番外編7、ログワーツ伯爵家に隠された秘密(side マリエッタ)
※妹ちゃんサイドは重たい話が多いので、苦手な方は飛ばしてもらって大丈夫です!
(後半主人公視点で何が起こったかの簡易説明は入れようと思ってます)
ぼんやりとした視界に映ったのは、心配そうにこちらをご覧になるリシャール様の姿だった。
「マリエッタ! よかった、目を覚ましてくれて……!」
「ここは……」
「診療所だよ」
私、助かったんだ。体を動かそうとして足に痛みが走る。
「……っ!」
「無理をしてはダメだ。足に凍傷が残っているから、治るまでここで安静にしていて欲しい」
「でも祠にお参りに行かないとお義母様が……精霊様がお怒りになると……」
「母さんに、そう言われたのか?」
「はい。信仰心を忘れてしまえば、再びログワーツ領にはあの恐ろしい大寒波がやってくると」
水神様の大好物である地酒をお供えしないといけないと、お義母様は言っていた。
「違う。本当は違うんだ……守るどころか巻き込んでしまって、本当にすまない! 全ては俺の詰めの甘さが招いたことだ……っ!」
「どうか顔をおあげください、リシャール様。私は貴方の傍に居たいから、ここまで来ました。何が違うのか、教えてくださいますか?」
何かがおかしいと思っていた。
お義母様に渡された地酒をお供えする時、何故わざわざふたを開けて祠の回りにまかなければならないのか。
『いいかい、マリエッタ。地酒は必ず一周させるようにまくこと。これは絶対だ。いいね?』
余計なことを聞くと、ネチネチと文句を言われて面倒だからその理由を聞かなかった。独自の風習がありすぎるこの地では、それが当たり前なんだろうと、自分に言い聞かせていた。
お参りというより、まるで封印しているみたいね。そう思い始めてから、一層薄気味悪さが際立った。
相手の苦手とするものを囲うようにまく――その行為は本来、悪しき者を封印するための行為で子供でも知っている常識だ。
まるで地酒が苦手な何かを封印しに来ているかのような、そんな一抹の不安が拭えなかった。
本当のことを教えてほしくて、私はリシャール様をじっと見つめた。
「あの祠には、闇落ちした水の上級精霊ウンディーネ様が封印されているんだ」
「闇落ちした水の上級精霊様……」
ああ、やっぱりか。リシャール様の言葉がストンと腑に落ちた。
「この地を守り、代々ログワーツ伯爵家の当主と契約を交わしてくださっていた精霊様なんだが……約十年前、父さんがウンディーネ様との契約を破ってしまったんだ」
精霊様との契約は、互いの同意の上で結ばれる。もしどちらかが意に反する行為を行えば、互いに罰を受ける。
「その結果、ウンディーネ様は怒りに身を落として闇落ちし、流された絶望の涙が川を凍らせ、ログワーツ領をより住みにくい雪の大地へと変えてしまった」
「そんな事が……」
「今では信じられないだろうが、昔は雪が積もらない時期もあったんだ」
そう言ってリシャール様は、悲しそうに笑った。
ここに来て、地面には常に雪が積もっている姿しか私は見たことがない。気温は常に氷点下で、それがここでは当たり前なんだと思っていた。
「お参りに行くのは、精霊様への信仰心なんかじゃない。封印したウンディーネ様が復活しないよう、あの方が苦手な地酒で封印を強化し弱らせているんだ」
「どうして大神官様をお呼びにならないのですか? 正気を失われている精霊様は、浄化してもらえば元の姿に戻られるはずです!」
「俺も何度も訴えた。隠し続けるのには限界がある。もう無理だと。しかし父さんは認めなかった。罪を暴かれたくないと……」
精霊様と交わした契約の違反は、信用を失い社会的に大きな傷となる。
「つまり私はお義父様の見栄のために、あの祠へ精霊様を痛めつけに向かわされていたのですか!?」
「本当に、すまない……」
欲しかったのは、そんな謝罪の言葉じゃない。思わず溢れてきた涙を拭い、私はキッとリシャール様を睨み付けた。
「どうして、最初に仰ってくださらなかったのですか? 私が他所から来た人間だからですか?! 信用出来なかったからですか?!」
「真実を告げて、君を巻き込みたくなかった。何も知らなければマリエッタ、俺が失敗してこの罪が公のものになったとしても、君だけは守れると思ったから……」
私にはその言葉が、とても悲しかった。
この辺境の地で、リシャール様だけは私の味方なんだと思っていた。けれど実際は、余計な足枷でしかなかったんだと思い知らされた。
私にもっと力があれば。
お姉様のように、精霊様と契約出来ていれば……!
少なくとも、自分の身くらいは守れただろう。リシャール様に守ってもらわなければならないほど、弱い存在じゃなくて済んだだろう。その秘密を、最初に打ち明けてくださっただろう。
「貴方の隣に相応しい人に、なりたかったのに……結局私は貴方にとって、ただのお荷物にしか過ぎなかったのですね……」
「違う、そうじゃない! 君が傍に居てくれれば、この地を共に良くしていけると思った。だが実際は君に不便を強いり、守るどころか傷付けてばかりだった。今まで苦労をかけて、本当にすまなかった。マリエッタ、君と過ごせた時間は俺にとってかけがえのない宝物だった」
「過去形に、しないでください……っ!」
私の言葉に、リシャール様は一瞬悲しそうに顔を歪めた。
「足の怪我は一週間もすれば良くなるだろう。先生には話を付けているし、ここでの生活の心配はない。裏手にはソリとホワイトウルフを準備している。家族同然に育ってきた信頼できる者達だ、マリエッタをきっと守って逃がしてくれるだろう」
誤魔化すようにリシャール様は早口でそう言って、私と目を合わせようとしない。
「何を仰っているのですか……」
まるで私を遠ざけようとしているかのように感じられて、心が軋む。
「あの事件以降、ウンディーネ様の怨念を受けた父さんは人が変わってしまった。優しかった母さんも、次第におかしくなってしまった。怨念は祓わない限り、末代まで受け継がれる。俺は正気を保っていられるうちに封印を解いて、ウンディーネ様に誠心誠意謝罪するつもりだ」
「理性を失われている精霊様にそんなことをしたら、リシャール様は……」
「ウンディーネ様のお好きだったお供え物を、秘密裏にこれまで集めてきた。心配するな、きっと大丈夫だ」
嘘だ。それは私を安心させるための、嘘だとすぐに分かった。
「馬鹿な真似はおやめください! 他に何か方法があるはずです! 今からでも神殿に連絡を……」
言葉を遮るように、リシャール様は私を抱き締めた。
「君と共に歩んで生きたい。俺が愚かな夢を見てしまったばかりに、深く傷付けてしまった。本当にすまない。これ以上、愚かなログワーツ伯爵家の血を後世に残す事を、許してはくださらないだろう」
耳に届く、リシャール様の全てを悟ったような声。
「リシャール、様……?」
「昨日父さんが雪崩に巻き込まれて、行方不明になった。すまない、マリエッタ。時間がないんだ……」
お義父様がもし亡くなってしまったら、ウンディーネ様の怨念はリシャール様へ受け継がれる。意識を正常に保っていられる時間が、あまり残されていないのかもしれない。だからリシャール様は急がれているのだと、そこで初めて分かった。
もう、手段を選んでいられる暇がないのね……っ。
「どうか強く生きてくれ。最後まで共に居られなくて、本当にすまない。君の事を心から愛していた」
そして今、私に最後の別れを言いに来られていたのだと……気付かされた。
「待ってください、リシャール様!」
私の呼びかけに、リシャール様は振り返ってはくださらなかった。動かそうとして足に走る激痛が、非情にもこれが現実なのだと教えてくれた。












