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28、降り注ぐ絶望の雨

『ウンディーネ、目を覚ませ! 本来の目的を忘れ、何たる体たらくをしておるのだ!』


 訴えかけるジン様に、ウンディーネ様はきつく睨み付ける。


『黙れ、風の若造風情が! ユグドラシル様の身を危険にさらし、あまつさえ託された大事な御子さえ見失うとは! 貴様の狼藉、私はしっかり覚えておるぞ!』

『それは……我の不徳の致すところだ。すまなかった……』


 ウンディーネ様の怒りの(たけ)りに、ジン様は拳を強く握りしめ謝罪の言葉を口にした。


『どんな想いで、ユグドラシル様が私達に記憶を託してくださったか……よもや、忘れたわけではあるまい!』

『片時も忘れた事などない……!』

『貴様にそのようなこと、言う資格などあるものか! まったく、人間も精霊もユグドラシル様のご遺志をことごとく裏切りおって! この怒り、止められるものか!』


 ジン様がウンディーネ様の気を逸らしている間に、手はず通り少し遠くに降り立った精霊騎士様達が祠を囲むように聖魔道具を設置して拘束結界の下準備をする。終わったところで、アレクが呪文を唱えた。


「荒ぶる精霊よ、その気を沈めたまえ!」


 三つの光の輪が浮かび、ウンディーネ様の体を締め付け拘束した。


『ぐっ! こんなものに、屈するものか!』


 腕を拘束していた光の輪が破られ、ウンディーネ様の叫びに応えるよう空から雨が降ってくる。その雨は怒りと悲しみが混じりあって濁ったかのように、どす黒い色をしていた。


 一面の雪景色を黒い粘着質な雨が覆い始め、木々がどんどん枯れていく。


「すまない、俺は……」

「どうしてあんな事を……」


 まるで懺悔をするかのように、苦痛に顔を歪めて精霊騎士様達がその場に踞る。フードを被っていなかった彼等の顔には、黒い雨が付着していた。


「アレク、この雨おかしいわ!」


 耐水性のある外套のフードを被っていたおかげで何とか防げてはいるが、この特殊な雨をどれだけ防げるかは分からない。


「ジン、雨を防ぐシールドを!」

『承知した』


 ジン様が私達の上空に風のシールドを作ってくださった。


『こざかしい真似を! 邪魔物は消えろ!』


 ウンディーネ様は三又の槍を天に掲げ、こちらへ振り下ろした。

 ポツポツと降っていた黒い雨が途端に激しくなり、防ぎきれなかった雨粒が私の頬に付着した。


 ぞくりと背中を氷のつららで撫でられたような悪寒が走り、底冷えするような深い悲しみに包まれた。


 お前が母上を殺したのか!


 脳裏に焼き付いて離れないお兄様の怒声が頭に響いてくる。不整脈のように呼吸が乱れ、お母様が亡くなった時の出来事が走馬灯のように駆け巡る。



 私が五歳の頃、体調が悪化したお母様は部屋から出ることもままならなくなった。

 一緒に散歩した外の空気を少しでも味わって欲しくて、お母様に元気になって欲しくて、私は庭園で育てたお母様の大好きな花を一輪、花瓶にいけて持っていった。


『私が育てたブルースターだよ!』


 お母様はブルースターに触れると、吸い寄せられるように鼻先を寄せた。


『ありがとう、ヴィオラ。とても良い香りがするわ……っ!』


 お母様の瞳にはうっすらと涙が滲んでいて、優しく微笑んで私の頭を撫でてくださった。


 その翌日、お母様は帰らぬ人となった。


『母上の部屋に生花を飾ったのは誰だ!』


 お兄様は、とても怒っていた。

 私が飾ったと伝えると鬼の形相でこう言われた。


『外から毒を運んできて、お前が母上を殺したのか!』

『お母様が喜ぶと思って……』

『飾ってあったのは全て造花だ!』


 花が好きだったお母様の自室にはいつも、たくさんの花が飾られていた。手の届かない所に飾られていたそれらが全て造花だったのだと、当時の私は知らなかった。


 ひどく抵抗力が落ちたお母様の体には、外の空気に触れる事さえ毒になる。それでも花が好きなお母様のために用意されたのが、本物そっくりの造花だったのだと後で知った。


 サプライズでお母様を喜ばせようなんて考えて、花瓶を用意してくれたメイドには自分の部屋に飾るって嘘をついた。あの時正直に言っていれば、きっと止めてくれただろう。


 私の愚かな行動が、お母様を死へと追いやった。


『くそっ! こんなものさえなければ!』


 ブルースターの花を床に投げ捨て踏み潰すお兄様に、私は謝る事しか出来なかった。


『ごめんなさい……!』


 謝っても、お母様は帰ってこない。私のせいで、お母様は……っ!



「ヴィオ! しっかりするんだ、ヴィオ!」

「私が、お母様を……殺した……お花さえ、持っていかなければ……」


 頭を抱えて踞る私を落ち着かせるように、アレクは私を抱き寄せた。


「違う! 君はミネルヴァ夫人を殺したんじゃない、救ったんだ!」

「嘘よ。私が運んだ生花のせいで、抵抗力の落ちていたお母様の体に負担をかけた……全て私が悪いのよ!」

「母上が言っていた。ミネルヴァ夫人は昔からヴィオのように、とても花が好きなお方だったと。だから体に障るからと好きなものを奪われ、造花に囲まれ過ごす日々が本当は辛かったと親友だった母上に手紙でこぼしていたんだ。だからこそ、君が贈った花はミネルヴァ夫人の心を救ったと、僕は思ってるよ」

「私がお母様の心を、救った……? そんなのただの詭弁だわ!」


 たとえそうだとしても、私が家族から大切なお母様を奪ってしまった事に変わりはない。あの時生花さえ持っていかなれば、お母様はもう少し長く生きられたかもしれないのに……!


 楽しそうに花を愛でるお母様を見て育った。食卓にはいつも美しく彩られた花が飾られ、お母様は私に色んな花の知識を教えてくれた。そのお話を聞くのが、大好きだった。


 ブルースターは、お父様がプロポーズする時にお母様に贈った想い出の花。お母様とお父様にとって、幸せが詰まった大切な花だった。


 だからこそお兄様に踏みにじられたブルースターの花を見て、心が痛むと同時に悔しかった。


 お母様の大好きなお花を、こんな目に遭わせてしまったことが。

 お兄様に、お母様の大好きだった物を心底嫌いにさせてしまったことが。


 一つ一つ拾い集めながら、ごめんねと何度も謝った。


 お花に罪はない。私の事は嫌っても、ブルースターの事だけは嫌いになって欲しくなかった。


 お兄様にブルースターの良さを少しでも分かって欲しくて、花壇に種をまき一生懸命育てた。けれどそんな私の身勝手なエゴは、お兄様の苛立ちを助長させるだけだった。


『懲りもせず、まだこんな事をやっているのか?』


 怒った顔でこちらを睨みながら花壇の花を踏みにじるお兄様に、私はただ謝り続ける事しか出来なかった。


 全ては取り返しのつかないことをしてしまった私のせいだ……


 黒い雨に心がじわじわと侵食されていく。呼び掛けてくるアレクの声も、どんどん聞こえなくなっていく。


 何も見えない。

 何も聞こえない。

 手を伸ばしても何もない。


 全てを遮断された真っ黒な空間しかなくて、これが絶望なんだと想い知らされた。

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