26、これが真実の愛だとは、認めたくない
精霊獣に乗って空から集落の様子を確認しつつ、ウンディーネ様の行方を探す。
視界に入るのは一面に広がる雪景色。集落の周囲に自生する針葉樹の林には雪が積もり、山から平地へと流れる川までもが凍ってしまっている。
『川を凍らせてしまうほど、理性を失っているとは……』
「これは一刻も早くウンディーネ様を静めないと、領民達の生活にも影響が出るね」
ぽつぽつと立ち並ぶ民家の庭には、動物の毛皮や分断された肉、魚などが吊るしてあるのが見えた。
天気が良いにも関わらず、外には全く人の気配が感じられない。広場に設置された遊具には雪が積もっているだけで、子供の姿さえ見られなかった。
市場も機能していないようで、閑散とした商店街の屋台には何の商品も並んでいない。
確かにこの寒さじゃ、外に出るのも億劫よね。それがウンディーネ様の暴走の影響だとしたら、アレクの言うように領民はさぞ不便な生活を強いられている事になる。
マリエッタ……こんな不便な生活で文句の一つも言わずに耐えていたのね……
「ヴーッ!」
その時、下方から低い獣の唸り声が聞こえた。それは民家の横に建てられた小屋の中から放たれたようで、鋭い眼光がこちらを突き刺す。
「ガウ! ガウガウ!」
唸り声は次第に大きくなり、やがて吠える獣の鳴き声に変わった。
一匹が鳴き出すと他の獣までつられて鳴き出す。そのせいで騒ぎを聞きつけた民家から人々が出てきた。
「あれは……」
「不法侵入者だ!」
「絶対に許すな!」
空を見上げ、いきりたつ人々を見て思う。
これは、まずいのでは……?
こちらにクロスボウを構える領民達を見て、「ははっ、敵認定されちゃったね」とアレクは苦笑いをもらす。
「のんきに笑ってる場合じゃないわ!」
「ヴィオ、舌を噛んだら危険だ。口を閉じてしっかり掴まってて」
私の耳元でそう囁いた後、アレクは分隊に指令を出した。
「高度を上げてこのまま山の方へ。ログワーツ伯爵邸を目指すよ」
「はっ、かしこまりました!」
「ジン、皆に矢が当たらないよう援護して」
『承知した』
放たれた矢をジン様が風魔法で壁をつくって防御する。
精霊獣を操れるのは王家の人間と訓練を受けた王国に所属する精霊騎士だけ。それはレクナード王国では周知の事実なのに、まさか攻撃を仕掛けてくるなんて……
「アレク、ログワーツ領の人達から何か不興でも買ってるの?」
クロスボウの射程外まで進んだ所で、私は話しかけた。
「いや、僕は何もしてないよ」
「心当たりがないだけで実は……」
「誤解だよ! 信じてよ、ヴィオ」
王国騎士に反旗を翻すなんて、投獄されてもおかしくない罪状だ。なんの躊躇もなく攻撃してくるなんて、普通ならありえない。やはりこれは、ウンディーネ様の暴走の影響なのかしら。
そのままラオに乗って上空を進み、山の麓に他の民家より広い邸を見つけた。
「あのお屋敷がログワーツ伯爵邸じゃないかしら?」
「たぶんそうだね。とりあえずログワーツ伯爵に話を聞こう。ヴィオの妹の事も心配だし」
伯爵邸の庭に降り立ち、エントランスの呼び鈴を鳴らす。しかし誰も出てくる様子がない。扉は鍵がかかっており扉も開かない。
「マリエッタ! 私よ、ヴィオラよ!」
呼び掛けてみても何の反応もなかった。
「出掛けているのかな? それにしても使用人の一人も顔を出さないなんて、おかしいね」
「昼間からカーテンを閉めきっているのも不気味だわ……」
その時、カチャリと鍵を開ける音がした。中から姿を現したのは、リシャールだった。
「はい、どちら様ですか?」
「リシャール! マリエッタは、マリエッタはどこにいるの?!」
「ヴィオラ……と、アレクシス殿下……?! どうしてこちらに……?」
「いいから、マリエッタに会わせてちょうだい!」
「分かった。とりあえず中へ」
邸の中へ案内され、私は言葉を失った。
「リカルド、カイル、レイス、君達は共に中へ。残りの皆は外の警護を頼むよ」
「はっ、かしこまりました!」
分隊のメンバーに指示を出したあと中へ入ってきたアレクも、口には出さなかったもののひどく困惑した顔をしていた。
荒れ果て手入れの行き届いてない室内は、歩く度に埃が舞う。腰かけるよう促されたソファーには、所々赤い染みがある。
暖炉でバチバチと薪を燃やす聞こえる音だけが、異様に響いていた。
「マリエッタを呼んでくるよ」
そう言い残して、リシャールは部屋から出ていった。
「何の血だろうね、これ……」
顔をひきつらせ、ぎこちなく発せられたアレクの質問の謎はすぐに解けた。
「お姉様……!」
ボロボロの作業着姿で現れたマリエッタの衣類にまで、赤い染みがある。
「マリエッタ、貴方怪我してるじゃない! それにその姿……」
可愛いドレスを着て無邪気に笑っていた昔の面影は微塵もなかった。
美しかったストレートの長い髪は軋み、ボサボサとしていた。手入れの行き届いた陶器のように白い肌は荒れ果て、指先は傷だらけ。
あまりにも変わり果てた妹の姿を見て、私は言葉を失ってしまった。
「お肉の解体作業をしてたんです。だから汚れてて、こんな姿でごめんなさい!」
はっとした様子で申し訳なさそうに謝るマリエッタを、私は何も言わずに抱き締めた。
腕の中にすっぽりと収まるガリガリに痩せた華奢な体に、胸の奥から言い様のない怒りと悔しさが滲む。
あの時、嫌われてでもログワーツ領の生活についてもう少し言及しておくべきだった。
というより、お肉の解体って何よ!?
何で使用人が一人も居ないのよ!?
どう考えてもおかしいじゃない!
マリエッタはログワーツ領へ多額の持参金を持って嫁いだはずだ。
それはこの不便な地でマリエッタが我が儘を言っても困らないよう、本来お願いされていた支援金にプラスして、お父様が特別に用意されたもの。
使用人を数人雇ってもかなりお釣りはくるはずよ!
そんな環境すら整えてやらなかったリシャールに、私は心底腹が立った。
外套の内ポケットから傷薬を取り出し、マリエッタの荒れた指先に塗りながら、私はリシャールに話しかけた。
「ねぇ、リシャール。どうして妹がこんなにボロボロなのかしら?」
「マリエッタはログワーツ伯爵夫人としての務めを、懸命にこなしてくれているからだ」
「貴方は、マリエッタを必ず幸せにすると言ったわ。それは嘘だったの?」
「伯爵夫人として俺と共にこの地を治めているんだ。幸せに決まっているだろう?」
――バチン!
加減も出来ないくらい、気が付けば私はリシャールの頬を思いっきり平手打ちしていた。
「こんなにボロボロになってまで尽くしてるのに、どうして貴方は何もマリエッタに与えてあげないのよ! これが真実の愛だって言うの!?」
よその家門の事に口出すのは、お門違いだって分かってる。それでも、リシャールを信じて嫁いでいったマリエッタが、あまりにも不憫に思えた。
これがリシャールにとっての真実の愛だっていうのなら、私は認めない。認めたくない!
切れた唇から流れた血を、リシャールは手の甲で拭った。
「リシャール様!」
心配そうにリシャールに駆け寄るマリエッタの姿に、やるせない憤りを感じていた。
「マリエッタ、一緒に帰るわよ。ここに居ても貴方は幸せになれない。私と一緒に……」
「帰りません!」
「どうして……」
「リシャール様は、私を命がけで助けてくださいました。だから今度は私が、リシャール様を助けたいんです!」
「マリエッタ……」
そこまでリシャールの事を……
「伯爵夫人を、連れていく? だめだ、許さない……!」
ギシリと歯を軋ませるリシャールの目付きが変わった。
鋭くこちらを睨み付けるリシャールに、マリエッタが目元に涙を滲ませながらすがりついた。
「リシャール様、私はどこにも行きません!」
「この地をあの頃のように……、そのためには伯爵夫人が必要だ!」
「ここでずっと、貴方と共にログワーツ領のために尽力します! だからどうか、気を確かに……っ!」
「くっ…………マリエッタ、逃げろ……どうか、逃げてくれ……」
「嫌です、逃げません!」
頭を抱えるリシャールをなだめるように、マリエッタは必死に抱き締める。
何だか様子がおかしいわね。
リシャールが釣った魚に餌はやらない最低男かのごとく心変わりしてしまったのかと思っていたけれど、マリエッタを見つめる眼差しは昔と変わらないように見えた。
一体ここで、何が起きているの?












