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37、思い出の香り

 まだ時間はある。焦る必要はないとわかっているものの、理想の香りが調合できなくて、思わずため息がもれる。


 失敗した試香紙を捨て、今度は清らかな香りを足してみようと精油瓶に手を伸ばす。しかしそれを阻止するかのように、目の前がピカッと光って頭にトンと何かが着地した。


「ヴィオ、もうお外真っ暗だよ。夜ふかし、よくない!」


 むにむにとした肉球が、私の頭をぺしぺしと叩いて訴えてくる。


「ごめん、リーフ。少し夢中になりすぎたみたいね」

「わかってくれれば、いいんだよ!」


 作業台に着地したリーフは、ふふんと誇らしげに言った。


 アレクに与えられた任務を着実にこなすリーフは、夜遅くまで私がこうして作業をしていると、注意をしてくれるようになった。


「続きはまた明日にするわ。片付けて部屋に戻りましょう」


 時計に目をやると、夜の十時を迎えている。


 夕食後に少しだけと思ったら、もうこんな時間だなんて。調香部屋には窓がないから、時間の感覚がわかりづらいのよね。


 なんて心の中で言い訳をのべつつ、急いで片付けを終えて温室をあとにした。


 お兄様の興味を引く特別な香水を、どうしてもお店のラインナップに追加したかった。


 ブルースターの香りを主軸にした、お母様がお持ちだった香袋。その匂いを再現した香水を作れば、お兄様はきっと興味を持ってくださるはずだ。


 匂いは記憶とその時感じた喜怒哀楽の感情を呼び覚ます。それは嗅覚が記憶を司る脳へ直接信号を送り、働きかけることができるからだって、本で読んだことがある。


 お兄様が好きだと仰っていた香袋の匂いで、お母様と過ごした幸せで安らかな時間を、少しでも思い出してくださるといいわね。


 そしてそれは私に対する怒りを助長させる行為になるだろう。怒鳴り込んでこられる可能性もある。


 それでも私は、今度こそお兄様ときちんと向き合って話したかった。


 お兄様が王都へ来られるこの機会を、無駄にはしたくないって思うのに、香りが再現できなくて私は焦っていた。何かが足りないと感じるのに、その何かがわからないせいだ。


「大丈夫、ヴィオならきっと作れるよ」


 そっとため息をつく私を見て、リーフが元気づけるように声をかけてくれた。


「ありがとう、頑張るわ。それよりもリーフ、その姿不自由じゃない?」


 アレクの口車に乗せられて普段から白狐の姿で生活するようになったリーフだけど、屋敷の中でくらいは自由にしてていいと思うんだけど。


「慣れてるから大丈夫だよ。英雄王イスタールだってやってたでしょ! 能ある鷹は爪を隠すってやつさ!」


 まぁ、本人がそれで納得してるなら、私がとやかく言うことではないわね。


 なるべく音を立てないように屋敷に入り、玄関の扉を静かに閉める。しっかりと施錠して廊下を歩いていると、前方に不審な人影があることに気付いて立ち止まる。


「…………っ、…………っ」


 嗚咽のような声を聞いて、隣を飛んでいたリーフは、さっと私の後ろに隠れてしまった。


「ヴィオ、何かいるよ……!」

「大丈夫、いざとなれば茨ではりつけにしてあげるわ」


 手を伸ばしてランタンの灯りをかざすと、そこにはうずくまってカタカタと身体を震わせているマリエッタの姿があった。


「マリエッタ……⁉ 大丈夫⁉」


 慌てて駆け寄ると、「寒い……っ、寒い……っ」と呟きながら、マリエッタは両手で自身の両腕を必死にさすっていた。


 ランタンを床に置き、私は着ていた白衣を脱いでマリエッタの肩にかけつつ、振り返って声をかけた。


「リーフ、私の部屋から温感スプレーを取ってきてくれない?」

「わかった、任せて!」


 その場から姿を消したリーフは、数秒後に温感スプレーを持ってきてくれた。


「確かこれだよね?」

「ええ、ばっちりよ。ありがとう」


 受け取った温感スプレーを、私はマリエッタに吹きかける。


「…………はっ! 私、こんなところで何を……」

「よかった、なんとか正気を取り戻したみたいね」

「喉が渇いて、水を飲んで部屋に帰ろうとしたら、動けなくなって……」


 夜の廊下は昼間より冷える。もしかするとこの寒さが、マリエッタにログワーツで味わった恐怖を呼び起こしてしまったのかもしれない。


「温かいお茶でも淹れるよう、侍女を呼べばよかったじゃない」

「侍女……ああ、そうですね。どうして気付かなかったんだろう……」


 そういえば、ログワーツでは侍女の一人もいなかったわね。


 もしかして、潜在的にログワーツでの感覚が染み付いてしまっているのかしら?


 これからもっと寒くなるし、少し注意深くマリエッタのことを気にかけてあげるよう、お願いしておく必要があるわね。


「マリエッタ、部屋を出る時はこれを使うといいわ。寒さを和らげてくれるものよ」


 温感スプレーを渡すと、マリエッタは大きく目を見開いた。


「ありがとうございます、お姉様!」


 大事そうに胸の前でぎゅっと温感スプレーを握りしめる姿を見て、胸が痛んだ。


「いつでも作ってあげるから、無くなる前に声かけてね。部屋まで送るわ」

「はい、ありがとうございます」


 先に立って手を差し伸べると、マリエッタは私の手を掴んで立ち上がった。


「なんだか懐かしい香りが……」

「さっきまで調香をしてたから、ブルースターの香りがその白衣に付いてしまっているのかもしれないわ。覚えてる? お母様が好きだったお花よ」

「どんなお花かはよく覚えてないんですが……私が泣いていたら、抱きしめてくれたお母様からこんないい香りがしてたなって思い出して」


 そう言ってマリエッタは白衣の袖口を鼻に近づけ、香りを確かめている。


「……って、すみません! お姉様の白衣を借りたままで!」

「いいのよ、さぁ部屋に戻りましょう」


 お母様が亡くなったのは、マリエッタがまだ四歳の頃だ。花のことをよく覚えてなくても無理はない。でもやはり、香りだけは記憶に残ってるのね。


「ねぇ、マリエッタ。お母様の香り、何かが足りないと思わない?」

「うーん……あ、そういえば! もっとふんわりと甘い香りがしてたなって。お母様、よくキャンディをお持ちだったじゃないですか? 私が泣いているとポケットから取り出して、よくくれたんです」


 ちょっと待って、それは初耳だわ。というか私、もらったことないわよ?


「みんなには内緒よって……あ、そういえば内緒でした!」


 あわわと慌てだすマリエッタを見て、思わず笑ってしまった。


「ふふ、お母様とそんな思い出があったのね」


 私にお花の育て方を教えてくださったように、マリエッタにはマリエッタの、そしてお兄様にはお兄様にしかない、お母様との思い出の記憶があるのは当然だ。


「ありがとう、マリエッタ。貴女のおかげで私も前に進めそうだわ」

「よくわからないけど、お役に立てたのなら光栄です!」


 思い出の香りを正確に再現しようなんて、難しく考える必要なかったのかもしれない。


 記憶を呼び覚ます手助けとなる、ブルースターをより引き立てる香水を作ればよかったのよ。


 だって記憶の中にあるお母様との思い出は、その人だけの大切なものなんだから。みんな違って当たり前なんだ。

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