64、これ以上は……【アレクシス視点】
眠らせたヴィオを抱え、僕は上階の休憩室へと向かった。
ベッドにそっとおろして仮面を取ってあげると、ヴィオはすこやかな寝息を立てて眠っている。
アルコールのせいか、頬がほんのりと上気したあどけない寝顔が可愛くて、いつまでも見ていたい。
しかしヴィオの白い肌に残る、痛々しい腕の赤い痕が視界に入り、ひどく不快に感じた。
他の男がヴィオに触れたことが許せないのはもちろんだけど、それを事前に阻止できなかった自身の不甲斐なさが、心底悔しかった。
ポケットからハンカチを取り出した僕は、それを隠すように優しく巻いた。
「もっと、僕を頼ってよ……」
植物を悪用する者が許せないヴィオの気持ちは、誰よりも理解しているつもりだった。
家族の幸せを願うヴィオは、どんな危険が伴おうと、どんな我慢を強いられようと、自分を犠牲にしてでも家族のために尽くそうとする。
傷ついた家族の心はそれで守れたとしても、傷ついて疲弊したヴィオの心はどうなるの?
ヴィオが強い女性だというのは、ずっと見てたからよく知っている。それでもそのまま進み続けたら、いつか君自身が壊れてしまうんじゃないかと不安だった。
ヴィオには黙っていたけれど、君に初めて会ったのは、本当は公爵夫人の葬儀だった。
『お前は母上の葬儀に参加する資格はない!』
『やめないか、レイモンド!』
葬儀が始まる前、ヴィオに対して激昂するレイモンド卿を、団長がなだめながら連れていく現場を、僕はたまたま見てしまった。
残されたその場では、『おにいさま、こわい……』と怯えたマリエッタ嬢が、ヴィオにぎゅっとしがみついていた。
『わたしのせいで、こわいおもいをさせて、ごめんね』
気丈に振る舞うヴィオは、マリエッタ嬢の頭を優しく撫でて慰めたあと、彼女の手を引いて会場へと向かっていった。
葬儀中、嗚咽をもらす妹に寄り添い慰めながらも、ヴィオは前を向いて凛と佇んでいた。
母の葬儀で涙すら流さないなんて、最初はなんて薄情な子だと思った。
でもそうじゃなかった。
誰もいないところで、泣いていた。
何度も何度もごめんなさいと謝って、泣いていた。
けれど呼びに来た団長に気付くと、ヴィオは心配をかけないようさっと涙を拭い笑顔を作る。
家族の抱える悲しみを癒やすことを優先するヴィオは、人前ではそうしていつも気丈に振る舞っていた。
周囲の大人たちは『さすがは炎帝の御息女』と褒め、その期待を裏切ることなく頑張るヴィオは、正直僕とは正反対だった。
気になったことはなんでも試したくなる僕は昔、城内では大人たちから悪童と呼ばれていた。実験をしてただけなのに、なぜか悪戯と認識されて怒られる。
持て余す好奇心の矛先が、気がつけばヴィオのほうに向いていた。
自分だけが、優秀な彼女の弱さを知っている優越感――初めはたったそれだけだった。
でも次第に、頑張り続けるその姿が心配になった。
他人にも家族にも素直に感情を吐き出せない。
そんな生活を続けていては、いつかその強くて美しい心が潰れてしまうのではないかと。
もし泣いている彼女を目撃したら、今度こそ勇気を出して声をかけてみよう。
そう思っていたのに、実際は兄上に怒られて不貞腐れている時に、逆に運悪く声をかけられてしまった。
下手くそな落書きまで見られて、正直恥ずかしくて仕方なかった。
でもそんな絵のおかげで、ヴィオが楽しそうに笑ってくれた。
初めて屈託のない笑みを浮かべるヴィオを見れて、嬉しかったのをよく覚えている。
またその笑顔が見たくて、僕は行事でヴィオを見かけると、秘密裏に遊びに誘った。
難色を示されたらどうしようかと、最初は少し緊張した。でも驚いたことにヴィオは、誰も認めてくれなかった僕の実験に、『面白そうね』と笑顔で付き合ってくれた。
素直に認めてもらえたのはそれが初めてで、一緒にバカなことをして過ごす秘密の時間が、僕にとってかけがえのないものになっていった。
気を張り続けるヴィオが、僕の隣でだけは年相応の少女になる。特別になれたようで、嬉しかった。
でもそれだけじゃ、ヴィオの心を守れないことに気付いた。
秘密の友だちという関係は、家族や婚約者の前では、あまりにも遠くて無力だったから。
そして自分が抱く感情が、とうにそんな枠では収まらないことを知ってしまった。
だからこそ、堂々とヴィオのそばにいられる確かな権利が欲しかった。
そのために、必死で努力してやっと手に入れることができたのに……ヴィオの気持ちより、自分の気持を優先してしまうなんて――最低だ。
やってしまった行動の愚かさに、僕は自己嫌悪していた。
鳥のように羽ばたく君の行動を制限する、鳥籠になりたかったんじゃない。
進むことに疲れた君が僕のそばでは安心して休めるような、とまり木になりたかったのに。
こんな目に遭って、それでも危険に足を踏み入れようとするヴィオが、いつか僕の前から消えてしまいそうで、怖くて仕方なかった。
少し目を離すと、君はひとりでどんどん先へ行ってしまうから。
もし僕が追い付けない場所に行ってしまったらと想像して、胸が締め付けられるように苦しくなる。
「君がいないと、僕は生きていけないんだ……」
不本意な形で会場を離脱させてしまったことを、目覚めたヴィオは、絶対怒るだろう……しばらく口を聞いてくれないかもしれない。
一度した約束を守れないなら、そもそも最初からこんな危険な場所に連れてくるべきじゃなかった。
そう後悔しても後の祭りだった。
「必ず犯人は捕まえるよ。君の笑顔を曇らせるものは、全て排除する。だからヴィオ……僕のこと、嫌いにならないで……」
祈るようにヴィオの手を優しく握りしめたあと、そっと手の甲にキスを落とす。
それからラオを召喚した僕は、ヴィオを守るようにお願いして、見張りを頼んでいたジンと合流すべく、再び会場へと向かった。












