
制服を脱いで部屋着姿になった瞬間、今度は部長から電話がかかってきた。
「玲奈さん、お疲れ様です」
「あ、元気そうね。水越さんは一緒?」
「今、別れた所です」
「そう。仲直り出来た?」
「はい、おかげさまで。今日は途中で抜け出してすみませんでした」
「気にしないで。コミケのことは川島さんから聞いたと思うけど、今回も永田先生が引率してくれることになったの」
「そうなんですね」
「時間は7時出発。衣装や小物、ウィッグは学校の備品で何とかなるけど、カラコンやメイクなどは自分で用意してくれる?」
「了解しました。では当日よろしくお願いします」
「あ、待って」
春子が電話を切ろうとした瞬間、部長が止めに入ってきた。
「どうしたのですか?」
「永田先生からの伝言だけど、水越さんの機嫌が悪かったり、けんかが起きるようであればイベントは中止にするって言っていました」
「了解しました」
電話を切ったあと、再び水越さんの部屋に行って、部長からの伝言を話した。
「春ちゃん、それだったら電話でもよかったんじゃない?」
「近くなんだし、直接話した方が早いかなと思った」
「原始人じゃないんだから、次からLINEのメッセージでお願いね」
「はいはい」
「『はい』は一回」
「わかりました」
「用件はそれだけ?」
「そうですよ。じゃあ、私帰るね」
春子はそう言って、自分の部屋へと戻って行った。
そしてコミケ当日。今年最後という理由なのか、道路は渋滞して動かない。
時計を見たら朝の8時過ぎ。渋谷の手前から動かない状態でいた。
誰かに不満をぶつけたかった。しかし、不満をぶつけたところでどうにもならなかった。
やっとノロノロと動き出した。年の瀬の渋滞は半端なかった。
青山を抜けるだけでも30分近くかかった。
いままでおとなしかった永田先生もついに堪忍袋の緒が切れてしまい、愚痴をこぼす始末。
「先生、首都高じゃなくて下道だったらどうでしたか?」
助手席に座っていた部長がそれとなく永田先生に聞き出していた。
「下道を走っていたらもっと地獄を味わうわよ」
これ以上の会話が続かなくなってしまった。
芝公園を抜けた瞬間だった。今までの渋滞が嘘のように流れ出して、遅れを取り戻すかのように急いで車を走らせていった。
船の科学館駅に着いたのは10時過ぎ、そこから地獄のゆりかもめに乗って会場へと向かうことになった。
会場へ着くなり、僕たちは更衣室へ向かって着替えを始めた。
更衣室の中は場所の取り合い。ちょっとでも場所を広く使うと白い目で見られてしまうので、手短に済まそうと思った。
衣類圧縮袋とブーツの入っている手提げ袋から中身を取り出して着替え始めようとした瞬間、よそのグループから「すみません、もう少し詰めて使ってもらえますか?」ときつい目つきで言われたので、僕はとっさに「すみません」と一言謝って着替えを進めた。
さらに別のグループからは「おしゃべりしてないで、早く着替えを終わらせてくれる?」とイチャモンを着けられる始末。我慢の限界が来たのか戸田さんは「私たちは今ついてきた所なの。あんたたちこそ、早く済ませて次の人に空けたら?」と言い返した。
「何、その言い方。マジでムカつくんだけど……」
「あんたが先にイチャモンつけてきたんでしょ?」
「ちょっと、こんなアホ放っておいた方がいいわよ」
一緒のグループの人が止めに入ってきた。
「聞こえたわよ。アホだって? 今の言葉訂正してちょうだい」
戸田さんの怒りは少しずつエスカレートしてきた。
「どうされましたか?」
騒ぎに気がついたスタッフが止めに入ってきた。
「すみません、この人たちがさっきから『場所を占領するな』とか『おしゃべりしていないで、早く着替えて場所を空けろ』って言ってきたのです」
「私は迷惑をしていたから、注意しただけです」
「どうされますか? 騒ぎが収まらないようでしたら警備員詰所に案内しますけど」
「いえ、私たち着替えが終わったので先に失礼させていただきます」
「だったら、最初からそうしろよ」
「戸田さん」
部長はとっさに止めに入った。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。のちほど言い聞かせておきます。ほら、戸田さんも謝りなさい」
「すみませんでした」
さらに部長はとっさにスタッフに謝ったので、戸田さんとしては納得のいかない顔をしていた。
「気持ちはわかるけど、こういう場で揉め事だけは起こさないでね」
「だって、向こうからイチャモンつけてきたから……」
「そうだとしても、騒ぎは起こさない。ああいう場合は自分が悪くなくても謝ったほうがいいんだから」
「わかりました……」
「あとで、偶然会った時にめちゃくちゃ気まずくなるよ」
「そうですよね。次からそうします」
更衣室の中はどんよりと重たい空気が漂っていた。
着替え終えた僕たちは一度永田先生と合流して更衣室でのトラブルの内容を報告することにした。
「そんなことがあったのですね。わかりました。祇園さんありがとう」
「先生、親に話すのですか?」
戸田さんは心配そうなまなざしで永田先生の顔を見つめた。
「戸田さんは親に話してほしいの?」
「それは嫌です」
「だったらあまり騒ぎを起こさないでね」
「わかりました。気をつけます」
「嫌なお話はここまで。では撮影スペースでたくさん写真を撮りましょ」
永田先生は気合十分な顔で僕たちと一緒に撮影スペースに向かった。
撮影スペースに着くと、すでに多くのコスプレイヤーとカメラマンでいっぱいだった。
「先生、どこで写真を撮りますか?」
僕は表情を険しくさせて、永田先生に確認をとった。
「あそこにしようか」
永田先生が奥のスペースに指さして向かった瞬間、更衣室で私たちにイチャモンつけてきたグループがやってきた。
「ここ、私たちが先にとっておいたの」
「わかりました。行きましょ」
永田先生は不機嫌な表情で僕たちを連れて他の撮影場所を探した。
「あそこ、私たちが先にとったんですよ」
「戸田さん、あの人たちに関わらないほうがいいわよ。どこから見てもまともじゃないから」
永田先生の表情は少しずつ険しくなっていった。
「戸田さん、あのグループ、完全にあなたをターゲットにしているわよ」
さらに部長までが戸田さんに忠告してきた。
「みんな、ごめん。私のせいで……」
「気にしないで、あの人たちもともと普通じゃないのは確かだから」
部長は戸田さんを安心させるように言ってきた。
「玲奈さん、先生、ありがとうございます。もう大丈夫ですので」
戸田さんは落ち着きを見せて、永田先生と部長に返事をした。
別の広場につくなり、永田先生は早速撮影スペースを設けて、僕たちの撮影を始めた。
撮影を始めてから10分経った時、カメラマンがやってきて僕たちの写真を撮り始めていった。
「みんな、もう少し寄ってもらっていいかな」
カメラマンはそう言っていろんな角度から僕たちの写真を撮り続けていった。
やっと終わったのかと思えば今度は別のカメラマンがやってくる始末。もういい加減にしてと言いたい心境だった。
トイレに行きたくなった瞬間、スタッフがやってきて「はい、ここカウントをとらせていただきます。10、9、8、7、6、5、4、3、2,1、はい終了」
スタッフに救われた。そう思って僕は近くのトイレで用を済ませたあと、再びみんなに行流した。
そのあとは自由に撮影していい時間になったので、適当に動き回って撮影を楽しんだ。
更衣室が混むことを考慮して、僕たちは早めに着替えを済ませて永田先生と合流して家に帰ることにした。
家に戻って片付けを済ませて一休みをしていたら、母さんからおせち料理の準備を手伝ってほしいと頼まれてしまった。
僕は母さんに言われるまま、包丁やお玉を使って料理を進めていった。
終わったのかと思えば、今度は夕食と年越しそばの準備。
コミケに参加した分のツケが回ってしまい、年越しそばを作り終えたのと同時に今年一年の体力をすべて使い果たしてしまった。
年が明けて2週間、僕は千恵子の部屋に呼ばれて紅茶を飲むことになった。
「なおちゃんは、今年一年何か目標ってあるの?」
千恵子はホームルームの担任みたく僕に聞いてきた。
「特にないと言ってしまえば嘘になるけど、あえて言うなら男に戻りたいかな」
「女の子の姿って嫌なの?」
「そういうわけじゃないけど……、女の子でいたらちーちゃんと将来結婚が出来なくなるっていうか……」
「同性愛もあるわよ。仮になおちゃんが私と結婚となっても同性愛で結婚が出来るから大丈夫よ。だから女の子でいてくれる?」
「うん、わかった」
千恵子はお願いオーラをバンバン出していたので、これ以上は何も言えなかった。
「ちーちゃんは何か考えているの?」
「そうねえ、私は将来のことは何も考えていないけどお、あえて言うなら生徒会長に立候補してみようかな」
「本当に!?」
「うん!」
「じゃあ、私一生懸命応援するね」
「まだ分からないよ」
「それでも応援するよ」
「もう、なおちゃんたら」
冷たい冬空の下、僕と千恵子は温かい部屋の中で、これからの将来のことについてゆっくり語り合っていた。
おわり
みなさん、いつも最後まで読んで頂いて本当にありがとうございます。
今回は主人公の性別が入れ替わるお話を書かせていただきました。
これまで他の作品で類似した内容をご覧になった人には、おそらくつまらなく感じてしまいますが、今回私が書かせて頂いた内容は七夕に誰かが書いた願い事によって性別が変わってしまう内容にしました。
私が申し上げるのも変ですが、今回のような内容はおそらく過去にはなかったと思われます。
さて、今年の七夕は終わってしまいましたが、皆さんは短冊にどのような願い事を書かれましたか?おそらく「答えたくない」と回答する人が90%以上だと思いますので、これ以上は触れないようにいたします。
話は変わりますが、厳しい暑さが続いていますが、皆さんはどのように過ごしていますか?
海水浴、アウトドアなどイベントが盛りだくさんですが、事故だけはくれぐれも起こさないように気をつけてください。
夏休みを過ごされている子供たちに言っておきます。宿題は8月の上旬に済ませることをお勧めします。
「まだ大丈夫。夏休みは始まったばかりだから平気」と言って、遊ぶだけ遊んでおきながら、8月の後半にさしかかった時に友達や家族に泣きつくようなまねはしないでください。遊びたかったら宿題を済ませてかにしてしてください。
それと解けない問題は学校へ行って先生に聞いてください。(当たり前ですが)
なぜ、ここまで偉そうに言っているのかと話しますと、私自身がそういう経験を味わったので、皆さんには私のようになってほしくないのです。
さらに話題が変わりますが、最近電車内で暴力、切りつけなどの事件が相次いでいます。
暴力や切りつけまでにはいかなくても、口論になるトラブルも後を絶ちません。
トラブルの理由の大半は「注意されてカッとなったから」が多いのです。
コロナが第5類になってからマスクを外す人が増えてきました。それと同時に咳する際、マスクもしなければ手も押さえない人も増えています。
情けない話ですが、私も地元でバスを待っている時に隣にいた1人の高齢者がマスクをしないどころか、ハンカチや手も抑えずに咳をしていたので、軽く注意をしたら大きなトラブルになってしまいました。
人間なので咳をするのは仕方がないにしても、せめてマスクだけは着用しないと周囲の人に不快感を与えてしまうので、みなさんも気を付けてください。
長くなってしまいましたが、次回も一生懸命書かせて頂きますので、是非懲りずに読んでください。
それでは、次回もよろしくお願いします。