15、人にはそれぞれ秘密がある
アレクの視察に付き合った翌日、私は少なくなった香料の買い出しに来ていた。
自分で育てられる植物は極力温室で育てて精油を抽出しているものの、気候的に育てられない植物の精油や樹木系の樹脂、動物由来の香料素材などはお店で買うしかない。
懇意にしている雑貨屋に足を運ぶと、深くフードを被った怪しげな男性が店主に詰め寄っていた。
「頼む、上質な麝香を全て売ってくれ。金ならいくらでも出す! この通りだ」
天然の麝香は稀少価値が高く値段も張る。そんな高級素材を全て買い占めるなんて、きっと身分の高い方なのだろう。
男性の貴族に麝香は大人気なんだよね。
麝香とはそもそも、雄のジャコウジカの腹部から得られる分泌物を乾燥したもの。
メスを誘き寄せるセクシーな甘い香りを放つようで、それをつければ人間の女性も引き寄せられると思っている世の貴族男性には思いっきり頭から水を被せて回りたい。
正直私は麝香を薄めず塗りたくるような男性とは、最低十メートルくらいは距離をとっておきたい。近付くと確実に鼻が死ぬ。馬鹿になる。
アレクがそんなもの付けてきたら、問答無用で部屋から追い出すわね。
しかもたちが悪い事に彼等は、どれだけ上質な麝香をつけるかを競いあっている節がある。こういう姿を見ると、アレクが言っていたように社交界の香り改革は必要だよなって思ってしまう。
瓶詰めの上質な麝香を手に入れたらしい男性は、それを大事そうに握りしめて帰っていった。
ちょっと待って、さっきの男性……第一王子のウィルフレッド様じゃないの!
アレクが香り改革したい理由の一つは絶対これね……
それにしてもレクナード王家の方々は、忍んで城下に来るのが本当に好きね……まぁ、お忍びで出てきた手前私も人の事は言えないけれど。
早く帰らないとミリアが心配するわね。必要なものを買って私もお店を後にした。
◇
翌日、ペアフレグランスを作ろうと私は朝から温室へ来ていた。
「ヴィオ、おはよー!」
「おはよう、リーフ」
いつも通り挨拶をしたら、目の前には見知らぬ精霊が浮いていた。
「え、リーフなの!? その姿、一体どうしたの!?」
もふもふとした白い毛並みが可愛らしい狐の姿をしていたリーフが、何故か上級精霊のように人型になっている。
「えへへ、進化したんだよー」
「進化!?」
精霊って進化するの!?
待って、そんなの聞いたことない。
「ヴィオのお手伝いするうちに、少しずつ力の使い方を思い出したんだー!」
それは進化というより、本来の力を取り戻したと言った方が正しいような?
そもそもこの子、何の植物の精霊なのかも分からないのよね。普通はモチーフにした核となる存在があるはずなのに、額にある木葉の紋章で何らかの植物系の精霊って事しか分からない。
酷く弱った様子でうちの庭園に倒れていたこの子は、何も記憶がなかった。
言葉も喋れず体も小さくて、きっと生まれたてなんだと思って看病しながら少しずつ言葉を教えてあげたのよね。
初めて私の名前を呼んでくれた時はとても嬉しかったな……昔の事を思い出していると「どう? 僕かっこいい?」とリーフが話しかけてきた。
リーフは空中でくるっと一回転すると、「ふふん!」と胸を張ってこちらを見ている。
「すごく可愛いわ!」
まるで幼い子が新しく仕立ててもらった洋服を着て喜んでいるかのような、そんな無邪気さだった。
「か、かわいい……僕、かっこよくなりたいのに……」
ぷくっと頬を膨らませながら何故かショックを受けているリーフに、「すごくかっこいいわ!」と慌てて言い直すと「ふふっ、ありがとー!」と嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
人型を保てる精霊は、上級精霊と呼ばれるほんの一握りしか居ない稀少な存在だ。もしかして私が思っていたよりもこの子は、すごい精霊様だったのかもしれない。
「進化した僕は無敵なの! だからヴィオ、外でも僕を呼んでね」
「リーフ、無理しなくてもいいのよ?」
ここに来るまでによほど怖い目に遭ったのか、リーフはヒルシュタイン家の庭から出たがらない。普段は私の温室や庭園でのんびり過ごしている。
「大丈夫、もう鳥にも犬にも猫にも負けないよ! えいえいって追い払えるもん! それに……結婚したらヴィオ、ここを離れるんでしょう? 新しい所に僕も行く。置いていかないで」
不安にさせてしまって居たのね。
「大丈夫よ、リーフ。だって貴方は私の大切なお友達だもの。置いていったりしないわ」
「うん!」
あんなに外に出るのを怯えていたのに……それを克服してでも私と共に居たいと思ってくれているのが素直に嬉しかった。
「ところで、今日はなにを作るのー?」
「ペアフレグランスを作ろうと思ってるの」
「ペアフレグランス?」
「それぞれ単体で楽しめる香水なんだけど、合わさると別の香りを楽しめる特別な香水よ」
今回はパーティー会場に相応しい、清涼感のある香りがいいわね。合わさることで、より洗練された爽やかな香りになるような。
ホホバの種子から抽出したオイルを小さめの試験管に注ぎ、精油を垂らして馴染ませる。香りを確認しながらひたすら調合の組み合わせを試していく。
良い組み合わせを見つけたら配合のメモをとりつつ、それぞれのベースとなる香りを決める。
「ヴィオ、いつもより楽しそう! 誰かにあげるの?」
「一つはアレクにあげようと思ってるわ」
「アレク、大事? 大好き?」
リーフの質問に思わず手にした試験管を落としそうになった。リーフがそう聞いてくるのは、いつもの事じゃない。何動揺してるのよ!
「そ、そうね。大切な人よ」
「もう一つはヴィオが使うの?」
「ええ、そのつもりよ」
「だったらいっぱい祝福してあげるね!」
「ありがとう、リーフ」
最高のペアフレグランスを作るのに夢中で、私は見落としていた。自称進化したらしいリーフが施した『いっぱいの祝福』効果が、どれほどすごいものになるのかを……
 












