なぜか下働きをしている令嬢との出会い(アースside)
呪いなのか、神の悪戯なのかわからない。
王都周辺に魔獣が増え始めたのは、ここ数年のことだ。
それまで、聖女の力で平和を享受していたスタンベール王国。だが、聖女が偽物だったという王家からの伝来以降、真の聖女だという少女が現れたにもかかわらず魔獣は増え続け、騎士団は戦いに明け暮れていた。
そしてあの日、大量発生した魔獣に囲まれ、王立騎士団第一部隊は壊滅の危機に瀕していた。
「アース様、お逃げ下さい」
「まさか。この状況で、騎士団長が逃げれば全滅だ」
第一部隊長のレイモンドが、珍しく慌てながら俺のそばに駆け寄ってきた。
「アース様! あなたが逃げ延びれば、王立騎士団の再編も可能です」
「――――そんな余力が、今の王国にあると思うか?」
「…………」
レイモンドは、青い瞳を伏せて押し黙ってしまった。
分かっているのだ。たぶん、王妃ローゼリアは偽物だ。
そして、行方不明になった聖女こそが本当の聖女なのだ。
だれもそんなことを口にすることは出来ないが、本当の聖女の加護を失った今、王国は滅亡の危機に瀕しているのだと。
その時だ、俺たちの前に白銀の狼が現れたのは。
白銀の狼が現れた瞬間から、なぜかあれほどいた魔獣たちは、不思議なことに進路を変えて走り去っていく。まるで、大きな魔獣から逃げるみたいだ。
なぜか白銀の狼は俺の目の前に降り立つ。
その時、銀色の魔力の星が、俺の周囲に降り注いだ。
あまりの眩さに目をつむって、開いた瞬間、白銀の狼は姿を消していた。
そして、俺は、まるで先ほどの白銀の狼が混ざりこんでしまったような姿へと変わっていたのだった。
* * *
白銀の狼が混ざったような姿に変わってしまった俺が、助けを求めたのは中央神殿ではなく、スタンベール王国南端にある辺境の神殿だった。
この姿のまま王都に戻れば、どんな理由を付けて陥れられるか分かったものではないというのが理由の一つ。
もう一つは、事実として中央神殿の神殿長よりも、この辺境の神殿長のほうが呪いを解く力が強いということだ。
「あいかわらず、ベレーザ殿のお力を感じるような、清浄な空気だな。この場所は」
十年前までは、中央神殿で神殿長をしていたベレーザ殿は、現役を退いて、南端のこの地で神殿長をしている。だが、その力が、どの神官よりも強いということは、周知の事実だ。
「おや……?」
その時俺の目に、眩いばかりの金の光が差し込んだ。
目を凝らしてみれば、あまりに儚げな少女が一人、金の髪を一つにくくって洗濯をしていた。
優雅な物腰をした少女。洗濯なんてしたこともないような細い腕をしながら、次々と洗濯物を干していく姿は手慣れている。
「アース様?」
振り返れば、癖のあるグレーの髪に、青い瞳のレイモンドが、不思議そうにこちらを見つめていた。
凱旋すれば確実に勲章と栄誉を賜るはずのレイモンドは、俺と一緒にこの場所に来ると言って頑として譲らなかった。
レイモンドのことも巻き込んでしまっているのだ。よそ見をしている場合ではないだろう。
俺は、歩む速度を速めて神殿の中へと入っていった。
* * *
通された部屋は、風通しがよく日当たりのよい応接間だった。
年代物であろう透かし彫りの装飾がされたガラスの窓から、柔らかな光が差し込んでいる。
澄み渡った空気は、この場所を守る神官たちの神力の強さを証明しているかのようだった。
「この場所なら、アース様のそのお姿も……」
緊張したように周囲を警戒していたレイモンドが、少しだけ表情を緩めた。
その場所で神殿長が現れるのを待っていた時、扉が叩かれた。
「失礼いたします」
そこに現れたのは、先ほどの少女だった。
その手には、トレーが乗せられ、その上に湯気の立つお茶が用意されていた。
少女は、ほんの一時俺の姿を凝視したが、そのあとすぐに動揺を押し隠すと、「……まもなく神殿長が参ります。それまで、よろしければこちらをどうぞ」とお茶を差し出した。
訓練された騎士達ですら、俺の姿を見た時の動揺をこんなに早く押し隠すことなどできなかった。
この少女はいったい、何者なのだろうか……。
そう思って目を見開くと、その少女が俺のことをもう一度じっと見つめてきた。
だが、その瞳に嫌悪の色はない。
むしろ興味を示している? ……まさかな。恐ろしさを押し隠しているに違いない。
「……お構いなく」
口から飛び出してきたのは、何の変哲もない一言だった。
その言葉に、何かを感じたのだろうか。
気の毒そうな表情を浮かべて、少女がお茶を勧めてくる。
「あの……。差し出がましいかもしれませんが、月光花のお茶です。少しでも、お身体のためになればと」
月光花のお茶という言葉が聞こえた。
そんなもの、王都では金貨を出さなければ買うことが出来ない高級品だ。
しかも、王都ですら一部にしか流通しておらず、すぐに手に入れるなんて出来ないはず。
「月光花? ……そんなに高価なもの」
俺の言葉に含まれた、ほんの少しの不信感に、少女は気がつかなかったようだ。
首をかしげて、真っすぐに俺の瞳を覗き込んでくる。
不覚にも、胸が高鳴ってしまった。
「せっかくご用意いたしましたので、ぜひ」
「……失礼する」
だが、この口では、平らな皿でないと食事も水分もとることが出来ない。
仕方がないので、行儀は悪いが上から注ぐように飲む。
うん。喉が焼けそうに熱いな!
だが、以前飲んだ月光花茶は、薬だと思えば飲めないこともないくらい、渋くて苦い味をしていたと記憶している。
しかしこれは……。むしろ、うまい。
「……ずいぶん飲みやすいな」
「えっと、秘伝のレシピなのです」
秘伝のレシピというだけで、あの飲みづらい月光花茶が、ここまでおいしくなるとも思えないのだが。
いったいどんな魔法を使ったのだろう。
だが、頬をほんのりと赤らめて嬉しそうに笑った少女に「……そうか。ありがとう」と伝えた。
俺は今、たぶん笑っている。だが、おそらくそれは相手には伝わらないのだろうな。
その事を、妙に残念に思うのが不思議だった。
「っ……。は、はい!」
なぜか、今まで余裕そうだったのが嘘みたいに、少女は顔を赤らめて動揺した。
そして、次の瞬間、あまりにも優雅に礼をした。
……貴族の礼。しかも、ここまで洗練されている礼なんて、高位貴族でもめったにお目にかかれない。
少しの練習などでは身に付けることが出来ないだろう。
そうだ、お茶を運んできたときも、並べた時すら、少女の所作は異様なほどに洗練されていた。
……なぜだ。なぜ、こんな辺境の神殿で、そんな所作を身に付けた少女が、下働きのような仕事をしている?
「ご令嬢、俺のことは、アースと呼んでくれ。しばらくここで世話になる予定だ。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
動揺を押し隠し、自己紹介をする。
そして、次の瞬間、なぜか引き止めるかのように、少女の手を掴んでいた。
その瞬間、なぜか銀の星が散り、月光花の香りが色濃く漂った気がした。
「え……?」
あっけにとられたような少女の声で我に返る。
「えっ?」
よく知りもしない令嬢の手を掴むなんて、まるで不審者のようではないか。
「あの……?」
「失礼した。あ〜。もしよかったら、名前を教えてくれないか?」
「こちらで下働きをしております、ルーシアです」
「……下働き?」
ルーシアは、自分のことを下働きだと言った。
そんなはずはない。下働きが、こんな優雅な動きをするはずがない。
「……失礼します」
「ああ……」
まるで、魔獣に幻覚を見せられた後のように、ぼんやりとその姿を見送る。
そして、うしろに気配を消して控えていたレイモンドに声をかける。
さすがレイモンド、ルーシアは、その存在に気がつくこともなかったぞ?
もし、背後を取られたら、俺でも避けようがない気がする……。
「どう思う?」
「――――特徴は酷似しています」
「そうだな……。しかもこの神殿の、神殿長はベレーザ殿だ。内密に調べるように」
この予感が当たっていたら、もしかすると現国王の王位を揺るがすかもしれない。
「っ、ところでアース様」
「――――なんだ?」
「お姿が戻っています」
扉を開けて入って来た、神殿長と目が合う。
驚いたように、長い眉毛に隠された瞳が開かれる。
たしかに、人間の手に戻っている……。
だが、瞬きをした次の瞬間には、俺の手は白銀の毛に覆われていた。
アース様の裏事情でした(*'▽')
応援代わりに下の☆を押して頂けると、やる気に繋がります。
よろしくお願いします!