76、リーフと豊穣祭
マリエッタたちを見送ったあと、私も自室に戻って準備にとりかかった。
「お嬢様、お手伝いします!」
「ありがとう、ミリア。かなり歩くと思うから足元はブーツで、動きやすい服がいいわ」
「かしこまりました。お祭りなので、ショルダーバッグもご持参されますよね?」
「ええ、すぐに小銭が取り出せるように必要だわ。帰りはきっとお土産でいっぱいになるだろうから、収納用魔道具の腕輪も一緒にお願いね」
「はい、ご準備いたします!」
それからミリアに手伝ってもらい、着替えを済ませた。
髪はハーフアップに纏めてもらい、ミドル丈の上品なワンピースに編み上げブーツを履く。
忘れないように腕輪を装着して、ショルダーバッグには必要なものを詰めていく。
小銭とハンカチ、お兄様の懐中時計も必要ね。
それから――何か忘れていないか考えていると、突然目の前にリーフが現れた。
「ヴィオ、これも持っていこうよ!」
そう言って彼が持ってきたのは、温室に置いていた特別な香水のテスターだった。
「え、でもこれは……まだ未完成だし……」
「レイモンドを見つけたら、試してもらおうよ! そのために作ったやつでしょ!」
「それは、そうなんだけど……」
「大丈夫! 気に入ってもらえるように、たくさん祝福かけたよ!」
そう言ってリーフは、テスターの香水をバッグに入れてしまった。
そのテスターは、エヴァリー伯爵夫人にプレゼントした、幸せな思い出の場所を再現する香水から着想を得て、新たに作ったものだった。
お兄様が大切にされている思い出の場所を、私は知らない。
けれどお母様とお兄様に縁のある場所に、一つだけ心当たりがある。
それは早朝の庭園――大きなオリーブの木の下で剣の稽古をするお兄様に、お母様はよくタオルを差し入れされていた。
トップノートでその場所の香りを再現して作ったものだけど、正解がわからないからこそ、テスターという形でしか作れなかったのよね。
「ありがとう、リーフ」
そうよね。テスターは試してもらわなければ、わからないものね。
正直いきなりプレゼントをお渡しするのはハードルが高かったし、これならさりげなく試してもらって意見が聞けるかもしれない。
液漏れしないよう大事にテスターを詰め直して、私はリーフと一緒に豊穣祭へと向かった。
◇
王城から真っ直ぐ進んだ先にある大広場が、豊穣祭のメイン会場だ。
東と西に繋がるメインストリートは封鎖され、様々な露店が並んでとても賑やかなのよね。
馬車を降りると、美しく飾り付けられた大広場が視界に広がった。
王国内で一番豪華なお祭りだけあって、今年の会場もすごく綺麗ね。
普段はなかなか人前に姿を見せない精霊だけど、この日だけは特別で、いろんな精霊が契約者と一緒に楽しそうに祭りを楽しんでいる。
中級以下の精霊たちは、動物の姿をしていることが多い。
ここでなら、リーフが姿を現してもきっと目立たないわね。
「わぁ……みんな、すごく堂々としてるね。楽しそう!」
「豊穣祭の主役は精霊だからね。ここでなら、姿を隠さなくても大丈夫だけど、どうする?」
「僕も堂々と参加したい! でも、ヴィオとはぐれると怖いな……」
「大丈夫よ、私が抱えていくわ。おいで」
両手を伸ばすと、空に浮いていたリーフが姿を現し、胸に飛び込んでくる。
落とさないよう大事に抱えて、まずは大広場に設置された祭壇を目指して歩く。
「まずはお祈りをして、お祭りを楽しみましょう」
すごい人の数だけど、祈りを捧げる祭壇には花を供える花瓶がいくつも置かれており、回転は思ったよりもかなり早い。
「うん! ヴィオ、あの綺麗な置物は何?」
列に並ぶと、リーフが興味深そうに祭壇の飾りに目を向けていた。
「あれはね、菓子職人たちがこの日のために作った精霊の飴細工よ」
祭壇の奥にずらりと並ぶ飴細工の精霊像は、いつ見ても圧巻よね。
毎年菓子職人たちが趣向を凝らして創作する飴細工は、幻想的でとても美しいのよね。
「え……あれ全部、お菓子でできてるの……⁉」
「砂糖は豊穣の象徴とされる穀物より、高価で貴重なの。そんな砂糖で作った飴細工を祈りの祭壇に飾ることで、今年も恵みの多い一年を過ごせましたって、精霊たちに感謝を伝えてるのよ」
「そうなんだ! じゃあ、あの運ばれてる花たちは?」
「みんながお祈りして捧げた花よ。花瓶がいっぱいになると、それを王城に繋がる北の道に飾り付けるのよ」
「もうあんなにたくさんの人が祈りを捧げてくれたんだね!」
「ふふ、これからもっと増えるわよ。夜には王城に届くまで花が集まるらしいわ」
そんな話をしていると、ようやく順番が来たようだ。
持参した白いダリアを一本供えて、私はリーフと一緒に祈りを捧げた。
終わったら神官様にコサージュをもらって、左胸に着ける。
「綺麗なコサージュだね! 何だかそれ、神聖な息吹を感じる」
「魔族対策で配られるものよ。光魔法がかけてあるから、魔族がこれに触れると壊れるの」
精霊が集まる場所というのは、魔族にも目をつけられやすい。
もちろん各所には精霊騎士が配置され、会場には厳重な警備体制が敷かれている。
それに加えて、一般客に紛れ込む魔族を見逃さない対策も、こうしてされているのよね。
「じゃあ、コサージュを着けてる人は安全なんだね!」
「ええ。さぁ、まずはどこから回りましょうか?」
「僕、イスタールの人形見たい! 昔、ヴィオが買ってきてくれたやつ!」
そうなると、子ども向けの露店が集まるエリアを目指したほうがよさそうね。
「プレゼントに剣は用意してるから、帰ったら渡すわね」
「うん、楽しみ!」
それからリーフと一緒に、目的のエリアに向かった。
子どもたちが喜びそうな玩具が並ぶ露店エリアを見て、リーフはキラキラと瞳を輝かせている。
「見て、見て! ヴィオ! イスタールがいっぱい!」
人形にお面、変装グッズと、いろんなイスタールグッズが集まる店を見て、リーフのテンションは最高潮だ。
その中でもリーフが熱心に見てたのは、イスタールの変身マントだった。
「すみません、これください」
店主にお金を渡してマントを買うと、リーフはとても驚いた顔をしていた。
「おいで、リーフ。着けてあげるわ」
背中にマントを被せて、首元でリボンを結んであげる。
少し長いけど、空を飛ぶ分には問題なさそうね。
「ありがとう! 見て、ヴィオ! 僕、イスタールみたいでしょ!」
空中でくるっと一回転して見せてくれるリーフは、とても嬉しそうだ。
「ええ、とても似合ってるわ」
そうして楽しそうに空を飛んでたリーフが、突然血相を変えてこちらに戻ってきた。
「ヴィオ、懐中時計が訴えてる! 近くに、レイモンドが居るよ!」
バッグを開けると、お兄様の懐中時計がピカピカと光を放っていた。
「え、お兄様が近くに……⁉」
辺りを見渡すも、人が多くて全然わからない。
その時、後方から鋭い視線を感じて振り返ると、黒いシルクハットを被った男性が踵を返す姿が目についた。
背中で揺れる一つに結われた赤髪は、お父様とよく似ている。
もしかして、お兄様……⁉
人混みをかきわけて、私は必死に黒いシクハットの男性を追いかけた。












