44、【愛】の記憶継承
開店まで残り二週間を切った頃。
温室では今日も、ウンディーネ様がリーフに精霊魔法の扱い方を教えてくれている。
「さぁ、リーフ様。集中して、魔力をゆっくりと地面に流してみてください。そして花が一番美しく咲く瞬間で、止めてみてください」
収穫を終えた花壇の前で佇むリーフに、ウンディーネ様が優しくアドバイスを送る。
魔力を身体全体に巡らせているのかしら?
リーフの身体が神々しく輝き出し、光の粒子がゆっくりと前の花壇に注がれていく。
「魔力量を調節すれば、植物の成長を自在にコントロールすることが出来ます。これは自然を司る大精霊様にしか出来ない特別な魔法なのですよ」
あの花壇、まだ何も植えてないけど植物が生えてくるの?
気になって様子を見ていたら、花壇からぴょこっと双葉が顔を出した。それがゆっくりと成長していく。
「ユグドラシル様はこの魔法で荒れた大地を蘇らせ、生き物が住める場所を作られました。かつて闇に手を染めた天理の大精霊アザゼルの壊した大陸を、見事に復活させたのです」
約二千年前、アザゼルに壊され混沌と化した大陸を守ったのは、当時ユグドラシル様と契約されていた英雄、カイザー様だったわね。荒れた大地を一つにまとめ上げ、後に初代王となられたお方。
国の成り立ちは歴史の試験に絶対出てきたから、よく覚えているわ。
そして闇に手を染めて破壊の限りを尽くした天理の大精霊アザゼルの子孫が、今は【魔族】と呼ばれている。精霊たちに仇をなし、世界を壊そうとする危険な存在だ。
まさか当時のことを上級精霊様から直々に聞けるなんて、思いもしなかったわ。
想像を絶するような長い時の記憶を、上級精霊様たちは引き継いでいる。
そしてリーフはこれから、そんな大変な記憶を全て引き継いでいかなければならない。
こうして毎日拝見できて、身近すぎて忘れそうになるけど、本来なら滅多にお目にかかれない方々なのよね。
「できたよ! どうかな?」
「完璧です、リーフ様! あとは【愛】の記憶を引き継げば、無理することなくもっと広範囲に干渉できるようになることでしょう」
「でもあの時、ヴィオが力を貸してくれたから、僕はこの魔法を発動することができたよ?」
「これまでヴィオラ殿と培われた絆の力が、きっと一時的にリーフ様に力をお与えになったのでしょう。ですが何度もそうして力を使えば、契約者であるヴィオラ殿の身体に負荷がかかってしまいます。精霊魔法は本来、とても強大な力です。契約者のためにも、我々がしっかりコントロールをすることが大事なのですよ」
確かにあの日はとても疲れたわね。なんとか事件が無事に解決して緊張の糸が解けたから、一気にこれまでの疲れを感じたのかと思ってたけど、魔法の影響も少なからずあったのね。
「そうだったんだ……」と呟いたリーフは、しゅんと耳を下げて俯いてしまった。
「大丈夫よ、リーフ。休んだら元気になったでしょ?」
「……僕、【愛】の記憶を継承するよ。ヴィオに負荷はかけたくない。もっと魔力をコントロールできるように、頑張る!」
顔を上げたリーフの瞳には、駆り立てられるような焦燥感がこもっているように見えた。
「リーフ、無理しなくていいのよ?」
「だって、みんな前に向かって進んでる。ヴィオは苦手なお兄様と仲直りしようと頑張ってお店の準備整えてるし、絵を描いてるマリエッタも楽しそうで生き生きしてる。僕もみんなと一緒に、前に進みたい」
この二ヶ月、マリエッタのおかげで開店準備も順調に進み、皆が笑顔で過ごせる時間も増えた。
そんな姿をリーフもそばで見ていたから、きっと心境に変化が生まれたのね。
「わかった。応援するわ、リーフ。今の貴方ならきっと、乗り越えられるはずよ」
「うん! ありがとう、ヴィオ」
白狐の変化を解いて本来の姿に戻ったリーフは、ウンディーネ様のほうに向き直った。
「【愛】の記憶、僕にくれるかい?」
「かしこまりました。それでは、【愛】の記憶を継承いたします」
ウンディーネ様は両手を前にかざすと、幻想的な水の球体を召喚した。水の膜に包まれるように、中には赤いハートの形をしたものがある。
リーフがその球体に触れると水の膜が割れて、赤いハートがすっと彼の手に吸い込まれた。
「これが……【愛】の記憶……っ」
リーフの瞳からあふれた涙が頬を伝い、ポタポタと地面に落ちる。まるで放心状態のように、ただ涙を流し続けるリーフが心配になって思わず声をかける。
「だ、大丈夫……?」
私がハンカチを差し出すと、リーフはやっとこちらを見てくれた。
「ヴィオ……っ!」
すがりつくように抱きしめられ、リーフは私の肩に顔を埋めて泣き続けている。
小刻みに震えるその身体は、まるで恐怖に怯える子どものようだった。いくらなだめてもリーフの涙は止むことはなくて、私はウンディーネ様に助けを求めた。
「あの、ウンディーネ様。どうすれば……」
「今はただ、受け止めてあげてください。【愛】の記憶には、生物たちの様々な愛の形が記録されております。正と悪、美しいものから目を覆いたくなるような醜いものまで……」
えーっとつまり、子どもに見せるものじゃない愛まで含まれてるってことかしら?
愛憎って言葉みたいに、世の中綺麗事だけじゃすまない愛の形ってあるものね……。
「大精霊様は、常に正しい心を持ち続けねばなりません。悪の感情に傾き過ぎた時、かつてこの大陸を管理していた天理の大精霊アザゼルのように、闇に飲み込まれてしまう危険があるのです。ヴィオラ殿、リーフ様の情緒が安定するまで、どうかそばで支えてあげてほしいのです」
「わかりました、お任せください」
「……っ! すみません、リシャールが呼んでいるみたいでそろそろ……」
嫌な気配を感じ取ったのか、はっとした様子でウンディーネ様がそう仰られた。
「こちらは大丈夫なので、すぐに戻ってあげてください」
ログワーツを復興してもらわないと困るし、ウンディーネ様をいつまでもここに縛り付けておくわけにもいかないわ。
「はい、それでは失礼します」
申し訳無さそうに、ウンディーネ様は転移されて戻っていかれた。
「リーフ、魔法の訓練で疲れたでしょ? とりあえず座って休みましょう」
嫌だって主張するかのように、リーフの腕に力がこもる。
そういえばリーフは怖いことがあると、こうして私から離れなかったわね。
昔は白狐の姿だったから抱っこしてよくあやしてあげてたけど――人型のリーフは私より身長が少し低いとはいえ、抱えていくのはさすがに難しい。
「……抱っこして連れて行ってあげるわ。よかったら、白狐の姿になってくれないかしら?」
だめもとでそうお願いすると、顔を上げたリーフはコクリと頷き、白狐の姿に変化してくれた。
私の腕の中で丸くなって震えるリーフを抱えて、ゆっくりと歩く。休憩用の椅子に座り、落ち着くまで優しく頭を撫でてあげた。
震えが止まったのを確認して、リーフがいつも使っているラタンを編み込んだバスケットに、そっと寝かせてあげようと試みる。
しかし彼は私の手にしがみついて、嫌だと主張するように頭を左右に振った。
「そばにいて、ヴィオ。僕をおいていかないで……!」
「大丈夫よ、どこにもいかないから安心して」
再びリーフの身体を抱えて椅子に座った私は、頭を撫でてあげながら声をかけた。
「ねぇ、リーフ。覚えてる? 私と貴方が初めて会った時のこと」
返事をする代わりに、リーフはコクリと頷いて見せる。
きっと独りでいると不安なのね。それからゆっくりと、私は思い出を懐かしみながら昔のことをリーフに話しかけた。
最新話までお読みいただき、ありがとうございました!
明日、いよいよ書籍の1巻が発売されます。
色々あって刊行が遅れてしまいましたが、制作に携わってくださった多くの方々のご協力があって、なんとかここまで諦めずにたどり着くことができました。
こうしてネトコンを受賞して書籍化できたのは、Web版を読んで、作品を応援してくださった読者の皆さまのおかげです。
改めて心より深くお礼申し上げます。
本当にありがとうございます!












