30、新たな誓い
『私が初めて契約を交わしたログワーツ伯爵は自然も人々も森で住む動物達も大切にし、決して無駄な殺生をするような方ではありませんでした。糧とした動物達の尊き命を弔うために毎年欠かさず慰霊祭を催し、自然と共生して生きていました。ユグドラシル様はそうして暮らす人々を愛し、見守っておられました』
ウンディーネ様のお話を静かに聞いていたリーフが尋ねた。
「だから君はその頃と同じ生活を、人々に強要していたってこと?」
『左様でございます』
「ねぇ、ヴィオ。毎日同じ生活を強要されて送る生活ってどうなの?」
くるっと身を翻してリーフが尋ねてきた。
「地獄ね。まるで囚人みたいだわ」
「アレクはどう思う?」
「息詰まるし、僕は自由が欲しいな」
「ジン、君は?」
アレクの後方を見上げ、リーフが尋ねた。
普通に話しかけてもらえたのが嬉しかったのか、ジン様がめちゃくちゃ破顔されている。
『ある程度の秩序を守ることは大切かと存じます。ですが我々精霊の役割はあくまで世界の均衡を保ち循環させること。同じことの繰り返しでは、その種は退化の一途をたどるのではないでしょうか』
「衰えていくのって嫌だよね。僕も進化できて嬉しかったし。少しずつ出来ること増えていく方が楽しいな」
リーフの言葉にウンディーネ様はとても困惑した様子だ。
『で、では、私がやっていた事は……』
難しい問題ね。
あの原始的な生活をずっと今まで続けていたっていう事に、私は正直驚かされた。
暖を取るのも、料理をするのも、お風呂のお湯さえ薪を燃やして火を起こすって、とんでもない時間と労力が要る。薪を作る手間も保管する場所取るし、運ぶのだって重労働だ。
生活に関しては魔道具をうまく使えば、もっと改善できただろう。空いた時間で別の事も出来たはずだし。
それらを全て使わずに生活しろって言われたら、確かに文化レベルは他領と開く一方でしょうね。
しかし、ウンディーネ様はユグドラシル様の意志を継いでおられる。それを守りたくてここまで頑張ってこられたわけで、それを否定する事は誰も出来なかった。
シンと静まりかるかえる中、ジン様が重たい口を開いた。
『ウンディーネ、ユグドラシル様は本当にその光景を、その生活を続けることを望まれていたと思うか?』
『どういう意味だ?』
『あの方は、少しずつ変わっていく変化を楽しまれていたように、我は思う』
『少しずつ変わっていく変化?』
『人も動物も絶えず進化している。昨日出来なかった事が明日には出来るかもしれないし、一年経っても出来ないかもしれぬ。ユグドラシル様は、その努力の過程を楽しんで見ておられたよう我は感じる』
『……っ、私は、何ということを……』
思い当たる節があるのか、ウンディーネ様はその場に崩れ落ちた。
「君は君なりに自分の役割を全うしようと努力した。そこはすごく偉いと思うよ。でもこれからは、もう少しまわりを見て欲しいな」
リーフがキョロキョロと辺りを見渡し、「例えば、彼!」とリシャールの方に手を向けた。
どうやらリシャールも黒い雨にやられていたようで、心なしか顔色が悪い。
あの雨が過去の絶望を思い出させる雨なのだとしたら、彼の中にもまた人には言えなかった数々の絶望があった事だろう。背中にあんなものを刻まれていたくらいだし……
リシャールはふらふらとした足取りでウンディーネ様の元へ向かうと、地面に膝をついて頭を垂れた。
「ウンディーネ様。父が犯した数々の非礼、深くお詫び申し上げます。誠に、申し訳ありませんでした……っ!」
謝罪するリシャールに顔を上げるよう促し、ウンディーネ様は問いかけた。
『のう、リシャールよ。お主の父は何故、ホワイトラビットを売った?』
「最初は、領民を救うためでした。備蓄が足りず、このままではさらに厳しくなる冬を越せないと判断し、他領から食料や薪を買うためです。しかし工芸品を売った利益だけでは足りず、苦肉の策として父はホワイトラビットを……ですがその後はウンディーネ様もご存知の通り、味をしめた両親は私腹を肥やすために繰り返すようになりました」
リシャールの言葉に時折相槌をうちながら、ウンディーネ様はさらに質問を続けた。
『お主達にとって、ここでの暮らしは厳しかったのか?』
「必要な分だけ狩猟し保管して暮らす生活は、常に危険と隣り合わせです。狩猟中に怪我をし、猟師の数は減る一方で需要に対して供給が追い付いていませんでした。また厄災で保存食がダメになってしまったり、悪い保存状態の食事を取って体調を崩したりと、不測の事態が起きた時に挽回するのが難しくはありました。他領の力を借りようと思っても開きすぎた文化レベルに足元を見られ、対等な取引も出来ませんでした」
ログワーツ伯爵家がなるべく格式高い家と縁談を結びたがっていたのは、他領との交易摩擦を防止するためだとお父様が仰っていたわね。
特産である工芸品や毛皮の加工品なんかを他領に安く買い叩かれて困っているって聞いていたから、縁談が決まった後は動物図鑑を片手に毛皮の適正価格や工芸品の相場なんかを勉強したりしていた。
ログワーツ伯爵領の厳しい経済状況を少しでも改善して、少しは園芸を楽しめる環境を作る計画を私は密かに立てていたから。寒い地でしか育たない花も存在するし、一生地獄のまま生活するのはごめんだったから。
まぁ結果的に必要なくなったからログワーツ関連の勉強に使った図鑑や本、纏めたノートをマリエッタにあげたけど、きちんと読んでくれたかしら?
「もしかすると両親が闇魔道具に手を出したのは、どうにかして失った権威を取り戻したかったのかもしれません」
『そこまで、追い詰めてしまったのじゃな。私の理想を押し付けるあまり、苦労をかけてすまなかった』
「ウンディーネ様のお力がなければ、我々はこの地で暮らす事さえままならなかったでしょう。こうしてログワーツの民達が暮らせるのは、ウンディーネ様の加護があったおかげです。本当にありがとうございます」
『お主は本当に真っ直ぐじゃな。供えてくれた白いヒメユリの花、嬉しかったぞ。感謝する』
こうして、何とかウンディーネ様の暴走を止め和解することが出来た。
後日、大神官ルーファス様と共にウィルフレッド様まで急ぎ駆けつけてこられて、ログワーツ伯爵家の処遇については王家預かりの案件となった。
闇魔道具が絡んでくる案件は下手に公にする事も出来ないらしく、それを作成、販売に携わった者全てを徹底的に調査し取り締まる必要があるらしい。
ログワーツ領には秘密裏に調査部隊が派遣され、壊れた闇魔道具や誓約呪術に使われた道具や関連資料本などが押収された。
それと並行してアレクは代理領主としてログワーツ領に残り、領地の様子を視察しながら問題点を洗いだし、必要な支援計画を立てていた。
一人で全ての罪を背負おうとしたリシャールは処刑台に上がる覚悟をしていたようだけど、ウンディーネ様がそれをさせなかった。
『かの地を治める資格のある者はリシャールしかおらぬ。私はこの者と新たに契約し、かの地をより良く変えていく事を誓おう』
陛下の前で誓いを立て、ウンディーネ様が契約を交わしてくださった事で、リシャールの身の潔白が証明された。
上級精霊と新たな契約を交わせるのは、正しい心を持つ者だけ。これまであったログワーツ領の悪習を全て改革していく事を条件に、リシャールは王家監視下のもとログワーツ伯爵領の新たな当主として正式に任命され直した。
誓約呪術に支配されていた事を考慮され、陛下の与えた温情だとお父様が教えてくれた。
あの事件から約一ヶ月が経って、ようやく外出許可がおりたリシャールがマリエッタのお見舞いに来てくれたわけだけど――
「あ、あの……どちら様ですか?」
目覚めたマリエッタは、リシャールの記憶を完全に失ってしまっていた。












