9、王女様とお茶会②
「誰もが見向きもしない中、不安で押し潰されそうだった私に、ヴィオお姉様は優しく声をかけてくれました。そして、涙を拭えるようこのハンカチを差し出して下さったのです」
あの時の少女がまさかシルフィー様だったとは。一緒にお祭りを回りながら、はぐれた家族をさがしてたんだよね。
「身分にとらわれず、困っている者に迷わず手を差しのべられるヴィオお姉様の優しさと行動力に、私はひどく感銘を受けました。そして、私もそうでありたいと思うようになりました。だからヴィオお姉様は、私にとって憧れなのです。あの時は助けて頂き、本当にありがとうございました」
「いえいえ、私は当然のことをしたまでで!」
だって困ってる女の子を放っておけないよ。あのまま放っておいたら危険な事に巻き込まれたかもしれないし。
「本当は後日正式にお礼をしたかったのですが、お忍びで出掛けていた手前それも出来ずに……」
お忍びとはいえ、もしもシルフィー様の身が危険にさらされたとあれば、彼女の近しい侍女や護衛騎士達は責任を取らなければならないだろう。
「ご安心なさって下さい、シル。私も毎年お忍びで豊穣祭を楽しんでいたので、逆に助かりましたわ!」
「まったく、とんだお転婆姫達だな」
こらえきれなかったのか、アレクが急に笑い出した。
「アレクに言われたくないわ!」
「お兄様に言われたくないですわ!」
「えぇ……そんな声を揃えて言わなくても……」
シルフィー様と声が重なって、思わず私達も笑ってしまった。
「城下でよくフラフラしてるのは、どこの誰かしらね?」
「そうですよ! お兄様の真似をしただけですわ!」
「えっ、僕のせいなの?!」
思わぬ飛び火に慌てたアレクは、シルフィー様に諭すように話しかける。
「シル、普段からよく言ってるだろ。真似をするなら『ウィルフレッドお兄様の真似をしなさい』と。『決して僕の真似をしてはいけないよ』と」
「もちろん、ウィルお兄様にはたくさん学ばせて頂いてますわ。ですが私は、アレクお兄様の良い所も真似しているだけですのよ」
「ゴホン! 僕がよく城下へ行くのは、民の声を聞くためさ。決して遊びほうけているわけではないんだぞ?」
「ええ、知っていますわ! ですから私もあの時、アレクお兄様のように民の声をよく聞いて、見聞を広めるために、城下へ行きたかったのですわ」
シルフィー様の審美眼が優れているのは、こうして誰の長所でも素直に認めて学ぼうとする姿勢の積み重ねと努力の結果なのね。
「フフフ、これは完全にアレクの負けね。止められないなら、安全に行く方法をきちんと教えておくのが、兄の責任だったのではなくて?」
「そう言われると、ぐうの音もでないな……」
ようやく負けを認めたアレクであった。
「ご安心ください、ヴィオお姉様。アレクお兄様はその後きちんと、忍んで城下へ行く方法を教えて下さいました! ですので今では私も、市民に紛れてカフェでお茶を楽しむのも朝飯前ですわ!」
「アレク……」
「いや~その、社会勉強だよ、社会勉強! でもシル、兄上には絶対に内緒だからね?」
「ええ、もちろんですわ! これ以上ウィルお兄様の心労が増えてしまっては大変ですもの!」
「そうそう、頭の固い兄上の健康のためにも気を付けるんだよ?」
「はい、アレクお兄様!」
アレクとシルフィー様は本当に仲が良いのね。微笑ましい光景を眺めながら、少しだけ胸がチクリと痛んだ。
レイモンドお兄様は元気にしていらっしゃるかしら? もう長い事、会っていないわね。
「……ヴィオお姉様?」
いけない、ボーっとしてしまっていたわ。
「シルはお兄様方をお手本にして、普段から熱心に学ばれているのですね。尊敬いたしますわ」
「勿論ヴィオお姉様も、私のお手本ですわ! 王立アカデミーで不動の一位をキープされた優れた知性に、誰もが振り返るその容姿端麗なお姿に加え、品行方正に振る舞う姿勢。どれをとっても私の憧れで完璧ですわ!」
えっと、それは誰の事でしょうか?!
思わず、ティーカップを落としそうになった。
キラキラした眼差しをこちらに向けてこられるシルフィー様の視線から、私の事を言っているのは聞き間違いではなかったらしい。すごく好意を寄せられているのを感じるけれど、実際は違うだなんて、口が割けても言えず、背中にはタラタラと冷や汗が流れた。
勉強もマナーも確かに頑張ってきた。しかしそれは全て、好きな植物を育てて調香して楽しむため。とても不純な動機でやってきた手前、羨望の眼差しがグサグサと突き刺さって胸が痛すぎる。
やばい、やばいぞこれは。
シルフィー様の憧れの私像のハードルが、少し高すぎやしないだろうか。
ちょっとアレク、何とかしてちょうだいよと目配せすると、任せろと言わんばかりにウィンクを返された。
「シル、ヴィオの事がよく分かってるね! でも肝心なことを忘れているよ」
「肝心なこと、ですか?」
「そう。ヴィオはね、植物博士なんだ」
「はっ! そうでしたわ! ヴィオお姉様の植物に対する造詣の深さ、優れた調香技術から産み出される優美で繊細な香りのハーモニー。頂いた香水の素晴らしさに感動していたのですわ!」
「シル。さ、さすがに買いかぶりすぎですわ。お恥ずかしい……」
アレク! さらにハードルを上げてくれたわね!
「そんな事ありませんわ! 正直、市販の香水はそのまま使うには香りも強すぎてきつく、匂いの持ちも良くありません。それに比べてヴィオお姉様の作られた香水は、心地の良い優美な香りがとても長持ちします。しかも時間の経過で香りが変化するため、最後までわくわくしながら楽しめますのよ! 毎日、使うのがとても楽しみでしたわ!」
どんどん上がっていく理想像が重く感じていたものの、シルフィー様の嘘偽りのない笑顔で放たれる言葉が、素直に嬉しかった。
本当に私の香水、気に入って使ってくれてたんだ!
「シル。よかったら今度は、シル専用の香水を作らせてもらえませんか?」
「よろしいのですか?!」
「この前の香水は女性向けで無難な配合にしていたので、シルにお似合いのものを作ってみたいのです」
「ありがとうございます、ヴィオお姉様! 実は、もう頂いた分を使いきってしまって、とても嬉しいです!」
それから、庭園を散歩しながらシルフィー様の好きなものを色々教えてもらった。とても話が弾んで、楽しい時間を過ごしながら、ふと北方へ嫁いだ妹の事を思い出す。
マリエッタは私の趣味に全然興味なかったから、こうやって好きなものを語り合う事もあまりなかったわね。
あの子は今ごろ、元気にやってるかしら。
明日はマリエッタサイドの番外編を更新予定です