番外編1、新婚生活は絶望の始まりでした(side マリエッタ)
リシャール様との結婚式を終えて、私はログワーツ領へとやって来た。
空気が澄んでいて、夜はとても綺麗な星空やオーロラを見ることが出来るらしい。一面に広がる真っ白な銀世界はとても幻想的で美しく、リシャール様の話では少し寒いのを我慢すれば優雅でのんびりとした生活が送れると思っていた。
だけど実際は予想以上に寒くて、厚着をしているのに全身の震えと歯のガタガタが止まらない。銀世界という美しい景色を楽しむ余裕なんてなくて、馬車の中で早くお屋敷に着いてくれと、ただただ祈った。
「マリエッタ、ここからはソリで移動するぞ」
ソリ? ソリってなんでしょう?
寒い雪道を案内されるままついていくと、天井のない乗り物がそこにはあった。しかも、そのソリを引くのは、ホワイトウルフという怖そうな獣の集団。
「ひぃぃぃいい」
思わず悲鳴がもれてしまった。
「大丈夫だ、慣れればこうやって懐いてくれる」
リシャール様は、わしゃわしゃとホワイトウルフの頭を豪快に撫でる。すると、ホワイトウルフ達は尻尾を振ってリシャール様にとびかかる。顔をベロベロと舐められながら「はは、くすぐったいだろう!」とリシャール様は嬉しそうだった。
「少し揺れるが、俺にしっかり掴まっておけば大丈夫だ」
ソリに乗ると、頬を掠める風の冷たさに痛みを感じる。さらにガタンゴトンと激しく揺れるソリに気分が悪くなる上に、落ちそうになる。怖くなってリシャール様に掴まると、先ほどホワイトウルフにもみくちゃにされてベロベロ舐められたお顔から、悪臭が漂ってきて吐き気をこらえるので必死だった。
辿り着いたお屋敷は、とてもみすぼらしく狭い。年季もかなり入っているようで、歩くとギシギシと音が鳴る。案内された私とリシャール様の部屋は、使用人の部屋かと思える程の広さで息が詰まりそうだった。
「あまり広いと、暖が取れないから狭くてすまない。王都の屋敷と比べると不便だろうけど、住んでれば慣れると思うから安心するといい」
気分がすぐれなかった私は、すぐに休みたい気分でいっぱいだった。しかし、今日は初めてこちらで過ごす結婚初夜みたいなものだ。
「マリエッタ、いいかな?」
リシャール様は、獣のように私の身体を求めてきた。そうして無理をした結果、三日三晩寝込んでしまった。
◇
目が覚めて出された食事は、とても獣臭くて飲めたものじゃないスープと、硬いパサパサのパンだった。
「マリエッタの元気が出るように、今朝しとめてきた新鮮なクマ肉のスープだ。パンは少しずつ汁に浸しながら食べると、ふやけて柔らかくなるぞ」
「リシャール様が、狩りにでられたのですか?」
「ああ、そうだ。マリエッタのために大物をしとめてきたぞ」
正直、病み上がりで獣臭いスープなんで吐き気をもよおす。しかし、期待に満ちたリシャール様の眼差しから逃れる事は出来なくて、一口飲んだ。
「ゴホッ、ゴホッ!」
あまりのまずさに思わずむせて咳込んでしまった。
「大丈夫か、マリエッタ!」
優しく背中をさすってくれるリシャール様。彼が手を動かすと、何だか血なまぐさい匂いが鼻につく。
「何だか、血の匂いが……」
「あぁ、すまない。さっきまで解体作業をしていたから、臭いが染みついてしまったのだろう。狩りで獲った獣は、ここでは貴重な食糧だからな。肉は保存がきくように加工して、毛皮は剥いで洋服を作るんだ。マリエッタにもきちんと解体のやり方を教えてあげるから、安心していいぞ」
「えっ……私が、するのですか?」
「ああ。解体や加工品作りは妻の務めだからな!」
そんなの、使用人にやらせればいいのではないだろうか。そう思って辺りを見回すが、この家にはリシャール様の家族以外に人っ気がない。
「あの、メイドや執事はいらっしゃらないのですか?」
「ああ。ここでは基本、自分の身の回りの事は自分でするのが当たり前なんだ。お洒落をして出かけるような所もないし、マリエッタも着替えぐらい自分で出来るだろう?」
信じられなかった。美しい銀世界の中で、自然の恵みを楽しみながら、悠々自適で優雅な生活が送れるものだとばかり思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、何世紀か遡ったかのような原始的な生活様式。掃除、洗濯、食事の準備と、全てを自分達でやるのが当たり前だそうだ。
優しく出迎えて下さったのは最初の1ヶ月だけで、仕事のできない私に、義両親は次第に冷たくなっていった。
「おやおやマリエッタさん。まだ休んでたのかい? はやくこっちの生活に慣れてもらわないと困るよ」
「そうじゃな。慣れたら現場にも出てもらわねばならん。リシャール、お前は嫁を少し甘やかしすぎではないのか?」
ただでさえ気温の変化で体調も崩しやすい上に、したこともない作業の連続。これなら実家で侍女をする方が何倍もマシだわ。
お義母様やお義父様からは、ネチネチと小言を言われて、掃除、洗濯、料理の下ごしらえとこきつかわれる。
その雑用に加えて、慣れたら獣の解体作業や加工作業の手伝いまでしなければならないという最悪の生活だった。
「そんな事ない。こんなところまで嫁いできてくれる嫁なんて、そうそういない。俺はマリエッタに感謝してるんだ」
リシャール様だけは、私の味方でいてくれる。けれど、ぎゅっと抱き締めてくる旦那様は、血生臭くて吐き気がする。
こんな生活、耐えられない。離婚して実家に帰りたい。
けれど、外は吹雪いていてとてもじゃないが、出歩ける天気ではない。それに私一人じゃソリにも乗れない。
外への連絡手段は、届くのにかなり時間のかかる手紙ぐらいしかない。それでも何とか連絡をと羽ペンに手を伸ばしたはいいものの、家を出る際にかけられたお父様の言葉を思い出して、何も書けなかった。
『マリエッタ、もし多少辛いことがあろうとも、真実の愛で結ばれた二人ならきっと乗り越えられるだろう。リシャール殿に寄り添い頑張りなさい。もし出戻りでもしようものなら、もうお前を修道院へ入れるしかなくなってしまう。だからどうか愛する者と共に、ログワーツ領で本当の幸せを見つけなさい』
私の帰れる場所は、もうヒルシュタイン家にはないのだ。ここで生きるか、修道院で残りの人生を全て神に捧げるかしか、選択肢は残されていない。
毎日何時間も神に祈りを捧げ、聖堂の掃除をして、質素な食事をとって眠る。修道女になって死ぬまでそんなつまらない生活の繰り返しなんて死んでもごめんだ。それならまだ、多少は自由に動けるこちらの方がマシなのかもしれない。
こうして極寒の地である辺境の片田舎に閉じ込められてしまった私は、これからの生活に絶望するしかなかった。