35、リーフの抱える想い
「今の声、リーフ?」
「この時間になると、ウンディーネ様がリーフに会いに来られるのよ。【愛】の記憶を継承しにね……」
空を見上げると、屋根の上でリーフとウンディーネ様が追いかけっこをしていた。
まぁ正確に言えば、リーフがウンディーネ様から逃げているだけでもある。
『リーフ様、今日こそは【愛】の記憶の継承を……』
「いやだー! 僕にはまだ必要ないよー!」
進化できて嬉しいって言ってたリーフだけど、【役割】の記憶を継承してから数ヶ月眠りについた。
それがとっても嫌だったみたいで、ああして継承を渋っているのよね。
「ヴィオ、助けてー!」
そして最後はいつも私の背中に隠れてしまう。身体は大きくなっても、本当に中身はまだ子どもなのよね。
『毎度お騒がせして申し訳ありません』
空から優雅に着地されたウンディーネ様は、そう言って困ったように微笑んでおられる。
そしていつものように、一枚の手紙を差し出してこられた。
『ヴィオラ殿、今日もリシャールから手紙を預かっております。よかったらこれを……マリエッタに渡していただけますか?』
「ええ、もちろんです。いつもありがとうございます」
椅子から立ち上がって、私は手紙を受けとった。あとでマリエッタに届けてあげよう。
『もとは私のせいですから……一日も早くマリエッタが元気になることを祈っています』
あれからリシャールは、本当に一日も欠かすことなく、手紙を送ってくる。
上級精霊に配達を頼むなんて罰当たりな気もするけど、今回の件に関してはウンディーネ様も責任を感じておられるようで、協力してくださっていた。
まぁ、ウンディーネ様も記憶の継承でリーフに用があるようなんだけど、毎日この調子でリーフが受け入れようとしないのよね。
私の後ろからてこでも動かないリーフを見て、ウンディーネ様は悲しそうに目を伏せる。
『今日も記憶の継承は難しいようですね……それではまた、明日伺います。リーフ様、失礼いたします』
輝く水の渦に包まれ、ウンディーネ様は姿を消した。去り際まで上品で美しいわね。
「リーフ……そんなに【愛】の記憶、継承したくないの?」
「だって、怖いんだ。もし長い眠りについて、目覚めた時にヴィオが居なかったら……僕はまた、ひとりぼっちだ……」
振り返って声をかけると、そう言ってリーフはこちらを見ながら不安そうに翡翠色の瞳を揺らしている。
確かに何百年とリーフが眠りについてしまったら、彼が目覚めた時私は生きていないだろう。
精霊にとったら人間なんて、刹那な時間しか生きられない儚い存在に見えてしまうのも無理はない。
無責任な言葉でなだめることもできなくて返答に困っていたら、「リーフ、君は決して一人ぼっちにはならないよ」と、席を立ったアレクがしんみりした空気を振り払うように明るい声で言った。
「君は自然を司る大精霊ユグドラシル様の後継者で、この大陸中の人々が大切に思う特別な存在なんだ。本来なら君の無事を大陸全土に知らせて、新しい大精霊様の誕生を大々的に祝う式典を開く予定があってね……」
「僕の存在を、大陸全土に……嫌だ、知られたくない……っ! ヴィオ、助けて……!」
アレクの言葉は逆効果だったようで、リーフは私の腕にしがみつくと身を縮こまらせてカタカタと震えている。
今のリーフにとっては知らない大勢の誰かより、確かなつながりを持って近くで支えてくれる人の存在が必要なのかもしれない。
「大丈夫よ、リーフ。貴方の嫌がることを無理にはしないわ」
安心させるように、私はリーフの頭を優しく撫でた。
「本当に……?」
不安そうに顔を上げたリーフに、「約束するわ」と微笑んでみせる。
「ほら、立ち話もなんだし座って話しましょ」
隣の席に座るようにリーフを誘導して、私も席に着く。
「アレク、今はまだ公表するのは無理よ。遅らせることはできないかしら?」
この前まで屋敷の外ですら出れなかったのに。
身体は大きくなっても、リーフの精神はまだ見た目よりもかなり幼い。そんな状態でいきなり大陸全土に知らせるだなんて。
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。その件に関しては全ての記憶継承が終わって、大精霊としての力を扱えるようになってからするのはどうかなって、相談しようと思ってて」
「それなら、今すぐってわけじゃないのね?」
「世界樹炎上事件の黒幕も未だに捕まっていないし、リーフの存在が魔族に知られてしまえば危険だからね。王家としては、リーフの身の安全を優先させたほうがいいと思ってるんだ」
「魔族が、僕を……あの時のように、また……」
声を震わせそう呟いたリーフは、顔面蒼白になっていた。
「あの時のように……? リーフ、もしかしてここに来る前の記憶、何か思い出したの?」
「断片的に、少しだけ。生まれてすぐ、赤い目をした恐ろしい者たちが、僕が入っていた卵の殻を、容赦なく燃やしてたんだ。恐ろしくて、とにかく遠くまで逃げた。でも途中で力尽きて、倒れた僕が目覚めるまで、近くにあった木が守ってくれたんだ」
「そんなことが……とても怖い思いをしたのね」
世界樹炎上事件は、約200年前の出来事。
リーフの成長が遅れているのは、心も身体も傷付いて、長い間眠り続けていたせいなのかもしれないわね。
「赤い目は、魔族の証なんでしょ?」
「確かに魔族や魔族に操られている者は、赤い目をしているわ」
「僕が生きているって知ったら、魔族はまた僕を……」
「安心してほしい、リーフ。レクナード王家は、何があっても君を必ず守ると約束するよ」
アレクは優しく声をかけると、ポケットから小さな包みを取り出した。
丁重に巻かれた布を解いて中から出てきたのは、瑠璃色に輝く宝玉の嵌め込まれた指輪だった。
「本来はきちんとした式典で、王が大精霊様に忠誠を誓って捧げる国宝なんだけど、レクナード王国の真意を伝えるために父上に持たされたんだ。どうか受け取ってほしい」
「……これを僕に? この国は、僕を守ってくれるの?」
指輪とアレクを交互に見て、リーフは戸惑いを隠せないようだった。
「もちろんさ! 世界樹炎上事件のような惨劇は、もう二度と繰り返してはならない。そのためにレクナード王国では、精霊に害をなす魔族への取り締まりを厳しく行っているし、これからはより一層強化していく方針だよ。それに第二王子としてだけでなく、僕個人としてもリーフの力になりたいんだ。だって君は、僕の大切な人をパートナーに選んでくれたからね」
優しく微笑むアレクを直視できなかったのか、リーフは視線を逸らすように俯いた。
「僕は臆病だから、立派な大精霊になれるかどうか、わからないよ……」
どうやらプレッシャーを与えてしまったみたいね。
無理やりジン様から【役割】の記憶だけを引き継いで、心と身体のバランスもうまく取れない状態で過度な期待を寄せられても、自信を持つことはきっと難しいだろう。
「大丈夫よ、リーフ。無理して立派になる必要はないの。今までのように貴方らしく胸を張って、やりたいことに挑戦するといいわ。私もアレクもそれを応援するし、支えてくれる仲間が増えるって思ったら、心強いと思わない?」
焦らなくていいんだよって気持ちを伝えると、リーフは私の顔を見てコクリと頷いた。
「…………わかった、僕はレクナード王国の忠義を受け入れる」
アレクが献上した指輪にリーフが手をかざすと、光の粒子となって吸い込まれるように消えた。
「なんだか、勇気がわいてくる。これが人々の忠義の証……」
「大精霊様へ捧げる国宝には、毎日欠かすことなく感謝の祈りが捧げられているんだ。人々の想いが詰まったものなんだよ。受け入れてくれて、ありがとう」
「こちらこそ、大事なものを僕に預けてくれてありがとう」
「そこで相談があるんだけど、君の神々しい姿はとても人目を引くんだ。この国では脳ある鷹は爪を隠すって言葉があってね、実力のある者ほどそれを表面に出さないんだ。ほら英雄王イスタールも、普段は目立たない姿をしていただろう? リーフ、君にはそれが出来ると僕は思うんだ!」
アレクの言葉がやけに芝居がかってきたと思ったら、リーフは見事に騙されてしまった。
「うん、わかった! 僕も英雄王イスタールみたいに、普段は目立たない姿になる!」
神々しい光に包まれた後、リーフは懐かしい白狐の姿になった。
「どう? これなら目立たないでしょ!」
「完璧だよ、リーフ! やはり君はすごいな!」
相手に合わせたアレクの話術って、地味にすごいわね。相手を気持ちよくさせたまま、自分の意のままに操ってるんだもの。
「それと、もう一つお願いがあるんだ。これはリーフにしかできないとても重要なことなんだ」
「僕にしかできない重要なこと?」
「実はね、ヴィオがきちんと休まずに作業をしてるみたいなんだ。もし夜遅くまで作業に没頭してたら、きちんと休むように促してあげてほしいんだ」
思わずハーブティーを吹き出しそうになったじゃない! ずるいわ、リーフに見張りを頼むなんて。
「うん、僕に任せて!」
「ありがとう、リーフ。頼りにしてるよ!」
気のせいじゃない。やっぱりアレクの過保護さに、拍車がかかってる気がするわ。












