27、リシャールに課せられた枷
「このままでは、皆ウンディーネ様に……っ!」
何とか理性を保とうと必死に耐えるリシャールの姿は、どう見ても普通ではない。
「マリエッタ、ここで一体何があったの?」
「お願いです、お姉様! どうか神殿にご連絡を! このままではリシャール様の体がウンディーネ様に乗っ取られて……」
「余計な事を喋るな!」
激昂したリシャールがマリエッタの身体を突き飛ばした。
「マリエッタ! 大丈夫!?」
床に倒れこんだマリエッタを支え声をかける。
「私は大丈夫、です……どうかリシャール様を……っ!」
私の腕の中で、マリエッタは意識を失ってしまった。
「アレク、どうかマリエッタを安全な所へ!」
「分かった」
マリエッタを運びだそうとしたら「伯爵夫人を連れていくな!」と、リシャールがこちらへ襲いかかってきた。
私が避けたらマリエッタを無理やり連れていかれる。咄嗟に隠すように抱き締めた。
「危ない、ヴィオ!」
アレクが風魔法で庇ってくれて、飛ばされたリシャールは壁に打ち付けられる。すかさずリカルド卿達がリシャールを取り押さえて拘束してくれた。
「くそっ! はなせ! 伯爵夫人を連れていくな!」
「カイル、今のうちに彼女を安全な所へ」
「はっ、かしこまりました!」
カイル卿がマリエッタを横抱きにして運び出そうとしたら、リシャールが叫んだ。
「ダメだ、絶対にダメだ! 領民思いの伯爵と働き者の伯爵夫人。あの頃に、ユグドラシル様が好きだったあの頃に戻すには、必要なんだ! それを邪魔する者は、許さない!」
狂ったようにそう叫ぶリシャールの瞳が、赤黒く染まっていた。
暴走したウンディーネ様に、意識が乗っ取られているのね。
「リーフ、ウンディーネ様を止める事出来ない?」
「やってみるよ」
拘束されたリシャールの頭に、リーフは手をかざす。最初は暴れていたリシャールが大人しくなり、目に正気が戻った。
「どうやら彼は、ウンディーネの暴走した残留思念に従っていただけみたいだ。とりあえず払っておいたけど、本人を止めないと意味がないよ」
「ウンディーネ様を探さないといけないのね」
もしかして、領民達が襲いかかってきたのもウンディーネ様の意思に従わされていたせいだったのかしら。
「俺は……一体……」
アレクがリシャールの拘束を解くよう指示を出して声をかけた。
「リシャール殿。ここで何があったのか、話してくれるかい?」
アレクと精霊騎士様達を見上げ、リシャールは全てを悟ったかのような表情をして「分かりました」と頷いた。
「約八年前、父がウンディーネ様との契約を破りました。そして暴走したウンディーネ様を裏山の祠に封印してしまったんです」
「上級精霊を封印だって!?」
「領地を改革するためだと嘘をついて、不当に稀少種の動物を売却していたのです。そしてあろうことか得た利益で私腹を肥やし、精霊様を拘束出来る闇魔道具を購入していたんです」
頭が痛くなる悪事の数々じゃない。精霊様との契約違反もだけど、違法の闇魔道具の取引まで……
「八年もそれを隠していたなんて、どうしてすぐに通報しなかったの?」
領地を離れて王立アカデミーに通っていた間、神殿に駆け込むくらい出来ただろうに。
「ログワーツ領では、領主である伯爵の言葉が絶対的な権威を持っています。父が生きている限り、俺は誓約として命令された事に逆らえませんでした」
「まさか……ここではまだあの禁断の誓約呪術を!?」
驚くアレクに、リシャールは上着を脱いで背中を見せた。彼の背中には古代語で書かれた紋様が刻んであった。
何て酷いことを……誓約呪術は相手を従属化する禁忌の魔法。その昔、奴隷制度があった頃に使われていた古代呪術の一種だ。
「ずっと昔から、ログワーツ伯爵家では生まれた子供にこの誓約呪術をかけています。父の背中にも、同じものがありました」
「今はもう効力を失っているように見えるけど、もしかしてログワーツ伯爵は……」
「父と母は雪崩に巻き込まれて亡くなりました。ウンディーネ様の放つ瘴気に取り込まれる前に、封印を解いて誠心誠意謝罪したのですが俺の力不足でこのような結果に……誠に申し訳ありませんでした」
その場で床にひれ伏し頭を垂れるリシャールの肩に手を置いて、アレクは顔を上げるよう促す。
「事情はある程度分かった。ウンディーネ様の所に、案内してもらえるかい?」
「はい、勿論です」
リシャールに色々言いたい事はあったものの、今はウンディーネ様の暴走を止めるのが先だ。
その時、慌ただしくこちらに近付いてくる足音がして、ガチャンと激しく扉が開く。
「大変です、アレクシス様! 領民達がこの邸に押し寄せています」
外で警備をしていた精霊騎士様の一人が緊急事態を知らせに来た。
「領主様をお守りしろ……」
「俺達の、領主様を……」
外からは領民達の叫び声と、ドンドンと邸の外壁を叩く音が聞こえる。
「皆、どうかやめてくれ!」
リシャールが窓を開け領民達に訴えるが、彼等の歩みは止まらない。
「取り戻すんだ、俺達の領主様を……」
そのまま窓の外に引きずり出されそうになったリシャールを、リカルド卿が引っ張り上げ窓を閉めた。
「破られるのは時間の問題だね。リシャール殿、上の階から出られそうな窓はあるかい?」
「屋根裏部屋に、屋根に登れる雪掻き用の天窓があります」
「案内してもらえるかい?」
「かしこまりました」
リシャールの案内のもと、二階から屋根裏部屋へ移動する。
途中でマリエッタをベッドに休ませ、護衛としてカイル卿に残ってもらった。小隊メンバーの中では、彼が一番防御魔法の扱いに手慣れているらしい。
危険な場所へ連れていくわけにはいかないし、領民達の目的はリシャールだ。彼を連れていけば、領民達もこちらに付いてくるとふんでの事だった。
梯子を登り何とか天窓から屋根の上に到着した。
「ヴィオ、滑りやすいから足元気をつけてね」
「ここから落ちたら……」
屋根から庭を見下ろすと、邸が見事に領民達に囲まれている。こちらへ向かって手をのばす人々の姿は、まるで地獄に一本だけ垂らされた蜘蛛の糸を掴もうとしているかのように見えた。
「もれなくあの中に引きずり込まれるね」
「お、恐ろしいこと言わないでよ!」
まぁ、予想通り領民達の気をこちらに向けられたのは良い事だわ。邸で休ませてきたマリエッタの安全に繋がるわけだし。
「大丈夫。ヴィオは僕が支えるよ。ここからは、また空から行こう」
アレクは右手を前に付き出し、呪文を唱えた。
「異界の住人たる精霊獣ラオよ、我に力を貸したまえ」
右手の中指に嵌められた指輪から放たれた光が姿を変え、ラオに変化した。
「そうやってラオを呼び出すのね」
「うん。この指輪が僕とラオとの契約の証だからね」
お父様が言っていたわね。精霊騎士の最終試験は、異界に住む精霊獣と契約を交わすこと。いくら魔力や剣の素質があっても、最終的に精霊獣と契約を交わせないと精霊騎士にはなれないって。
それから精霊獣に乗ってウンディーネ様の元へ向かう。リカルド卿がリシャールを共に乗せ、先導として前に立ち案内してくれた。
ログワーツ伯爵邸の裏にある、比較的平坦な山の中腹に建てられた小さな祠の前に降り立つ。空はどんよりと曇り、雪が積もっているにも関わらず生暖かい風が頬を掠める感覚に不気味さを感じた。
『私の邪魔をするのは誰だ……!』
祠から底冷えするような女性の怒り声が聞こえたかと思うと、バタンと激しい音を立て扉が開く。
ボサボサに荒れ果てた青い長髪にくすんだ青白い肌。切れ長の瞳の下にはひどいクマがある。大きな三又の槍を持った精霊様が姿を現した。












