36、リシャールからの手紙
アレクが帰ったあと、私は預かった手紙を渡すためにマリエッタの部屋を訪ねた。
「マリエッタ、いるかしら?」
ノックをして声をかけると、部屋の中から少しドタバタと騒がしい音がして、扉が開いた。
「お、お姉様! いかがなさいました?」
「……大丈夫? すごい音がしたけど……」
「は、はい! 絵を描いていて、道具を少し落としてしまっただけです!」
「ごめんね、邪魔をしちゃって……」
「いえ、そうではなくて! よかったらお入りください」
マリエッタに案内されて中へ入ると、窓際のイーゼルスタンドが目についた。大きな布が被せてあって、中身は見えない。
「なんの絵を描いていたの?」
「えっと、その! 風景画を……まだ完成していないので、恥ずかしくて……」
そう言ってマリエッタは、隠すようにわたわたと両手を広げている。
デザインするのが上手なのは知ってたけど、風景画にも興味があったのは知らなかったわ。
「そうだわ、よかったら温室に絵を描きに来ない? 秋の花々が綺麗に咲いてるのよ」
ソファに腰掛けて何気なく尋ねると、マリエッタは驚いたように目を大きく見開いた。
「お姉様の温室にですか……⁉」
「大丈夫よ、虫はいないから。ミミズだって土を掘り返さなければ出てこないわ。やっぱり、苦手……かしら?」
「確かに虫は苦手なんですけど……でも、そうではなくて! その、最近はアレクシス殿下がよくおいでになっているようなので、私が居ては邪魔じゃないかなと……」
「アレクは別に毎日来てるわけじゃないし、大丈夫よ。それに温室は空調設備も整えているから過ごしやすいし、マリエッタの描いた絵、私も見てみたいわ。気が向いたらいつでも待ってるわ」
「はい、ありがとうございます」
無理強いは出来ないけど、気分転換に遊びに来てくれたらいいわね。
「本題なんだけど、ウンディーネ様からこれを預かってきたの」
私はマリエッタに、リシャールからの手紙を差し出した。
「あ……今日も、送ってくださったんですね……」
複雑そうな表情を浮かべて、マリエッタは手紙を受け取った。
「もしかしてこの手紙、負担だったり……する?」
「手紙を読むと、リシャール様が真面目で優しい方だっていうのはわかるのですが、何も思い出せないのが、申し訳なくて……それになんてお返事をしたらいいのかも、わからなくて……」
リシャールは無理に返事を求めはしないと思う。けれど返事が来たら喜ぶだろうっていうのは容易に想像つくわね。
私と婚約してた時、リシャールはいつも思い詰めたような難しい顔をしていた。支援目的の縁談による後ろめたさ、加えてログワーツ伯爵による誓約呪術の影響も少なからずあったのだろう。
表面を取り繕った愛想笑いを浮かべることはあっても、楽しそうに笑っている顔を見たことがなかった。
それが婚約を解消したあの日、本当に幸せそうにマリエッタに笑いかける姿を見て、真実の愛ってすごいわねって思い知らされた。
たとえこのままマリエッタの記憶が戻らなくても、リシャールはきっとマリエッタを大切にしてくれるだろう。彼を苦しめていた誓約呪術はもう効力を失っているし、マリエッタの理想を叶えるべく、今頃きっと努力して領地を改革してるはずだわ。
問題は、マリエッタの気持ち……なのよね。
「それなら、何か質問をしてみたらどう? 無理に思い出そうとしなくても、少しずつリシャールのことを知っていけば、また好きになる可能性もあるんじゃないかしら」
一方的に自分のことを相手に知られているって、地味にストレスだと思うのよね。
「質問をして、もっとリシャール様のことを知る……」
「まぁ、それもマリエッタがリシャールのことをもっと知りたいと思った時に、返事を出せばいいと思うわ。だって興味がない相手に手紙を書くのって苦痛じゃない? 無理だけはしちゃだめよ」
マリエッタはたまに、相手に合わせすぎようとする面がある。
最初の婚約者セドリックの時みたいに、自分を失わせるような付き合い方だけはもう、してほしくなかった。
「はい! 少し気が楽になりました。ありがとうございます、お姉様」
◇
あれから三日後、マリエッタは初めてリシャールに返事を書いた。
預かった手紙をウンディーネ様にお渡ししたら、リシャールに良い報告が出来ると、自分のことのように喜んでいらっしゃった。
マリエッタとリシャールは一歩前進だと思ってよさそうね。
相変わらずリーフはまだ決心が出来ていないようで、今日も記憶の継承を渋っている。
でも前のように逃げ回るんじゃなくて、自分の知らないこと学ぶため、色々とウンディーネ様に質問をするようになった。
愛の記憶を引き継ぐことで、何を知り、何が出来るようになるのか。そうして一つずつ、自分の中にある不安を解消しているようだ。
ウンディーネ様も知りうる限りの知識で丁寧にリーフの質問に答え、まるで先生と生徒のようだった。こちらも一歩前進したといえるだろう。
みんながそうして少しずつ前に進んでいる中、私は一人調香部屋に閉じこもり悩んでいた。
「これも違う。やっぱり、何かが足りない……」












