39、相性の悪い二人
「それはもちろん、ヴィオのことを愛しているからだよ」
さも当然と言わんばかりのアレクの言葉に、手にした香水を思わず落としそうになった。
よ、よく恥ずかしげもなくそんなこと言えるわね!
「……殿下は色んな女性から愛を囁かれていると、噂の絶えない御方と存じております。もし一時の気の迷いで私のお姉様に目をつけて、利用しようとなさっているのだとしたら……」
しかし聞いたこともないマリエッタの冷たい声に、そわそわしていた心臓が驚きで一瞬止まりそうになった。
「それらの愛に応えたことは、一度もないよ。本当に手に入れたいのは、ヴィオだけだからね。僕の信用が足りなくて、君がヴィオのことを心配する気持ちもわかるけど、どうか今はその敵意を抑えてくれると嬉しいな。彼女が大切に想う家族とは、仲良くしたいからさ」
マリエッタがまさかあんなことを言うなんて……そういえば、お父様からの信用もアレクは最初、あまり持ってなかったわね。
「毎日夜遅くまでお姉様に無理をさせて、よくもそんなことを……!」
戻りづらくて立ち往生していたら不穏な空気になってきて、私はわざと大きな音を立てて扉を開けた。
「あら、アレク。来てたのね、いらっしゃい」
平静を装い声をかけると、リーフがこちらに飛びついてきた。
「ヴィオ! アレクとマリエッタ、喧嘩してるの! 怖かったよー!」
そうよね、私より近くで聞いてたら、それは怖いわよね。
あとで二人に別々に事情を聞こうと思ってたのに、それも出来なくなってしまった。結局私は――。
「えっと、何があったのかしら……?」
この場でそう尋ねるしかなくて、アレクとマリエッタはばつが悪そうに視線を泳がせている。
「ヴィオのことが好きすぎて、二人とも喧嘩してるの。夜まで作業するの、やっぱりだめだよ! 二人とも心配してる!」
流れる重い沈黙を、リーフが思わぬ形で吹き飛ばしてくれた。
徹夜しないだけましだと思ってたけど、アレクに無理をしないよう言われてたのに、夜まで作業してた私のせいね。
マリエッタの中で、アレクは私を軽い言葉で騙して馬車馬のごとく働かせる、極悪人みたいな印象になってるわ。なんとか誤解を解かないと申し訳ないわね。
「二人とも心配かけてごめんなさいね。私がどうしても作りたいものがあって、没頭してたのが悪いのよ」
ブルースターの香水を見せながら、私はさらに言葉を続ける。
「ほら、でも完成したからもう無理はしないわ。空中に霧散させるから、よかったら香りを確かめてみて」
険悪な空気を払うように、私は斜め上空に香水を吹きかけた。
ふわっとミストのように香りのシャワーが落ちてくる。
「これは……上品で甘いのに、透明感があっていい香りですね! でもブルースターの香りとは少し違うような?」
「主軸となるブルースターは、付けて30分後に香ってくるわ」
「まるで洗いたての温かいリネンに包まれているような、優しい香りだね。何を配合してるの?」
「トップノートに配合してるのはホワイトローズとイヴィルシードよ」
「イヴィルシードって、あの強烈に臭い花の種……⁉」
「単体で嗅ぐと確かに脂っこく鼻に残って、強烈な香りよね。でも配合を調整すれば、相手をより引き立てる香りにもなるのよ。アレク、少しだけ香りを風で飛ばせる?」
「任せて」
アレクの魔法で発生したふわりと舞う風が、優しくトップノートの香りを飛ばしていく。
「この香りは……すごいです、お姉様! 懐かしいお母様の香りがします!」
「マリエッタが着想をくれたから、完成したのよ。ありがとう」
「お役に立てたのなら光栄です!」
二つの香りが少しずつ薄れたあと、上品で澄み切った美しいブルースターの香りに、ヴァイオレットの爽やかな甘さが寄り添って、お母様を彷彿とさせる懐かしい思い出の香りになる。
香りの移り変わりを考えた時に、ホワイトローズが一番自然にマッチしたのよね。
「甘さを抑えた清潔感のある清らかな香りは、男女問わず使いやすいと思うの。どうかしら?」
「これなら場所を選ばずどんな人でも使いやすそうだし、とてもいいと思う。男女兼用の香水が作れるなんてすごいよ、ヴィオ!」
男性意見が聞きたくてアレクに尋ねると、そう興奮気味に感想をくれた。
「驚くのは早いわ。もう一度風で香りを飛ばして、最後に残り香を試してみてほしいんだけど」
「わかった、任せて」と頷いたアレクが再び魔法で香りを飛ばす。最後に香る匂いを嗅いで、彼は驚きで目を大きく見開いた。
「え……まさか、この香りは……⁉」
「よーく馴染みがある香りでしょ? ラストには極少量の麝香とサンダルウッドを使ってるの。少しずつ肌に馴染んだ清らかで無垢な香りが時間を経て、最後は自分の一部として調和するように作ってみたの」
お母様との思い出は、私たちそれぞれの中にきちんとある。
それを大切にして、どうか前に進んでほしい。
そんな思いを込めて、最後はこの形にしてみた。
「僕は今、身に染みてわかったよ。兄上がどれだけ無駄な麝香の使い方をしてたのか……」
動物性香料の麝香は、その官能的な香りで他の香りを引き立たせ、香りに広がりと奥行きを持たせることができる。ほんの少量なら、縁の下の力持ちとしてよく馴染むのよね。
そこにサンダルウッドの落ち着いた優しい香りを混ぜることで、リラックス効果をもたらし、残り香として安心感を与えている。
「これで正しい麝香の使い方を、みんなに広めましょう」
「うん! ありがとう、ヴィオ! 僕のアイデアと君の素晴らしい才能で完成したこの香水、絶対に売れるよ!」
「聞き捨てなりませんわ。この香水は私が与えた着想と、お姉様の素晴らしい才能で完成したんです!」
「何を作ったらいいか悩んでいたヴィオにアドバイスしたのは、僕だよ」
「お姉様にインスピレーションを与えたのは、私です!」
アレクもマリエッタも、顔は笑ってるのに目は笑っていなかった。
「ヴィオ、また二人が喧嘩してる!」
ああ……どうしてこうなるのよ。リーフがまた怯えだしてしまったじゃない。
まさかアレクとマリエッタの相性がここまで悪いなんて、思いもしてなかったわ。
「二人のおかげで完成したのよ、これじゃだめなの?」
「ヴィオがそう言うなら……」
「お姉様がそう仰るのでしたら……」
納得してなさそうな顔して、二人とも不貞腐れている。
このままじゃまずいわ。もし今後温室でダブルブッキングして、いつもこんなにピリピリしてたら心休まらないじゃない。リーフも怯えるし。
「アレク、フェリーチェに行くの明日だったわよね?」
「うん、そうだよ」
「マリエッタ。よかったら明日、一緒に見学に行かない?」
「え、私もですか……⁉」
「大きくなってからは、一緒に出かけることも減ったじゃない? 私の好きなものを、貴女にも見せたいって思ったんだけど……気分転換にどうかしら?」
「ですが……」
ばつが悪そうにマリエッタは視線を泳がせ、アレクのほうをちらりと見た。
「いいわよね? アレク」
まさか嫌なんて言わないわよね?
貴方の連れてきた高貴な護衛騎士、私は追い返さなかったわよね?
親身に相談、乗ったわよね?
「も、もちろんだよ」
私が視線で訴えると、顔をめちゃくちゃ引きつらせて、アレクはそう言って頷いた。












