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富豪令嬢~推しは金より尊しですわ~

作者: マチバリ

お金ですべて解決したいなと思って書きました。色々ふんわりです。

長編化して書籍になりました(ページ下部にリンクあり)

 

「たったの五億ベルでしょう」


 なんの悪意も含まないその一言に場の空気が凍り付く。

 発言した張本人であるパトリツィア・レッジは大きな青い瞳をぱちくりとさせ、すぐ隣に控えた護衛騎士のロルフに顔を向けた。


「ロルフ。どれくらいで用意できますの」

「すぐにでも」

「だ、そうですわ」


 パトリツィアは再び正面を向いてにっこりと微笑んだのだった。





 大陸随一の豊かさを誇るココル王国。

 その中でもっとも資産を持つレッジ男爵家は、ココル王国最大の財源である鉱山のおおよそ六割を所有している鉱山富豪である。鉱山から採れる石炭や重金属の流通販売にはじまり、それを輸送する鉄道に船舶などなど国内のありとあらゆる産業に関わり、総資産額は国家予算のおおよそ百年分はあるのではないかと言われている。

 そのため、単なる男爵家でありながら王国主催の行事には必ず呼ばれ貴賓席に案内されるほどの重鎮だった。


 とはいえ、レッジ家は元々はただの商人の家系で男爵家を名乗るようになったのはほんの二代程前だ。

 没落寸前だった男爵家の令嬢が使用人を助けて欲しいと当時のレッジ家当主に身売りをするつもりで直談判に来たところ、出会った二人はまるでドラマのように運命的に恋に落ちたのだ。

 当時のレッジ家の当主はその男爵令嬢と結婚。ついでに男爵位を継いだものの、別に貴族階級に一切興味はなかったらしい。

 だが妻の故郷が寂れていくのは心苦しかったらしく、当主は男爵家の領地で半分死んでいた養蚕産業に金と人材をこれでもかと投資した。領民たちに良い暮らしをさせるための名目上の投資だったのだが、新たな領主の政策に感動した領民たちは大奮闘。

 結果として上質な黄金色のシルク生地が誕生してしまった。

 儲けるつもりはなかったものの、良い商品を売るのは商人の務めとレッジ家はシルク生地を社交界で大々的に売り出したのだ。

 当時は海外から輸入した質の悪いシルクが主流だった社交界は、レッジ家が売り出した黄金色のシルクに飛びついた。しかも採算度外視の低価格だったこともあり、あっという間に大流行。

 競うように着飾りたがる貴族たちに応えるために、シルクの色をランクごとに別けて高級なものほど黄金に、庶民でも手に取りやすい安価なものは白くと格差を付けて売り出したことにより国内中のシルク流通を一手にまかなうことになってしまった。

 男爵家の領地は一大養蚕地域として国内でもっとも栄える土地になり、今では王都に負けない賑わいを見せている。


 愛こそ全て。

 それがレッジ家の家訓である。

 愛するもののために使ったお金は必ず莫大な儲けとなって返ってくる。

 だからこそ、推しへの金は惜しんではならない。


 レッジ家当主の娘であるパトリツィアもその教えを胸にこれまで生きてきた。

 わずかにウェーブのついたつやつやと輝くプラチナブロンドのロングヘアーに、宝石のような青い瞳。陶器のような艶やかな肌と木苺色の小さな唇。まるでビスクドールのように整った美しい少女である彼女は、家族からの有り余るような愛と投資によって社交界で燦然と輝く存在感を誇っていた。

 着ているものは流行の最先端。しかし持ち物は王家御用達の老舗や有名な職人たちが作り上げた一級品。

 歩く金山、座るダイアモンド、笑う姿は大輪の薔薇。

 国内の有力貴族の子どもたちが集う学園では常にトップクラスの成績をキープするという完璧令嬢だった。

 ともすれば嫉妬の対象になりそうなものだが、残念ながら彼女を妬む声は少ない。


「だって、パトリツィア様ですから」


 パトリツィアと同窓の女生徒たちは「ねぇ」と顔を寄せ合い苦笑いを浮かべる。


「パトリツィア様はそういう嫉みや妬みとは一線を画した存在ですわ」

「私たちがあの方に向かって何かを言うなんて逆に恐れ多いことだと思います」

「ええ、むしろパトリツィア様は私たちにとっては美の女神(ミューズ)も同然ですし」


 彼女たちが語る言葉には憧れと尊敬、ほんの少しの諦めが混じっていた。

 パトリツィアが何故そのような立場を築いているのかといえば、それにはある事情があった。

 それは。



「あなたたち! 自分が何をしたのかおわかりなの!」


 ヒステリックに喚く教師の声に、教室の生徒たちは凍り付く。

 教師の足元には豪華な花瓶だったものの残骸が無残にも散らばっていた。

 幸いだったのは花瓶の中身は空だったことくらいだろう。

 問題なのは、その花瓶がこの学園を卒業した王族が記念品にと置いていった超高級品であること。価値にしておおよそ一億ベル。庶民ならば十回転生しても稼げない額だろう。

 なんでそんな高いものが教室にあるのだと生徒の大半は思っているが、良いものを身の回りにおいてこそ育まれる教養もあるという理念の元、その花瓶は教室の窓際に飾られていた。

 それが、あろうことか割れたのだ。


「この花瓶の価値を知っていて! 一体誰が犯人なの! 名乗りでなさい!」


 甲高い教師の声に動くものはいない。

 生徒たちは押し黙り顔を伏せお互いに目配せし合っている。

 その態度に教師はますます眉をつり上げた。


「ええい埒があきません! こうなれば学園長先生に」

「それには及びませんわ、先生」


 凜とした声が教室に響いた。

 その声に教室中の人間が動きを止め、顔を上げる。

 口角から泡を飛ばす気負いで叫んでいた教師もだ。


「ミス・レッジ。まさかあなたが割ったのですか」

「まさか」


 女教師の問いかけにパトリツィアは心外だと言わんばかりに首を振る。


「私はそのような安物には興味がありませんのでそこに置いてあることも存じ上げませんでした。それに私は今この教室に入ってきたばかりですし、先ほどまではサロンにおりましたので花瓶を割るのは物理的に不可能です。ね、ロルフ」

「はい。お嬢さまにその花瓶を割る時間はそもそもありませんでした」


 パトリツィアの少し後方に控えた護衛騎士のロルフが恭しく頷く。

 ロルフはレッジ家に仕える騎士で、年が近いという理由でパトリツィアと共に学園に通っている。

 制服姿だが帯剣を許されていることや、この国では珍しい黒い髪と鋭い眼光も極まってちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。


「そ、そう……」


 淀みのないパトリツィアの言葉とロルフの迫力に女教師は一瞬だけ怯む。

 だがすぐに表情を険しくさせ、二人を睨み付けた。


「ではあなた方は教室を出ていきなさい。関係がないのならば口を挟まないことです」

「いいえ先生。いつまでも先生が怒っていらしては授業がはじまりません。このままではカリキュラムに重篤な遅れが発生する可能性がありますわ。私としても大変困ります」

「う……」


 冷静な言葉に教師も分の悪さを感じ唇を噛む。


「でも、この花瓶はとても価値があるものなの! 割れたとなれば学園の威信が……」

「先生。物質はいつか壊れるものです」

「は……?」

「いくら高級品でもいずれは壊れると言っているのです。おじいさまもよく言っていますわ。それにたった一億ベルぽっちの花瓶が割れたくらいで揺らぐような威信など捨ててしまえば良いのです。先生もそのような安物が壊れたくらいで怒っては身体に障りますわよ」

「な、な、な……」


 パトリツィアの言葉に女教師は顔色を青から赤、赤から白へと変えて言葉を失っている。


「そんなにその花瓶が重要ならば我が家の金継ぎ職人を呼んで修繕させましょう。我が家が所有する金山から採れた最高級の純金を使って処理しますので……そうですわね、一億ベルほど価値が上がる程度ですわ。学園長と王家には私から事情を説明しておきますからご安心を」

「あっ、あなた! 何でもお金で解決すればよいと思っているのですか!!」

「はい。お金で解決できることはお金で解決すれば良いと思いますわ。お金は使うためにあるのですから」


 にっこりと大輪の薔薇のような微笑みを向けられ、教師はとうとうその場に座り込んでしまった。


「それに先生。おそらくこの花瓶は誰かが故意に割ったものではありませんわ。机をご覧ください」

「え……?」


 花瓶に近づいたパトリツィアが花瓶が置かれていた机の上を指さす。

 のろのろと立ち上がった女教師がそこに視線をやれば、花瓶が置かれていた部分だけ埃がないのがわかる。花瓶はずっとそこにあったのが一目瞭然だった。


「誰かが触れたのならば、埃がずれていたり周囲に何かしらの痕跡が残っているはずですわ。でもそのような痕跡はありません。加えて、このレースのカーテン。窓を開けるときは必ず左右に留めておくはずなのに今日は日差しが強かったのでそのままになっているようですね。先ほど、思いがけない強風が窓を揺らしたのを覚えておいでですか? おそらくは風であおられたカーテンが花瓶に当たって落としただけだと思いますわ、先生」


 教師はパトリツィアの推理をぽかんとした顔で聞いていた。それから花瓶の位置やカーテンの動きなどを確認し、申し訳なさそうに眉を下げる。

 ちらりと教室の生徒たちに向けた視線は泣きそうに潤んでいた。

 対する生徒たちは理不尽な怒りをぶつけられたことに少々苛立ち気味だ。

 とても今更授業をはじめる空気ではない。


 そんな空気を裂くように、パン、と小気味いい音が響き渡った。

 パトリツィアが両手を合わせたのだ。


「皆さま。先生はこの花瓶が割れたことで学園が王家から責められ、皆さまの経歴に傷が付くことを懸念されたのですわ。少々感情的な態度であったことは否めませんが、事実がわかったことで先生も深く反省しておいでです。ね、先生」

「え、ええ……よく確かめもせずあなたたちに対して声を荒らげてしまったことを悔いています……ごめんなさい」


 教師が素直に頭を下げたことで、生徒たちの表情に迷いが生じる。

 許してあげるべきではないか。あんな高いものが壊れたんだからと。


「皆さまの一部の聡い方々は花瓶が割れた原因がカーテンであると気がついていたのではなくて? さっきは風がずいぶんと強かったですからね。でも自信がなくて発言できなかったのでしょう? ですが先生は必死になるあまりに皆さまの沈黙を罪の隠匿と勘違いしてしまったのです。誰かが勇気を持って発言していればここまで拗れなかったかもしれませんわ」


 生徒たちの何人かがはっとした顔をする。心当たりがあるのだろう。騒動に巻き込まれたくないあまりに無言を選択してしまった生徒たちの表情に気まずさが混じる。

 教師と生徒たちをぐるりと見回したパトリツィアは再びにっこりと薔薇のような笑みを浮かべた。


「そこで私から提案ですわ。今日の授業は庭園の温室で行いませんか? 準備は全て私が請け負います」


 ざわり、と教室が驚きに揺れる。


「先生。今日の授業は植物学でしたわよね。温室で実物を見ながらであればきっと皆さんの理解も早いです」

「え、ええそうですね……」

「皆さんもこの教室では息苦しいでしょう? 花瓶は温室で授業をする間に片付けるように指示しておきます。さ、移動しましょう」


 決まりとばかりに両手を合わせたパトリツィアに、教師と生徒たちは戸惑いながらも教室を出て行く。

 それを見送ったパトリツィアはくるりとロルフに向き直った。


「ロルフ」

「すでに手配をしております。温室には生徒全員のお茶と新品の文房具を用意しましたから問題なく授業を開始できるはずです。また花瓶の修繕に関してもすぐに職人がくるかと」

「流石ね。特別報酬をあげなくっちゃ」

「結構です。俺はレッジ家に適正な給与で雇われていますので、これは仕事のうちです」

「……あなたって本当に真面目ねぇ」


 どこかつまらなそうにパトリツィアは唇を尖らせるが、すぐに気持ちを切り替えて笑顔を浮かべる。


「なら私たちも授業に参りましょう」

「はい」




 と、パトリツィアは学園で起こる大小様々な事件をお金で華麗に解決してしまうのだ。

 しかもちょっとした推理付きで誰にも腹を立てる隙を与えない。

 あまりにお金の使い方が豪快すぎて、嫉妬という範疇からは飛び出してしまっているのが現状だ。


 故に、歩く金山、座るダイアモンド、笑う姿はプラチナの薔薇。

 もはや同じ人間とは思われていない節さえある。

 本人は周囲から遠巻きにされていることはわかっていても、その理由までは思い至らないようで「なかなか親友ができないわ」などと言ってロルフを困らせていたりする。




 さて、そんなパトリツィアにはちょっとしたお楽しみがあった。

 パトリツィアはレッジ家の人間らしく、美しく価値のあるものが大好きだ。

 その審美眼がレッジ家を繁栄に導き、現在の地位を築いているといっても過言ではない。


「ああ。今日も美しいわねシェイラ様は」

「またフラン公爵家のご令嬢をご覧になっているのですか」

「ええ。見てご覧なさい、あの銀を糸にしたような美しい髪。満月のような琥珀色の瞳。何もかもが精巧で、本当にお美しいわ」


 学園の二階部分にあるバルコニーでお茶を飲んでいるパトリツィアが頬に手を添えてうっとりと眺めているのは、庭園をしずしずと歩くフラン公爵家の令嬢シェイラだ。

 パトリツィアが薔薇ならばシェイラは百合のような清楚な美しさを持っていた。彼女が歩くだけで廊下の人波は左右に割れ、その高貴さと美しさにひれ伏すものが多数いる。


「シェイラ様がこの国の未来の王妃になると思うとうっとりするわ。結婚式のドレスや宝石を仕立てる権利をどうやれば手に入れられるかしら」


 本気で悩んでいるパトリツィアにロルフは「またか」という顔をする。

 パトリツィアは気に入ったものを見つけると際限なくお金をつぎ込む悪癖がある。

 本人曰く『推し活』と称されるその活動は、人に限らず場所であったり商売であったりと様々だ。

 ロルフは無駄遣いは控えるべきだと再三注意していたが、パトリツィアに聞く耳はない。


「どうせお小遣いは有り余っているのだからいいじゃない。おじいさまもお金は使ってこそだと言っていたわ。私は好きなものにお金を惜しみたくないの」


 と言ってまったくやめようとしない。

 先日などお忍びで出掛けた先のさびれたパン屋の味が気に入ったと、店主を引き抜きレッジ家の領地に巨大な店を作って店主にしてしまったのだ。曰く、領地で隠居生活を送っているおじいさまに食べて欲しかったから、と。

 パン屋の店主は最初は恐れおののいていたものの、新しい店にすぐ馴染み今では毎朝行列ができる名店となり、最近では王都の中央に支店まで出してしまった。

 店主はパトリツィアに心酔しており、頼んでもいないのに、売り上げの半分をパトリツィアに送ってくるようになってしまった。


「またお小遣いが増えてしまったわ。私は推しに輝いて欲しいだけなのに」


 しょんぼりしながらパン屋の主人から届けられるお金を数えるパトリツィアにロルフはため息をつくほかない。


 そんなパトリツィアの今一番の推しこそがシェイラだった。


「そんなにお慕いしているならば声をかければよいではありませんか」

「もう! ロルフはわかってないわね。推しは遠くから愛でてこそなの。シェイラ様の完璧な美しさの前に私は不要だわ」

「……お嬢さまは鏡を見たことがないので?」

「毎朝見てるわよ?」


 ロルフは突っ込むのを諦め、パトリツィアは再びシェイラ観察へと戻った。

 庭園を歩くシェイラの姿はまるで一枚の絵画のようだ。

 うっとりと目を細めていたパトリツィアは、その進行方向に視線を向けてスッと目を細める。


「あら、嫌だわ。またあの子よ」

「ん? ああ、あの我が儘令嬢ですか」


 二人の視線の先にいたのは明るい栗毛をした愛らしい少女だった。

 彼女はベル伯爵家の令嬢レジー。つい最近、特別編入してきたちょっと目立つ存在だ。

 レジーは伯爵がメイドに手を付け産ませた庶子だという。母親が病気になったことから伯爵に引き取られて、貴族の仲間入りを果たしたという経歴を持っている。

 貴族社会のイロハを知らぬために問題行動が多く、学園でなければ無礼だと断じられてもおかしくない発言ばかりを繰り返す。

 レジーはその所作と境遇から貴族令嬢たちからは煙たがられていたが、一部の男子たちからは「そこがいい」と人気を集めていた。



「あの子、また殿下に話しかけていてよ」

「ああ……」


 げんなりした顔でロルフがパトリツィアの言葉に頷く。

 よくみればレジーの横には背の高い青年がいた。パトリツィアよりは劣るが美しい金髪をした美丈夫だ。

 彼こそはこの国の王子であるアルドだ。


「もうっ。これじゃまたシェイラ様が殿下と話せませんわ」

「あの伯爵令嬢。編入初日に殿下に助けて貰ったからと、ひな鳥よろしくべったりですからね」

「だからって婚約者であるシェイラ様をないがしろにしていい理由にはなりませんわ」

「殿下も庶民出身の彼女を面白がっている様子ですからね。まあ俺から言わせてもらえばあれは……」

「ああもう、じれったいわ。私、早くシェイラ様のドレスを仕立てたいのに」

「そこですか」


 ロルフの突っ込みを無視してパトリツィアは一同の動きを食い入るように見つめている。

 シェイラはアルドの姿を見つけたようで一瞬だけ表情を輝かせるが、その横にレジーがいることに気がつき表情を曇らせる。


(ああ、切なげな顔までお美しい。シェイラ様のアクセサリーはやはり真珠がいいかしら。小ぶりな真珠の粒を揃えて三連にして……以前、環境整備にお金を出した入り江で真珠産業が盛り上がってるらしいからお願いすれば送ってくれるはずよね)


 そんなことを考えていると、どうやら雲行きが怪しくなってきた。

 なんとレジーがシェイラに向かってなにやら叫びだしたのだ。距離がありすぎてはっきりとは聞き取れないが、よくないことを言っているのがわかる。

 その横でアルドが必死になだめているがレジーは更にヒートアップしているようだ。


「……ロルフ、行くわよ」

「えぇ」


 嫌そうな声を上げつつもロルフはパトリツィアに逆らうことはない。

 颯爽と歩き出した彼女の後ろに静かに付き従う。




 パトリツィアが庭園に降りたときはすでに周囲に人垣ができていた。


「シェイラ様は酷いです。私が庶民の出だからって差別して。殿下まで独り占めして!」

「なんのことだかわかりませんわ」

「嘘を言わないでください。私のことだって虐めて……」

「本当なのかいシェイラ?」

「殿下まで私をそんな風に?」


 明らかな修羅場である。

 シェイラはレジーに追及された上、アルドにまで疑いの視線を向けられ泣きそうだ。

 真珠が似合うとはおもったが、真珠のような涙を流して欲しいわけではない。


「少しよろしいでしょうか」


 気がついたときには凜と声を張り上げていた。

 周囲の視線が一斉にパトリツィアに向く。

 その横ではロルフが掌で顔を覆っているが、無視する。


 人垣がさっと左右に分かれたのを確認してパトリツィアはゆっくりと三人の方へと近寄っていった。

 困惑の視線を向けられ、パトリツィアはにっこりと微笑む。


「ごきげんよう、皆さま」

「ごきげんよう……」

「ああ」

「……」


 シェイラとアルドは挨拶を返したが、レジーはじっとりとした視線をパトリツィアに向けていた。

 おそらくパトリツィアが何者なのかを知らないのだろう。


「私はパトリツィア・レッジと申します。少しお時間をよろしいかしら」

「なんですか、あなた! 私は殿下とシェイラさんと話をしているんですけど」

「さようでございますか。ですが私も皆さまにお話がありますの」

「だからっ……」


 苛立ったレジーがパトリツィアに食ってかかろうとするが、後ろに控えているロルフが腰の剣に手をかけて身構えたために口をつぐんだ。


「申し訳ありません。私、これ以上シェイラ様が悲しむのを見たくないんです」

「え!? 私?」

「はい。シェイラ様がそこのレジー様を虐めているなんて真っ赤な嘘ですから」

「どうしてそんなことがわかるのよ」

「見ていたからです」

「は?」


 一同がわけがわからないという顔をするがパトリツィアはとまらない。


「ここ数週間。私はシェイラ様にどんなドレスや宝石が似合うかを想像するために、シェイラ様が学園でどのように過ごされているかずっと調べさせていたんです。少なくともレジー様がおっしゃるような接触は一切なかったとレッジ家の名誉にかけて証明できますわ」

「なっ」

「ひえっ」


 驚きの声と悲鳴が混じる。


「シェイラ様はそれはそれは素晴らしい淑女でしたわ。お優しく聡明でお美しい。まさに未来の王妃にふさわしい」

「そうだろう」


 何故かアルドが満足げに頷くが、それに対してパトリツィアは鋭い視線を向ける。


「殿下も酷いですわ。いくらシェイラ様が嫉妬してくださってるからといって、レジー様と仲良くするなんて。悲しませるなんて殿方の風上にも置けませんわよ」

「なっ……!」

「えっ……!?」


 アルドの顔が一瞬で真っ赤に染まる。シェイラも驚いた顔でアルドを見た。


「シェイラ様を見守っているうちに、私と同じようにシェイラ様を遠くから見つめる同志がいることに気がつきました。それはアルド殿下、あなたです」

「うっ……それは」

「シェイラ様は本当に美しいので見守ってしまう気持ちはわかりますわ殿下」


 わかるわかると頷くパトリツィアにアルドは顔を赤くしたり青くしながら「ああ」とか「うう」とか情けない声を上げている。美形が台無しである。


「シェイラ様はきびしい妃教育の影響で感情を表に出すのが苦手なご様子。殿下がどんなに話しかけてもいつも完璧な笑み。それは確かに素晴らしいのですが、やはりお寂しかった気持ちはわかります。ですが、乙女心を弄ぶなど言語道断ですわ」

「あの、どういうことでしょうか?」


 理解できないという顔で話しかけてきたのはシェイラだ。

 パトリツィアははじめてシェイラから話しかけられた喜びに頬を染めながら「それはですね」ともったいぶった口調で語りはじめる。


「レジー様が殿下の傍にいるときのシェイラ様は、本当に可愛いのです」

「えっ!?」

「瞳を切なげに揺らし、感情を表に出すまいとする姿。本当に尊いですわ」

「えっ? えっ?」

「本当にアルド殿下を想ってらっしゃるのだなと伝わって参ります。本当に眼福なのです。苦しむあなたを見て喜んでしまっている私をお許しくださいね……でも、推しの苦しむ姿からしか得られぬものもあるのも事実で」

「お嬢さま、話が逸れてます」

「はっ! ありがとうロルフ」

「いえ、慣れてますから」


 こほんと咳払い一つして、パトリツィアは表情を改める。


「アルド殿下はいつも冷静なシェイラ様が表情を崩される瞬間に味を占めたのでしょう。それゆえ、レジー様を完全に排除する勇気がなかったのですわね」

「ぐ……」


 パトリツィアの指摘に、アルドは短く呻く。


「その通りだ……」

「殿下!?」

「すまないシェイラ。謝って許されることじゃないのはわかっている。だが君はいつでも完璧で……俺のことなどどうでもいいのかと」


 アルドは項垂れながらシェイラの前へと近づく。


「俺は引き合わされたときからずっとシェイラに夢中だった。でも、王子という立場では親しげにすることもできなくて」

「殿下……」

「学園に入ってからは余計に生徒の模範になるように自分を律していた。シェイラがますます美しく完璧になっていくのが怖くて。でもこの女(レジー)を側に置くようになったら、君が表情を変えてくれて……」


 情けない男の独白に場の空気がしらけはじめる。

 これは百年の恋も冷めるのではないか。そんな雰囲気になりかけた。だが。


「うれしい……」

「シェイラ?」

「私も、私も殿下をずっとお慕いしておりました。でも最近はレジー様といつも一緒で。私はどう頑張ってもあのような振る舞いはできないので。悔しくて。こんなみっともない嫉妬を抱いてしまう私は殿下にふさわしくないんじゃないかって不安で」

「シェイラ!!」


 頬を赤らめ恥ずかしそうに告白するシェイラの姿に感極まったように叫ぶアルド。

 感動し両手で頬を押さえるパトリツィア。


「尊いですわ! 本音を叫ぶシェイラ様なんて可愛らしいの!!」

「よかったですねお嬢さま」


「よくないわよ!!!」


 大団円になりかけたその瞬間、叫び声を上げたのはレジーだ。


「何よそれ。私、とんだ当て馬じゃない」


 瞳に涙をいっぱいにため、レジーは身体を震わせている。


「わ、私がなんのために殿下を……」

「お母様のためだったのでしょう」

「え……!?」


 再び一同が動きを止める。


「存じておりますわ。あなたのお母様が病気だなんて真っ赤な嘘。王子を籠絡するために伯爵がレジー様のお母様とそのご主人を人質にとっていらっしゃるのでしょう?」

「なんで……」

「シェイラ様を意味なく苦しめているのであれば、相応の報いを受けて頂こうと思ったまでですわ。でも実際は、お母様と育てのお父様が多額の借金を負わされて苦しんでいると知りました。あなたも大変ですわね」

「う……うわぁああん」


 レジーはその場にしゃがみ込むと子どものように泣き出した。


「だって、五億ベルなんて大金返せるわけないのよ。私が殿下を誘惑できたら伯爵が借金を帳消しにしてくれるっていうから」

「レジ-……そうだったのか」

「レジー様、私てっきり……」

「本当は私だってお二人の邪魔をしたくなかったのに……でも、そうしないとお母さんたちが……」


 泣きじゃくるレジーを慰めるアルドとシェイラの姿に、パトリツィアは感動したように胸を押さえる。


「尊い、ですわ」


 目の前の光景の美しさに見とれ、パトリツィアはふうふうと呼吸を荒げる。

 それを察したロルフがそっとハンカチを差し出す。まさに阿吽の呼吸である。


「くそ……きっと借金は伯爵の策略だな。調べるにしてもどうすればいいのか」

「あら、簡単ですわ」

「え?」

「その借金、私が返して差し上げます」

「は?」

「たったの五億ベルでしょう?」


 にっこりと何でもないことのように口にするパトリツィアに三人は固まったままだ。


「ロルフ。どれくらいで用意できますの」

「すぐにでも」

「だ、そうですわ」


 話は決まりだとばかりに場をまとめようとするパトリツィア。

 だがその瞬間、人垣から一人の男子学生が飛び出してきた。


「余計なことしやがって!!」


 その手には剣が握られていた。

 切っ先がまっすぐにパトリツィアに向けられる。

 だが、それはあっという間にロルフの剣によって弾かれ、男子学生は無様にも地面に沈んだ。


「お嬢さま、ご無事ですか」

「ええ、平気よ」


 顔色一つ変えない二人のやりとりにアルドがようやく声を上げる。

 一拍遅れて、王家の護衛がアルドたちを取り囲んだ。


「これは何ごとだ」

「おそらく伯爵家がレジー様に付けていた監視でしょうね。裏切ったらすぐにでも手を打つ予定だったのですわ」

「そんな!! じゃあお母さんたちが」

「ご安心なさい。ねえ、ロルフ」

「はい。こちらに来る途中に連絡してすでにレジー様のご両親は保護しております。借金も清算が終わっている頃かと」

「流石ねロルフ」

「ええぇ」


 気の抜けた声を上げ、レジーはその場に座り込んだ。

 呆気にとられているアルドとシェイラはなにげにしっかりと手を握り合っている。

 パトリツィアは見逃さなかった。剣を持った男子学生が現れた瞬間、アルドがシェイラをしっかりと背後に庇った瞬間を。

 そしてそんなアルドに恋する乙女の顔を見せたシェイラの表情を。


(最高に尊い光景でしたわ)


 密かに感動を噛みしめていると、アルドがゆっくりと近づいてきた。


「パトリツィア。君にはなんと感謝したらいいのかわからない」

「いえ、殿下。私がやりたくてやってることですから」

「だが、君にはずいぶんと負担を強いてしまった……五億ベルなんて」

「あらお気になさらないで。たった五億ぽっちでシェイラ様の笑顔が見られたなら安いものですわ」


 ひくり、とアルドが口元を引きつらせたがパトリツィアは気にしてもない。


「もしお礼をお望みでしたら、どうぞ私にシェイラ様のドレスや装飾品を揃える権利を下さい」

「あ、ああもちろんだ。いくらでも支払うから最高級のものを……」

「いえ、代金は結構です。献上させてください。推しに貢ぐのが私の喜びなのです」

「は……?」


 わけがわからないという顔をしているアルドを無視して、パトリツィアはシェイラに近づき頭を下げる。


「立場もわきまえず騒ぎを起こしてしまったこと、大変申し訳ありません。私、ずっとシェイラ様に憧れていましたの」

「パトリツィア様。私、あなたになんと感謝したらいいか。ぜひ私と……」

「シェイラ様、どうかこれからもひっそり見守る許可を下さい」

「え?」

「あなたを見ていると創作意欲が湧きますの。素晴らしいドレスを作りますから楽しみにしていてくださいね」

「え、ええ」

「それでは皆さまごきげんよう」


 華麗にお辞儀をしたパトリツィアはその場から颯爽と去って行った。

 捕らえた男子生徒を王家の護衛に引き渡したロルフもその後を追う。


「ロルフ。今回もありがとうね。完璧だったわ。ぜひ、特別報酬を受け取ってちょうだい」

「いつもいってますが、俺はレッジ家に雇われてる身ですからお嬢さまから報酬を受け取ることはできません」


 表情一つ変えないロルフにパトリツィアは少しだけ唇を尖らせる。

 ちらりと後ろに向けた瞳には隠しきれない乙女の色が滲んでいるが、ロルフは気がつきもしない。


「……少しぐらい貢がせてくれたっていいじゃない」

「何か言いました?」

「推しに貢ぎたいなって言っただけです。私のお金だけで生きてくれたらいいのに」

「次は誰に貢ぐ気ですか? さすがにお小遣いがなくなりますよ」


 小言を無視するように歩幅を広げるパトリツィアは、それを追いかけるロルフの眉間にくっきりと深い皺が刻まれていることに気がつかない。


「まったく困ったお嬢さまだ。俺は金がなくたって……」


 どこか切ないロルフの呟きは先を歩くパトリツィアの耳には届かなかった。






 レジーをけしかけていた伯爵家は王家の調査が入りその悪事が露見して取り潰し。レジー一家をはじめとして違法な借金を課せられていた人たちは自由になり、レッジ家に深く感謝をしたのだった。

 数ヶ月後、アルドとシェイラは予定を繰り上げて盛大な結婚式を行った。

 パトリツィアがデザインしたシェイラの衣装と装飾品は豪華絢爛かつ美しくも繊細で、社交界の女性たちの話題をかっさらっていった。

 結果として新たにドレスやジュエリー製作をはじめることになったパトリツィアの元には、レジーに使った五億ベルを上回る収益が転がり込んでくることになったのだった。


「またお小遣いが増えちゃった。何に使えばいいのかしら」

「そういえばお嬢さま。先日、金継ぎで復元した花瓶。十億ベルの価値が付いたそうですよ」

「あらまぁ」


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