番外編4、お姉様の温もり(side マリエッタ)
ログワーツ領に来て、半年が経った。ここでの生活は、ただ生きていく事に必死だった。
伯爵家という貴族籍があるにも関わらず、生活は平民とほぼ変わらない。税収は全て街の維持管理費に消えてしまう。
少しくらい贅沢をしたっていいじゃないかと思うのに、領民を守る意識の強いログワーツ伯爵は嗜好品の1つも買わない。というか、近くに買える場所がないのだ。
隣領に買い付けに行くのは、あまりにも時間がかかる。悪天候の時はまず行けないし、お金があっても気軽に買えない。骨董品や絵画より、食料や暖をとるための薪の方がここでは何より大切だった。
だから領民達はお金を持ち歩かない。ここでは何でも物々交換が当たり前で、税として納めてもらうのも、食料や薪、毛皮の防寒具など実用的なものばかり。
隣領で買い付けをする時だけ、ログワーツ伯爵がそれらを換金して必要なものを購入してくる。
お父様に持たせてもらった持参金の金貨はいざという時の資金源として没収され、生活は自給自足の繰り返し。
「疲れた……いつまでこんな生活が続くんだろう……綺麗なお風呂に入りたい……」
バラのお風呂に浸かって香りを楽しみながらゆっくり満喫するなんて時間はなくて、獣の血が染み付いた汚れた体は蒸したふきんで拭うしかない。
王都にあるような簡単にお湯を沸かせる魔道具があるはずもなく、薪をくべて温めたお湯に浸かれるのは3日に一回だけだ。
しかも男尊女卑という風習のあるこの土地では、お風呂に入る順番も決まっている。うちの場合は、お義父様、リシャール様、お義母様、そして私の順番だ。
ごみの浮く真っ赤に染まったお湯に浸かっても気持ちがよいはずなどなく、逆に不快になるだけだった。
だからここでは身嗜みに気を遣う余裕などなくて、髪はバサバサで艶がなく、手は獣の解体と加工品を作る作業で荒れ果ててしまっていた。
ボロボロになった自分の手を見て、昔の事をふと思い出した。
◇
寒い冬の日、使用人達に部屋の掃除が遅いと叱った事があった。あの時確か、癇癪を起こしていた私を宥めにお姉様が来てくださったのよね。
『マリエッタ、掃除が終わるまでいっしょにお茶でも飲みましょう』と。
部屋を出る際、お姉様は使用人達に何かを渡していた。こんな高価なものを受け取れないという使用人達に、お姉様はこう言った。
『私が趣味で作ったものだから、気にすることないわ。後で使用感を教えてね』と。
何をお渡ししたのですかと聞いたら、手荒れに効く軟膏だと教えてくれた。
『冬は乾燥して手が荒れやすいのよ』
何をおっしゃっているのか、その時はよくわからなかった。私の手はいつだって綺麗だったし、荒れることはなかったから。
だけど今ならその言葉の意味がよく分かる。彼女達の手は今の自分と同じように荒れ、所々切れて赤くなっていたのだろう。
彼女達はこんなに痛いのを我慢して、私の身の回りの世話をしてくれていたのだと思うと、自分の気分で頭ごなしに叱りつけていた昔の自分が、義母の姿と重なりひどく滑稽に思えた。
社交界では腫れ物のように扱われていたお姉様だけど、屋敷の中では使用人達からとても慕われていたわね。
私を見ると怯えて挨拶していた使用人も、お姉様を見ると笑顔で挨拶をしていた。
それがとても腹立たしかったけれど、今ならその理由もわかる気がした。とてもじゃないが、義母に笑顔で挨拶なんて出来やしない。また叱られるんじゃないかって、怖くて萎縮して、声を絞り出すのがやっとだもの。義母みたいな昔の私に、誰が近寄りたいと思うだろうか。
それでもお姉様は、私の事をよく気にかけて下さったわね。
もしお姉さまが側に居てくれたら、私にもあの軟膏をわけてくださったのかしら。
どうやって作るのか、聞いておけばよかったわ。
いつも温室に閉じ籠っていたお姉様。植物に囲まれて、土臭い作業ばかりされているのだと思っていたけど、なぜかお姉様からはいつも、良い香りがしていたわね。今の私とは大違いだわ。
ここに来れば、もうお姉様と比べられる事もなくなる。そう思っていたのに、どうして思い出すのはいつも、お姉様の事ばかりなのかしら……
そういえば、こちらへ来る前にお姉様が持たせてくれたものがあったわね。生活が慌ただしくて、荷ほどきさえ中途半端に終わっていた。ここではドレスなんて意味がないから、持ってきたもののほとんどの使い道がないせいでもある。
何が入っているのかしら。箱を開けてみるとまず目に入ったのは、手紙だった。
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マリエッタへ
ログワーツ領はとても寒い地域だと聞きます。
お肌も乾燥しやすいと思うから、
こまめにお手入れをした方がいいわ。
私の作ったものだけど、よかったら使ってみてね。
大きな缶は、ボディクリーム
中くらいの缶は、ハンドクリーム
小さな缶は、リップバーム
紫のチューブは、怪我をした時に塗る軟膏
赤いキャップのボトルは、化粧水
青いキャップのボトルは、乳液
大きいボトルスプレーは、ヘアオイル
それと、緊急時に寒さを凌ぐための温感スプレーも同封しているわ。
衣類にワンプッシュすれば寒さを凌ぐことができるはずよ。
ポケットに入るサイズだから、外出の際にでも使うといいわ。
慣れない寒い地域での生活は大変だと思うけど、頑張ってね。
もし気に入ってくれたのならいつでも送ってあげるから、気軽にお手紙でもちょうだいね。
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「お姉様……、ありがとうございます……っ!」
思わず、ポロポロと涙が流れた。
私が今一番欲しかったものが、そこにはたくさん詰まっていた。
その日私は、お姉様にもらったもので全身のお手入れをしてから眠りについた。
翌日、驚く事に荒れ果てていた手や肌、ボサボサだった髪は綺麗になっており、カサカサだった唇は潤いを取り戻していた。
「マリエッタ、今日は一段と綺麗だな!」
リシャール様から久しぶりに褒められて嬉しかった。けれど同時にすごく惨めな気持ちになった。
ここでは周囲の女性達があまりにも身嗜みを疎かにしていて、まともな化粧品も手に入らない。しかもここまで効果のあるものなど、王都でも中々手に入らないだろう。私が以前使っていたものよりも、何倍も質がいい。
こんなに素晴らしい物を作れるなんて、お姉様はやっぱりすごいわね……それに比べて私は……こんなに過酷な結婚生活になるんだと分かっていたらと後悔しかなかった。
(お姉様の仰っていた事に、もう少しきちんと耳を傾けていれば良かった……)
いつ届くのか分からないけれど、私はお姉様に手紙を書いた。感謝と過去の思い出話に、『たすけて』という暗号を込めて。
◇
「マリエッタ、お前をログワーツ伯爵家の人間として認め、今日から重要な役目を与えるよ。裏山の祠に祈りを捧げてきておくれ」
「かしこまりました、お義母様」
お供え物の地酒を渡され、家の外に放り出された。
ザク、ザク、ザク
雪の中を歩き裏山の祠へと向かう。
神への祈りは領主であるログワーツ伯爵家の女性が行わなければならない――古臭いしきたりに従わされ、天候が悪い日ばかりを狙ってその役目を押し付けられるようになった。
吹雪いて視界がかすむ。寒さでかじかむ手足から感覚が無くなっていく。そんな時、とあるスプレーを吹きかければたちまち身体がぽかぽかになる。
残りわずかとなったそれを見て、ガクガクと恐怖に震える。お姉様がくれた温感スプレー、それだけが今の私にとっての命綱だった……
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
使ってるメモ帳アプリのトラブルで、データを整理しながら供養のために投げたお蔵入り作品がまさかこんなに読んでもらえるとは完全に予想外でした。
最初は長編として考えてた作品なので、妹ちゃんサイドが若干ホラー気味で終わってるのは、打ちきりエンドの代償です。一応、続きの救済エンド(マリエッタ編)の構想だけ残しときます。
◇
手紙で異変に気づいたヴィオラは、アレクシスと共にログワーツ領へ。
あまりにもやつれはて変わり果てたマリエッタの姿を見て、堪えきれずリシャールに思わず平手打ち。
「妹を必ず幸せにするという言葉は嘘だったの!?」
洗脳されたマリエッタが「リシャール様は悪くないの。私が上手く出来ないのがいけないの」と庇う姿を見て胸が痛くなる。
「領民を守るためには、仕方ない事だ。領民を守るのが、この地を納めるログワーツ伯爵家の務め。マリエッタもそれを理解してくれている」
虚ろな目でそう語るリシャールに、ヴィオラは違和感を覚える。
学生時代のリシャールは、誰かを犠牲にして領民の幸せを追求するような人ではなかったと。
「ヴィオ、ここは酷く空気が歪んでいる。何か原因が別にあるよ」
アレクシスが異変に気づいた瞬間、領民達が何かに操られるかのように襲ってくる。
裏山の祠が原因だと気付いたヴィオラとアレクシスは、それを壊しログワーツ領に滞った邪気を精霊の力で払う。
領地全体が邪気に取り憑かれ、しきたりを守る事に固執させられていた事が判明し、皆が正気を取り戻す。
しばらくは療養のためにマリエッタを連れ帰り、数年後――精霊と契約し領地を住みやすく改革したリシャールがマリエッタを迎えに来る。
みたいな感じで、真実の愛を貫いた二人にも最後にはハッピーエンドをって感じで考えてました。
その間、ヴィオラとアレクシス側は、フレグランス専門店を作ったりして、社交界の香り改革をしていく感じです。
もし需要があれば、長編化も考えてみようかなと思います。
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