5、妹の結婚式
リシャールと婚約を破棄して、半年が経った。
今日はマリエッタとリシャールの結婚式が行われる。
結婚式が始まる前、私はマリエッタの控え室に来ていた。
純白のウェディングドレスに身を包んで「いかがでしょうか?」とはにかむマリエッタは、身内の贔屓目を抜きにしてもとても美しい!
「よく似合ってるわ! とても綺麗よ、マリエッタ。幸せになるのよ」
「はい、ありがとうございます! お姉様が一緒にデザインを考えてくださったおかげです!」
満面の笑みを浮かべるマリエッタを見て、思わず胸の奥から熱いものが込み上げてくる。この姿、お母様にも見てほしかったわね。
あふれでそうになる涙を隠すために視線を窓の方に移すと、結婚式には相応しくない花が飾られているのに気付いた。
「そちらのアレンジメント、お兄様がお祝いにくださったんです。雰囲気が昔と変わられていて、誰だか最初分かりませんでした」
「そ、そうなのね」
お兄様が公爵領に行かれて十二年、一度も王都の屋敷に帰ってこられたことはない。妹の結婚式だもの、次期公爵としてもちろん出席なさるわよね。
それにしてもどうしてこんなものを……ガラスケースの中に飾られているのは、黄色いバラのアレンジメント。
【薄らぐ愛】という花言葉を持つ黄色いバラは、結婚式の贈り物としては好まれる花ではない。
花を毛嫌いされているお兄様は、きっとご存じなかったのよね。
あらゆる矛盾を飲み込んで、無理やり自分にそう言い聞かせた。今日は晴れ晴れしい祝いの席だ、負の感情は相応しくない。
「お姉様? いかがなさいました?」
「い、いやーとても珍しい品種のバラだと思ってね! ほら見てて、もうすぐ色が変わるから」
マリエッタにばれないように、私は色素を変換させる植物魔法をかける。
「(レジェ・ルージュ)」
黄色からオレンジ色へと変化したバラを見て、「わぁ、すごいです!」とマリエッタは嬉しそうに目を輝かせる。
マリエッタが花に詳しくなくてよかった。なんとか誤魔化せたけれど、胸の奥にチクリと痛みが走る。
うまく笑顔を保てているだろうか。不安に飲み込まれそうになった時、ノックが鳴った。
「マリエッタ、そろそろ時間だ……っ!」
迎えに来たリシャールがマリエッタを見て、はっと息を呑んだ。赤面して硬直している彼に、「マリエッタのこと、頼んだわね」と妹を託して私は控室を後にした。
助かったわね。ほっと安堵のため息を漏らしつつ歩いていると、大聖堂へ続く回廊で不意に声をかけられた。
「家族ごっこは楽しいか?」
壁に背を預け、眼鏡の奥からこちらを睨む男性を見て、動悸が激しくなる。子供の頃の面影はあまりないが、後ろで結われたお父様譲りの赤い長髪で彼の正体がすぐに分かった。
「ご無沙汰しております、お兄様」
「貧乏領地に嫁ぎたくなくて妹を売ったんだろう? 相変わらずだな」
「ち、違います。私は……」
震える喉を叱責して、何とか声を絞り出す。そんな私を見て、お兄様は緑色の目を吊り上げ冷たく言い放った。
「一度壊したものは戻らない。お前がどれだけ取り繕おうと、犯した罪は消えない。ゆめゆめ忘れるなよ」
冷たい鎖で心臓を激しく締めつけられるような痛みが走る。両足をくいで打ち込まれたかのように自由がきかなくなって、去っていくお兄様の背中をただ見ていることしか出来なかった。
「ヴィオラ! しっかりするんだ、ヴィオラ!」
顔を上げると、眉尻を下げて心配そうに私の顔を覗き込むお父様の姿があった。どうやら見られていたらしい。
「レイモンドの言うことは、気にする必要ない。さぁ、行こうか」
お父様が一度でも私に憎悪を向けていれば、お兄様の気は少しくらい晴れたのかもしれない。けれど私には、故意に優しいお父様を傷付けることなんて出来ない。
「……はい、お父様」
その時、舌打ちの音が聞こえた気がした。現実なのか幻聴なのか分からないけど、こうしてお父様が私を気にかけてくださることも、お兄様の逆鱗に触れる行為に違いない。
やはりいつまでも甘えてるわけにはいかないわね。前を向いて、私は大聖堂へと向かった。
◇
純白のウェディングドレスに身を包んだマリエッタはとても嬉しそうで、
「とても綺麗だよ、マリエッタ。必ず君を幸せにすると誓おう」
白いタキシードに身を包んだリシャールが、そんな彼女を愛おしそうに見つめ誓いのキスを落とす。
そんな幸せそうな二人とは対照的に──
「ヴィオラ様、可哀想ね……」
お祝いにきた令嬢たちから哀れみの視線を向けられ、正直私は居心地が悪いったらありゃしない。まぁ今だけの我慢よ。
そのおかげで、普段は家に引き込もって趣味を謳歌できるんだから、あながち悪いことばかりでもないわ!
それに愛のない政略結婚と、愛のある政略結婚ならば、後者の方が双方ともに幸せになれるだろう。私の方が年上だから先に婚約者を紹介されただけで、同じヒルシュタイン公爵家の令嬢なら、マリエッタでも問題はないのだ。どちらが嫁いでも、あちらが必要としてるのはこちらからの資金援助だけなんだから。
妹に婚約者を奪われ続ける姉と、奪い続ける妹……社交界の評判がよくないのは明らかだし。わけありの縁談しかこない。そんな中でも真実の愛に恵まれたのなら、不幸中の幸いっていうのかしらね。
今さら周囲を気にしたところで仕方ないし、たった一人の妹の門出の日だ。姉としてきちんと見送ってあげなければいけないだろう。
それに扇子で周囲の強い香りを遮ってはいるけど、全てを防げるわけじゃない。遠巻きに見られるくらいでちょうどいいわ。
無事に式を見届けた後は、祝いの宴が開かれる。お色直しで主役のマリエッタとリシャールが退場していった後、私はめんどくさい令嬢に声をかけられた。
「こちらにいらしたのね、ヴィオラ様」
むわっと香ってくるエレガントな濃い花のエキスをこれでもかと凝縮させた強いにおい。この強烈な香りを好まれるご令嬢は一人しか居ない。
「あらごきげんよう、イザベラ様。わざわざ妹の結婚式にご参列頂きありがとうございます」
さりげなくパタパタと扇子を仰ぎ、強烈な匂いを別の方向へ逃がす。薄めて使えば上品なフリージアの香りはとても良い香りだと思うのに、本当に勿体ないわね。
「ご傷心中の貴方を励まそうと思って来ましたのよ。まーた妹に婚約者を奪われたんですってね。一時は生涯を共にすると約束した方と妹の晴れ姿なんて、本当は見たくないでしょう? お可哀そうに……」
イザベラ・ブリトニア。ブリトニア公爵家の令嬢で、昔からなにか事あるごとに私に悪い意味で絡んでこられるお方だ。
「いいえーそんな事ありませんわ。妹が幸せになってくれるなら、姉としては嬉しい限りですよ」
「そんな強がらなくてもよろしいのですよ。だって私だったら、もしロズが別の女性と結婚するだなんて言い出したら耐えられませんことよ。まぁロズに限ってそんな事はないので、心配なんて微塵もしていませんけどね。私とロズは運命の赤い糸で……」
あー始まってしまった。イザベラ様の自慢話が。婚約者のロズワルト様の事を喋り始めると、もう口が止まらないのよね。ペラペラとロズワルト様の魅力を語るイザベラ様に、口を挟む隙すらない。
誰か、彼女を止めてくれないだろうか。そうだ、ご自慢の婚約者のロズワルト様なら止めてくれるはずだ。彼の行方を視線で探すと……別の女性と楽しそうに歓談している姿が目に入った。
ちょっとイザベラ、貴方の後ろで自慢の婚約者が他の女と楽しそうに会話を弾ませてるわよ! って、つっこみたいけどつっこめない。
いっそのこと、この扇子で思いっきり仰いで匂いを全て飛ばして差し上げようかしら。流行に敏感なイザベラのこと、すぐにお化粧直しに香水を付けにいくはずだわ。
だけどマリエッタの大事な結婚式で騒ぎを起こすわけにはいかない。ここはやはり我慢するしかないわね。
内心ため息をつきつつ苦行に耐えていた時、イザベラ様が急にピタリと止まった。何故か驚いたように、私の斜め後ろを見て固まっている。
「ヴィオ、こんな所に居たんだね」
振り返ると、そこに居たのはアレクだった。
「ブリトニア公爵令嬢、少し彼女を借りてもいいかな?」
「は、はい。アレクシス殿下! 勿論ですわ! そ、それでは失礼しますわ、ごきげんよう!」
脱兎のごとく、イザベラ様は去っていった。そうだった、彼女は目上の方の前では、借りてきた猫のようになられるんだったわね。グッジョブよ、アレク!
「ごきげんよう、アレクシス殿下。妹の結婚式に参列して頂き、ありがとうございます」
「ヴィオ、少し抜け出さない? 話があるんだ」
「ええ、構いませんよ。(ちょっと、アレク! こんな所で堂々と声をかけてくるなんてどうしちゃったのよ)」
後半は、アレクにだけ聞こえるよう小声で話しかけた。
私達の関係は、あくまで秘密の関係だ。公の場で、アレクが私に話しかけてくる事はないし、私も形式的な王族への挨拶を最初に交わすだけで、それ以後は人目のあるところで話しかけることはない。
「だってもう、忍ばなくてもいいでしょ? 君には今、婚約者もいないんだし」
「それはそうですが……」
「ならいいじゃない。ほら、いこう」
アレクは楽しそうに私の手を掴んで歩きだす。今まで浮いた話のなかった第二王子が、女性の手を取って歩いている。しかもそれが、色んな意味で腫れ物扱いの私だ。別の意味で好奇の眼差しを向けられながら、会場を後にした。
人気のない裏庭の庭園まで来て、アレクは足を止める。
「ヴィオ、怒ってる?」
「別に怒ってはないけど、すこし驚いたわ」
「ごめんね。でも僕はずっとこの時を待ってたんだ」
急に真剣な面持ちになったアレク。
「いきなりどうしちゃったの?」
「ヴィオ。ずっと前から僕は、君の事が好きだったんだ」
な、なんですってー?!