72、建国祭
数日後、建国祭の式典には、エヴァリー卿の祝辞を見守る夫人の姿があった。
優しく慈しむような、とても穏やかな表情をされているのを見て、私はほっと胸を撫で下ろす。
感情を取り戻されて、本当によかったわ。
依頼も無事に終えたことだし、ここへ来た本来の目的を遂行しよう。
私がここに来た目的は、香水作りに興味がありそうな方を勧誘すること!
説明のリーフレットを付けるようになって、少しずつフェリーチェに客足は戻ってきたものの、以前に比べるとまだまだ少ない。
香水作りを実際に体験してもらうことで安全性を伝え、粗悪品で広まってしまった悪評を払拭したい。
堅苦しい式典が終わり、軽食が楽しめる祝宴の時間になった。
待ちに待った勧誘タイムの到来ね!
どなたに声をかけようか会場を物色していたら、「ヴィオラ様」と逆に声をかけられてしまった。振り返ると、そこにはエヴァリー卿と夫人の姿があった。
「先日は誠にありがとうございました。実は、母上がヴィオラ様にぜひお礼がしたいと言うので、お連れしました」
「この美しいお嬢さんがそうなのね! ヴィオラさん、息子に話を聞いたわ。私のために、素敵な香水を作ってくれてありがとう。あなたのおかげで、娘と一緒にまた、思い出の植物園を巡ることができたわ」
「こちらこそ、喜んでいただけて私も嬉しいです」
「メルーシの香水を付けていると、娘をそばに感じることができて心が満たされるの。香りを組み合わせて纏うって、とても素敵な文化ね! 帰国する前に、お店にお邪魔してもいいかしら? もっと他にも香水を試してみたいの」
「もちろんです! フェリーチェではいま香水作り体験もできるので、ぜひお越しください」
「まぁ! 自分でこの素敵な香水を作ることができるの……⁉」
夫人のおかげで、周囲が香水作りに興味を持ってくれているわね。
「はい。新鮮で安全な精油を多種多様に取り揃えておりますので、世界に一つだけしかない、自分だけの香水を作ることができるんです」
「とても楽しそうだわ! そうね……明後日の午後は空いているかしら?」
「ええ、大丈夫ですよ。準備してお待ちしておりますね」
「ありがとう。ふふっ、帰国したら久しぶりに、新しい研究でも始めてみようかしら」
ザース博士が、再び研究を……⁉
はやる気持ちを抑えられず、思わず私は尋ねてしまった。
「な、何についての研究をなさるのですか?」
「そうね……植物と香りの研究をしてみるのも、面白そうだと思って」
「新刊、お待ちしております! 実は私、ザース博士の大ファンで……!」
そこから植物の話題ですっかり意気投合した私たちは、近くのテーブル席に座り、お茶を楽しみながら楽しく歓談していた。
「母上、そろそろ閉幕のお時間です」と、エヴァリー卿が夫人を呼びに来られたことで、すっかり話し込んでしまったことに気付く。
あら、もうそんな時間なのねと、飲み終わったティーカップをソーサーに戻した夫人が、唐突に予想外のことを仰られた。
「ヴィオラさん、よかったらライデーン王国へ来ない? あなたならケレスと一緒に、神聖農園をしっかり守ってくれそうだわ!」
思わぬ提案に私が驚きで硬直していると、エヴァリー卿が夫人を止めてくださった。
「は、母上! いきなり何を仰っているのですか!」
「あなたもそろそろ身を固めないといけないでしょ? ヴィオラさんのこと、とても褒めていたじゃない。それにここまで植物に造詣の深いお嬢さんは、そうそういないわ」
「た、確かにヴィオラ様は大変魅力的な方ですが……!」
そう言って、エヴァリー卿はなぜか頬を赤く染めた。
いやいや、ちょっと待って!
神聖農園は確かにとても興味あるけど、私は既に婚約してるのよ⁉
それに――アレク以外の人のそばにいる未来が、いまの私には想像できなかった。
「申し訳ありません。実はすでに婚約しておりますので……」
「あら、そうだったのね。それなら残念だけど、仕方ないわ。今日はお話できて楽しかったわ、ありがとう」
「こちらこそ、とても楽しかったです。ありがとうございました」
夫人たちと別れたあと、私はぼんやりと婚約指輪を眺めていた。
昔の私なら、さっきの話に二つ返事でのっていたかもしれない。
けれどいまは、隣で一緒に笑ってほしい人がいる。
式典にも参加しないで、今頃どこで何をしてるのよ……アレク。












