22、思い出の香り
舞踏会が始まる前、レイラ様は私達の香水の香りを好まれていたご様子だった。
麝香のように甘い香りを放つものより、自然を感じられるフローラルで爽やかな香りを好まれているのだろう。
「ヴィオ、何するの?」
精油コレクションの棚の前で考え事をしていたら、アレクに尋ねられた。
「殿下にお土産を作ろうと思って」
「今から作るの?」
「ええ、そのつもりだけど」
「ねねっ、僕もやりたい!」
ものすごくキラキラとした眼差しを向けてくるの、止めなさい。
貴方が今やるべき事は、そこで灰と化しているウィルフレッド様に寄り添うことではなくて?
視線で訴えると、アレクは「あー」と声をもらしながら、爽やかな笑顔でこう言った。
「あれ、しばらく動かないからそのままでいいよ」
扱いが雑すぎない?!
ウィルフレッド様の目の前で手を振りながら「ほら、何も反応しないでしょ?」と言われても……
「兄上ってさ、昔から理詰め派なんだ。取捨選択して選び抜いた最高の知識の楼閣が崩れた瞬間、いつもこうなっちゃうんだよね」
まぁ確かに、プライドの高い方ほど自分の積み重ねてきたものが無意味、むしろマイナスだったって気付かされたらああなるのも仕方ないわね。
「大丈夫、時間が解決してくれる!」
「それならいいけど……」
「僕みたいに、まず試してみればいいのにね~」
アレクはどちらかと言えば、試しては失敗を繰り返して解決案を見つけてくトライ&エラー型よね。失敗に慣れてるから挑戦にも恐れがないっていうか……
「足して二で割ったら、ちょうどよさそう」
「ははっ、確かに!」
「でも良かったわ。思ってたより兄弟仲は悪くなさそうで」
「心配してくれてたんだ?」
「な、何でそんなに嬉しそうなのよ……」
「だって心配している間は、僕のことを考えてくれてたってことでしょ? こんなに嬉しいことはないよ!」
「もう、大袈裟なんだから……」
恥ずかしさを誤魔化すように体を翻して、チェストに手を伸ばす。
「ほら、手伝ってくれるんでしょ?」
「うん!」
それからアレクと一緒にウィルフレッド様にお土産としてお渡しする香水作りに取りかかった。
あそこまで言ったから、麝香を塗りたくられる事はなくなるだろう。しかしそれだけで安心は出来ない。
優秀な部下の方々が第二の麝香なるものを薦めてしまったら、同じことが起きないとも限らない。
健康にいいそうですよ。
運気が上がるそうですよ。
女性に好まれるそうですよ。
世の中にはそうやって怪しいアイテムを薦める輩がごまんといる。
そうなる前に、ウィルフレッド様を私の香水のファンとして取り込むのだ!
ついでに麝香を塗りたくるその独り身の部下の方々も取り込めれば、社交界の空気はさらに清らかになる! 一石二鳥!
どうせなら、レイラ様のお好きな花をメインにしたいわね。そうだ!
「アレク。レイラ様が嫁いで来られた時、花嫁衣装には何の花を刺繍されていたか覚えてない?」
ライデーン王国では、花嫁衣装に自分の好きな花の刺繍を入れる風習があると本で読んだことがある。素敵だなと思って覚えていたのよね。
「確か流れ星をドレスにしたかのような、珍しい刺繍だったよ」
流れ星……もしかして、小さな花をたくさん咲かせる花なのかしら?
チェストからスケッチブックを取り出し、思い付いた花の絵を描いてアレクに見せた。
「そう、こんな感じ!」
「ライデーン王国の澄んだ水辺にしか咲かない星華草ね」
星の形をした小さな花を無数に咲かせる可愛いお花。確かお忍びで参加した豊穣祭で、一度だけ本物を見たことがある。
思い出せ!
どんな香りがしたか!
『星華草は単体ではほとんど匂いはしない。だけど他の花に寄り添う事で、寄り添った花の香りをより引き立ててくれるんだよ』
必死に記憶を辿ると、露天馬車で出張販売に来ていた花屋の店主の言葉を思い出した。
そうだわ。確か花束の脇役として添えられる事が多いって言ってたわね。まさしく、縁の下の力持ち。
小さな可愛い星の形をした花を好まれたのかもしれない。けれど正直、王族の婚礼衣装に刺繍を入れるほど高貴な花ではない。むしろ、野生の草花に分類される庶民的な花だ。
もしかすると星華草の刺繍には、レイラ様のこちらへ嫁いでくる覚悟も込められていたのかもしれない。
花言葉は確か……貴方に私の全てを捧げます。
それならば下手にレイラ様に合わせようとするよりむしろ、ウィルフレッド様自身を引き立てる香りの方が良い気がする。
「アレク、普段の殿下に似合うと思う精油をここから選んで!」
「え、この中から!?」
ずらりと戸棚に並べられた精油コレクションを見て、あまりの多さにアレクがぎょっとしている。
「あら、手伝ってくれるんでしょう?」
「わ、分かった、選ぶ!」
精油を嗅ぎ比べてアレクが選んだのは、意外にもシトラス系の香りだった。
落ち着いた印象のあるウィルフレッド様なら樹木系を選ぶと思ってたけど、家族の目から見るとシトラス系なのね。
「兄上ってさ、柑橘系の果物が好きなんだよね。まだ子供だった頃、僕が転んだりして差し出してくれた手からよくこんな香りしてたんだ」
「思い出の香りなのね」
「僕達には隠してたみたいなんだけど、服についた香りでバレバレだったのがおかしくてさ」
「なるほど、それならメインはシトラス系でいきましょう!」
オレンジをベースに、トップには爽やかなレモンとグレープフルーツ、ミドルには爽やかなミントとヴァーベナ、隠し要素にゼラニウムで少しだけ甘い香りを足して、ラストはシダーウッドとホワイトムスクで落ち着いた清涼感のある残り香を楽しむ。
作り方を簡単に説明して、実際の作業はアレクにしてもらった。
私は隣で助手を務め、「次はミントを二滴くらい垂らして」とサポートする係。
アレクがホホバオイルに少しずつ精油を調合してよく混ぜ合わせていたら、「良い香りがする」とウィルフレッド様がお気付きになられた。
「兄上、僕がぴったりの香水を作ってあげるよ」
心なしかアレクも楽しそうね。
案外、こうして香水の手作り体験みたいな事をしたら人気でるかもしれないわね。
好きな相手に渡す香りを自分で調合して作るのは、とても楽しいし!
そうして出来上がった香水を、ウィルフレッド様に実際に付けていただいた。勿論付けすぎないように、正しい分量と付け方もしっかり伝授して。
「爽やかでとても心地の良い香りだな」
「兄上の大好きなオレンジをふんだんに使ってるんだ」
ゴホン! と恥ずかしそうに咳払いするウィルフレッド様が少し可愛く見えた。
「ヴィオラ殿、色々世話をかけた。このお礼はまた改めてさせてもらおう」
「いいえ、どうかお気になさらずに」
◇
後日アレクに聞いた話では、レイラ様はウィルフレッド様の香水の香りをとても気に入っておられるそうで、仲良く庭園でティータイムを過ごす事が増えたらしい。
アドバイス通りに麝香を付けるのを止めたら、悩みだった閨事情も解決したようだと恥ずかしそうに教えてくれた。
そうして王太子夫妻が香水を広めてくれたおかげで、『フェリーチェ』への期待度はうなぎ登りだった。
「ヴィオラお嬢様、お手紙が届いております」
開店準備に追われて忙しい毎日を過ごしていると、侍女のミリアが手紙の束を持ってきてくれた。
大方、パーティーの招待状かお店に関する件だろう。確認していると、そこには一通見慣れない便箋が混じっていた。
マリエッタから手紙が届いているわ!












