79、精霊が命を宿す時
「…………っ!」
ハッとした様子で、お兄様は口を噤んでしまわれた。
守りたいものがあったから、お兄様は力を欲されていたのね。
一体それは……?
「ヴィオ、懐中時計が訴えてる。今ならきっと、届くはずだよ」
リーフにそう言われて下を見ると、バッグからピカピカと光が漏れていた。
「そうね、わかったわ」
私の腕から飛ぼうとしたリーフを無理しちゃだめよと捕まえ、ジン様に「少しだけリーフをお願いします」と預ける。
そしてお兄様の近くへ足を進めた私は、バッグから取り出した懐中時計を差し出した。
「お兄様の努力を、そばでずっと見ていた方がいます。だからどうか、全てを否定しないでください」
お母様がこの懐中時計をお兄様にお渡しされたのには、きっと何か意味がある。
お兄様がもう一度、夢を抱けるように。
どうか力をお貸しください、お母様……!
「どうしてそれを……っ! 俺にはもう、それを持つ資格はないんだ」
懐中時計からお兄様が顔を背けた時、『そんなことない!』と否定する澄んだ声が聞こえた。
次の瞬間――懐中時計が眩い光に包まれて、メタリックな銀色の翼を持つ小鳥に変化した。
首には小さな懐中時計をぶら下げ、つぶらな瞳はベルデライトとブルースピネルを埋め込んだように、綺麗なオッドアイをしている。
どこか機械仕掛けのその姿は、まさしく人工物の精霊のようだった。
『レイモンドはただ、家族を守りたかっただけ! ミネルヴァとの約束を守るために!』
お母様との約束……?
翼をはためかせた精霊は、お兄様の膝に着地してさらに訴える。
『精霊騎士になれなくても、それでも毎日たくさん勉強して、努力してた。違う形でミネルヴァとの約束叶えようと、必死だった!』
――安心して、母上。父上のような立派な精霊騎士になって、俺が妹たちを守るよ!
そうよ、幼い頃のお兄様はそう言って、剣の稽古に励まれていた。
お兄様が精霊騎士になりたかったのは、お母様と交わした約束を守るためだったのね。
『私を望んで、レイモンド。私はずっと、あなたを見てきた。あなたの努力を、誰よりもよく知っている。だからこうして、時の精霊クロノスになれたんだよ!』
「時の精霊クロノス……こんな俺のそばに、いてくれるのか?」
『もちろん! そのために、私は生まれたんだよ! 大いなる時の祝福をあなたに……』
文字盤のような魔法陣が浮かび上がり、お兄様とクロノスを結ぶ。
魔法陣から放出された光の粒子が二人を優しく包み込み、無事に契約が完了した。
やったわ!
お兄様の努力が、ついに実を結んだのね!
「おめでとうございます、お兄様!」
こちらをご覧になったお兄様は、くしゃっと顔を歪めて、深く頭をお下げになった。
「ヴィオラ……っ、いままですまなかった。幼いお前に八つ当たりをし続けたあの日を、本当はずっと後悔していた。一番傷ついていたのはお前なのに、俺は……お前にひどいことを! 未熟さ故に、お前の才能を認められなかった。いざお前を目の前にすると素直に謝ることもできず、傷つけてばかりだった……」
「いいえ、謝るのは私のほうですわ。お兄様の悲しみを助長するようなことばかりしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
そう言って、私も深く頭を下げた。
それからしばらく沈黙が続いたあと、顔を上げた私たちは、ぎこちない笑顔を浮かべて向き合っていた。
言いたいことはいっぱいあったはずなのに、いざ言葉にしようとすると出てこない。
そんな中で重い口を先に開いたのは、お兄様だった。
「……フレグランス専門店を開いたと父上に聞いて、心底驚いた。お前が植物を育てているのは、母上に対する贖罪だと思っていたから」
緊張が混じった優しい声でそう仰るお兄様に、私は答えた。
「確かに、最初はそうだったかもしれません。あの頃の私は、お母様の好きだった花をお兄様に嫌いになってほしくなくて、必死だったので……」
「フェリーチェを訪れたあの日、本当は謝罪をしようと思っていたのだ。贖罪ではなく、お前自身がこれからを楽しんで過ごせるように、きちんと謝ってけじめをつけたかった。だが予想外の邪魔が入り……結局失敗に終わってしまった」
予想外の邪魔って、アレクのことよね。
魔道具で操られていたお兄様がアレクに苛立っていたのって、それも関係しているのかしら?
「それでは、もしかしてあの落とし物は……」
「ヴィオラ、お前に渡そうと思っていたものだ。その、開店祝いとして……」
僕が言ったとおりでしょ? と言わんばかりの笑顔で圧を送ってくるのやめて、アレク。
「そうだったのですね、とても嬉しいです!」
「中には夕日のように美しいオパールの……はっ! 今、何時だ……⁉」
視線を窓の外に向けたお兄様が、突然大きく目を見開いてそう叫んだ。
『十八時だよ、レイモンド』
クロノスの言葉に、お兄様の顔は血の気が引いたように真っ青だった。
焦った様子で立ち上がったお兄様の身体がふらっと傾き、アレクが咄嗟に支えてベッドに座らせる。
「まずい! このままでは、豊穣祭が火の海になってしまう!」












