1、妹が婚約者と真実の愛に目覚めました
この温室とも、後少しでお別れなのね……
結婚を半年後に控え、感傷に浸りながら大切に育ててきた花達の世話をしていると、バタンと勢いよく扉を開ける音が耳に入る。
振り返ると婚約者のリシャールの姿があった。よほど急ぎの用事でもあったのだろうか、切羽詰まった顔をして立っている。
「すまない、ヴィオラ。君との婚約を解消させてもらえないだろうか」
そう言ってリシャールは、頭を下げた。北の極寒地帯であるログワーツ領を治める伯爵子息の彼は、領民を大切にし、真面目で不器用ながらも優しい男だった。きっと何か理由があるのだろう。
まぁ、彼の背中からひょっこりとこちらを窺うように顔を出している妹マリエッタの姿を見れば、理由はなんとなく予想はつく。けれど、一応形式的に聞いておこう。
「理由を聞かせてもらっても、よろしいかしら?」
「俺は……真実の愛を、見つけてしまったんだ」
「えーっとお相手は……その後ろにいる……」
「君の妹のマリエッタだ」
正直またか、という感想が一番に思い浮かんでしまうくらいには慣れてしまったこの状況だけど、今回ばかりは感謝したい!
だってマリエッタが代わりにログワーツ領へ嫁いでくれるなら、私はまだこの温室で大好きな花達に囲まれて調香を楽しむ事ができるんだもの!
「お姉様、ごめんなさい! でも私、どうしてもリシャール様を諦められないの。真実の愛に目覚めてしまったの。私はきっと彼に出会うために生まれてきたの。そう思えるくらい、愛してしまったの」
泣きながら許しを請うマリエッタ。そんな庇護欲をそそる彼女の腰に手を添えて隣で優しく支えるリシャール。二人の姿は、はたからみると仲の良い恋人同士にしか見えないだろう。
そしてそれを見下ろす私の姿は、マリエッタをいじめて泣かせる悪女のようにでも映ってしまうのかもしれない。
恨めしい、顔の作り!
安心して、マリエッタ。お姉ちゃんは全く怒ってないのよ! むしろ、こちらがお礼をいいたいくらいだわ!
でも婚約を解消してくれてありがとうなんて言っては、リシャールに失礼よね。流石にここでは言えないわ。
うちの家系は貴族の中では珍しく、両親も真実の愛で結ばれた方々だ。マリエッタが生まれてお母様が亡くなった後も、後妻を迎えることなくお父様はお母様を愛し続けておられる。
だから『真実の愛に目覚めた』と言えば、お父様は相手が誰であろうと耳を傾けてくれる。
ただ心配なのは、これが初めてではないということ。妹はとても恋多き女性で、そうやっていつも『真実の愛に目覚めてしまった』と私の婚約者と恋に落ちる。残念な事に、その前に二回程目覚めた真実の愛もあまり長続きしなかった。
マリエッタは昔から、少々飽きっぽい所がある。綺麗に着飾ることが大好きだったマリエッタは、私の持つドレスやアクセサリーに靴と、色んな物を欲しがってきた。どうせサイズが小さくなって着れなくなっていくものだし、彼女が望むまま私はそれらをあげてきた。
大事にしてくれるのならよかったのだけれど、マリエッタは自分の物になった瞬間、興味をなくしてしまう所がある。それは恋も一緒で、今までの婚約者とも、別れる際に色々いざこざがあって、後処理にお父様が手を焼いていたのよね。
さすがに三度目ともなれば、間違いでしたではもうすまないだろう。お父様が修道院の資料を集めているのを私は見てしまった。
次なにか不祥事を起こそうものなら、マリエッタは強制的に修道院送りになってしまうかもしれない。
結婚という牢獄から私を救ってくれる救世主様を、修道院送りになんて出来ないわ。
「マリエッタ、ログワーツ領はとても寒いところなの。こことは違って生活も不便な点が多々あるわ。食事だって……」
「お姉様は私を諦めさせたいから、そのような事を仰るのですか?」
あちゃー、意地悪言ってると思われてしまった。
「違うわ、貴方に本当の覚悟があるのか確かめているのよ。何があっても、リシャールと一生を添い遂げる覚悟があるのね?」
「はい、勿論です! 心からリシャール様をお慕いしています」
どうやら妹の意思はとても固いようだ。マイナス面も考慮した上で、それでも一緒に居たいっていうのなら、もう私が心配してあげることはないわね。
「ヴィオラ、本当にすまない。非常に勝手な願いなのは分かっているが、俺は心からマリエッタを愛している。だからどうか、婚約を解消させてほしい」
何か逆に謝られすぎて少し気の毒になってきたわね。私は万々歳で歓迎なのに。
「分かったわ。愛し合う二人を引き裂くのは可哀想だもの。私との婚約を解消して、マリエッタと新たに婚約するといいわ」
「ありがとう、お姉様! 私、リシャール様と幸せになるわ!」
「ヴィオラ、今までありがとう。マリエッタは俺が責任をもって幸せにするから、安心してくれ!」
「ええ、マリエッタ。今度こそ幸せになりなさい。リシャール、妹のこと頼んだわね」
「ああ、任せてくれ!」
二人を笑顔で見送った後、幸せを一人噛み締めていた。思わぬ形で婚約を解消出来た事が嬉しすぎて涙が出そうになる。
極寒地帯である雪に囲まれたログワーツ領では、まともに植物が育たない!
リシャールとの結婚における、私にとっての一番のマイナスポイントはそこだった。そうなれば趣味の調香も出来ない。結婚は人生の墓場だと諦めていた所にやってきた、思わぬ朗報!
ああ、神様!
普段はあまり信じてないけれど、今回ばかりはありがとうございますと声を大にして言いたい。こんな奇跡が起こるなんて……!
「お母様。どうかマリエッタが幸せになれるように、天国から見守っていてくださいね」
生前、お母様が大好きだったブルースターの花壇の前に腰を下ろし、私はそっと花びらを撫でる。
リシャールに嫁げば絶対に苦労する事が目に見えてわかる、北の極寒地帯へ行かねばならない。さらに加えて、閉鎖的で独自の風習があるというログワーツ領の生活は、とても過酷だと本で読んだ事がある。
水の上級精霊ウンディーネ様の加護があるとはいえ、魔道具で便利な生活を送る王都に比べたら交通や流通も不便。他領との交易もし辛い場所での生活は、何かと苦労することが多いだろう。
領地を立て直すために、ログワーツ伯爵家は格式高い家門との縁談を求めていた。
しかしどこの家門も、そのような支援目的でマイナス条件の多い縁談を受けるはずがない。
そこで手を挙げたのが、ヒルシュタイン公爵であるお父様だった。
お父様はリシャールの誠実で優しい人柄を大変気に入っていた。
二度も婚約を解消したいわく付きの私には、良い縁談なんて望めない。それならばせめて人柄のいい男性をと紹介してくれたのが、リシャールだった。
お父様は縁談を無理強いすることはなく、マイナス面もきちんと話してくださった上で、私が苦労しないよう多額の持参金で支援して送り出してくださる予定だった。
正直、結婚なんてしなくてもいいと思っていた。
それでもこの婚約を受けたのは、『命の恩人である前ログワーツ伯爵の恩義に少しでも報いたい』という、お父様の願いを叶えてあげたかったからだった。
大した娯楽もない田舎の極寒地帯など、マリエッタは絶対に嫌がるのが目に見えていたし、大切な妹をそんな過酷な環境に嫁がせたくもなかった。
だからこうやって二人が相思相愛になってくれたのは、もはや奇跡としか言いようがない。
正直嫁ぐのが私でもマリエッタでも、向こうは多額の持参金さえあれば問題ないだろう。そこに『真実の愛』の力が加わるんだもの、最強じゃない!
ありがとう、マリエッタ。真実の愛に目覚めてくれて!
お姉ちゃんは、貴方の愛の行方を温かく見守っているからね。












